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メイド・ネット [クララの視点]

 どうしよう。どうしたらいい? 何が……正解?


 真っ昼間の果樹園で、ピクニックシートの上で、ローランドに組み敷かれたまま、私は焦りまくっていた。


 ローランドの顔は、逆光になっていて見えない。


 それでも、頬や瞼、額や顎に落とされる彼の唇は柔らかくて、吐息はひどく熱い。

 香水なのか、とてもいい匂いがするのだけど、それよりもローランド本人の匂いに、敏感になっている。

 その匂いを嗅ぐたびに、私の呼吸も早くなって、体が熱を持つのが分かる。

 何かしなくちゃいけないのに、体の力が抜けてしまって、動くこともできない。


 それでも私は、頭の隅にほんのちょっとだけ残った理性を総動員して考えていた。どうしよう。どうしたらいい? 何が……正解?


 このまま先に進みたいなら、私は何をしたらいいの?



 昨日、十日ぶりに、休暇で実家に帰った。


 いつものように、父は領民の揉めごとを収めるために、領地に行っていて不在だった。だけど、専属メイドのマリエルや使用人たちが、とてもあたたかく私を迎えてくれた。


「お嬢様!おかえりなさいまし!お疲れになったでしょう」


 人目も憚らず、抱きついてくるマリエルに、私は笑みを漏らした。

 私たちが、大の仲良しだと知っている屋敷の使用人たちも、この主従らしからぬ関係を、微笑ましく見守ってくれている。

 父がいない屋敷は、もはや私が法律状態。割となあなあ……なのだ。


 みなに挨拶をすませたあと、私は早速、自分の部屋に戻って着替えをした。

 今日は、侍女服は来ていなかったけれど、王宮用のドレスは格式を重んじていて、かなり肩が凝るのだ。


 そのとき、着替えを手伝ってくれていたマリエルが、急にきゃあああと、黄色い悲鳴を上げた。


 な、何? 一体、何事?


「ちょっと、クララ様っ!なんですか、このキスマーク!まさか、もう殿下とシちゃったんですか?」 


 は、はい?何のこと、誰が誰と、何をしたって?えっ、キスマーク?


 私がびっくりして鏡を覗くと、たしかに耳の後ろが赤くなっていた。


 何コレ?虫刺され?え、垢…じゃないよね、ちゃんとお風呂入ってたし。でも耳の後ろとか、きっちり洗ったっけ?


 私が、しげしげとそれを見つめる横で、マリエルがキラキラと瞳を輝かせている。まるで祈るように手を組み、空を見つめていた。


 彼女がどんな妄想をしてるのか、あまり知りたくない。


「神様、ありがとうございます!まさか、王宮の危険な情事を、この目で見ることができるなんて!」


 だから、それ、何の話なのよ!


「クララ様、もう済ませちゃったんですね?大人になっちゃったんですね?」


 は? この国の法律では、私はとっくに大人だけど?


「……ってことは、本命は殿下だったんですね!もう、やだあ。そういうことは言ってくださいよお。だったら、邪魔しなかったのに!」


 何を言ってるの。なんで本命とか? 話が見えない。


「マリエル、盛り上がっているところ悪いんだけど、それ妄想だから。この痣は……何かよく分かんないけど、情事とか、そういうのはない。断言できるよ!いくら私がぼんやりだからって、その、シたかシてないかくらいは分かるし」


 それを聞いて、マリエルは途端にテンションをだだ下げて、死んだ魚みたいな目になった。


 期待に添えなくて申し訳ないけれど、こればかりは、嘘を付くわけにはいかない。

 だいたい殿下とシたとか不敬でしょう!逮捕されちゃうよ。


「ま、そうでしょうね。初心なお嬢様が、そんな一足飛びな快挙を成し遂げるわけないですもの。お風呂でちゃんと耳の裏を洗ったんですか?垢が溜まっているとかじゃないでしょうね?」


 これだから、私がいないと何にもできなんだから……とプリプリするマリエルを見て、私は今度から、きちんと耳の裏を洗おうと決意した。


 ちょうど着替え終わり、マリエルの入れてくれたお茶を飲んでいると、ドアがノックされて執事の声が聞こえた。


「ローランド様がお見えですが。お通ししてもよろしいですか?」

「ローランドが?もちろんよ」


 この時間は仕事だと思っていたのに、どうしてここに?

 もしかして、私に会いに、わざわざ来てくれたの? ローランドも、会いたいって思ってくれた?


 私は急に喉の乾きを覚えて、お茶を一口飲んだ。


 ふとマリエルを見ると、またもや頬を染めて、キラキラした目をパチパチさせている。

 マリエル、お願いだから、ローランドの前で、それはやめてほしい。


「クララ。お前、帰ってたんだな。知ってたら別の日に来たんだけど。せっかくの休暇にお前の顔みたら、なんか、仕事疲れが倍増したわ」


 あれ? 私に会い来てくれたんじゃないのかな? いやいや、これ、偶然じゃないよね?

 だって、休暇のこと、ローランドは知ってるはずでしょう? 照れてる? 照れてるんだよね?


 十日ぶりに見たローランドは、少しやつれた感じが美貌を更に精悍に見せている。

 ため息が出るほど素敵。ローランドって、こんなにカッコ良かったっけ?


 私も、なんならマリエルも、ついうっとりと見惚れてしまったのは、当然ローランドにバレていた。

 からかうような笑顔を向けてくるけれど、それすらも尊い。惚れた弱みって、こういうことか。


「そんなこと言うなら、さっさと帰れば?」


 私もいつもの癖で、つい心にもないことを言ってしまった。だって照れるよ。簡単に素直になんてなれないよ。


 本当は、ローランドに会えてすごく嬉しかった。今すぐ抱きつきついて、好きって言いたい。


「まあ……そうなんだけどさ。その、アレだ。ほら、お前、休暇なんだろ?うちの領地の、果樹園に行かないか?温室効果の術式が効いて、この時期なのに温かいぞ。りんごも食べごろだし。お前、あそこのりんご好きだろ?食い意地だけは、昔っからいっちょ前だからな。果物食べたって胸は大きくなんないけど、別に使う予定もない胸なんか、まな板でもいいだろ。いや、他にも俺と行きたいって女は、腐るほどいるんだけどさ。みんなお前みたいに暇じゃないんだよな。たまたま休暇が合うとか、こういう偶然はなかなかないから。俺と行きたいなら、連れてってやってもいいぞ」


 非常に失礼なことを言わている気がする。でも、ローランドの毒舌に拍車がかかっているときは、彼が緊張しているという証拠だ。

 私を誘うのに緊張するっていうのは、多分、きっと、ローランドも私を、すごく意識してくれているから。


 どうしよう。本当にすぐに抱きつきたい。なんだったら、もうそのままここで……。

 寝室のドアが目に端にチラついて、私はカーッと赤くなった。


 バカバカバカバカ! 何を盛ってるのよ、私ってば! 自慢の貞操観念の高さは、どこに行った? はしたないでしょ!女から迫ったりしたら、嫌われちゃう!


 混乱した私がグズグズしているうちに、横からマリエルが余計な口を出した。


「お嬢様はお疲れです。ローランド様のご領地は、ヘザー様のご実家に近いはず。王女付の侍女はみなさま休暇ですので、ヘザー様をお誘いになられるほうが効率的かと」


 ヘザーの名前が出た瞬間、私の胸がドキンと鳴った。


 ローランドがヘザーと一緒に出かける?それは嫌だ。ヘザーの気持ちがはっきり分からない今は、特に。


「いいよ。行く行く。マリエルもあそこのりんごで作ったアップルパイ、好物でしょ。せっかくだから、たくさん持って帰ってくる」


 私は慌ててそう言った。すると、なぜかローランドもマリエルも満面の笑みを浮かべた。


 あれ?何コレ?茶番?なんか私はめられた?


「あー、じゃ、明日の朝、迎えにくるから。マリエル、支度頼むわ」

「心得ましてございます」


 ローランドが疾風のように去ってしまってから、私は手に持っていたカップのお茶が、すっかり冷めてしまっていることに気がついた。

 私、ずっと紅茶のカップを持ったまま、ローランドと話してだったんだ。どんだけだ……。


 隣を見ると、頬を上気させたマリエルが、頬杖をついて、夢見るように天井を見上げていた。

 マリエル、お願いだからそれもやめて。恥ずかしすぎる。


「マリエル、あのね……」


 私が口を開くか開かないかのうちに、マリエルがかぶせてきた。


「やっぱり、こう来ると思ってましたの!殿下に取られる前に、先手を打つおつもりなのですね!今夜は全身脱毛しますよ。キラッキラに磨き上げて、ファッション・メイドの実力を、見せつけてさしあげます。こんなこともあろうかと、勝負下着も揃えてありましたの!ナイス!私!メイドの鏡ですわ!」


 マリエルは、何か盛大な勘違いをしていると思う。なんで果樹園に行くのに、全身脱毛する必要が?

 そりゃ、いざと言うときのために、やっぱり勝負下着はあったほうがいいけど……。いや、違うでしょ!

 ぬ、脱がないから! りんご狩りで勝負とか、野外でするのは変態だから!


 でも、殿下に取られるって? 何のこと言ってるの?


「話が見えないよ。マリエル、なんか私に隠してる?」


 私がそう言うと、マリエルはきょとんという顔をして、私を不思議そうに見上げてきた。


「だって、お嬢様、王女の侍女はみなさま側室候補でしょう?王女様から旦那様に、書簡できっちり通達されてましたよ?後宮に入るのに差し支えがあるなら、侍女に戻らなくていいって」


 はい?なんか、すごいこと聞いた気がするんだけど。えっと、誰が何って?

 その前に、ちょっと待って! 王女様の書簡って、何のこと?なんでお父様宛の書簡をマリエルが見ているの?


「ローランド様とヤッてったら、そりゃ、もう後宮には戻れないでしょ。妊娠してたら大変ですからね。しかし、そこを狙ってくるなんて、ローランド様も、いよいよ本気出してきたってことですねえ」 


 な、なんなの、その情報! どーいう話? 何がどうなってるわけ? なんでそんなこと知ってるの?

 マリエルって、一体何者? まさか、どっか国の間者。いやいや、公儀隠密なの? こちらにおわす御方をどなたと心得るーってやつ?


 私の疑問を見破ったかのように、マリエルは「盗み聞きじゃないですよ」と断りを入れてから、得意そうにこう言った。


「昨夜、執事様が旦那様に連絡しているのを聞いたんですの!王宮からの書簡を受け取って、バタバタと通信室に走って行かれるんですもの。クララ様に何かあったんじゃないかと心配で!そうしたら、ドアを開けっ放しで話してらっしゃるんです!不用心ですわよ」


 それを、盗み聞きと言うんだよ、普通は! 私のことを心配してくれるのは、ありがたいけれど、それはもう専属メイドの仕事の域を超えているのでは……。


「ちなみに、マリアンヌ様とユリア様のとこのメイドからも、裏は取れてますわ!みなさん、同じ内容の書簡を受け取られたようですね。メイド仲間には、ご当主様の隠れ妾もいて、寝物語でなんでも筒抜けなんですよ」


 聞かなきゃよかった。聞きたくなかった。


 まだまだ話を続けるマリエルをよそに、私の脳は王宮以上の情報量で飽和状態になり、すぐに思考を停止した。


 私は長椅子に体を放り出し、そこで一気に脱力したのだった。


 恐るべしメイド・ネット。メイド達だけは敵に回してはいけないのだ。肝に命じておこう。



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