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17/25

偽装婚約

「ローランド!ちょっと、ひどい顔よ。大丈夫?」


 執務室へ続く廊下で、僕は聞き慣れた声に驚いて顔を上げた。

 心配そうに僕の様子を伺っているのは、ヘザーだった。


「なんでここに。今日まで休暇だろう? それに戻ってきたりしたら」


 殿下の側室に加えられると言いそうになり、僕はあわてて口を噤んだ。

 今はクララを思い出すようなことは、一切思考から排除しておきたかった。


「ああ、うん。でも、あんた……と、クララが心配で」

「知っているのか?」


 驚いて聞き返した僕に、ヘザーはちょっと肩をすくめて、そして僕にしか聞こえないように小声で言った。


「近隣の領地で、あんな大きな魔法戦があったら、そりゃね。うちからも隠蔽工作に魔術師を派遣したし」


 知らなかった。僕たちを転移させた後、レイはシャザードと魔法戦を。

 執務室には報告がなかったので、レイはうまく逃げおおせたと思っていたのに。


 呆然と立ち尽くす僕の肩を、ヘザーはとんとんと叩いた。


「無事でよかったわ。それに人的な被害はなかったって。ただ果樹園は……。クララが残念がるわね。元に戻るまで、何年かかるか分からない」

「クララはもう、二度と来ないよ」

「どういうこと?クララは無事なの?一緒だったんじゃないの?」


 そうだ。昨日の今頃、僕とクララはまだ一緒にいた。あれからまだ1日も経っていないなんて。

 この先の日々は、一体どれだけ長いのか。絶望的な予感が走った。


「無事だよ。でも、クララはもう、僕らのクララじゃない。後宮に入ったんだ」

「は?何、言ってんの?意味、分からないんだけど」

「クララは殿下と結ばれた」

「はあ?」


 ヘザーは全く令嬢らしくない、素っ頓狂な声を上げた。僕は「しっ」と彼女の口を手で抑えたが、ヘザーはその手を掴んで、ずんずんと空き部屋へと僕を引っ張っていった。


 物置になっている部屋に誰もいないこと確認して、ヘザーは僕の手を離した。


「で、何でそういうことになってるわけ?」


 ヘザーの目が据わっている。こういうときの彼女は怒っている。

 昔から、たいていは僕とクララが無茶をしたときに、こういう目をして叱ってきた。僕らはこの目に見据えられるだけで、震え上がったものだった。


「何でと言われても。お前のほうが知ってるだろ。始終クララと一緒にいたんだから」

「だから聞いてるのよ。何でそんなことになってるの?ひどくない?クララは何て、言ってるのよ。教えなさいよ!」

「クララからは、何も聞いてない」


 ヘザーから、グーのパンチが飛んできた。いつものことで予想はしていたので、避けることもできた。

 でも今日は、僕が殴られたい気分だった。


 ヘザーは僕を思いっきり殴った後、ハアハアと息を切らしていた。


「本人に確かめずに、噂で判断したってこと?最低ね!その程度だったわけ?」


 僕は、殴られた頬をさすりながら、黙っていた。


 いくら相手はヘザーとは言え、僕の口からクララのプライベートを、色々と話すことはできない。

 第一、殿下にも関わることなのだ。余計なことは言えない。


「俺とクララの間には、何もない。今までもこれからも」


 ヘザーは、深い溜息をついて僕を睨んだが、僕はこの態度を突き通すしかない。クララの未来のために。


 そんな僕に向かって、ヘザーは冷水のような声で言った。


「予想以上のヘタレね。見損なったわ」

「もう用がないなら、これで行くよ」


 これ以上は、話をしても無駄だ。僕はヘザーに背を向けて、ドアのほうへ向かった。


「待ちなさいよ。本当にクララのことを捨てるわけ?こんな簡単に?」


 簡単だって?そんなわけないだろう。


 こいつだって、昔から俺がどれだけクララを思っていたか知ってるはずだ!


「捨てたんじゃない!だから、僕たちはもともと何の関係もなかったんだ」

「許婚だったじゃない!」

「それは名目上だろ。正式な婚約でも何でもない」

「じゃ、もうあんたはクララが好きじゃないのね?」


 何を馬鹿なことを。好きに決まっているだろうが!


 この気持ちは、生涯変わることはない。たとえ、何が起こっても。クララが殿下のものであっても、それは僕の気持ちとは関係ない。


 それでも、好きだと口にすることはできない。それは殿下への不敬だし、クララの耳に入れば、あいつのことだ、それを気に病むかもしれない。


「ああ。殿下の女になんて、興味ない」


 ヘザーはそれを聞いて俯いた。肩が細かく震えている。もしかして泣いているのだろうか。

 僕はヘザーの肩にそっと手を乗せて、様子をうかがった。


「あ、ははは。あ、そう。好きじゃないんだ。あー、そうなのね。あはははは」


 驚いたことに、ヘザーは腹をかかえて笑っていた。こいつ、このタイミングでなぜ笑える?

 昔から突拍子もない女だったが、さすがに僕も呆れてしまった。

 だが、笑われるほうが同情されるよりもずっとよかった。僕もつられて笑った。


 二人でひとしきり笑った後、僕らはやっと冷静になってきた。そして、唐突にヘザーが言った。


「ほんと、冗談きついわ!……ま、いいや。冗談ついでに、私と婚約してよ」

「は?」


 こいつ、なんかネジが外れたか?どこからどうなったら、そういう話になるんだ?


 理解の範疇外の提案に呆然とする僕を見て、ヘザーはやれやれいう感じで首を振った。


「あんたねえ。クララがあんたをボッチにしてどっかに行けるわけないでしょ?殿下だろうが誰だろうが、元婚約者もどきのあんたがフリーだったら、それこそ気になるでしょうが!クララの相手だって、あんたに嫉妬するかもしれない。嫉妬深いのは、あんただけじゃないのよ」


 色々とひっかかる部分はあるが、言われてみればそうかもしれない。


 クララには僕の気持ちはバレているはずだし、殿下にはきっちりと知られている。

 僕の存在が二人の邪魔になってはいけない。それは僕の意に反することだ。


「それに私も助かるし。婚約者がいれば、後宮に入らなくて済むから」


 ヘザーの言葉に驚いた。王女から侍女たちに、後宮入りを示唆する書簡がでているのは聞いた。

 だが、クララを得た殿下が、他の女を愛妾になどするものか!


「その話は、消えたんじゃないか?」

「特にそういう通達は、来てないわね、残念なことに」

「でも、別にお前が入ることはないだろう。伯爵がそんなことを望むとは思えないが」

「兄はね。でも義姉の考えは違うのよ。もともと馬が合わない小姑を追い出す、いい機会だと思ってる。恋人も婚約者もいないのに、殿下の後宮入りの話を蹴って王女様の秘書になるのは、外聞が悪いんですって」


 僕は伯爵夫人を思い出した。公爵家から嫁いだ、美しいが非常に気が強い女性だ。

 確かにヘザーとは衝突するとは思えるが、それは近親憎悪というやつではないのか?


「それは大変だな。だけど、そんなことで結婚を決めていいのか?」 

「誰があんたと結婚するって言った?」

「お前さっき婚約したいって」

「だから、婚約だけ。偽装婚約!」

「偽装?」


 今度はヘザーが、僕の口に手を当てて「しっ」という番だった。


「そうよ、お互いに運命の相手が見つかるまでの偽装!私は別に一生結婚しなくてもいいし、あんたにそういう人ができたらさっさと婚約解消してあげるわよ」

「おまえ、ほんっと昔から全然変わんねえな」


 ニカっと男前に笑うヘザーを見て、なんだか僕もおかしくなってきた。

 いいじゃないか。おもしろいじゃないか。乗ってやろう。


「わかった。その話乗るよ」


 子供の頃によくしたように「ディール?」「ディール!」と言い合って握手をした。

 契約成立だ!まさに悪戯計画を立てたときのノリだった。


「あー、助かった。私、早速、王女様に知らせてくるわ!あんたも、安物でいいから婚約指輪買ってきてね!」

「婚約指輪か」


 そういえば、クララに渡すはずだった指輪はなくしてしまった。だが、さすがにあれを使い回すわけにはいかないだろうし、そんな気もなかった。

 ただ、またあの店で買うのは、いくらなんでも憚れる。行きつけのベルダの店なら、適当なものがあるだろう。


「今日中に用意する。石は何がいい?」


 ヘザーは「あら?」という顔をしたが、にっこりと微笑んで言った。

 口を開かなきゃ、それなりに可愛い娘なのに、まったくもって残念だ。


「エメラルドじゃなければなんでもいいわ。あー、じゃ、ルビーでよろしく!」

「了解」


 公爵家の象徴であるエメラルドを外してくるとは、やはり本気で偽装なんだなと僕は妙に納得した。


 だが、これで僕も、諦めがつくかもしれない。ヘザーには悪いが、今はありがたくこの話を利用させてもらおう。


 とにかく、クララからできるだけ離れなくてはいけないのだから。心理的にも物理的にも。


 ヘザーが部屋を出てから少し間をおいて、僕も執務室へ戻ることにした。

 昨日から徹夜をしているので、今日はもう引き上げようと思っていたとき、カイルがこちらに歩いてくるのが見えた。


 そして、カイルが手に持っているジャケットを見て、僕はその場に凍りついた。

 それは、僕が果樹園でクララに着せかけてやったものだったのだ。



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