天然バカもん
ヘザーから伝言があった。昼前に任務で出かけるが、戻ったら話があると。
時間を指定せずに話したいと言われても、そう簡単には仕事から離れられないのは自分も同じだ。
それを分かって言っているのだから、たぶんそれはクララに関しての話だ。
午後になってもヘザーは訪ねて来なかった。
僕と彼女の婚約は、それなりに噂になっている。彼女が執務室に来ても、特におかしいこともない。
周囲に冷やかされるくらいだろう。それはある意味でお約束だから。
だが、そうしているうちに、殿下が王女に呼ばれて離席した。
そのタイミングで、執務室も休憩を取るように言われたので、僕たちもそれぞれに手を休めた。
殿下の婚約式が明後日に前倒されたことで、国王陛下と隣国国王は欠席となった。
辺境の状況は思った以上に悪く、北方との交渉外交は全く進んでいない。
その状態のまま国王を動かすことで、何が起こるか予測がつかないらしい。
だが、対外的に婚約が公表されれば、それを盾にして、状況を立て直すだけの時間が稼げるだろうという狙いがあった。
執務室にいるものは、みな親族が国王に従っているものばかりだ。自然と不安が募ってくる。
僕の父もまた、宰相として最前線で頭脳戦を強いられていることだろう。
そして、殿下の側近と円卓が王宮に留められているのは、国王一行にもしものことがあった場合に、すぐに王太子が王位継承して政権交代をするためだ。
僕らは、そのときために選ばれた駒なのだ。
そんな重責を背負っているだけあって、僕らのいる執務室の空気は、自然と淀みがちになる。
僕は少し外の空気を吸おうと、回廊へと足を運んだ。
そして、そこで殿下と遭遇してしまった。
あれから、なるべく殿下と二人きりになるのを避けていた。だが、こうなってしまっては、逃げるわけにも行かない。
僕は殿下に黙礼して、執務室への道を開けた。
できれば、そのまま話しかけられることなく、後ろから黙って執務室へと戻りたかった。
もちろん、その期待は虚しく散った。
「セシルから聞いた。正式に婚約するそうだな」
「ご報告が遅くなって申し訳ありません。急に決まったことだったので」
殿下の婚約に際し、側近の僕らも伴侶を決めることは、理にかなっていた。
次世代のために、王太子の子が生まれる時期を同じくして、その未来の側近、または妃となるべき子を儲ける。
そうやって次の駒を用意することも、貴族に課せられた義務だ。
だが、殿下は僕が、クララに懸想していたのを知っている。
急に幼馴染のヘザーと婚約したことが、カムフラージュとしては、逆にあからさま過ぎたかもしれない。
殿下の口調には、わずかな棘が感じられた。
「本当に彼女を幸せにできるのか」
なんとしても、殿下に納得してもらわなくてはいけない。僕の気持ちが、もうクララにはないということを。
それには、ヘザーとの偽装婚約を見破られてはならない。
僕がクララにしてあげられるのは、彼女に全く未練がないと証明することだけだから。
「僕たちは幼馴染です。長いこと一緒にいて、気心も知れています。お互いによい伴侶になれるかと」
僕がそういうと、殿下は少しだけ目を伏せた。
ヘザーはクララの親友だ。不幸になればクララも悲しむ。
そういう配慮だと思うと、やはり複雑に心が揺れた。
「そうだったな。とにかく、おめでとう。幸せになってくれ」
「ありがたきお言葉」
僕は感謝の意を表して、胸に手を当て臣下の礼を取った。殿下はそれを見て、ゆっくりと頷いた。
茶番だとはわかっているが、とにかく、このまま、この猿芝居を終わらせなくてはいけない。
それが、今の僕たちの課題だった。
次の言葉に窮しているところで、思わぬ助け舟があった。少し離れた場所に、ヘザーが来ていた。
僕たちを見ると、スカートの端をちょっとつまんで、彼女は淑女の礼を取った。
「申し訳ありません。少し出てきていいでしょうか」
「ゆっくりしてこい。婚約者が気になるだろう」
「お心遣い感謝いたします」
ヘザーのおかげで助かった。さすがは戦友、偶然にしてはいいタイミングだった。
あのまま殿下と会話を続けていたら、どこでボロがでるか分からなかった。
僕はまるで、殿下から逃げるように、足早にヘザーのほうへ向かった。
「ごめん、殿下との話し中に邪魔しちゃって」
「いや。僕らの婚約の話をされただけだ。王女様から聞いたらしい」
「え?ああ、そうなの。殿下、なんて言ってた?」
「普通に、祝福された」
ヘザーは「あー」と言いながら、少し首を捻って、考え込んだようだった。
なぜだろう。先程の殿下の様子には、特に不審に思われるところはなかった。
僕に婚約者がいれば、クララは許嫁という立ち位置から完全に外れる。愛妾として伺候させるのに、意義を唱えるものもいないだろう。
殿下にとっては願ってもいない話のはずだ。
それでも、ヘザーはまだ考え込んでいた。
「何か話が、あったんじゃないのか?」
「ああ、うん。王女様が、私たちの婚約を正式に発表したいって。明後日の式で。それで、クララのほうも同時にって」
僕は耳を疑った。自分の婚約式で、夫となるものの愛妾を公にするなんて。
王女様というのは、どこまでお人好しなんだ。
「それは、早急過ぎないか?」
「まあねえ。でも、王女様には考えがあるみたいよ。クララのほうは、保護という意味もあるしね」
確かに。側室となれば王家の一員として、公に王宮で警護ができる。
レイが不在の今、シャザードの魔力に対抗できるのは、殿下くらいだろう。
あとはカイルだが、あいつは魔法を極力使わない。魔法量を隠している節もある。
「そうか。じゃあ、明後日までにドレスを見繕うよ。希望はある?」
「へえ。婚約者らしいことするんだね。ありがと。じゃ、ルビーとあんたの髪に合わせようか。赤茶っていうの?エンジ色がいいわ。一応、私も婚約者っぽく見えるようにするから。ベルダのドレスだったら最高かも」
「わかったよ」
僕が呆れ声を出すと、ヘザーはにっこりと笑った。笑えばかわいい女性なのだが、さすがにちゃっかりしている。
たとえ婚約解消になっても、ドレスや宝石は邪魔にはならないと踏んでいるのだろう。
そういう打算的ところは、逆に僕らの関係にあっては、気楽でいいのだが。
「それで、クララのことなんだけど」
やはり本題はそれか。そうじゃなければ、ヘザーが僕を、執務時間中に訪ねてくるはずがない。
クララに何かあったのだろうか。
「会ったのか?」
「王女様の使者としてね」
クララは王宮にはいない。おそらくは安全なところに匿われているはずだった。
「元気だった?」
「うん、まあ。なんかややこしいことになってたけど」
ヘザーにも守秘義務がある。王女様の使者として会ったならば、僕に報告することすら憚られる。
これは幼馴染として、私的な会話であると了解した。
ちょうど近くに使っていない談話室があったので、僕らはそちらに移動した。
談話室に誰もいないことを確認すると、ヘザーが話を切り出した。
「もう一回聞くけど、本当にクララのことは、もういいの?」
「ああ」
「じゃあ、クララが誰を好きになっても、喜んでそいつに譲る?」
「くどいぞ。だいたい、クララは俺のものじゃない。譲るとかないだろ?」
殿下を指して「そいつ」とは不敬だ。王女様の秘書のくせに、こいつはまだまだ主従関係について学ぶ必要があるらしい。
「じゃあ、言い方を変えるわ。クララを愛してる?」
「だったら、お前と婚約なんてしないだろ」
僕は明言を避けた。クララを愛していないという一言が、どうしても言えなかった。
「えー?じゃ、私を愛してるんだ?」
「殴るぞ」
ヘザーの口調は、どう考えても茶化しが入っている。真面目に答える必要はない。
僕の反撃に気分を害したのか、ヘザーはふうっとため息をついた。
「あんた、バカもんだとは思ってきたけど、本当にバカだよね」
「おい、失礼だろ。仮にも俺はお前の婚約者だ。少しは愛してくれよ」
「あー、愛してるわよ。バカな子ほど可愛いって言うしね」
「なんだよ、喧嘩売りにきたのか? そんなことなら、もう行く」
昔からこんなやつだが、今回はずいぶんと弄ってくる。
僕は本気で呆れて、その場から去ろうとした。こいつに付き合っていると、自分が疲れる。
「でも、だからって、あんたは私の息子じゃないし、甘やかしたりはしないから」
「意味分からないんだけど」
この思考回路にはついていけない。こいつの話には筋道ってものがない。さっぱり意味不明だ。
これで秘書が務まるのか?
「クララのことは自分でなんとかしなよって言ってるの!学園恋愛なら『キューピッド』はありかもだけど、ここまできたら、もう『お節介ばばあ』の域だからね!」
「ますます意味分からない。お前こそ大丈夫か?」
全く互いの会話が通じていないのに、なぜかヘザーは深々とため息をついた。
「殿下も同じ。男って本当にバカなの?」
「お前、不敬にも程があるぞ!側近である俺の立場になれよ。婚約者が無礼者だと困る」
「分かってるわよ。ただ、あんまりバカバカしくって。きっと王女様も同じ気持ちよ」
王女様が、殿下を見下しているとは思えない。それでもクララを愛妾にすることで、殿下に対していろいろと思うところがあるのかもしれない。
あの二人は、たぶん同志というか戦友というかだろう。そして、僕とヘザーのように気心が知れた幼馴染同士でもあった。
「男はみんな、単純でバカな生き物だと思うけどな」
「自覚があるならいいのよ。ま、女もバカだしね。クララもほんっとバカ」
口でそういう割には、ヘザーの口調にはクララをバカにした様子は感じられたなかった。
彼女なりに、クララのことを心配しているのはよく分かる。
「とにかく、もう行くよ。クララの無事を知って安心した。ありがとう」
「私は言ったからね!守秘義務があるから、これ以上は言えないけど、でも、ちゃんと言ったからね!だから……」
ヘザーが急に言い淀んだので、僕は彼女に向き直った。
驚いたことに、あのヘザーがちょっと弱気な声を出した。
「だから、後で怒らないでよ?」
それはかなり想定外の態度だった。
今までに、ヘザーが僕を怒ることはあっても、僕はヘザーに怒ったことはない。怒ったところで負けるのはこっちなのだから。
それなのに、怒らないでと言うなんて、なかなか可愛いところもあるのだと思った。
僕はヘザーを引き寄せて、そのおでこに軽いキスをした。
「僕は何があっても、お前を怒ったりしないよ。愛しい婚約者だからね」
そう言ってウィンクしてみせると、ヘザーは口をあんぐりと開けていた。
まあ、それが妥当な反応だよな。僕は妙に納得して、この幼馴染の全くブレないところに関心した。
ヘザーは今の僕にとっては、最良のパートナーだ。
「ドレス、楽しみにしていてくれ」
僕はそう告げて、ヘザーを残して談話室を出た。
ヘザーはおでこをさすりながら、へろっと手を振ってくれた。完全に毒気を抜かれた顔をして。
ヘザーに勝った!
僕はそう思って、なんだかうれしくなった。おかげで執務室に戻る足取りも軽くなっていた。