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18/25

軽蔑と祝福

「そのジャケット、なんでお前が持ってるんだ」


 それは果樹園で、僕がクララに着せかけた上着だった。


 僕の質問には答えず、カイルは僕に、ばさっとジャケットを投げてよこした。

 襟元から、微かにクララの残り香が漂い、その甘さに、僕は一瞬めまいがした。


 カイルは更に、僕に何かを投げよこした。


 パシッと音を立てて僕の手に収まったのは、なくしたはずの婚約指輪が入った小さな箱だった。

 蓋を開くと、見事なエメラルドの指輪が、店で受け取ったときそのままに鎮座していた。


「悪いが、中を改めさせてもらった。貴重品だったから、持参した」


 カイルはぶっきらぼうに言った。


 僕がクララにプロポーズするために用意したと知ったのだろう。


 だが、なぜカイルからこれが戻ってくるのか。


「ああ、確かに俺のだ。わざわざ悪いな」


 僕は指輪を見つめたまま言った。


 カイルはそれを、ただ黙って見ていたが、おもむろに口を開いた。


「渡さないのか」


 僕は黙って蓋をとじて、それをそのまま、カイルに差し出した。


「これはもう、いらないものだ。悪いが捨ててくれないか」

「渡さなくていいのか、と聞いているんだ」

「ああ」


 カイルは、はっ…と短く息を吐いた。


 それでも、気が進まないような表情をしながら、カイルは先を進めた。


「これ以上は譲歩できない。本当にいいんだな?」

「ああ。婚約指輪は別のものを買う。さすがに、使い回しはできないだろう」


 僕の言葉を聞いて、カイルは片眉をぐっと上げた。


「どういう意味だ」

「ヘザーと婚約した。指輪は、彼女が好きなルビーで用意する」


 ドッという音とともに、鳩尾に痛みを感じ、そのまま僕は床に投げ出された。

 誰の声か分からないが「きゃあ」という悲鳴が聞こえた。


 どうやら僕は、カイルの拳を食らったようだ。


 バタバタを人が走る音を聞きながら、僕は腹を抱えてカイルを見上げた。

 殴られたのは僕なのに、カイルのほうが痛みをこらえるような表情をしていた。


 カイルは僕の胸ぐらを掴んで、ぐっと引き起こした。そしてこう言った。


「これはヘザーと、それからクララからだと思え。綺麗な顔を避けてやったこと、俺に感謝するんだな」


 僕は痛みに腹を抑えて、体をくの字に曲げたままだった。

 それでも、なんとか立って少し咳き込んでから、声をしぼり出した。


「クララは大丈夫か」


 カイルは僕をちらっと見た。その目には明らかな侮蔑が含まれていた。


「お前には関係ない」


 カイルはそう言うと、床におちた指輪の箱を拾った。そして、それを手に持ったまま、踵を返して去っていった。


 僕はそのまま、立ち尽くすことしかできなかった。衛生兵と女官が駆けつけるまで、僕はその場から動けないでいた。


 医務室で簡単な診察を受けてから執務室に戻ると、応接室からカイルが出てきた。

 僕を見るとカイルは立ち止まって深く頭を下げた。そして、そのまま何も言わずに出ていってしまった。


 他の側近たちは気を使ってか、無関心を貫いてくれている。

 何も聞かれないことが、今はむしろありがたかった。


 応接室のドアが開き、王女様が顔を出した。


 僕を見つけると心配そうに顔を歪め、それでも応接室に入るように目で促された。


 予想通りだったが、応接室には殿下がいた。


「怪我はどうだ。大丈夫か」

「申し訳ございません」

「カイルには謹慎を申し付けた」 

「お待ち下さい!カイルに非はありません」


 殿下はそれを聞いて、ふっと笑ったようだった。


 そのまま椅子から立ち上がって、僕の肩に手を置いた。


「心配しなくていい。あくまで表面的な措置だ。目撃者がいる以上、こちらとしても、何らかの措置をとらなくてはならない。婚約式までには謹慎を解く」

「申し訳ございません。ご配慮、感謝いたします」


 座るよう殿下に促されたので、僕らはそれぞれソファーに腰を下ろした。


 しばらく沈黙が続いたが、殿下が口火を切った。


「お前も、理由を言う気はないようだな。カイルも一切、理由を話さなかった。自分が悪いの一点張りだ。これでは埒が明かない」

「申し訳ございません」


 僕は深く頭を下げた。


 クララのことで争ったなどと、殿下に言えるわけがない。それはカイルだとて心得ているはずだ。

 僕らにできるのは、沈黙を貫くことだけだ。


 そのとき、王女様がすっと立ち上がって、僕のソファーの後ろに回った。

 そして、僕の肩にそっと手を置いて、軽やかな声を出した。


「アレク、もういいでしょう。ローランドは私の侍女の婚約者よ。さっき報告があったの。プロポーズは見事に成功したらしいわ」


 殿下は一瞬だけ目を見張った。だが、すぐに「ああ」と驚きの表情を消した。


「そうだったのか。それは、めでたいな」

「ありがとうございます。殿下に祝福いただければ、彼女も喜びます」


 僕はつとめて柔らかい声を出した。


 殿下は僕から目を逸らしたが、肩に乗っている王女様の指に力が入った。

 驚いて見上げると、王女様の目は「何も言うな」と如実に語っていた。


 僕はそのまま、口を閉ざした。


「今日はもう、ローランドを帰してあげましょう。急に決まったことで、まだ指輪ももらってないそうよ。婚約にはいろいろ準備が必要だし、昨日はそのまま徹夜をしたみたいだもの。少しは休ませてあげましょうよ」


 殿下は何か考え込んでいたようだったが、その言葉を聞いて頷いた。


「そうだな。もう下がっていい」

「ありがとうございます」


 僕は席を立って頭を下げ、ドアのほうへ向かった。


 そのとき、王女様が僕の背中に問いかけた。その声は、なぜか硬かった。


「彼女を愛してるの?」

「はい」

「幸せになれるの?」

「はい、必ず幸せにします」


 嘘をついているのには気が引けたが、殿下と王女様に偽装婚約を暴かれてはならない。


 誰のためにも、僕はこういう返答をするしかない。


 振り返ると、殿下は僕のほうを見てはいなかった。ただ、王女様は真っ直ぐに僕を見据えていた。


 そして、彼女は殿下のほうを向いて、こう言ったの。


「ですって!よかったわね、アレク。私のせいで、みなに迷惑をかけたけど、とにかくうまく纏まってくれてホッとしたわ」

「そうだな」


 殿下はそう言うと、やっと僕のほうを見た。そして、しぼり出すように言った。


「おめでとう」

「ありがとうございます」


 殿下は少しの間、僕をじっと見ていたが、やがて机のほうへ戻りながら言った。


「では、この話はもう終わりだ。これからはプライベートについては報告しなくていい。明日からは、政務に力を尽くしてくれ」

「承知しました」


 殿下からすれば、僕が他と婚約しているという事実があるだけで、もう十分なのかもしれない。


 これでもう、邪魔者はいない。


 クララが後宮に戻って、愛妾としての地位が確立する前に、僕とヘザーの婚約を公式にしておけば、それで殿下の憂いは消える。


 王女様が側にきて、応接室のドアを開けた。そして小声でそっと耳打ちした。


「あとは私にまかせて。素敵なルビーを買ってきてあげてね。『真実の愛』で読んでから、みんながルビーの指輪に憧れてるの。彼女、本当に好きだから」


 私は黙って頭を下げた。


 そうか、『真実の愛』か。そういえば、ヘザーは大ファンだと言っていたな。だからルビーを指定したのか。


「彼女がお世話になります」

「いいのよ。結婚してからも私の秘書を勤めてくれるって聞いて、とてもうれしかったわ」


 僕はなんだか可笑しくなった。


 女性というのはすごいものだ。ほんの数時間で、どこまでの情報が伝達されているのか。

 これなら、特に公表しなくても、明日までには僕らの婚約の噂は広がるだろう。


 僕は王女様に小さく頷いて応接室を出て、そのまま執務室を後にした。


 シャワーを浴びたら、すぐにべルダに行かなくては。


 殿下の婚約式では、婚約指輪をはめたヘザーをエスコートしなくてはならないのだから。婚約者としては、ドレスも見繕わなくていけないだろう。あまり時間がない。


 偽装であっても、体裁だけは繕うべきだ。ヘザーに恥はかかせられない。


 僕の足取りは自然に早くなった。


 クララのためにできることがこれだけなら、僕は全力を尽くす。


 そして、愛妾となったクララを祝福してみせる。


 そのときのクララの笑顔を想像すると、少しだけ元気が出たような気がした。


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