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ヘザーの初めて

 ヘザーが淹れてくれた温かいミルクティーを飲むと、僕は少しだけ落ち着いた。

 指先の震えも止まり、冷静に自分を見ることもできた。


「ごめん。職務上、クララのことは、私からは言えなかった」


 申し訳なさそうに言うヘザーに、僕は首を振った。


 そうじゃない。ヘザーは可能な限り、僕に伝えようとしてくれていた。何度も何度も。それを聞き流したのは僕だ。


「いや、俺こそ。取り乱して悪かった」


 ヘザーは手持ち無沙汰なのか、薔薇の花びらを弄んでいた。

 花粉が揺れるせいで、香りのいい薔薇の匂いが、さらに強くなった。まるでバラ園にいるかのように。


「ねえ。本当に、これでいいの?」

「何が?」

「私たちの婚約」

「何で?」

「何でって。だってクララは……」

「彼女は関係ないだろう」


 そうだ。僕は自分から彼女を手放した。そして、自分の意志でヘザーと婚約した。

 その後にクララがどんな選択をしたとしても、それは僕にはもう関係ないことだ。


「それは、そうかもしれないけど」

「お前、クララに会ったんだろ?カイルも一緒だった?」

「うん」

「幸せそうだったか?」


 ヘザーはその質問には答えず、ただ目を逸らしただけだった。


 カイルは、クララをもらうと、僕に堂々と宣言した。そして、その通りにした。

 クララは大事にされているはずだ。


「あんたはバカだけど、やっぱりアンフェアだったと思うの。殿下とクララのこと、誤解したままだったでしょう」

「いや、昨日のバラ園で、誤解はとけた。殿下から、きちんと伝えられたから」


 ヘザーよほど驚いたのか、花束を無造作にテーブルに置いた。

 その瞬間、薔薇の香りはさらにきつく、むせ返るように匂った。


「それ、本当なの?じゃ、今まで何をしてたわけ?なんでクララに会いにいかなかったのよ!いくらバカって言ったって、そこまでバカだと泣けてくるわ!」


 そう言ったヘザーは、本当に泣いていた。こんなバカのために泣いてくれる女性など、たぶんヘザーくらいしかいないだろう。


「いいんだよ、バカで。おかげで、お前を泣かせられた。昔から、いつもお前に泣かされてばっかりだったからな。今回は、俺の勝ちだ」


 そう言うと、ヘザーはため息をついた。そして、指でさっと涙を拭いて、キッと僕をにらみながら言った。


「あんたの負けよ。でもフェアな勝負じゃなかったわ。カイルはクララ専属の騎士よ。彼女が愛妾なんかじゃないことも、殿下が彼女を側に置かないことも知ってた。なのに、何も言わずに掠め取った」

「それは違う。カイルからも、何度も確認された。本当にいいのかと。あいつはフェアだった。僕がバカなだけで、カイルは卑怯者じゃない。正々堂々とクララを手に入れたんだ」

「そんな戦利品みたいな言い方!クララは物じゃないのよ。彼女の気持ちはどうなるのよ!」 


 クララの気持ち。そうだ、ヘザーにもカイルにも、何度も言われてきた。クララ本人に確かめろと。

 なのに、僕はクララの気持ちを知るのが怖くて、僕じゃない誰かを愛しているという事実を突きつけられたくなくて、ただただ逃げ続けた。


 そんな僕に、今更、クララの気持ちを知る資格などない。


「ごめん。でも、これだけは言える。カイルはいいやつだ。クララは必ず幸せになれる」

「あんた何様?この期に及んで、そんな上からの物言いして、どーすんのよ!いつまでカッコつけてるわけ?ここは、みっともなくすがるところでしょ!クララに泣いてすがるのよ!俺を愛してくれって」


 真っ赤になってヒステリックに叫ぶヘザーを見て、僕はやはりこれは負けだと思った。

 ヘザーにもカイルにも、僕は人として完敗だ。


 僕は貴族筆頭の公爵家に生まれた。何もかもに恵まれて、何でも自分の思い通りになった。

 クララのことも、許婚として当然のように自分のものだと思っていた。好かれる努力すらしてこなかった。愛を乞うことも。


 だからこそ、クララが殿下に惹かれたなら、それは当然だと思った。昔から、殿下には勝てたことは一度もなかったし、クララを繋ぎ止める自信が持てなかった。見限られて当然だとも思った。


 そして、逃げた。自分から、彼女から。


 結局、ヘザーの言う通り、僕はただプライドが高いだけの、どうしようもないバカだ。みっともなく足掻くこともできないくせに、クララをすっぱりと諦めることもできない。

 誰のものになったとしても、クララを愛することをやめることはできないのに、クララに決定的に拒絶されることには耐えられない。


 それに、殿下だから引いたのに、カイルなら挑む、なんて真似はできない。

 身分や立場、資産がなんだというんだ。結局、それはどれも人としての価値じゃない。


 カイルはクララにふさわしい人間だ。僕はあいつの足元にすら及ばない。これ以上、クララの前に情けない自分を晒したくない。


「ごめん。俺にはできない。本当にごめん」


 他にどう言えばいいのか、分からなかった。ただ謝るしかできない。


 そんな僕を見て、ヘザーはドサッと長椅子に倒れ込むように座った。

 そして、何度か深呼吸をしてから、僕を見て小さく笑った。


「もういいわよ。あんたがヘタレなのは分かってるから。私も、そういうとこに付け込ませてもらったんだしね。クララに関しては、私もあんたも同罪だわ。共犯者みたいなものよ。責めたりして悪かったわ」

「いや、本当に俺が悪いんだ」


 ヘザーが手を差し出してきたので、僕はその手を取って彼女を立たせた。


 僕たちは今日の舞台の共演者だ。たとえどんな複雑な心境であったとしても、やり通さなくてはいけない。

 すでに幕は開いた。後戻りはできない。


「まあ、クララは大丈夫だと思うわ。カイルはいい男だしね、あんたと違って」

「おい、ずいぶんと手厳しいな」

「いつものことでしょ?」

「少しぐらい、傷心の婚約者を慰めてくれたっていいだろ」

「他の女に失恋した婚約者を気遣う女なんて、偽善臭くて逆に引くわ!」


 いつもの調子がでてきたので、僕らはお互いに笑い合った。


 これでいいんだと思う。きっといつか、僕はヘザーと一緒にいることが当たり前になって、そして人生を共に歩くという選択をすると思う。

 今は偽装だけれど、ヘザーとならいつかはそうなれるかもしれない。


「ありがとう。お前がいてよかったよ」

「なにそれ。今頃それ言う?気付くの遅いんだけど」

「まあな。でも間に合っただろ?」

「あんた、なんでそれをクララにできないの?ほんっとバカだわ」


 本当にそうだ。でもバカでいい。これが僕だし、ヘザーが側にいてくれるなら心強い。彼女は同志であり、大切な戦友だ。


「そろそろ行こう。長い夜が始まるぞ。僕らには使命があるんだから」

「ええ、そうね。この国のために!」


 頬を紅潮させて、そう宣言するヘザーは眩しかった。僕はヘザーの手を握ったまま、その唇に口付けた。


 それは僕たちが、初めて交わしたキスだった。


次は【第二章】最終話です! ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。

もし楽しんでいただけたなら、星ポイント評価してもらえると嬉しいです!

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