幕開け
「だから、俺が悪かったって。さっきから何度も謝ってるだろ?いい加減、機嫌直せよ」
僕とヘザーは、王宮に向かう馬車に向かい合って座っていた。
「はあ?全っ然、謝ってるように聞こえないんだけど」
「だからってお前、グーで殴ることないだろ?これから公式行事だってのに!」
僕は頬をさすりながら、目の前でプリプリ怒るヘザーを恨めしそうに見た。
女性の拳では大した痕はつかないが、ちょっとだけ口の中が切れた。
「なにそれ。顔のことなんか気にしてるわけ? ナルシスト痴漢、キモい!」
「お、おい、いくらなんでも痴漢って」
ヘザーは据わったような目をして、こちらをキッと睨みつけた。これは相当怒っている。
グー・パンチで済んで、実はラッキーだったのかもしれない。
「淑女にいきなりキスする不埒な男は、普通は痴漢とか変質者よ。ありえない」
「いや、一応、俺は婚約者だぞ?キスくらいありだろ?」
「ない。あんたとキスとかない!そういうのがないと思ったから手を組んだのに、全く見込み違いだったわ!この変態っ」
「だから、ごめんって。だけど、そんなに嫌だったか?これでも学園では『抱かれたい男No.1』だったんだけど」
「うわっ!やだっ!キモっ!ちょっと、マジでやめて。想像したくない」
ヘザーは頭を抱えた。
いや、うん、まあ、知ってたよ。ヘザーが俺に全く興味がないこと。
実際、俺だってヘザーには、そういう気はないんだが、なんというか、魔が差したというか、はずみというか。
人間、弱ってるときに、なんかこう身近な人にすがってしまうものじゃないか?
「悪かったよ。ちょっと弱っててさ。お前の優しさにクラっときて」
パシッ!
さっきの頬とは反対側に飛んできたグーを、今回はうまく手で受け止められた。
まあ、これは想定内だったから。
ヘザーは僕の手を振り払って、さらにギリっと睨んできた。
「この程度の報復で我慢してるのは、これから式典があるからよ。あんたの顔が歪んでたら、クララが心配するでしょ?まったく、こいつのどこがいいんだか。趣味悪すぎるわ」
「本当に悪かったよ。もうしないから、許してくれよ」
「当然よ。今度したら、命はないと思いなさいよ!なんで私があんたとキスなんて。黒歴史だわ。今からあんた、私の奴隷ね。口ごたえは許さないわよ!」
やはり、本気で怒らせてしまったようだ。ここはおとなしく頷いておくのが得策だ。
ヘザーとは、本当に姉弟のようなもので、確かに近親相姦みたいな真似は、気持ち悪いと言われてもしかたがない。
でも、ここまで嫌がるか、普通。もしかして、ヘザーのこの激昂は、実は照れ隠しとか?
いや、待て!そんなことを思ったことすら、バレたら殺される。
ここは素直に、下手に出るべきだ。
「分かったよ。何でも言うこと聞くから」
ふんっとヘザーは鼻を鳴らしてから、僕を見下ろした。
実際には身長差があるので、見上げられる位置関係なのだが、どう考えても見下されていると思う。
「まあ、もういいわ。油断した私も、バカだったのよ。はー。なんか心配して損したわ。あんた、クララがいなくても、すぐに次の女を引っ掛けそうね?やっぱ、クララには紳士なカイルのほうが、断然いいかもしれないわねっ」
ヘザーは、許すとは言ってくれたが、言葉の端々に棘を感じる。
カイルだって、普通の男だ。紳士でも、婚約者にキスくらいするだろう。
だが、その婚約者がクララだということで、僕もカイルが紳士であることを切望した。我ながら愚か者だ。
確かに僕よりは、カイルのほうがずっといいだろう。それは断言できた。
「まあ、世の中には、変態が好きっていう人もいるから、あんたもそう絶望する必要はないわよ。顔だけはいいんだし。顔だけだけど、顔がないよりマシよ」
急にだまり込んだ僕を見て、ヘザーはちょっとだけ態度を軟化させたようだ。
それでも辛口のままではあるが。
結局、なんだかんだ言っても、彼女は僕の幼馴染であり親友だ。
僕の愚かさなんて、もうずっと前からお見通しだし、今更感もあるのかもしれない。
「慰めてくれて、ありがとう。変態だけど、顔で頑張るよ。とにかく、王宮ではちゃんと紳士らしく振る舞うから」
「よろしく頼むわね、美形変態さん。クララには、特に注意よ。王家は円卓と近衛が守っているし、殿下に勝る魔法力は、そうないんでしょう?クララは、カイルが守ってはいるけれど」
カイルは魔法が使える。騎士として剣の腕も一級だ。
だが、魔法と剣が同時に来た場合は、逆に体勢が不利となる可能性もある。
「クララはまだ、そんなに危険なのか?殿下と関係がないなら、もう狙われないんじゃないか?そもそも、カイルとの婚約もそのための……」
偽装婚約……なのだろうか。殿下との無関係を強調するだけの。
それならば戦況が好転したら、クララは自由に?
いや、あのカイルが、クララを手放すわけはない。
「殿下は、クララにご執心よ。安全のために、敢えて他の男に託すくらいにね。本当は、妻にするのが正しい守り方だったと思うわ。そうはならなかったけど」
「王女様がいるからな。彼女を正妃にしない選択肢はなかった」
「ちがうわよ。クララが殿下を愛していなかったから!相思相愛なら、話は違ってた」
「クララは、殿下を好きなんじゃないのか?」
「それ、誰が言ってるの?クララが言ったの?もういい加減に思い込み捨てたら?」
クララが誰を好きなのか。実際それは聞いたことがない。
知らないまま、道を別つことになってしまったし、確かに思い込みが強かったことは、認めるしかない。
ちょうどそのとき、馬車が王宮へ到着した。時間通りだ。
宰相である父が不在のため、おそらく僕が筆頭公爵家代表として、貴族では最後の入場になる。
クララはすでに会場にいるはずだ。
ヘザーをエスコートして、馬車から降りてレッドカーペッドを歩く。それは、高位の貴族にだけに許された特権だった。
国王陛下の帰国が遅れるために、殿下の婚約式は、プレス・カンファレンスが主要目的だそうだ。
そのため、婚約公示の場は謁見の間に設けられていた。
殿下と王女様の婚約発表だけでなく、僕らもそこで正式な婚約者として承認される。
案内人について会場の入り口に立ったとき、僕はすぐにクララを見つけた。
そんなに近い位置にいたのではないのに、クララがいるところだけが、輝くように見えた。
カイルの趣味なのか、大人びたドレスを着ていたが、彼女の愛らしさは引き立つばかりだ。
だが、あまり元気がない。なぜだろう、無理に笑っている。
カイルもそれに、気がついたらしい。何か尋ねたようだが、クララは首を振っただけだった。
そして、カイルに気づかれない角度で、指先でそっと目をこすったのが見えた。
僕はクララに気づかないふりをして、そのままヘザーと前方へ進んだ。
だが、もちろんヘザーは、クララに気がついていたし、僕が彼女をこっそり見ているのも知っていた。
クララのそばを通るとき、ヘザーはわざと僕の腕をギュッと引いた。それは、クララを見逃すなと言っているような仕草だった。
そして、わざとらしいくらいに明るい声を出した。
「クララ。素敵よ!」
ヘザーの声を聞いて、クララは顔を上げた。そして笑顔を作った。
もちろん、幼馴染の僕らには、それがクララの本物の笑顔じゃないことなんて、すぐに分かる。
「ヘザーもよ!」
クララは、いつもの朗らかな声色で返事をしたが、明らかに何か無理をしていた。
具合が悪いのかもしれない。近くにいるカイルは、何故それに気がつかないんだ。
僕には怒る権利などないのだが、側にいるのに何もしないカイルに苛立った。いや、これはただの嫉妬だ。
僕はそんな自分を恥じ、二人を一瞥して会釈しただけで、そのまま通り過ぎた。
カイルは僕に、丁寧な挨拶を返した。もしかしたら、僕を殴ったことを、今も気にしているのかもしれない。
クララたちから少し離れたころに、ヘザーが小さな声でふるえるように言った。
「クララ、泣いてたね」
「うん」
見た目は幸せそうな婚約者を演じながら、僕たちの心の中には、不安がさざ波のように広がった。
クララが幸せじゃなければ、僕も幸せにはなれない。分かっていたことなのに、僕は改めてクララへの自分の想いの強さを自覚した。
いよいよ幕が開けるのそのときになって、僕はこの配役はミスキャストだったと思い知った。それでもこのまま進むしかない。
殿下の入場をつげるファンファーレがなり響き、長い芝居の序章が始まった。
ー 【第二章】完 ー
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