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命をかけて

「ローランド!クララ!何があったの!しっかりして!」


 はっと気がつくと、そこは王宮の王女の部屋だった。


 王女は青ざめて、クララを抱える僕を見ていた。僕は敵兵の血を浴びていたし、クララは茨を駆け抜けたときに引っ掛けた傷で、体中がボロボロだった。


「レイが連絡をよこしたわ。あなた達が北方に襲われたって。怪我をしているの?すぐに医者を呼ぶわ!」

「王女!お待ちください!私は無傷です。クララは逃げるときに茨で切っただけで、敵兵には指一本触れられていません。恐怖で気を失ったのかと。だから大丈夫です」


 王女はそれを聞いて、ほっと胸をなでおろした。だが、すぐに恐怖の色を瞳に浮かべた。


「レイは?レイはどうなったの?大丈夫なの」

「分かりません。北方の魔術師と対峙したまま、僕らをこちらに飛ばしました」

「北方の魔術師」


 王女の顔に一瞬、絶望の表情が浮かんだ。だが、彼女はすぐに気を取り直して言った。


「とにかく殿下を呼んで、状況の報告を!クララは私と侍女長で見ます。私のベッドに寝かせて!」


 そういうと、王女は足早にドアの外へ消えた。


 僕はクララを抱き上げて、王女の寝台にそっと横たえた。

 クララの手足や頬には、茨の棘で切ったかすり傷が無数にあった。

 だが、なによりも痛々しいのは、その耳元にある内出血と、ボタンが引きちぎられて、はだけた胸元だった。


「怖い目に合わせて、ごめんな」


 僕はクララのドレスの胸元を合わせ、顔にかかる髪を払った。

 そして、その額に手を置いて、自分の愚行を謝罪した。


 王女が殿下を連れて戻ってくるまで、僕はクララの頭をなでていた。

 たぶん、これが僕がクララに触れられる、最後になるとだろうと思いながら。


「事情は把握した。その軍服の魔術師は、北方の軍師シャザードだな」

「これは、偶然じゃないわね。シャザードの侵入に、レイは気がついていた。だから、魔力の痕跡を追っていたのよ」


 僕の報告を聞き、殿下と王女はすぐに敵の見当をつけた。

 軍師シャザードは北方のブレインで、その狡猾さと残忍さは広く知られていた。


「でも、なぜクララのことを知っていたのかしら。内通者にしては、情報が早すぎる」


 王女の言葉を聞いて、僕は心臓がぎゅっと痛んだ。


 やはり、シャザードが言ったことは真実だ。クララは殿下の愛妾。


「王宮の結界に、綻びがあるのかもしれない。セシル、至急、魔術師たちを集めて検分してもらえないか」


 王女は黙って頷き、そのまま部屋を出ていった。


 残された僕は跪いたまま、殿下を見上げた。殿下は僕のほうを見ずに、クララのいる寝室のドアのほうを見ていた。


「クララを見舞っていこう。お前も来てくれ」


 僕は黙って殿下の後に続いた。


 王女の寝室では、王室専属医師が診断した後、聖女殿によって怪我の手当がされていた。

 侍女長によって、クララはすでに白い部屋着に着替えさせられいたが、顔色は悪く、すぐには目覚めないようだった。


 殿下は医師と聖女の診断書をざっと読むと、僕にも読むようにと手渡した。そして、そのままベッドのそばの椅子に腰掛けた。

 クララに付き添っていた看護師と侍女長はお辞儀をして退出していった。


「ローランド、この痣はお前がつけたものか」

「はい」

「服を引きちぎったのもか」

「はい」


 医師の診断書には、首元の痣は怪我ではないこと、聖女の報告書には、彼女に敵が触れた痕跡がないことが記してあった。

 だが、着衣には胸元に乱れがあり、靴を履いていなかったことが、確認事項として追記してあった。


「同意のもとでの行動か」


 殿下がぐっと拳を握ったのが分かった。そして、その声は微かに震えていた。


「違います」


 その答えを聞くやいなや、殿下は僕の胸ぐらを掴んだ。その青い目には、憎悪の炎が宿っていた。


 やはり殿下はクララを愛しているのだ。


「無理強いしたのか!」


 僕は黙っていた。殿下はそれを肯定と取り、僕を床へと突き倒した。


 クララのために、殿下の誤解だけは解かなくてはいけない。彼女の立場を危うくしてはいけない。僕はその思いで、とにかく必死だった。


 僕は床から、殿下を見上げて言った。


「申し訳ありません。ですが、誓ってそれ以上のことはしておりません。クララ様は潔白です。殿下のご側室として、なんの恥じるところはございません」


 僕に背を向けていた殿下の肩がピクリと動いた。そして、ゆっくりとこちらを向いた。

 その目には、底の見えないような闇があった。


「クララがそう言ったのか?私の側室だと?」

「いえ」

「なのに、そう信じたのか?」


 信じたくなどなかった。だが、この状況では、認めるしかない。


 クララはすでに、殿下のものだった。僕が一人で浮かれていただけで。あんなことをされて、クララは、さぞ困ったことだろう。


 そして、知らなかったとはいえ、殿下の印に上書きをしようなどと、愚かにも程がある。

 王太子ご寵愛の側室様に手を出したなど、臣下として極刑も覚悟しなくてはならない。


「お咎めは私一人に。クララ様に落ち度はありません。お願いいたします」


 クララの名誉と立場を守るために、いや、愛している男から、引き離されずに済むように。殿下の側にいられるように。

 今の僕ができることはこれしかない。たとえ死んでも、クララの幸せは守る。


「学園のパーティーの晩、お前はクララを守ると宣言したな。これがお前の愛なのか?」


 僕はあのときの自分の偉そうな態度を恥じた。


 だが、ここで引くわけにはいかない。僕が失敗すれば、クララが不幸になる。


「どうか、私に罰を」


 俯いてそう嘆願する僕に、殿下はしばらく黙っていた。次に殿下が口を開いたときが、僕の最期かもしれない。


 僕は覚悟を決めた。


 だが、殿下の発した言葉は意外なものだった。


「この件については、北方が片付いてからにしよう。今はお前の手腕が必要だ。着替えたら執務室に戻ってくれ」


 僕が驚いて顔をあげると、こちらを向いている殿下と目が合った。

 その瞳にはもう炎も闇もなく、ただ穏やかで澄んでいた。


 そして、僕が立ち上がれるように殿下は手を差し出した。


「承知いたしました。寛大な措置に感謝いたします」


 僕は殿下の手を、取って立ち上がった。すると、殿下は僕の手をグッと握って言った。


「レイの加勢があったとはいえ、シャザードに対峙して無傷とは、たいしたものだ。クララをよく守ってくれた」

「恐れ入ります」


 僕は目頭が熱くなった。自分の側室を襲った部下に、殿下以外の誰が、こんな言葉をかけられるだろう。

 殿下には敵わない。クララが、僕ではなく殿下を愛するのは当たり前だ。

 この方は王者の器だ。そして、彼に愛されるクララは、たとえ側室であったとしても、必ず幸せになれる。


「だが、クララには近づかないでくれ。しばらくこちらで預かる」

「心得ております」


 殿下に言われなくても、僕はもう二度とクララの隣に立つことはない。そんなことはできない。


 それでも、僕のクララへの愛は消えない。これからは臣下として、密かにクララの幸せを見守っていく。


 それだけが僕に許された愛し方だ。


 そこから退出しようとドアのほうを向くと、いつのまにか王女様が戻ってきていた。そして、僕にこう言った。


「ごめんなさい。私のせいなの。誰も責めないでやって」


 私は首を振った。王女様と殿下は、恋人ではなく戦友だ。そんなことには、遠の昔に気がついていた。


 殿下が本当に愛しているのは、クララだと。


 だが、その事実に目を向けなかった。自分に都合の悪いことは受け入れたくなかった。すべては自分の弱さが招いたことだ。


 王女の私室を出たところで、僕は気がついた。


 生まれてから今まで、こんなに長く一緒にいたのに、クララには、一度も好きだと告げたことがなかった。

 二度とその手を取れないなら、せめて愛しているとだけでも伝えたかった。

 だが、それすら、今はもう許されなくなってしまった。


 僕は誰もいない廊下を一人急いだ。すでに夜の帳が落ちはじめ、王宮は荒れ果てた墓場のようだった。


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