林檎の精
果樹園へ向かう馬車に、僕とクララは向かい合わせで座っていた。
クララは、シンプルな淡いピンクのドレスを着ている。なんとなく、全身から光り輝くようなオーラが出ていて、目に眩しい。
飾りのない分、ほっそりとした体の線が見えて、なかなかにいい。
いつもは割とずけずけ言うくせに、なんだか今日は、様子も違う。
他の化粧おばけ令嬢とは違って、クララはあまり塗らないと思っていたが、今日の肌はきめ細かく、髪も透けるように輝いている。
ずいぶんと気合入っている気がする。
……僕のために?
「お前、顔テラテラしてっぞ?化粧、濃い」
僕がいつもの調子で軽口を叩くと、クララはビクっと体をこわばらせ、そのままキッっとこっちを睨んだ。
なぜか頬はバラ色に上気している。
「し、知らないわよ!マリエルに聞いて!……そう言う、あなたこそ、果樹園に行くのに、何でそんなにめかし込んでるわけ?変だよ!」
ぷいっと、馬車の外へと目を逸らしたクララを見て、僕は自然と笑みがこぼれた。
いつも僕の服装なんて気にしないのに、今日はずいぶんと意識してくれているようだ。
めかし込んでるって、そりゃ、もちろん、勝負の日だからだろが。
今日は男らしく、ビシッと決める。
クララが、僕にメロメロになって「結婚して」って言ってきたら、その場できっちり契る……というか、約束の儀式……みたいな流れになるだろうから。
僕は、上着のポケットに忍ばせた、小さな箱に思いを馳せた。
昨日の午後、クララにデートの約束を取り付けた後、僕は急いで王室御用達の宝石店に向かった。
実はかなり前から、公爵家を象徴するエメラルドで、クララへ送る婚約指輪を作ってあったのだ。
このところのゴタゴタで、すっかり引き取るのが遅れていたが。
僕は、クララのほっそりした指先を見た。やはりいつもと違って見える。
爪にはドレスと同じ桜色のマニュキアが塗ってあり、控えめな色がエメラルドの色を邪魔しないように配慮してある。
さすがマリエルだな……と僕は思った。彼女が万事お膳立てしてくれたのだろう。
本当にいいやつだ。帰ったら菓子でも届けよう。
窓の外はすでに秋の色が濃かったが、馬車の中は魔法で快適な温度を保ってあった。
狭い空間に、クララと二人きりだと思うと、なんだか少し暑いくらいに感じる。
クララも同じように感じてくれているのだろうか。普段よりも顔が赤い。
「お前、りんごより顔赤いけど、なんか下心あんの?」
それを聞いて「ばっかじゃない!」とそっぽを向いたクララは、さらに耳まで真っ赤にした。
かわいいにもほどがある。
下心があるのは僕なんだが、この感じだとクララも何かしら期待をしてくれているはずだ。
僕は、今日の計画がうまくいきそうだと分かり、ホッとした。
領地へと入ると、馬車に刻んだ紋章を見て、領民たちが頭を下げる。
その様子を見ながら、世情がこんな状態でも、領地にはなんの被害もないことを嬉しく思い、また心苦しく感じた。
辺境は、いつ戦火に巻き込まれるともしれないのだから。
心の奥に湧き上がる不安を抑え、僕はクララを見つめた。
何があっても、こいつは俺が守る。そのためにも国政を安定させてみせる。男が働くのは、愛する者を守るためだ。
僕にはクララを守る力がある。幸せにできる自信もある。
果樹園への進路を取るため、馬車は大きめのカーブを描いた。その遠心力でクララがすこしふらついた。
体勢を立て直そうと、何かに縋ろうとしたクララの手を、僕はつかんで引き寄せた。
あっというまに、クララは僕の膝の上に横座りになって、僕の腕の中にすっぽりおさまった。
「ばーか、危ないだろ。しっかり掴まってろよ」
そう言って笑いかけると、ゆでだこみたいになったクララが、僕を見上げて言った。
「あ、ありがとう」
密着する体が火のように熱く、その瞳はすこし潤んでいた。
いくらなんでも可愛すぎるだろう!
この破壊力はもはや暴力だ!理性が崩壊する!欲望が爆発する!
僕は思わずその顎に指かけ、柔らかそうに膨らんだピンクの唇にキスをしようとした。
だが、その瞬間に馬車は止まり、御者が到着を告げた。
僕らはビクッとして、お互いに体を離した。
クララは胸をおさえて俯いていて、僕は座席に背をもたらせて上を向いた。
今、外に出たら、ちょっと色々とまずい状態だった。
僕らは、とりあえず呼吸を整えて、それからゆっくりを馬車を降りる準備をした。
その間、クララはこちらを見なかった。もちろん、僕だってクララを凝視はできなかったのだが。
「うわあ!あったかーい!」
クララがそう言うだけあって、果樹園の中は温室効果の術式が効いていて、初夏のような爽やかな気候だった。
たくさんのりんごがたわわに実り、足元からは綺麗に刈り取られた芝生のいい匂いがした。
クララは昔からこの果樹園がお気に入りで、屋敷に遊びにくるとたいていはここで過ごしていた。
子供の頃には、登って取れないような細い枝にあるリンゴは、僕が弓で落としてやっていた。上手く枝を射ると、嬉しそうに目をキラキラさせて、パチパチと手を叩いてくれた。
クララの喜ぶ顔が見たくて、僕は随分とこっそり弓の練習をしたものだ。
その頃の癖だろうか、クララが靴を脱いで裸足になった。
ドレスのスカートから、真っ白な素足が見えて、僕はクラっとした。
なんだ、これ?誘われてるのか?
小さくて柔らかそうな足先には、手元と同じ色のペディキュアが塗ってあり、それがますます僕を煽った。
昔から裸足は見慣れていたが、こんな風に色が加えられたことはない。
明らかに、僕の前で素足になることを想定にして、マリエルが施した武装だろう。
クララは、そんな僕のヨコシマな思いに気づいているのかいないのか、喜々としてりんごを摘み取り、持ってきた籠の中に入れた。
僕はここに来ると、いつもと同じ場所に大きなブランケットを引き、そこに寝転がってのんびりしていた。
今日も同じようにして見上げた空は、抜けるように青かった。
果樹園はかなり広く、いつもは世話をする職人が何人もいるのだが、今日は人払いをしてあった。
寝転がって空を見てはいたが、視線の端にチラチラとクララの白い足とピンクのスカートが目に入り、まったくリラックスなどしている場合じゃなかった。
ときには目をつぶって、なんとかまずい波をやり過ごしたほどだ。
そうしているうちに、クララが戻ってきて、僕の隣に腰掛けた気配がした。
目を開けると、楽しそうに笑いかけるクララの顔が飛び込んできた。
うわっ、その笑顔は心臓に悪いだろ。可愛すぎる。
「今年もすごくいいりんごできたね!本当に食べごろだよ!」
クララはそういうと、僕にりんごを一つ差し出し、自分も一つ手に取って匂いを嗅いだ。
その様子は、まるで日だまりの中のりんごの精のようだった。
いや、妖精とか実際には見たことがないので、そういうイメージということなのだが。
僕も起き上がり、クララのほうを向いた。ちょうどそのときクララが「あ~ん」と口をあけて、りんごにかぶりついた。
瑞々しいりんごから甘い汁が溢れて、クララの小さな口の端から顎に向けて、つーっと筋を作った。これには、いくら僕でも制御が効かなかった。
「お前、口の周りベタベタにして、子供かよ?」
その言葉に、「あ?」と二口目を食べようとした大口をあけたクララが、振り返った。
僕は、クララの顎に滴っているりんごの汁をペロッとなめて、そのままクララを押し倒した。
あまりの僕の早業に、クララは自分の置かれている状況についていけないように固まった。
真っ昼間の果樹園で、柔らかいブランケットの上で、僕はクララを組み敷いて、心が赴くままに彼女の頬や瞼、額や顎に口付けた。
柔らかくてすべすべした肌は、りんごの甘い匂いがした。
このままクララごと食べてしまいたいほど、今年のりんごは甘く芳しい、まさに魅惑の香りを漂わせていた。
「甘いな。本当に食べごろだ」
僕はそうひとりごちた。すると、クララの体がカーっと熱を帯びたのが伝わってきた。
僕に触れられて、クララは喜んでいる。この先を望んでいるのは、僕だけじゃない。クララも僕を欲しがっている。
あとひと押しだ。それで僕らは、名実共に正式な婚約者になる。
僕は思わずクララの耳元で「今日は泊まっていくよな?」とささやいていた。