34 幼少期⑥ 8歳 おかあさん①
夕暮れ時の森の中はすでに薄暗い。暖かくもどこか儚い太陽の光は森の奥深くまでは入らない。それとは逆に森の中からは木の隙間から見える夕日と空が色のアクセントとなり、美しい光景が広がる。
八歳の誕生日プレゼントを貰ったばかりのクレア。母親の形見のペンダントは今の彼女にとって少し長い。彼女は服の下に隠したそれを握りしめるたびに嬉しさを抱き、溢れんばかりの喜びをおばあさんにも伝えようとしていた。
太い木の枝と使い慣れた崖の石を使いあっという間に崖を降りる。地面直前で大きな猪の背をクッション代わりにして着地する。
「あ! ごめんね!」
大きい猪も特に気にすることなく自分の生活に戻る。八歳の彼女の体重など子猪に比べたら大したことない。その後も、いつも同じ場所にいる大きなヤク。クレアがくると膝を折って地面に座りいつも使うように背中を提供する。クレアはジャンプして飛び乗り、
「ちょっと借りるね!」
そう声をかけ少し小高い場所へと飛び移る。ヤクは軽く尻尾を振り応える。その道なき道はやがて木の枝を飛び、走る空中通路へと変わる。枝の一本一本が太く頑丈でその上をトントンと走るように飛び移る。
「あはは。またね」
いつの間にか一緒に移動するのはここら辺に住む尻尾の長いサルたちだ。いつもクレアと勝負する。初めこそ負けた者の今では、クレアの方が早くなっていた。
その空中通路は端が崖になって終わっている。その木まで来るとクレアはそのまま空中へと飛び出した。そして、美しい夕日とその空を全身で味わった。
なんてキレイ……
落下する中、クレアは腰から取り出しておいた専用の道具を使い、崖から森の中へと続いている傾斜の続くロープに乗り移る。崖の下は大きい泉で、何度もエレノアと飛び込んで遊んだ場所。実は、何度か失敗して落ちたことがある。その時はびしょ濡れのままおばあさんの家まで行くこととなった。
少し前までは父親とちゃんとした道を数時間かけ向かっていた森のおばあさんの家。今では数十分で辿り着いていた。彼女にとっては森の全てが道。真っすぐ、最短で向かうだけだ。
「おばあさん!」
突然の訪問者におばあさんは驚いたが、すぐに笑顔へと変わった。多少息を切らしていたがクレアが笑顔いっぱいに玄関を開けてきたからだ。
台所でお湯を沸かしていたおばあさんは火を止め、クレアの元へやってくる。
「おやまぁ、いらっしゃいクレア」
「――。 あのね! 今日、私、誕生日でこれを貰ったの!」
「はっはっは。おやまぁ、すごくきれいなペンダントだね。お母さんの形見だね」
「うん! すごくきれい」
「それはよかった喜んでもらえて。お母さんもきっと嬉しいだろうね。よかったねぇ、クレア」
「えへへ――」
呼吸を整えながらしゃべり、最後は照れながらおばあさんに抱き着いて挨拶をする。
「おやまぁ。八歳だね。おめでとうクレア」
「ありがとう。おばあさん」
「いいのかい? お父さんと一緒じゃなくて」
「うん。だってお父さんとはもうずっとお誕生日を一緒に過ごしたもの。それにね」
「うんうん」
「私は八歳に成ったの。つまり」
「つまり?」
「これからは大人の女性になっていくっていう事よ」
「はっはっは」
「だから、今日の誕生日はおばあさんと一緒に過ごすの。それにお母さんも一緒。お父さんは抜きで女性だけの誕生日よ」
手で支え持ち、顔の前にかざしたペンダントがクレアのその言葉の意味を表していた。
「はっはっは。こりゃ大変だ。じゃぁ、何か……」
おばあさんがそんな日にふさわしい食べ物は何かないかと探していると大きな鏡の前でクレアがペンダントを胸の前に出して女の子らしい顔をしている。それに気づいたおばあさんが、
「クレア。ペンダントがちょっと長くないかい? 切ってあげようか?」
クレがおばあさんの方へ振り向き笑顔で応える。
「ううん。いいのこの長さで。だって、これはお母さんが使ってたって」
「そうだねぇ」
「つまりね……これがお母さんのサイズ。私にはまだ大きいけど、きっとね。きっと……この長さがちょうどいい日が来るもの。だからこのままでいい。それまでお母さんを、お母さんの大きさを感じられるもの――」
言い切る頃にはクレアの目に涙があふれていた。突然に訪れた母親の存在と温もり。
昔はよくお父さんに「私のお母さんは~」と聞いていた。しかしクレアは成長するにつれ母親のことを父親に聞くことを控えていた。悟られないように明るく振舞っても、父親が抱く寂しさを感じてしまうからだ。ずっと我慢してきた……
クレアはまるで母親にするかのように、母親の代わりに、母親がそこにいるかのようにおばあさんに抱き着くと静かに泣いた。
「ほんとにいい子だね。クレアは……なんて優しい子」
おばあさんはクレアをなだめているとその異変にすぐ気が付いた。クレアはいつの間にか弱く荒い吐息で体を熱くしていたのだ。顔は赤く、汗ばみ、喋れないほどになっていく。おばあさんはクレアをベッドに寝かせると台所にある『双子のベル』を鳴らした。
同じころ、家に残った父親は台所でリッカー&ミートラベルのお酒を嗜んでいた。クレアとエレノアが夢中になっている本を読んでいると、同じく『双子のベル』が鳴る。父親は立ち上がりそのベルを鳴らし返した。
それはクレアが無事におばあさんの家に着いたという合図。それを聞いたという返事。父親は本の続きを読み始めると、その日は静かな家の中、一人で眠りについた。。
しかしクレアは次の日も、その次の日も帰ってこなかった。
■ 双子のベル 多少なら離れていても同時になる二つのベル。ある街の魔女が作る。貴重で人気。




