35 幼少期⑦ 8歳 おかあさん②
青く暗い夜の森。綺麗な月がちょうど上の空に覗いていた。森にあるおばあさんの家はぐるりと背の高い木に囲まれているため月も太陽も、顔を覗かせるのは少しだけ。
大きな月は綺麗に光っている。優しい黄色でその周囲には薄い雲があるせいか、虹色の輪っかが出来ている。月の光は黄色いはずなのに、照らされるものは皆青い。人の目は、時に真実を見逃してしまう。
そんな中、家の中から暖かく届く蝋燭の光の色は月の灯りを吸い込んで周囲を綺麗なオレンジ色に照らしていた。その光が台所の窓から消えたのは、外の方が明るくなってからだ。
おばあさんの家にはベッドが余分に二つある。クレアと父親が来た時に使うものだ。突然体調の崩したクレアを寝かせたが、翌朝になっても、昼になっても、また夕方になっても彼女の状態はよくならなかった。おばあさんはそんなクレアと水場を行き来し、ずっと看病をしていた。
一方、家に残った父親はいつも通りの日を過ごしていた。クレアが一人でおばあさんの家に行った次の日に、帰ってこないことは初めてではなかった。双子のベルも『何事もない』合図だった。その鐘がさっき、夕方にも同じく鳴った。それでも翌日には顔を出すというのが二人の決まりだ。父親は明日、昼頃に出発しようと考えていた。
クレアがおばあさんの家に来て三日目。誕生日の夜と、昨日の丸一日ずっと寝ていた。そして今日は少し体調が安定しているようだった。森が目覚めたのと同じ頃、ベッドの上で弱弱しく目を開けるクレア。
「目覚めたね。どうだい?」
「おか……おばあさん……」
クレアはベッドで仰向けのまま、横にいるお婆さんの方を見ようとしたが体がうまく動かない。
「夢をみてたのかな。お水を――」
「ありがとう」
小さく、かすれた声でお礼を言うクレア。自分に何が起きたのかわからなかった。昨日の森を駆けてきたことでさえ夢の様に感じるほど意識が混濁している。
「私……夢を見ていた気がする……怖い夢。それと……いい夢」
「そうかい。そうかい」
おばあさんはクレアの手を両手でしっかりと握る。クレアは目を瞑りまた小さい息で眠りに入った。それを見届けるとおばあさんは、彼女の小さい頭を優しく撫でながら心配そうに見つめた。
クレアの状態は安定していた。眠り始めて昼頃になるとまたうなされ、汗をかき始めた。二日間ほとんど寝ていないおばあさんは、ふと消し忘れていた蝋燭に気づいた。ベッドの横のテーブルからそれを取る「すぐ来るから」という気持ちでクレアの手に触れた。そして、そのまま部屋の出口に向かっていくにつれヨタヨタと倒れてしまった。火の点いた蝋燭が床を転がっていった。
おばあさんの家に向かっていたのは父親だけではなかった。今日はダンも一緒に来ていた。おばあさんの家の状態や修理を見積もるためと、クレアのベッドが新調する必要があるかどうかを見極めるためだ。何よりダンもおばあさんが好きだった。
クレアの父親がダンと歩いているのは、今はもう二人で歩かなくなった道だ。ほんの少し前までは抱えて歩いていた道のり。その後、一緒に歩き、一緒に走り競争をした道のり。今じゃ、物を運ぶときにしか使わない。そんな道を懐かしさと共に歩いている。特に誕生日に近い日はしみじみとその道を味わっていた。
おばあさんの家がある森のくぼみが確認できる丘に来ると、二人とも息が止まる思いをした。明らかにそこから大量の煙が上がっていたのだ。頭より先に胸の中に不安が入り込む。考えるより先に前へと走り出していた。横からダンが、
「まかせろ」
そういうと猫の獣人のダンがとても大きな、薄茶色で三種類の毛がある猫へと変わる。大きさのわりに静かにタタタと父親の横を走る。目配せすると彼はダンの背中に飛び乗った。二人はそのまますごい勢いでおばあさんの家へと向かった。
「クレア!!!」
おばあさんの家にたどりついたダンと父親。背中から飛び降りるとそのまま叫びながら桶の水を被り、家の中へと入っていく。家の中の炎は窓から外へと不吉に叫んでいる。
すぐに父親が二人を抱えて出てきたが、必死に中で倒れている柱をどかしたり、引っ張り出したりしたせいか体中が黒く、傷だらけで鼻血をだしていた。頭からも血が流れていたが、本人は気づいていなかった。
クレアとおばあさんを燃える家の中から引っ張り出した父親は膝をつきそのまま倒れた。ダンが手伝い皆を家から離す。そして炎の勢いが加速しみるみるうちに家が炎に包まれ崩れていく。ダンは人の状態に戻っても変わらぬその大きい体で桶一杯の水と井戸から汲んできていた。
「クレア! クレア!!」
疲弊しながらも心配する父親がクレアに声をかけると、小さくその目を開いた。
「お……とう……さん?」
「クレア。よかった……よかった……」
クレアとおばあさん、二人とも生きているのを確認する。
「あーあ。こりゃ、修理どころじゃないな。ま、いっか。また一から作れば」
ダンがそういいながらクレアの父親に視線を送る。父親は安堵しながら「そうだな」という笑顔でそれに応えた。そして父親がクレアを背負い、ダンがおばあさんを背負い、家へと帰っていく。
しばらくすると背中にいるクレアが耳元で必死に話しかけてきた。
「お父さん。私、怖い夢を見ていたの……」
「ああ。今は無理をしなくていいよ」
クレアは覚えているうちに話そうと必死に続ける。言葉にしておかないと記憶から消えてしまいそうだから。
「うん……。炎の中で……炎に包まれてすごく苦しい夢」
「ああ」
「死ぬかと思ったの」
「……」
「それで、わからないけど……お母さんにも会った気がする」
「そうか」
「苦しい炎が……段々白い明るい光になって……」
「うん」
「私……死ぬのかなって。でも、死んだらお母さんに……会えるのかなって」
父親はその言葉を聞いてクレアの手を握った。想いのこもった暖かく強い手だ。
「でもね……そしたら今度はお父さんと離れちゃう。そしたら……」
「うん」
「そしたら……お母さんがね『ちゃんとこの世で生きてるから安心しなさい』って」
「……」
「『いつも見てるから、感じてるから、愛してるから』……」
クレアは消えていく夢の記憶を必死に拾って話していた。
「『愛してるから信じて進みなさい』って。ねぇ? お母さんはどうして死んだの? 私のせい?」
父親はその言葉をきいて涙を流した。それはクレアも同じでずっと聞きたかったことだ。二人とも震える声の中、互いに泣いていることを悟られないようにしていた。
「違うよ、クレア。お母さんはねクレアが生まれてくるから頑張れたんだよ
クレアが生まれるまで絶対に死なないって
苦しいのに毎日笑顔で、お父さんを笑わせようとするんだ
お父さんだってお母さんを笑わせたいのに
お母さんは優しい人だった」
「うん」
「お母さんはね、クレアのせいで死んだんじゃない。
クレアのおかげでがんばれたんだ。
お前の顔を見るために、必死に生きたんだよ。
お父さんも一緒に、お腹の中のクレアと三人で。
クレアがいたからあそこまで頑張れたんだよ」
「……」
父親の背中に抱き着くクレアはそのまま父親に埋もれるように強く抱きしめる。
「それにね。お母さんはこの世界でちゃんと生きてる。だからお前の夢の中にも出てこられたんだ」
「うん。すごくきれいだった。もう、思い出せないけど。わかるの」
「そうか」
「すごく。優しくて、暖かかった」
■ 獣人→(半獣化)※あまりいない→獣化 ダンの場合は人の時の2倍くらい。おっきい猫! バスまではいきません




