95 魔女の家② ペンペン草
クレアが玄関を開けたところから
魔女の家――
玄関を開け扉が反動で戻ってくるまで待った。クレアは一歩、魔女の家へと踏み入る。するとさっきまで意気込んでいたエレノアが突然外で待っていると言い出した。様子がおかしいが、家から離れて何やら日向ぼっこをしている。とても気持ちよさそうに見える。とりあえず彼女のことはそのままにし、クレアは魔女の家の中をゆっくりと観察した。なにせ、初めてまともに会話ができる魔女なのだから。
本で読んだこと。話で聞いたこと。実際にあった二人の魔女。すべてが一括りの魔女にはなっているがそれぞれ呼び方が違う。『森の魔女』と『街の魔女』、彼女たちはどのくらい似ているのだろうか? いや、どれくらい似ていないのだろうか? 人間から生まれる魔女。街の魔女は代々、その血を受け継ぐ血統の魔女。
クレアは一歩、家の中へと踏み入ると物陰や罠がありそうな場所を見渡す。しかし、家の中はいたって普通の配置だった。少し広めの玄関。応対が多いのだろうか、椅子とテーブルが置いてある。上着をかける壁掛けや、くつろげる長椅子、話すための椅子。考えていたようなおぞましい光景はそこにはない。森で捕まった時、森の魔女の洞窟で見たような檻や実験道具、よくわからない鍋や道具もない。よくある家の玄関。それを広くして一つの部屋にした感じだ。
動くとわずかに床の音が鳴る。たしかに人の気配はするが誰も見当たらない。窓から入る光が玄関を明るく照らしている。この大きな木のせいだろうか? それとも魔女の家だからだろうか? どの家よりも暖かく、優しい雰囲気があった。テーブルや椅子の先には扉が一枚。あれが家の中に続いているのだろう。ここはまだ玄関で入り口。「こんにちは!」と恐る恐る声をかけるクレア。
「誰か、いませんか?」
静まり返ったままの家の中。魔女に会う前に心の準備がしたい。何かないか? クレアは部屋の中の小物から装飾から魔女の姿を連想できそうなものをかたっぱしから観察している。その間も聞こえてくるのは外にいるエレノアの奇妙な行動と声のみ。何か騒いでいるように感じた。言葉にはなっていないが何かを恐れて慌てている。奥にある扉、そのの奥が気になるが一旦エレノアの様子を見ようと彼女は振り返り外へと向かった。
クレアの気にしていた扉。その奥には一人の少女が潜んでいた。どんぐり帽子をかぶり、髪を腰近くまで垂らしている。袖のないワンピースに靴。クレアがエレノアの様子を見に外へ出ると、少女は扉の奥から玄関へとやってくる。クレアと同じく外に出るために歩いているが、ただ歩くのではない。両手を常に動かしている。何かをこねるように、指を細かく動かして這わせるように。
「ウジャウジャー」
「ワサワサー」
「ウネウネー」
手と指の動きに合わせて何かを口走っている。外ではエレノアが蛇に襲われている真っ最中だ。少女はまるでぞうきんを縦に絞るかのように手を上下でぎゅぅーっと動かす。伸ばすように手と手を放していくと「ポンッ!」と唇を鳴らす。同時にエレノアの叫び声が聞こえる。少女は「ふふふ」と笑い嬉しそうに玄関を出て慌てるクレアの背中を見ながら、小さな声で囁いた。
「猫ちゃん死んだ。次はあなた、黒髪」
「エレノア!?」
背後に少女が現れたことなど知る由もなく、クレアは倒れたエレノアに駆け寄った。彼女に一体何が起きたのだろうか? 倒れる直前、身動き一つせずまるで何かに締め付けられているかのように両手が体にくっついていた。そして、下から上に体を大きくするように呼吸をためていきなり叫んで倒れた。
「エレノア? エレノア!? いや、エレノア!!」
倒れたエレノアを近くで見てクレアはすぐに気づいた。すでに体が冷たくなっていること。まるで死後何時間も経っているかのようだ。顔は真っ青。呼吸はしていない。
そんな! エレノア? 死なないで! 何があったというの?
そう考えるのも束の間。背後から少女の声が聞こえてきた。振り返ると、玄関には一人の少女が立っている。かわいらしい女の子。すぐに街の魔女ローレンスの孫娘のアルマだと気づいた。昨日「注意しろ」と言われた人物だ。アルマがエレノアを殺したのだろうか? そんな一瞬の考察を遮るようにアルマが話し出す。
「っ猫ちゃんは死っんだ。私の魔法っで、死んだ」
クレアはその言葉を聞くと同時に、エレノアの息が止まっているのを確認していた。すぐに胸に手を置き蘇生を試みようとしたが、感じたことのない体の硬さがあった。まるでクレアの手の押す力をエレノアが拒否しているかのように反発してくる。
「あなたがアルマね? お願い、彼女を助けて」
クレアのお願いは耳に届いているが、アルマには関係のないことだった。これから彼女も死ぬからだ。彼女に恐怖を与える。彼女に後悔させる。彼女に深淵の闇を見せる。彼女に死の抱擁を。
「っなたが死ぬ番。何が怖いの? さぁ……ん? そう。じゃぁ、この手で行く」
クレアはアルマを警戒しつつ、エレノアの頬を叩く。彼女が頑なに動かないからだ。死んでいる上に助けられるのを拒んでいる。もう、これでお別れだろうか? ついさっきまで楽しく話していたのに。魔女にかかわるとそれまでの日常が突然変わってしまう。死と隣り合わせになり、無情の別れが突然にやってくる。
アルマは一歩、また一歩と進むたびに少しずつ足を開き、肩を広げ、両手を前に出す。ずりずりと歩いて近づいてくると「グアァオ!」とか「シュルルル」とか「シー!」等と遊んでいる。何かの物まねでもしているのだろうか? こんな時に!? クレアは半ば怒る気持ちで彼女に叫ぶ。
「アルマ! 今は遊んでる暇はないの! お願い。後で遊んであげるから、エレノアを助けて!」
自分の動きを見てポカンとしていたクレアにあと一歩。そこまで近づいてきたアルマ。きっと恐怖で身動き一つできないのだろう。そう思っていたのに彼女の口から出た言葉はまるでお母さんのように子供を叱るものだった。すぐに気を取り直してもう一度。彼女の目の前で最高の恐怖を!
アルマは体を縮こませる。「うぅぅぅ」と唸りながら小さく丸まっていく。ひざと頭がくっつくくらいまで小さくなると、両手を横に出しながらバッっと広がり「シュワァー!」と言った。目の前で見ているクレアが「ふざけないで!」と言った。
「え!?」
目を丸くしたアルマにクレアも驚く。
「え??」
アルマはすぐに事を理解した。彼女に魔法が聞いていないのだ。自分はただただ、おかしな動きをしていたにすぎない。足がすくみ、顔を真っ赤にして、涙を浮かべると「ひっく、ひっく」と泣き出す直前だ。
「アルマ? どうしたの? すごいかわいかったわよ。ね、あとで遊ぼう。だから、ローレンスを連れてきてくれる? エレノアは大事な人なの。お願い」
クレアがそういうとアルマは泣きながら家へと走っていった。ローレンスを呼びに行ったわけではないが恥ずかしさと未知への恐怖でただただ走り出し、こけて、また走り出す。クレアはエレノアの顔が少し緩くなったのを感じ、すぐに口から息を吹き込む準備をした。死んではいるが今なら口が開く。そう思って急いでエレノアの唇に自分の口を重ねた。直後、
「んぐ!! ちょ、クレア!? なんでキスしてるの!? え! うおぁ! 蛇どこ行った! きゃああ! うわぁった」
突然目覚め、起き上がると足をばたつかせ、体から何かを取り払うかのように動くエレノア。ついさっきまで体が冷たく青ざめていたはずなのに、何もなかったかのように彼女は動き回っている。すぐに涙を流し安堵するクレア。
「ひゃああぁ、あれ? どこいった? お、クレア? ちょっと、なんでキスした後に泣いてるの? どったの?」
「どったの? じゃないわよ。もう、死んだかと思ったのよエレノア。私、私……」
何が起きたのかわからないが、自分が死んだことは覚えているエレノア。不思議な感覚。あんな体験は二度としたくないがまるで夢のよう。でも、はっきりと覚えている。座り込んだままのクレアに駆け寄り慰めていると一人の女性が現れた。黒いスカートにふわりとした白いシャツ。白髪を後ろに流しているが今まで出会ったどのおばあさんよりも若々しく、綺麗で品のある女性。
「二人ともごめんなさいね。こら、アルマ! 謝りなさい!」
女性のスカートを掴んで後ろに隠れていたどんぐり帽子のアルマ。ほっぺたをつねられたまま「ごへんははい」と謝っている。くいっ! くいっ! 強く引っ張るたびに謝るアルマ。手を離されるとすぐにまた女性のスカートの後ろに隠れる。あきれた顔をしながら笑顔に変わる女性。様子を見ていたクレアとエレノアに話しかける。
「まぁ、これは久しぶりにペンペン草かしらね」
「いや! ごめんなさい!」
「私はここ、湖の街ミシエールぼ『街の魔女』、ローレンスよ。よろしくね」
「クレアです」
「エレノア……」
エレノアはまだ草の中や傍の木に何かいるのか、いないのか、キョロキョロと警戒しながら答えた。ローレンスは彼女の様子を見てその心配を拭い去るために笑いながら教える。
「ごめんなさいね、エレノア。多分、嫌いなものをたくさん見たのでしょう? それはアルマの魔法のせいよ。ここにはどこにでもいる小さな虫はいても、あなたが怖がっているようなものはいないはずよ。私の庭ですからね」
「そうなの? 蛇はもういない?」
「蛇? そう、あなたは蛇が嫌いなのね。いたとしても森や林で見かけるのと同じ程度よ。安心して。二人とも大丈夫? 死んだりしなかったかしら?」
「私は大丈夫です。でも、エレノアが……。確かに死んでたはずなんですけど」
「やっぱり? あたし頭が爆発して死んだよ? でっかい蛇にさ、体ぐるぐるーってされて」
「あら、そう? 死んだの? それはいけないことをしたのねアルマ」
「っでも、あの黒い髪の人、おかしい。あの人こわい」
ローレンスが「いけないこと」と言う時の声のトーンが低かった。それに合わせてアルマはスカートをぎゅっとつかみなおしながらクレアのことを指さした。
「だからと言って、我が家にやってきたお客様を話も聞かずに殺していいことにはならないでしょ? 何度言ったらわかるの? せっかく最近は直ってきたと思ったのに。アルマ? 今日は履いてるの?」
「……履いてない。でも、いや! ペンペン草はいや!」
じーっと見つめるエレノアは会話を拾い考えている。「ペンペン草」「悪いこと」「子供」「履いてない」「いや」つまりお仕置きだ。あのアルマという少女が事の発端なんだろう。そしてお仕置きされる寸前だ。自分にも身に覚えがある。例のペンペンだ。でも、あの子は何歳だ? 十歳くらいにも見えるけど、もっと幼くも見える。小さいだけか? エレノアは顔を傾げ悩んでいた。
「あの、エレノアに何が起きたんですか? もう、大丈夫ですか?」
「ええ。この子、アルマは私たち魔女の血を引いている中でも相当の使い手よ。まだ子供だけどその力は計り知れない。私たちは通常、火や水、風や土といった元素魔法を使うのだけれどもこの子にはその才能があまりないの」
「おばあちゃん!」
なんで私のことを教えるの? といった風に訴えるアルマに「しっ」と叱るローレンス」
「元素魔法はあまり得意ではないけれど、そんな魔法も彼女に当てるのは難しいのよ。この子は精神魔法の使い手だから。しかもその力は強大。まだ十二歳で成長しているというのにね。この子は一人か複数にその力を使えるわ。エレノアにはその魔法の力で死んでもらったのよ。実際に死んだわけではないけれど、脳以外は死んだと認識する。長く続けば、そのまま死んでしまうわ」
エレノアは魔法のことよりも、アルマが十二歳。自分たちより二歳しか違わないことに驚いていた。小さいせいだろうか? もっと離れているように見える。
「自分が死んだと思い込んでるから、魔法以外の蘇生は効果がないの。驚いたでしょ?」
「はい。父から蘇生術は教わっていたのに、彼女がまるでそれを拒んでいるかのようで……」
「そうだ! アルマ? あなたさっきクレアに魔法が効かないって言ってたわよね。いい機会だわ、家に入る前に見せて頂戴」
顔を赤くするアルマがすぐに反論した。
「いやよ、おばあちゃん。だって、彼女に私の魔法が効かなかったら……効かなかったら……」
「ええ、醜態をさらしなさい。何か不満でも? あなたが招いたことよ。そうね、オオトカゲがいいわ。火を噴くやつ。見せて頂戴。エレノアも見ててね。さぁ、ほら」
「っんぐ」
アルマが自分のスカートをまくり上げ膝を地面につけるとそのまま四つん這いになる。すでに顔が真っ赤だ。そのまま手と足を大きく、トカゲのように動かすと「グルルル」「ガオー」「シューボワワ」と言いながらクレアに近づいていく。足元まで近づくとしゃがみ込んできたクレアが頭に手を置いてきた。
「えっと、そうね、すごい迫力があったわ。まるで火を噴くトカゲのようにみえたわ」
「驚いた。本当にアルマの魔法が効いていないのね」
「おばあちゃん!」
アルマが泣きながらローレンスのスカートへと避難した。ただでさえ人見知りで、慣れない人と話すときは言葉が詰まる。それなのにトカゲの物まねをさせられた。恥ずかしさのあまりローレンスのスカートで顔をわしゃわしゃとこすっている。いくらこすっても恥ずかしさなど落ちないというのに。それを見ていたエレノアが大笑いする。
「ぎゃははは、さっきの物まね面白かったよ。なんでぇおわぁああぁっ」
話している途中で飛び上がり、逃げ出すエレノア。アルマが魔法をかけたことは明白でローレンスがすぐに彼女のほっぺたを両手でつねった。
「こら! 何度言ったらわかるの?」
「ひゃあっ、ごへんははいぃ」
周りをキョロキョロと警戒しながらエレノアが戻ってきた。「あいつらどこいった?」と謎の言葉。クレアには何が何だかわからないが、アルマが原因なのは分かった。
「二人とも、家の中に。今日は面白いものを見れたわね。アルマ? あなたも一緒に来なさい。部屋に戻るのはだめよ。ほら、確認しましたからね」
ローレンスがアルマのスカートをめくりあげると「きゃぁ」と一言。目論見の失敗したアルマは悔しそうに渋々と歩き始める。家の中に案内された二人はテーブルで待つように言われ、席についていた。ローレンスが桶に入ったペンペン草を何本か鷲掴みにする。街の外で見るよりも立派なものだ。色艶よく、太さ、長さがアレにちょうどいい。経験のあるエレノアはごくりと唾をのむ。
「さ、二人はお湯が沸く間ここで待ってて頂戴ね。ちょっと失礼するわ。お詫びではないけれど、音を聞いてすっきりして頂戴」
「いや! おばあちゃん! せめて奥で!」
「さぁ、隣の部屋に行きなさい」
アルマは目に涙を浮かべながら自分のスカートを掴んでまくり上げて準備したまま隣の部屋に入っていった。エレノアは自分の記憶の中と戦っている。もしも、悪いことをしてお母さんがペンペン草を持って立っていたら……。経験したことのないクレアにはわからないことだろう。エレノアは目を見開き、その時が来るのを待っている。
静かな家。わずかにコトコトとなる湯沸かし。お湯が沸くと蓋がカタカタと音を立てながら開こうとしている。沸騰する蒸気の力では蓋など取れないのに。しかし、今日は違う。隣から聞こえてくるその音で今にも蓋が外れそうだ。音が聞こえてくるたびに外れそうな気がする。エレノアはいつの間にか自分のお尻を抑えている。
パチン! パチン!
アルマの声とともに、綺麗な音が聞こえる。
ローレンスが隣の部屋から戻ってくると、手に持っていたペンペン草を桶の中に入れた。エレノアの目にはその草から湯気が出ているような気がした。お湯を注ぎ、お茶を出すころにはアルマも同じ部屋に戻ってきた。ついさっきまで泣いていた、今も泣きたいが二人には見せたくない。我慢した表情でスカートの後ろを持ち上げながら座れずにしばらく立っている。こうして席に着いた三人と、立ったままの一人は話を始める。




