6 何もない森⑥ 三人 後編
旅人はドワーフが仕掛けた罠を確認するため、弓を手に近くの川へと向かう。
そこは濁った土の色と覗く岩肌や小石でグレーを基調に彩られた空間だった。しかし、その二つの色がわずかに見える、美しい鳥の色や空の色をより美しく輝かせていた。
旅人が向こう岸にいる鹿に気づいたのは偶然だった。鹿に気づくとすぐに気配を消すよう沈み込んだ。持ってきた弓を慣れた手つきで使い、静かに鹿を仕留めた。
やはり、ドワーフ製の弓は力強さと重さが違うな。小さい割に
旅人はそう思いながら仕留めた鹿のもとへと近づいていく。ちょうどその頃、ドワーフが言ってたように大男が両脇に樽と抱えて水を汲みに、川へと降りてきたのが見えた。
「おおい!」
川向こう、木と木の間から聞こえる旅人の声に反応し大男が辺りを見回す。
「ウァ」
どこだ? という感じでたまに声を漏らしながら旅人を探す大男。視界で捉えるよりも草と枝を踏み分けて歩いてくる音で旅人の居場所に気づいた。
「おおい。こっちだ。こっち」
鹿を抱えているため手を振ることができない旅人は小枝を踏み鳴らし、大きな声で存在を知らせた。大男は旅人が抱えている獲物を見て笑顔になり嬉しそうな声をあげている。何を言っているかは相変わらずわからなかった。水汲み用の樽を川の脇に置くと、人間の膝丈くらいの川を難なく歩いて旅人の方へと向かっていく。
「ふぅ。頼めるか?」
「アウア」
旅人は剣も扱えるし体躯にも恵まれた人間で力も強い方だった。立派な鹿も肩に背負って運ぶことはできる。しかし、まるで軽い物をどかすかのように、しかも片手でひょいっと持ち上げられては呆れるしかなかった。
こんなに力があるのか。やっぱりジャイアントはすごいな
「ありがとう。助かるよ」
「オイオ」
言葉通り肩の荷が下りた旅人は、手で肩を押さえながら腕をぐるぐると回し大男にお礼をいった。大男はご馳走にありつける喜びで笑顔だった。
ドワーフと旅をすると困ることがある。食事よりも酒がメインのドワーフにとっては、つまみさえあればいいという心持のためかそれ以外の狩猟・食料調達に関してはあまり役に立たないのだ。とはいえ、大男のこともあり、肉を調達しようと頑張ったようだが結果は散々だったようだ。
それではと、川に罠を仕掛けてみたのだろう。そのまま忘れたが、かえってそれが良い結果となった。川にある罠を確かめると三人の食事には十分な量の魚が溜まっていた。
「そっちを頼めるか?」
大男は「オゥ」と一言返事をすると、樽2つと鹿を持ち戻っていった。旅人は川に仕掛けた罠から、魚のたくさん入った網を持ち上げると彼のあとを追いかけるように歩いて行った。帰ってきた二人に気づいたドワーフが声を上げる。
「おお! これはまた見事な。でかしたぞ」
ドワーフは調理鍋や火の用意、大男が用意したであろう不自然な石の椅子に毛皮を敷き座りやすくしてくれてもいた。何よりいろいろな種類の酒もあるようで、酒の入った容器の並ぶ様子は男にとって心躍る眺めだった。
「大きいの。今日は長い夜になるぞ。薪を多めに持ってきておくれ」
「アィ」
「俺も手伝うか?」
「いや、お前さんは洞窟に明かりを灯しておいてくれるか? 酔ってから暗いまま寝どこまでいくのは叶わんからな。わはは」
「そうだな。わかった。ちょっといってくる」
男は松明を手に取ると、調理用の火に近づけた。そのまま洞窟へ入っていく。ここ一か月で快適に過ごすためにした二人の努力が伺えた。短い通路の壁に用意してあったものに火を移して灯りを確保する。少し広がったところには簡易のベッドと、テーブルや小さい焚き木があった。端には彼らの荷物などもあった。
少し奥に行ったところには食料や酒といったものが保存してあった。ここに来てからの成果と彼がもともと持ち歩いていた物、ここで加工した物など。旅人は目につく場所を灯すとその場を後にし、彼らの元へと戻った。
「おわったよ。いやあ、あの部屋なら今日は気にせず飲めるな。ありがたい。まぁ、歩いて戻れればだが」
「わははは。郷を出てから一番の宿だからな!一番の出来だよ。ここはいい森だ。他とは違って魔女がいないのになんて豊かなことか。『何もない森』なんて信じられんの」
全ての準備が終わったころには、すでに日は沈んでいた。
―― 食事・酒・談話。楽しいひと時
「わはははは。すまない、すまない。確かに畑からちょぉーっと頂いたなぁ」
「聞いたところでは、出来の悪いのから採っていたそうだが」
「――バリバリ」
「そうだな。確かにその通りだ。ちょっと頂く代わりに土やら、無駄な作物やら、まぁ色々いじくったのは迷惑だったか? お互い得をしたはずだが」
「皆、むしろ状態が良くなったと言ってたそうだ。それに対して怒ってはいなかったとも。もしかしたら村の連中はあまり農業が得意ではないのかもしれないな。人手も欲しいようなことを言っていたな」
「――ムシャムシャ」
「わはははは。ワシは土と酒に関しては誰にも負けないぞ! 飲むのもそうだが、ほれ、今お前さんが口にしてるのもうまいだろう? それはワシが作ったんだぞ。うまいだろう?」
「おお。うまいぞこれは。お前が作ったのか。どの町の酒場や宿でも飲んだことがないくらいうまい酒がそろっているな」
「――ごくごく」
「ワシたちは今、ここで落ち着いてるが、お前さんはどうしてこの森へ来たんだ?『何もない森』と聞いてるぞ。一か月ほど滞在してるが、平和そのものだ。魔女の気配すらない」
「ああ。だがそこが不自然なんだ。これだけの自然の中、大陸屈指の大森林、豊かな土地なのに誰しもが言う『何もない森』だとな。だから俺は自分の眼で確かめに来たんだ」
「――バリバリ」
「それだけではないだろう? もし『森の魔女』がいたら、そいつが『闇の魔女』だったらそれこそ独りじゃ殺されに行くようなもんだぞ? その鈴は鳴ったのか?」
「いや、鳴ってないな。それと俺はここにエルフの郷があると睨んでるんだ。エルフの郷があるから、魔女がいないんじゃないかってな。だから、森が豊かなんだって考えてる」
「――ゴホゴホ」
久しぶりのご馳走を大きな手や指、口で大いに堪能していた大男が食べそこなってむせていた。
「ほれ、大きいの。落ち着いて食べろ。お前さんの分はまだまだあるんだからの。そうか、エルフの郷か。本当に存在してるのか?」
「ただの好奇心だけどな。実際に見つけたところで追い出されるか、他のみんなみたいに『何もない』って思いこむのか」
「――プハァ」
「思い込む? ああ、なるほど。他のみんなに『何もない森』だと思わせるためか。ううむ。面白い話だの。わはははは。それよりもワシは、エルフの郷の酒はどんな味がするのか気になるな! もし見つけたらせめて酒は盗ってきてくれよ! 旅人よ」
「ははは。たしかにそうだな。酒の味も確かめないとな」
「――ゲップ」
「ところで、くっさ」
「おう」
「アウー」
「大きいの、どうだ? おいしいか?」
「ははは。肉ばっかり喰うんだな?」
「――ボリボリ」
三人は色々な話、情報交換をし大量の酒や肉、魚を飲み食いした。沢山食べていた大男は久しぶりに得た満腹感と酒の効果で眠気に襲われていた。残る二人もその様子に気づき、そろそろお開きにしよう考える。
「さて、用を足しにいくかな。もうこっちも一杯だ。スッキリせんとな」
「そうだな。お前の酒は最高だが、こればっかりはどの酒も同じだな」
「アウ?」
二人は立ち上がるが、足元がおぼつかない。ふわふわした感じでまるで地面が大きく波打ってるようだった。しかし、その乗り心地は気持ちいい物だった。
ドワーフに促され大男も立ち上がる。三人で洞の横の切り立った崖に行くと仲良く用を足しながら話す。
「酒を造りたいな。ワシは、世界一うまい酒を造りたい。こいつと一緒にな」
「あぁぁ。 さっきの話か? そうだ! お前の名前を思いついたぞ」
「……」
「して、なんと名付けてくれるのか?」
「お前は、『酒造りの名人リッカー』だ。どうだ?」
「……」
酒と解放感とで気持ちいいドワーフはしばし、自分の名前を味わってから返した。
「リッカーか! 酒づくりの名人リッカー。うん。悪くないな。ワシの名はリッカーだ」
「そして大きいの! お前は肉ばかり食うもんだから、ミート。『肉好きのミート』だ」
「アァァー。 ミーオ!」
二人はそれぞれ名前を頭の中で響かせている。そして三人は残りの時間を静かに堪能した。旅人が一番最初に用事を済ませる。
「ワシはリッカー。大きいのはミート。二人でリッカー&ミートだな。うん。悪くないな。のぉ、ミート?」
「イッガー」
旅人は二人の後ろで待っていたが、少し体がふらふらしていた。リッカーの酒が美味しかった為、いつもより飲みすぎてしまったのだ。もしくは組合せが悪かったのかもしれない。
「わはははは。今度はイッガァか。わはははは。ところで、旅人。ワシらの名前が分かったが、お前さんの名前を教えてくれるか。旅人?」
「ミーオ」
旅人はおぼつかない足つきで二人の背後から近づくと、ミートの体に手をかけようとした。自分の支えになってもらおうと思い、右手でミートの体に手を伸ばしたのだが運が悪かった。
「俺は、あああっぁぁあぁ―‥‥‥」
旅人はバランスを崩しミートに手を当てれず、踏み外し、そのまま崖の下へ落ちて行った。
しばしの間、大小の男は用を足しながら、下を覗いている。バキバキと枝が折れる音、バシャンと水に落ちる音が微かに聞こえる。酔った二人にはまるで空耳のようだった。
二人が同時に後ろを見る。先程まで、旅人がいたはずの場所だ。しかし、誰もいない。
「おお。落ちたな。わはははは。落ちたのか?」
「ア?」
「あれだろ。幻覚だな。なぁ? ミート。飲みすぎたなぁ。なぁ、旅人?」
「アア」
二人はもう一度、後ろを振り返った。誰もいないのを確認するとお互いの顔をみる。
「落ちたよな? うーむ。まぁ、下はあとで探しに行くか」
「アウア」
「探しに行けって? わははは。無茶いいよる。わかったよ。わかった。まずは戻って灯りを」
「アウ」
二人は、元の場所に戻る。
洞に入るとこまでは二人とも探しに行く気だった。
灯りと毛皮を手に取るとこまでは眠気に負けていなかった。
ミートがいつの間にか寝るまではリッカーも頑張っていた。
椅子に座ったのが間違いだった。
リッカーも深い眠りについた。
旅人は一人、川を流されていく。