衝撃の事実
いよいよ婚約式の当日になった。
王宮の中は、魔術師たちに寄って結界が張り巡らされ、それによって、不審物があれば引っかかることになっている。
今の時点までで、遠隔魔法で操作できる爆発物等は、一切発見されていない。
つまり、事が起こるとすれば、それは人的なものということになる。暴力か魔法か。
そうなると、敵はすでに王宮の中にいる人間か、式に呼ばれている人間ということだ。
警備分掌と配置を再確認して、僕はふと不可解なことに気がついた。カイルの名前がない。
殿下は、式までには謹慎を解くと言っていた。それならば、たとえ陣頭指揮をしないまでも、要所に配置するべきだ。
なぜだろう。まさかカイルに、何かあったのだろうか。
「カイルは、復帰していないのか?」
僕は執務室に詰めている同僚に尋ねた。他のものは、まだ最後の見回りから戻っていなかった。
「警備じゃなくて、出席者のほうに入っている。任務じゃなくて公務だな。お前もそうだろうが。婚約報告があるだろ」
カイルが出席者?珍しいこともある。あの仕事の鬼が。
王宮のイベントは、全てがパートナー制だ。任務でないかぎりは、男女同伴での出席になる。
あの堅物のカイルが女性をエスコートするとは、かなりの驚きだった。
式の後には、夜会も予定されている。カイルがダンスを踊ったところなど、見たこともなかった。
どういう風の吹き回しだ?
僕は、なにげなく出席者リストを手にとった。
自分を筆頭にして、出席者として連なる者は、必ずパートナーとの出席になる。ヘザーは僕のパートナーとしてペアで記載されていた。
僕はリストの上のほうに目線を移し、クララの名前を探した。
だが、王族の枠にないのは今回は当然だとしても、王女の秘書官の中にも、または単独で出席を許される高官扱いのものたちの中にも、その名前は見当たらなかった。
おかしい。今日はクララを殿下の側室として、王宮内での立場固めをする予定ではないのか?
それとも、しばらくは秘密の愛人のままにするつもりなのか?
彼女がパーティーに出席していなければ、僕としても守りようがない。何か裏があるのだろうか。
ヘザーなら、詳しいことを知っているはずだ。少し早めに、ヘザーを迎えにいこう。王宮へ戻る道すがら、馬車の中ででも首尾を確認すればいい。
僕はそう思って、招待客リストを元の場所へ戻した。
「あったろ?あいつが子爵を名乗るとは、珍しいよな?」
そう言われるまで、僕はすっかりカイルのことを忘れてしまっていた。
だが、式に来るならそこで話せばいい。
「ああ。悪いが、俺はもうあがるな」
「分かった。婚約者を待たせちゃ不味いもんな。早く迎えに行ってやれよ」
僕は軽く挨拶して、執務室を後にした。
僕らの婚約を殿下と王女に正式に報告した後、僕は殿下に、ヘザーは王女に、それぞれ付き従うことになる。
婚約のことがなければ、僕らは二人とも単独出席を許される高官なのだ。
王太子殿下の側近と王太子妃の秘書か。おそろしくキャリアなカップルだが、職場恋愛という扱いにはなるかもしれない。
今はとりあえず、少し休息したかった。今日を乗り切れれば、いろいろなことにきっと希望が見えてくる。そう思いたかった。
屋敷に戻って食事を取り、体を清めてから少しだけ仮眠を取った。
ヘザーにはガルダのエンジ色のドレスを送っていたので、僕もガルダの夜会服を身に着けた。
緑を燻したような薄茶色は地味だが、ヘザーを引き立てるにはいいだろう。
パーティーの主役は、いつも女性なのだから。
クララはどうだろうか。殿下の色を、身につけるのだろうか。
いや、殿下の色をまとうなら、それは王女様だ。どんなに美しく着飾っても、クララは表舞台には立てない。
立つことができるとすれば、それは国母としてだけだ。
それが本当に、クララの幸せだったのだろうか。殿下のお手が付いていないなら、妊娠の可能性もない。それなら、別の幸せがあったのではないのか?
僕は慌てて、その考えを打ち消した。今更、あれこれと後悔しても遅い。
殿下のクララへの愛情は本物だ。クララはその手を取ったからこそ、僕には何も言ってこないんだ。
もし僕を選びたいと思ってくれていたのなら、今まで全く連絡がないというのは、ありえないはすだから。
クララは僕ではなく、殿下を選んだんだ。
僕は、クリーム色の薔薇の花束を手に取った。執事の手配で今朝のうちに花屋から届いていた。
これを受け取るときのヘザーの顔を想像すると、僕は少しだけ気が紛れた。
伯爵邸に到着すると、思っていた通りの大歓迎だった。正式に婚約してから初めての来訪になるので、それは想定内ではあったのだが。
婚約して日が浅く、政務で多忙だったとはいえ、さすがに挨拶にも来なかったのは、申し訳なかった。ヘザーには、頭が上がらない。
婚約者ということで、いや、実際は昔からいつもそうなのだが、ヘザーの私室に通された。
ヘザーは支度を終えていたらしく、メイドたちと楽しそうに話していた。
あれか。情報収集。ヘザーは新聞記者志望だからなのか、このメイド・ネットからのゴシップを定期的に仕入れているようだった。
しかし、メイドたちの噂話は、どう考えても新聞ではなくてタブロイド紙向きだろう。そんな情報の記事は、真っ当な新聞には取り上げられない。
ヘザーは、こっそりと男性名個人ライターとして記事を新聞に投稿しているが、今まで取り上げられたという話は聞いていない。
路線を変更するか、ソースを変更するか、そのどちらかしか、記者になる道はなさそうだ。
僕に気がつくと、メイドたちはみんな赤い顔をして、行儀良くお辞儀をして出ていった。
自慢じゃないが、地味な服を着ていても、僕はその造形で人目を惹いてしまう。なんて罪な男なんだ。
「早かったのね。仕事片付いたの?」
ヘザーは、胡散臭いくらい満面の笑みをうかべて椅子から立ち上がり、その場でクルッと回ってみせた。
うん、さすがはガルダだ。知的なヘザーにぴったりの落ち着いたドレスだ。
「いいんじゃない?よく似合っている。三割増しで、美人度が上がった」
「あら、言うわね。ま、ありがとう。メイドたちのメイクアップの腕もあるのよ。貴方もなかなかいいじゃない。でも、そんなに地味な色を着ているのに、かえって美貌が引き立つとか、女としては妬ましいけど」
言い方はいつもの通りだが、一応、これはお互いに褒めたということだった。
僕たちはいつものように、「よしっ」と拳を突き合わせた。これはこれで気楽な関係だ。
僕が持ってきた花束を手渡すと、『正気か!』と言いたそうな目をしたまま、にっこりと邪悪な微笑みを向けてきた。
「きれいね。でも、入れ忘れたものがあるみたいよ?」
「カード?付いてなかった?」
執事には『婚約者殿の美しさを讃えて』と書かせるよう、注文を出していたのだが。
「カードじゃなくて、蛙とか蛇よ」
そうだよな。小さい頃、俺がヘザーやクララにあげた花束には、いつもそんなもんを仕掛けてたよな?
よく覚えてんな、こいつ。
「あー!入ってた入ってた。ほらっ!」
ヘザーが緑色の蛇のようなものを投げてきたので、僕は思わず驚いてのけぞった。
な、なんだ?蛇?なんでそんなものが花束に?僕は一瞬パニックになった。
実際、それは蛇ではなくて、緑色の縄だった。僕の驚いた顔を見て、ヘザーは大笑いした。
どうやら、メイドネットで僕が花束を持ってくることは筒抜けだったらしい。
この間のデコキッス仕返しか。残念だが今回は負けた。メイド・ネット、おそるべし。
ヘザーといると、僕は自然に笑える。彼女がこんな風にふざけてくるのは、僕のことを気遣ってくれている証拠だった。
僕は素直に、ヘザーという幼馴染の存在に感謝した。
「それで?クララのこと、何か聞きたいんでしょう?」
そして、こういう察しがいいところも尊敬する。
仮にも婚約者であるヘザーに、僕から別の女性のことを口にするのは憚られた。
聞いてくれなければ、必死にタイミングを探すことになっていた。
「パーティーでは、どういう立ち位置になる?」
「出席者リスト、見てないの?」
「いや、見たけど」
「名前あったでしょ?」
「どこに?」
ヘザーはテーブルの上にあったリストを、少し躊躇うようにしてから手渡してきた。その表情は固かった。
なんだろう。ヘザーがこんな顔をするなんて、何か嫌な胸騒ぎがする。
僕は上から順に名前を指で追っていった。そして、かなり下のほうによく知る二人の名前が並んでいるのを見つけた。
そこで止まった指が震えるのを、自分でも自覚した。
「クララは、カイルと出席よ。婚約報告もよ。式次第にも載っているでしょう」
僕は急いで、リストの2枚目に綴られている式次第をめくった。
殿下の婚約発表後、僕らを筆頭に八組のカップルが婚約の報告をする。
その一番下に書かれたのが、カイルとクララの名前だった。
僕は頭が真っ白になり、持っていたリストが手からすべり落ちるのにも気が付かなかった。
ヘザーはそれを拾ってテーブルに乗せてから、僕の手を取って椅子に座らせた。
「ひどい顔色よ。ちょっと落ち着こう?」
へザーが紅茶を用意してくれている間、僕はただ自分の震える指先を見ているしかできなかった。