誰より君が
クララが可愛い。めちゃくちゃ可愛い。いますぐ抱きしめたい。
昨日の今日で、そんな無茶ができないのは分かっている。それでも、彼女の体に触れて、その熱を確かめたい。
クララが、それなりに可愛いのは、昔から知っていた。いや、実はすごく可愛いと思っていた。
キスをしたいと思ったことがなかったわけじゃないけれど、そういうきっかけというかチャンスがなかった。
許婚だし、普通はそれ以上進んでいても、まあ、別に問題ないわけだけど、こいつはネンネで、そういう方向にはとんと疎い。
だからいつも子供扱いしてきた。
それなのに、王都で一年ぶりに会ったクララに欲情した。女性らしく丸みを帯びた体は柔らかくて、ものすごく抱き後心地がいい。
どさくさに紛れて、どれだけ抱きついたろう。冗談めかしてキスもした。肌から香る匂いが甘くて、食べてしまいたくなった。
実際、ピアノ室では本気で食べようと思った。もちろん、ギリギリで理性が勝ったのけれど。
いくらなんでも、酸欠で失神しているクララを襲ったら、それはもう犯罪だ。準備もなかったし、勢いにまかせて抱くのは、やはり無理があった。
そんなクララが、僕の色のドレスを来ている。
緑のドレスもよかったが、僕の服が紫なことを考えると、色として合わせにくい。
ヘーゼルは僕の髪の色だし、このシックな色をこうも艷やかに着こなせる女性はそうそういない。
さすがマリエルだ。願いどおりの仕上がりだ。
とにかく、もう可愛いなんて生やさしいもんじゃない。むしろ目の毒。どれだけの男の視線を奪うかと想像するだけで、胸が焼ける。まるで本物の淑女。
いや、別にクララが淑女じゃなくて、お転婆だとか跳ねっ返りだとか言ってるわけじゃない。
だけど、これはちょっと危険なくらい可愛いと思う。
「ごほんっ」
マリエルが咳払いをしたので、僕は我に返った。
いけない。ここで間違えると、この先が進まなくなる。僕はにっこり笑顔を作って言った。
「馬子にも衣装だな」
ち、違う。そうじゃないだろ、俺。ここは徹底して褒めるべきところだろ?
ほら、色々あるだろ、なあ、おい。可愛いとか、綺麗だとか。
僕はなぜかいつもの憎まれ口をたたいてしまった。
焦る僕とは反対に、クララはなんだかちょっとホッとしたようで、いつものように応戦してきた。
「ローランドもまあまあよ。エスコートされてあげてもいいわ!」
「ぶっ。なんだよ、その高飛車な態度!似合わねぇ」
僕は思わす吹き出した。ああ、いつものクララだ。昨日のことは、怒ってはいないんだな。よかった。
それが分かっただけでも、僕には収穫だった。
大丈夫、僕たちはこのままでいい。いずれ結婚するんだから、急いで関係を進めるなくてもいいじゃないか。
クララの覚悟ができるまで、時間をかけてゆっくりと落とす。
僕から喜びを得られるように、彼女のことをよく知って、恋人としての純粋な触れ合いを楽しむ。まずはそういう期間が必要だ。
それがこいつの希望だったんだ。取り入れてやっても、なんら問題はない。
本当はこのとき、僕はクララに自分の気持ちを伝えるべきだった。
口にだして、好きだとか、愛しているとか。きちんとした言葉で。
だが、大いなる照れと、根拠のない油断が、僕の判断を誤らせた。
それがその後、長く僕自身を苦しめることになるとは、そのときには思いもしなかった。
王宮に向かう馬車の中で、僕たちは普段通りに振る舞っていた。それでも、ふたりともどこか落ち着かなかった。
クララは昨日のことについては、何も言わない。
それでも、態度がぎこちないので、何かしら思うところはあるはずだ。それを聞いてみたいけれど、僕のほうから言い出すというのは無理だ。
これといった会話もできないうちに、馬車は王宮に着いてしまった。
僕がクララの手を引いて馬車から下りると、どこからともなく「ほうっ」っという感嘆のため息が聞こえた。
美しいクララをエスコートできるのが、なんだかとても誇らしく、嬉しく、心が浮き立った。
しかも、僕はクララの瞳色の礼服を、クララは僕の髪の色のドレスを来て、いかにも『身も心もお互いのものです』という雰囲気を出している。
これが自慢でなくて、なんだというのか!
僕は、そのまま夢見心地で、謁見の間に入った。
そこは巨大な大理石の聖堂のような作りになっていて、正面の祭壇のようになったところに、王と王妃の玉座が設けられていた。
父は宰相として国王陛下と共に不在のため、僕は筆頭公爵家の代表として、最前列での列席を許された。
これは、僕にとっては朗報だった。
互いの色に染まった僕たちを、殿下に見せつけたかったから。
思い切って服の色を合わせてもらえるよう、男爵家の旧知のメイドに頼んだ甲斐があった。
殿下の側には、婚約者である王女様ががいるので、そんなことを画策する必要はない。つまり、これは単に僕の子供っぽい独占欲だった。
とにかく、クララを褒めよう。女は褒める!これが口説くときの基本だ。
「おまえ、今日はなんか栗みたいだな」
おい!それじゃ、見たままじゃないか?いや、違うだろ!そうじゃなくて。
「つーか、やっぱ野猿?」
どっか、おかしいのか? 口が勝手に動く…。いや、そうじゃないんだ、僕が言いたいのはつまり、猿みたいに可愛い…って、そうじゃなくて!!
「化粧、盛りすぎじゃねえ?」
自分のあまりのバカさ加減に、なんだか笑ってしまった。
案の定、クララは気分を害したらしく、ふーっとため息をついた。
これはもう、話題を変えるしかない!そうだ、王女様の話だ。旬の話題だ
「王女様はお前と違って綺麗だぞー。度肝抜かれるなよ」
だから、そうじゃないだろ! ……いや、まあ、いいか。とにかく、殿下は売約済なんだから、俺でいいだろ?どーせ他に貰い手もないんだから。
「殿下と並ぶとキラキラしすぎて目も開けられないぞ」
お前もピカピカに光って見えるけど。その俺の色のドレスだと特に可愛いし、みんなに自慢したくなるぞ。
……くそっ!なんでこんな簡単なことが言えないんだ!思ったまま、クララを褒めるだけじゃないか。
クララは特に反応も示してくれず、僕はだんだんいたたまれなくなってきた。
本当はこんなことを言いたいんじゃないんだ。もう泣きたくなってきた。
そのとき、入り口からチリリと澄んだ鈴のような音が聞こえ、殿下と王女様の入場が告げられた。
僕が頭を下げると、クララも急いでそれに倣った。
かすかな衣擦れの音と柔らかくて甘いいい匂いが漂ってきた。今朝の殿下の残り香と同じものだった。
普段は絶対的な紳士なのに、殿下は意外とむっつりスケベだった。
それでも、王女とうまくいっていれば、クララにちょっかいは出してこない。これはいい傾向だ。
二人が席につかれたのを合図に、僕はいい気分で顔を上げた。
そして知りたくないことを知ってしまった。
ほんの一瞬だけだったが、殿下は愛しい者を見る目をクララに向けた。抑えきれない、ほとばしる情熱を浮かべて。
それに気がついたものは、僕と、たぶん王女様だ。
クララは恋愛事にはめっぽう疎い。どんなに熱く見つめても、こっちの気持ちを察してくれたことはない。つまり鈍い。
今はその鈍さのおかげで、クララは殿下の気持ちに全く気がついていない。それが唯一の救いだ。
それにして、殿下は何を考えてるんだ。クララは恋の駆け引きを楽しむようなやつじゃない。殿下から王女への寵愛を盗む……みたいな真似は、断じてできないやつなんだ。
せっかくの楽しい気分が消え、またイライラしてきた。
殿下には王女様がいる。それなのに、クララまで手に入れようとするなら、僕はもう容赦はしない。
「マクミラン侯爵令息ローランド、ベルモンド男爵令嬢クララ」
名前を呼ばれて、僕はクララに手を差し出した。クララの手を取ると、そのまま殿下と王女の前に進み出た。
「まあ。素敵なコーディネートね!二人ともとてもお似合いだわ!」
コロコロと鈴が転がるような声で、王女が言った。
いいこと言うじゃないか!そうだ。僕らはお似合いなんだ!いや、クララに僕はもったいない男なんです。
それでも、他にいい女が束になって寄ってくるのに、全く相手にしていないくらい、僕はクララを大事にしてるんです。
「おそれ入ります」
僕は頭を下げた。
王女様はいい方だ。僕は断然、王女様の味方をしよう!
とにかく、もっともっとお似合いだと言ってください!貴方が言ってくだされば、クララも絶対に納得しますから!
「セシル」
僕の期待をよそに、その会話は殿下の声で遮られた。
ちっ、余計なことを。いや、意図的か?もっとクララと僕を称賛してほしかったのに。
「ごきげんよう。これからよろしくお願いしますね」
王女は型通りの挨拶をして、僕たちは最敬礼を返した。そして謁見は終わった。
その場を立ち去ろうと、頭をあげたときには、もう殿下は僕らのほうを見てはいなかった。
さっきクララを見ていたと思ったのは、僕の嫉妬が見せる幻だったのだろうか。
そうであることを願って、僕はその場を後にした。