親友の婚約者 [クララの視点]
ヘザーが私を訪ねて来たのは、王宮を出てから三日目だった。
髪を大人っぽく結い上げて、王女様の秘書という肩書を持っての来訪だった。
「クララ!無事でよかったわ!顔色が悪いけど大丈夫なの?」
「ちょっと寝不足なだけ。すごく元気よ」
いつもと変わらない親友の様子に、私もいつもと変わらないと思われるようにと、精一杯の笑顔を作った。
ただ、それがヘザーに通用したのかは分からない。
「そう。ならいいけど」
ヘザーはちょっと心配そうな顔をしたけれど、すぐに気を取り直したように微笑んだ。
「心配かけちゃって、ごめんね。急なことで、連絡もできなくて」
王女様の命で来ているのなら、だいたいの事情は知っているのだろう。ヘザーは私を抱きしめて、「無事ならいいのよ」と、髪をなでてくれた。
ヘザーの抱擁が優しくて温かくて、私は泣きそうになった。昔から大好きな親友。ヘザーは私の宝物だ。
私たちがソファーに腰を下ろすと、若いメイドがお茶とお菓子を持ってきてくれた。
雪は止んで今日は晴れているとはいえ、外は冷えているはずだった。熱いお茶を飲むと、ヘザーはふうっと息をついた。
なんだか、いつもよりも大人びて見えるのは、髪型のせいだけなのだろうか。
「それにしても驚いた。あんたがカイルの家に匿われているなんて。カイルって家ではどうなの?学園のときみたいに、ポーカーフェイス?一緒にいることあるの?ギャップ萌えイベントとかあった?」
前言撤回。見た目がちょっと違ったところで、中身は全然変わってないか。私は苦笑して答えた。
「カイルはそんなに変わらないよ。無口だけど優しい」
「ふーん、ツンデレか」
興味なさそうにそう言うヘザーを見て、私はなんだか心が溶けていくような感覚を覚えた。相変わらず男子への評価は適当だ。
色々なことがあって、たくさんのことが後戻りできないくらい変わってしまった。
それでも、変わらないものもあるんだと思うと、なんだか気持ちが上向いてきた。
「王女様のお使いで来たんでしょう?侍女じゃなくて秘書になったのね。ヘザーにはそっちのほうが合っているわ」
「当たり前よ!私はキャリアを目指しているって、知っているでしょう?後宮とかそういう女っぽい場所にいるなんて、実際は想像もつかないわよ」
「そうね。侍女に戻った人はいたの?」
秘書ではなくて侍女に戻れば、それはつまり、殿下の後宮に側室として上がることを意味している。
王女様がみなの実家に送った書簡で、それは周知の事実となっていた。
侍女は私たちを含めて六人。他の四人がどうなったのか、私は知らなかった。
「誰も戻らなかったわ。秘書に転向したのは、私とルイーズとカトリーヌ。ユリアとマリアンヌはそのまま退職したわ」
「そうなの。誰も残らなかったのね」
「まあ、表向きはそうなんだけどね。実は殿下から、後宮への出仕は不要と、希望者に打診があったらしいわ。そりゃあ、そうでしょうよ。私たちなんて当て馬で、殿下も王女様も、あんたを側室に狙ってたんだから!」
私は飲んでいた紅茶を吹き出しそうになって、思わずゴホッゴホッとむせた。
「ちょっと待って。なんでそんなこと」
たぶん真っ赤になっている私の方をみて、ヘザーは納得したように言った。
「ふうん。そんなに焦るってことは、殿下もとうとう、気持ちを伝えたわけね。鈍いあんたでもはっきり告白されたら、そりゃ分かるわ。で、ここにいるってことは、殿下は振られたってことか」
まるで想定内というように、ヘザーはうんうん頷いている。私は恥ずかしくて顔を上げられなかった。
それと同時に、最後の夜の殿下の様子を思い出して、胸が痛んだ。
そんな私を観察しながら、ヘザーは私が少し落ち着くのを待ってくれていたようだった。
しばらく、お菓子をパクパク食べて、お茶を飲んでいた。
「あの、王女様はなんて?」
ヘザーは王女様の使いで来ている。何か私に伝達したいことがあるはずだ。
その言葉を聞いて、ヘザーは紅茶のカップを置いた。
「あんたの婚約を急がせたいって。王女様の婚約式には公式発表するから」
「私の婚約?え、何それ……誰と?」
「ローランド」
「ちょっと待ってよ!ローランドの婚約者はヘザーでしょ?」
私はヘザーの指に光る、大粒のルビーの指輪を見て言った。
婚約するときはルビーって、いつも言ってたよね?『真実の愛』で使われているからって。
「知ってたの?なんで?」
「べルダの店で聞いたの。その指輪、べルダのでしょ」
「ああ、そういうことか」
ヘザーは、納得したような声を出した。やっぱり本当だったんだ……。私の心臓が鉛のように重くなった。
私は昨日のことを思い出していた。
あの襲撃の日、私はローランドのジャケットを着たまま、ブラックベリーの茂みを駆け抜けた。そのせいで、茨の棘に引っかかって、ジャケットの袖のあたりに傷ができてしまっていた。
あのジャケットはすごくローランドに似合っていた。だから、ダメにしてしまったことが、ものすごく辛くて、カイルにお願いして、べルダの店に連れて行ってもらったのだ。
同じものを作ってもらおうと思って。
「これはこれは。円卓の騎士様においでいただけるとは光栄でございます」
私たちをデザイナー兼オーナーのベルダ氏が出迎えてくれた。
私はカイルのツテで、ベルタ氏のお店へ予約を取ってもらっていたのだ。
「今日は私のものではない。連れがローランドのジャケットに、バッグの金具をひっかけてしまったので、同じものを作りたいのだが」
あの襲撃のことは、秘密裏に処理されていた。北方の襲撃の事実に、民に不安が拡大するのを防ぐためだと、カイルはきちんと説明してくれた。
「お美しいお嬢様ですな。そのドレスは本当によくお似合いだ。カイル様もさぞご自慢でしょう」
ベルタ氏はお決まりのお世辞を言ってくれた。もちろん、これは私への讃辞ではなく、エスコートをしているカイルへの社交辞令だろう。
「ああ、そうだな」
カイルもそれを真剣には取り合わずさらりと流した。
こうやって一緒にいる女性を褒められるなんてことは、カイルくらいにもなれば日常茶飯事なのだろう。
顔色一つ変えずに返答するのに、思わず関心してしまった。
「ご婚約者様でいらっしゃいますか」
「ああ」
さすがにそこは否定するべきところだと思って、カイルを見上げると、目が「話を合わせて」と言っていた。
カイルにはお世話になっているし、私もカイルが用意してくれた服で変装している。カイルがそう言うなら、たぶん、今は従っておくべきだろう。
そういう設定にする理由があるはずだから。
それにしても嘘をつくのは心苦しいと俯いた私を、ガルダ氏は照れているんだと勘違いしたらしい。微笑ましいという感じで言葉を続けた。
「若い方はいいですなあ。ローランド様もハミルトン伯爵令嬢とご婚約とか。みな殿下に倣って、おめでたいことでございます」
私はその言葉に驚いて顔をあげた。ハミルトン伯爵令嬢ってヘザー?ローランドとヘザーが婚約したって言ったの?何かの間違いじゃないの?
そんなこと、ローランドは何も言ってなかった。ヘザーだって。
動揺して思わずカイルをつかむ腕に力が入ってしまった。カイルがこちらを見たので、私は思わず口走った。
「カイル、知ってたの?」
「ああ」
カイルが店の中を見てくるよう勧めてくれたので、私はその場から離れた。
カイルが気を利かせてくれなかったら、私はあのまま泣き出していたかもしれない。
私は上の空で、店の中を彷徨った。
頭の中にローランドとヘザーのことが、グルグルと回っていた。
恋バナお茶会のとき、王女様はヘザーの想い人はローランドだと指摘した。
『違う!違うよ!私はローランドのことなんて、別になんとも!』
必死にローランドへの気持ちを否定するヘザーは、誰が見ても普段と違っていた。
きっとヘザーは、ずっとローランドが好きだったんだ。たった一人の運命の相手として。
そして、許婚の私に遠慮して、それをずっと隠してきたんだ。
『頼む。僕のために、いや、国のために走ってくれ』
ローランドは、私が殿下の愛妾だと思っている。彼は私に失望したんだ。だから、ヘザーの気持ちを受け入れた。
ローランドはきっと気がついていたんだ。ヘザーがずっと彼を、一途に愛していたということを。
べルダ夫人に話しかけられたときだけ、私はかろうじて、当たり障りの無いことを返答することができた。
それでも、ちょっとでも気が緩めれば、そのまま泣いてしまいそうだった。
胸が苦しくて苦しくて。呼吸すらうまくできなくて、なんども意識して息を吸うようにした。
それでも息が苦しくて、頬が上気した。
カイルが奥から戻ってきたとき、私は心底ホッとした。早くここから出たかった。
そして、カイルはそんな私の様子に気がついて、急いで店から連れ出してくれた。
私が動揺しているのを誰にも気づかれないように、いかにも仲のよい婚約者という演技までしてくれて。
カイルに支えられながら、なんとか店から離れることができた。それでも、胸の痛みは収まらなかった。
うまく呼吸ができなくて、私は息を切らしていた。なんども深呼吸を繰り返した。自分の吐く息の白さだけしか、目に入らなかった。
「寒いな。どこかでお茶を飲もうか」
カイルは心配してそう言ってくれたけれど、私はとても一目のあるところに行ける状態ではなかった。
「もう少し、このまま歩きたい」
「わかった」
カイルは私の手を引いて、そのままゆっくりあるき続けてくれた。
いつもカイルがそうしてくれるように。ウィンドーショッピングをするかのように、不自然にならないように。
私が胸の痛みに耐えられたのは、たぶんカイルが強く握ってくれた手のおかげだった。
そして、やっと私が泣けたのは、カイルと馬車に乗り込んでからだった。
ぼんやりする私に、ヘザーは躊躇いがちに口を開いた。
「そのことなんだけどね、ローランドは」
「おめでとう。よかったね。ヘザーはずっとローランドが好きだったんでしょう?運命の相手だったんだよね」
「その婚約なんだけど」
「私のことは気にしないで。ローランドのことはなんとも思ってないから。その指輪、素敵じゃない。ローランドったら、結構キザなのね。ルビーなんて」
私はヘザーにかぶせ気味で言葉を発した。ヘザーは自分の指輪を見つめながら言った。
「それ、本気で言ってる?」
「もちろんよ」
「あんたは、ローランドが好きなんじゃないの?」
好きよ。ローランドが好き。
でも、ローランドは私じゃなくてヘザーを選んだ。それは私が嫌いになったから。私を軽蔑してるから。
だから、私が二度と自分に近づかないように、ヘザーが私の存在を気にしないように、はっきりと線を引いたんだ。
「好きじゃないわ」
「じゃあ、なんで殿下の側室を断ったの?」
「私、他に好きな人がいるの」
「クララ、何か私に遠慮しているんだったら、それは違うから」
ヘザー、ごめん。私はもう、ローランドを好きでいることも許されないの。あなたとの婚約が、彼の答え。
だから、お願い。もうそれ以上言わないで。
「そうじゃないの。私はカイルが、カイルが好きなの」
私はとっさにそう言っていた。
その言葉にヘザーが息を飲んだと思った瞬間、肩に誰かの手が置かれて、私はビクッと飛び上がった。
「遅くなってごめん。一人で心細かったろう」
カイルだった。なんという間の悪い。まさか聞かれてないよね。
あんなこと、カイルに否定されたら、すぐに嘘だとバレてしまう。
真っ青になる私に、カイルはここは任せてと目で合図した。
そして、私の顎に指を当てて上を向かせると、自分は屈んで私の唇に触れるだけの短いキスをした。
私は一体何が起きたのか、全く理解できなかった。
「ヘザー、いらっしゃい。クララの婚約者は僕だ。王女様に伝えてくれ」
呆然としている私の前で、ヘザーは真っ赤な顔をして目を見開き、両手で口を覆っていた。