36 幼少期⑧ 11歳 来客①
クレアの八歳の誕生日、おばあさんの家が燃えたその日から三年近くが過ぎていた。クレアが十一歳までもう少しという日の出来事。
その日は、空にある雲が川より早く流れるように動いていた。陽射しは暖かく、木陰は気持ちいい。そういう季節。クレアは見渡しのいい場所から眼下に広がる森を一望していた。
クレアが黒く美しい髪を風でなびかせ、大好きな森を眺めていると生まれて初めての出来事が起こった。眼下に広がる森、だいぶ先の方に道を歩く二人の人物を発見した。人と言えば、人間の父親とおばあさん、獣人のエレノア、ダン、ノラ、トンボ、エリーの七人しか生まれてこの方見たことがない。初めは「本当に人?」という面持ちで眺め、観察していた。
そもそもこの道を歩いてきたとしたら数日はかかる。迷ったり、偶然来るなんてことはない。そして、その道は必ずおばあさんの家にたどり着く。クレアは急いでおばあさんの家に向かった。
いつものように森を駆け、おばあさんの家へと向かうクレア。新しいおばあさんの家は、みんな総出で立て直した。何か月もかかったが、今となっては楽しい思い出だった。前の家と同じように木造石造りの簡素な家。家の前には建て治すときにみんなで食事をするのに使ったテーブルをずっとそのままにしていた。
「おばあさん! 誰か来る!」
家の外からクレアの声が聞こえる。おばあさんは注いでいたお茶をお盆にのせて玄関からゆっくりと出て、家の外にあるテーブルへと運んだ。そこへ丁度、森の上から発見した二人が到着した。
「あら、こんにちは」
最初に挨拶をしてきたのは、前髪を短く切った赤い髪の女性だった。一見、顎のラインで揃えたように見える横の髪、実際は残りの長い部分を後ろでまとめているのが特徴的。父親より一回り以上若く、二十代に見える。
すごく、きれい……お話で聞いてたエルフかな?
クレアは初めて見るエルフの女性に見惚れていた。父親やおばあさんの話でエルフやオークやどわーふのことは聞いてはいても、実際に見るのは初めて。髪の色、肌の色、目の色。どれもが新鮮で見ることに夢中になっていた。そんな黙ったままのクレアの様子を見て、
「こんにちは。えっと人間のお嬢さん?」
「は、はい。こんにちは。えっと、クレアです」
「よかった。話せるのね。私はシエナ。こっちがシルヴェールよ」
赤い髪の女性、シエナと名乗ったエルフは優しい笑顔で自己紹介回を返してくれた。始めて会う外の人にクレアは心躍っていた。もう一人のエルフの男性。薄い金髪で短い髪、青い瞳と顎に少しだけ生えたヒゲ。とても格好いい人が爽やかな声で続ける。
「こんにちは。クレア。ちょっと、人を探しているんだけど教えてくれるかな?」
クレアは少し考えていた。赤い髪のエルフの女性は杖を持っている。青い瞳のエルフの男性は剣を携えている。人に会ったことがなくても、彼らがただ寄っただけではないのは明らかだった。
おばあさんが三人にお茶を出し終わると、みなが席に着いた。
「あら、ありがとうございます」
「いただきます。――はぁ。美味しいお茶ですね」
そんな二人の様子を伺いながら静かにお茶を飲むクレア。おばあさんはまったく警戒していなかった。
「二人の剣と杖は……何をしに、誰を探しにここまできたんですか?」
お互いの顔を見るシルヴェールとシエナ。クレアの抱く不安も当たり前か?という思いで二人とも笑い出した。手に持っていたお茶を置いたシルヴェールが、
「あははは。そうだね。ごめんね? 手紙をもらったんだ。ほら、これ」
「……」
クレアはシルヴェールから差し出された手紙を見て、その差出人が自分の父親だと悟った。
「私たちは、呼ばれてここに来たのよ? クレア。この人がどこにいるか知ってるかしら?」
「それにね。俺たちは彼と一緒に旅もしてたんだよ。大丈夫。古い友人だから」
シルヴェールもシエナもこの状況を楽しんでいるように見えた。変に警戒していた自分が恥ずかしく思えてきたクレアは顔を赤くして恥ずかしそうに、
「ごめんなさい。その、人に会うの初めてだし。それに……」
「あぁ。これ? 私たちはエルフよ? じゃぁ、エルフに会うのも初めて?」
自分の耳が見られていることに気づいたシエナは、クレアの聞きたいことを答えてあげた。そんな彼女にクレアは嬉しそうに返事をする。
「はい」
「うふふ。あれ? もしかしてクレアって……」
自分の顔を覗き込むように見つめるシエナに、クレアは顔を赤くした。シエナもそれを楽しみながらクレアの髪をかき分け、顎を触りじっくりと観察する。
「こらこら。シエナ。失礼じゃないか? クレアも困ってるよ」
「いいじゃない。こんなかわいい人間の女の子。めったにいないわよ?」
「……」
「それにほら? シルヴェールも似てると思わない?」
「この手紙の人は、君のお父さんかな? クレア」
若い綺麗な女性、しかも話で聞くか本で読んだだけの本物のエルフに間近で顔を見られ、緊張と嬉しさと恥ずかしさで両手を膝の上におき、自分の気持ちを整理していたクレア。シルヴェールからの質問に答えることで気を紛らわす。
「そうです。よかったら案内しますので」
「それはよかった。ねぇシエナ?」
「えー。もう出発するの? まだどれくらいかかるかわからないのに」
「……ここからは歩いて数時間です。ただ、私、普通の道はもう何年も歩いていないので……小さいころの話なので。大人だけなら二時間もかからないかと」
シエナとシルヴェールはお互いに顔を見てまた笑う。
「あはは。あいつなに教えてんの?」
「こら、シエナ。彼なりの考えがあってだよ。まぁ、彼らしいっていうか」
楽しそうな二人を見てクレアは段々と嬉しくなっていく。
「ははは。構わないよ。クレア。案内してくれるかな? 二時間くらいならちょうどいいじゃないか? ねぇシエナ」
「そうね……まぁ、いきましょ」
「ちょっと寄り道するかもですけど、それでも構わないですか?」
「ああ、かまわないよ。行こうか?」
「はい」
生まれて初めての案内。初めてのお客さん。初めてのエルフ。自分たち以外の若い人。クレアは森に訪れた新しい出会いにとても感謝していた。意気揚々とおばあさんの家を出発する時に、最後までテーブルの横に残っていたシエナとおばあさんが目に留まった。
「――ええ。わかったわ。ありがとう」
シエナが自分の腕を掴むおばあさんに、何かお礼をいっているのが聞こえた。
あんなおばあさん初めて見たわ……
クレアには驚きの連続だった。そして、ちゃんとした道を久しぶりに歩いて二人を案内する。クレアは道中、シエナにエルフのことを聞いた。
「お父さんから聞いたけど、エルフには種類があるって」
「そうね。私は純粋なエルフよ。クレアが言ってるのは、昔私たちの郷を出てそのまま生き残った末裔のことよね? 人間たちがシティエルフとかウッドエルフって呼んでる」
「やっぱり……それに耳が思っていたのより小さいですね」
「あはは。そうね。特徴はウッドエルフの話が広まってるみたい。私たちは少し長いけど、あそこまでじゃないわ。クレアのは……」
耳を髪の中から掘り出され観察されるクレアは思わず笑ってしまった。
「えへへ」
「クレアのは綺麗な人間の耳の形よ」
「ありがとう」
「そうそう、お母さんの話聞きたい? 一緒に旅したんだから、お父さんの知らなことも話せるわよ? 女だけの秘密ってやつね」
「シエナさん。私、お母さんの話を聞きたい!」
「あはは。シエナでいいわよ。クレアが生まれた時も私ちゃんと傍にいたんだから。お姉さんみたいなものかしら? ねぇシルヴェール?」
「ははは。そうだね」
シルヴェールは気を利かせて二人の少し後ろを歩いた。前を行くクレアとシエナは思い出話で盛り上がっていく。しばらくして、森の中から音が聞こえる。それはクレアにだけ聞こえる小さな声……




