77 約束⑤ おまじない
「アル! こっち!」
クレアは船の中をエレノアがいる部屋まで迷うことなく走っていた。途中で通路にいるバルタとジーゴの二人に「見つけたよ」とすれ違いざまに伝えた。二人はキョトンとしながら走っていくクレアとアルフォンスを見送った。
あっという間に二人が駆け抜けた後、バルタはジーゴの顔を見ている。じーっと、視線を合わせない彼を黙って見ている。やっとのこと、彼が根負けし彼女の顔をちらりと見る。バルタは目が合うと睨み返した。「さっき、殺されかけたとか言ってなかった?」と詰めよる彼女にジーゴは顎を引くと、また視線を逸らし後ずさった。彼は諦めると同時に笑顔を作り、先日の出来事を彼女に話し始めた。
クレアが向かう中、当のエレノアはベッドの上で腕を組み仁王立ちしていた。股の下には四隅にそれぞれ手足を縛り、大の字になったレカンタがいる。彼女はそれを品定めでもするかのように眺めて「うんうん」とうなずきながら何かの結論に至った。「何かが違う……でも、やり切った感じがする」そう満足し、ぴょんとベッドから飛び降りた。反動でレカンタが「ひっ」と声を上げたがエレノアはそれを無視して部屋の扉を開けた。部屋から伸びる通路、離れた位置で待っていたハサラ。エレノアは彼に気づくと息を吸い胸を張る。自慢気な顔をして、堂々とそして優雅に彼の前を歩いて通過した。
「すっごいスッキリした」
「お、おう。終わったのか?」
「うん――」
エレノアは本に書いてあった事を一通りやってのけた。出来なかったことや、結局意味の分からないこともあったが一通りやった。ハサラは前を通り過ぎる少女に対し「末恐ろしいガキだな」と思い、その背中を称えていた。
通路の先の方からクレアとアルフォンスが現れると、お互いに大きく手を振った。何事だ? とハサラも振り向くとそこにいた黒髪の少女が、レカンタの言ってた子だとすぐに分かった。
「クレア! あたし、すっごい楽しかった!」
「エレノア! 戻ろう」
「あ、忘れ物! ちょっと待ってて」
少女二人の会話を横目で聞いていたハサラ。クレアと呼ばれた少女の横には背の高い男が立っていた。頭には耳が隠れるくらいの布を巻き、髪を後ろに流している。何度か見た動物担当の優男だ。二人の保護者と言った感じに見えた。
エレノアは部屋の中に戻ると「モジャモジャー」と言いながら、目的の物を掴むと通路に出てきた。ハサラの前を通る前にモジャモジャをサっと隠していた。ゴクリと唾をのむ彼は、それが引きちぎられたレカンタの……と勘違いしながら身震いした。気を取り直し、集まった三人の様子を伺っていた。
「何よそれ」
「え? しっ。これ、秘密で奪ったんだから。焦げちゃったけど。いひひ。さ、帰ろ!」
「エレノア? 何かされなかったのかい?」
「え? なんで? むしろレカンタを心配したほうがいいよ。やっぱり本っていうのは綺麗に書いてるんだね。実際は結構、その……まぁ、行こ!」
エレノアが二人を引っ張り去っていった。ハサラは彼らの会話を聞いてるようでほとんどがクレアの表情に夢中になっていた。綺麗な顔、優しい顔、安堵した顔、心配している顔、屈託のない笑顔、愛情のある目、優しい目……。小さく頷き始め、それは次第に「うん、うん」と納得した様子になる。
「あれがクレアか……。壊しがいがありそうだな」
つぶやきながらハサラは部屋の中にいるレカンタの元へ向かった。
「おい。終わったんなら帰ろうぜ。俺は明日の当番があるし。寝ておきてぇんだよ……。おい、何だお前、大丈夫か?」
「ヒッ!」
触れた途端に悲鳴を上げたレカンタ。ベッドで手足を縛られた彼の体には赤い痕がたくさんあった。顔も殴られ腫れている。目隠しをされ、さるぐつわをされた状態の彼を解放するとハサラは困惑した様子で、
「お前、こんな趣味があったのか……? えげつねぇな」
「うるさい! ちくしょう。あいつ、ぶっ殺してやる!! いいから解いてくれ」
「おいおい。どういうことだ?」
ハサラは傷ついた彼の手足からロープを外し先に扉へ向かった。レカンタはよろつきながらベッドを降りてそのまま地面に這いつくばった。「クソ! クソ!」と言いながら立ち上がると、壁際のテーブルに置いてある水を睨みつけた。一口も飲んでいない魔女の血が入ったコップを睨みながら、歯をギリギリと鳴らし血が垂れてくると手でそれを拭い去った。
彼はコップの中身をそのまま大きな水瓶に戻すと、それを抱きかかえハサラと一緒に歩き始めた。ハサラが「それ、持ってやろうか?」と言うと「触るな!!」と目を赤くしたレカンタがさらに強く抱きかかえる。魔女の血が入った水瓶を大事そうに抱えながら、その後は無言でハサラと自分たちの部屋に戻っていった。
クレアとエレノア、アルフォンスの三人は通路で喧嘩しているバルタとジーゴをなだめるハメになっていた。その後は部屋に戻り、満足し疲れ切ったエレノアとベッドで横になっていた。アルフォンスはどこかへ行ってしまった。きっとまた夜風に当たりに行ったのだろうと二人とも気にしていなかった。
「クレア? さっきさ、クレアに掴まれたような気がしたんだけど。気のせいかな?」
暗い部屋の中で二人は寝ながら話をしていた。
「気のせいじゃないよ。私ね、エレノアのことを探してたの」
「やっぱりね! 一瞬……。一瞬だけどさ、なんか、家に帰った感じがしたよ」
「そうなの?」
「うん。一瞬だったけどね。でもさ、どうやったの?」
少しだけ沈黙が流れた。クレアはまだ彼女に自分の力のことを話せないでいた。考えながら、迷いながら、順を追って説明を始めた。
「ほら、森の中にいる時ってお互いの居場所がわかるじゃない? 何となくだけど」
「……。そういえばそうだね。あたしはアニムだし、クレアより耳も鼻もいいからね。でも、クレアは確かにすごいよ」
「そうかな? それでアルが助言してくれたのよ。この船も木で出来てるんだから、それも立派な森で育った木だから、声を受け取るだけじゃなくて、自分から広げたらどうだ?って」
暗闇の中、クレアは自分の広げた手を見つめていた。
「それで私ね……気が付いたの。狩りで動物を探してる時みたいに、エレノアはどこ? 教えなさい!って言ってみたのよ。そしたら、貴方がいる場所が分かった」
「うひゃ。それじゃかくれんぼ出来ないな」
「あはは。そうね」
「鬼がクレアでよかったよ。これが森の中でさ、魔女に見つかってたらビクビクしてたね」
「……」
クレアは彼女の何気ない一言を聞いて、壁の方を向くように寝がえりをうった。そして、元気の無くなった声で話を続けた。
「エレノア? もしも、この船に魔女がいたらどうする?」
「魔女ぉ? もうコリゴリだよぉ。ましてや海の上でさ、こんなところで出会ったら大惨事だよ? 出来るだけ近づかないよ。クレアを守りつつ、あたしゃ逃げるよ」
「そう……。でも、光の魔女だったら?」
「会ったことないからなぁ。どっちにしても森の魔女には近づかないのが一番かな。光だろうが闇だろうが――」
「そうね……」
すでに返事が遅くなり始めたエレノアは答え終わるとそのまま眠りについてしまった。クレアは彼女の言ったことを考えていた。光でも闇でも、森の魔女には近づかないのが一番……。
私はどっちなのかな?
暗闇で眼が光らないから闇の魔女?
それとも人間のまま?
魔法は使えないって言われた。
魔女と同じ力が使えるのはどうして?
船のみんなに知られたらどうなるのかな?
優しかった人達は私をどうするのかな?
私を閉じ込める?
私を海から突き落とす?
考え、悩みながらクレアはベッドの中で体を少しずつ小さくしていく。お父さん……。おばあさん……。ダン……。ノラ……。皆……。
お母さん……。お母さん……。会いたいよ……。
クレアは一度も見たことのない母親をどうして呼んでいたのかわからなかった。ただ、心の中で必死に呼びかけていた。そうでもしないと、彼女の声が聞こえてくるからだ。
――タスケテ
――タス、ケテ……姉妹ヨ
その声はとても弱弱しく、小さかった。エレノアを探していた時、手を床に置きアルフォンスの言うように意識を広げた時に感じ取ったソレが意識に呼びかけてくる。彼女の痛みや苦しさが伝わってくる。クレアは必死にその感覚を封じていた。
とても弱く、小さい声はすぐに聞こえなくなった。クレアにはそれが魔女だとすぐに分かった。どうしてかはわからない。ただ、"彼女"だとわかった。エレノアにもアルにも誰にも気づかれないように気を使った。どうしてこの船に魔女がいるのかはわからない。ただ、苦しそうに助けを求める彼女の声を無視することが出来なかった。
明日、声のする場所へ行ってみよう……
落ち着いたクレアはそのままゆっくりと眠りについた――。
――ア?
――レア?
――クレア?」
「大丈夫、クレア?」
「え? うん」
そこはいつもの場所とは違っていた。優しい風が吹き、柔らかい草の絨毯、腰掛けの岩に大きな木。いつも会う場所はそういうところだった。
「ここは?」
「あら、こういうところは嫌い?」
二人が座っているのは高い木の枝だった。枝と言ってもその太さは普通の木の幹以上はありそうなものだった。いつものように髪をふわふわと風に乗せている。嬉しそうに振り向くとすぐに優しい顔になって肩を寄せてくる。
「クレア? ちょっと悩みすぎじゃない?」
「そんなことないわ。森で過ごしてた時は凄く単純だった。だけど、外の世界って色々なことが起こるの。いいことも、悪いことも」
「でも、楽しい?」
「うーん……。そりゃ、楽しいけど」
「あら? どうして素直に楽しめないの?」
クレアは拗ねた顔をして彼女にツンと言い返した。
「だって、私って魔女になったみたいよ? 皆に知れたら何をされるか」
「えぇ!? 大丈夫よ? それに魔女が使う魔法は、人間もエルフも使えるわよ? あの手この手でみんな同じことをしてるじゃない?」
「それでも、魔女は魔女よ」
「でも、クレアはクレアよ?」
「そうよ? 私はクレア。魔女になったクレアなの」
「あははは」
笑う彼女にクレアは口を開けて呆れた。
「笑い事じゃないのよ? すっごい真面目なんだから」
「そうだ! おまじない覚えてる?」
不服そうな顔で下唇を突き出すクレアは、彼女の楽しそうな顔につられて顔が緩んでいく。
「うん。でも、あれって今思えばまるで――」
「しー。せっかくなんだから、彼が言うまで待つのよ」
「彼? 誰の事?」
「あら、もう時間ね――。クレア? 自分の気持ちに従いなさい。大丈夫よ。貴方自身が迷ってどうするの? ほら! しっかりして! 前を見ろ! 見逃しちゃうぞ? ってね」
気づくといつも違う人のように見えるその女性。おばあさんの姿だったり、赤い髪の女性だったり、灰色の髪の女性だったり。そしてすぐに別れはやってくる。最後に会う人は私に触れることなく突然に離れて消えて行く。どこか悲しそうで、でも、嬉しそうで、綺麗な白い髪――。
朝、目が覚めたクレアはどこかスッキリしていた。夢のことは覚えていないが、久しぶりの感覚だった。昨日の気持ちが嘘のように無くなっていた。悩んでいた自分を恥ずかしく思いながら、足を広げ、涎を垂らし、お腹をかいて寝ているエレノアのしっぽに鈴をつけた。たまにやる遊びだ。
彼女は寝ていても尻尾を動かす。それが人間でいうところの寝がえりというべきなのかはわからない。でも、寝がえりを打つ時とそうでないときの尻尾の動きが違うのはわかった。
エレノアが尻尾を動かすたびに鈴の音が鳴る。
チリン チリン チリン
しばらくするとエレノアがイライラしてくる。そして、
チリン チリン
「うるさーい!」
半目のエレノアがガバっと起き上がる。自分で自分の尻尾に怒る彼女を見てゲラゲラ笑うクレア。「ちくしょう! またやられた!」とエレノアが半分寝ながら悔しがる。
「おはよう、エレノア」
「おはよう、クレア」
「エレノア? 話があるの」
「んあ? 大事な話?」
「そうよ。出来れば二人だけで」
「……。ごはん食べながらでいい?」
「そうね。食欲無くなっちゃうかもだし」
「そう言われたら、食欲無くなっちゃうよ」
「そうね。いい話よ」
「そう言われても、もうあやしいことこの上ない」
「そうね……。私、魔女になったかもしれない」
「そう言われても、信じられないよ……え!?」
「ね? だからご飯食べながらでいいから。他にも話したいことあるの」
エレノアは驚き立ち上がり、急いで部屋の扉を開くと外にある食べ物の籠を手に取った。まるで誰かに見られないよう周囲を警戒しながら。彼女は通路に出した顔を驚く速さで動かし誰もいないことを確認して部屋に戻った。急いで扉に椅子を立て掛け、クレアの正面に座り首を小刻みに上下させ早く話せと催促した。
「落ち着いてエレノア。その、私、かなり前から魔女と同じように木を操れるようになったのよ」
無言で聞くエレノアは、クレアが言い終わるたびに食べ物をひたすら口に運んだ。「これが限界だけど」と言いながら、ベッドの脚を少しだけ変形させた。それはこぶし大のでっぱり程度だったが、エレノアの目は丸く大きく開いていた。
「すっげぇえええ」
「きゃあ、汚い!」
口の中から食べ物が飛び出してきて、それを受けたクレアが怒った。
「クレア!? 魔法じゃん!! それ、あ」
エレノアはすぐに声のトーンを下げた。部屋の扉にサっと近づき、口をモグモグしながらも耳をあて食べ物を片方の頬っぺたへ集める。通路に誰もいないことを確認し、ゴクリと飲み込むとまたクレアの正面に素早く座った。
「どうっすか? 魔女になった感じは? 魔法が使えるってどんなすか?」
「ふざけないでよ、エレノア? でも、ありがとう。それにね、魔女になったのかわからない。だからこれから話すことの方が大事」
「うんうん」
「この船に魔女がいるわ。森の魔女」
「ほうほう。森の魔女がぁあああああ!」
クレアは急いで彼女の口を塞いだ。手に食べ物がついたのが分かった。うえっとした顔で近くにあった布で手を拭くと、またエレノアが食べ物を急いで口に放り込み、サッと扉に耳を当て外の様子を伺って戻ってきた。
「まま、ま、魔女がいるの? この船に?」
「うん。でも、すごく弱ってるし。闇の魔女とは違う。光の魔女だと思う」
エレノアは葡萄を一粒手に取ったまま動かなかった。クレアは彼女の指をそっと掴み、口へ運んであげた。無意識にパクパクと動く口にとりあえず安心したクレアは話を続けた。
「私ね、彼女に聞いてみようと思うの。私が魔女なのかどうかを」
「そんな!? 別にこれから行く街の魔女だっていいんじゃないの?」
「そうね。でも、わからなかったら? 森の魔女に聞くのが一番じゃないかしら? 光の魔女がこんなに近くにいる事なんてこれからあるかわからないし。街の魔女に聞いてわからなくて、私が『森の魔女に聞きに行きましょう』って言ったら、結局同じことよ?」
「んー。んーー! んーーー!」
「いいのよ。私、一人でも行くから。ちょっと聞くだけだもの。無理には頼まない。ただ、忍び込むのを手伝ってくれたら嬉しいなって」
「忍び込む?」
「うん。昨日、貴方を探したときに居場所を知ったの。今、この船で魔物を運んでしょ? でも、それは嘘。本当は魔女を運んでるのよ」
「うええ」
「倉庫区画の一番奥。あの四人に気づかれないように奥へ行かなきゃいけない」
「え? ってことは、あいつらずっと魔女の傍にいたのか?」
「そういえばそうね……。知られたらパニックになるわね。それに、船の誰にも知られちゃいけない」
「アルは?」
「アルは頼りになるけど、今回はちょっとお話をするだけだし。もしも知られたら止められると思う。だから、二人だけで」
「忍び込むんだね」
「うん」
「よし! じゃぁ、いつにする?」
「今からよ」
「よし。え?」
「今から」
「なんで、今?」
クレアは「私、知ってるの」という顔を見せつけてきた。その自信の表情にエレノアがごくりと唾をのんだ。
「今朝はバルタいなかったでしょ? 昨日の夜、ジーゴと喧嘩してた。でも、仲直りして二人でどこかへ行ったわ。そういう日は決まって彼女いつも遅刻して調理場に行ってた」
「そうなのか」
「二人は今、どこかで一緒にいるの。つまり、今なら見張りは三人。しかも夜勤二人が寝てるから、実質一人ってこと」
「よし! そうと分かればこれを」
「何これ?」
エレノアがベッドの下から取り出したのは、新しいモジャモジャレッドとモジャモジャブルーだった。
「いやよ。かぶらないから」
「はっ!」
叫ぶと同時にモジャモジャブルーをクレアに被せると、エレノアはモジャモジャレッドを被った。
「ちっちっち。クレア君? 君は変装っていう言葉を知ってるかい?」
「知ってるわよそのくらい。でも、これ、バレバレじゃない」
「はっはっは。変装してれば、現行犯で捕まらない限りは言い逃れできーる!」
クレアは呆れた顔で熱弁を聞いていた。しかし、楽しそうな彼女の顔を見ているうちに自分も楽しもうという気持ちになり、このおかしなモジャモジャを気にしないことにした。
準備を終えると二人はモジャモジャレッドとブルーの恰好で倉庫区画へと向かった。途中からは人目を避け、こっそりと近づいた。階段を降りた倉庫区画入り口には、寝起きで虚ろなエガシが椅子に腰掛けジーゴを待っていた。倉庫の奥では五人の中で二番目に背が高く、常に眉を寄せ警戒しているシルツが魔女の木箱を見張っていた。
クレアとエレノアは、時間をかけ最初のエガシを乗り切った。しかし、奥までたどり着いたものの、一切のスキを見せない上にずっとそばにいるシルツのせいで魔女のいる木箱に近づけないでいた。そして、昼前になると足音が聞こえてきた。昨日の夜に見た背の高い男ハサラだった。




