32 幼少期④ 5歳 森の中のおばあさん 後編
クレアはおばあさんのする話が大好きだった。父親が柔らかいベッドの横で寝る前に話してくれる物語も好きだったが、おばあさんの話はどこか違っていた。まるで頭の中の靄を晴らしてくれるようで気持ちのいいものだった。
夕暮れまではまだ時間のある午後の陽射し。揺れる木の枝からは、大きく広く見える空よりも若干その色に暗さを感じる。頬に当たる心地よい風と微かに揺れる座り心地。そんな揺り椅子でクレアを抱えたおばあさんが話を始める――
この世界の森には魔女がいます
彼女達は森を暗くし
迷い込んだ人々を襲いました
その眼は光を放つことなく
その体は闇夜で溶けて消えます
いつしか、闇の魔女と呼ばれました
闇の魔女がいる森はすぐにわかります
昼間なのに青暗く
夏なのに肌寒く
夜なのに月の光が届きません
ある時、村の若者が魔女を殺しました
喜んでいた村人はすぐに後悔します
なんと、翌日にはその村の若い娘が
魔女として生まれかわったのです
やがてそれは世界に広がります
せっかく闇の魔女を殺しても
必ず誰かが魔女になってしまう
そうこうして
何百何千何万もの年月が流れました
人々のいなくなった森
人々の少なくなった町の周辺の森
そういったところで異変が起こります
魔女の目が闇夜で輝くようになりました
その色はとても綺麗でした
どの魔女も眼の色が違います
そして何より、優しくなったのです
光の魔女は周囲の人々にとって
助けとなりました
時に痛みを取り除き
時に恵みを与えてくれます
長い時間をかけ森を守った闇の魔女
今はだいぶ減ったと言われます
しかしそれは人々も同じです
人は増えれば同じことを繰り返す
森を、山を、川を汚せば
また魔女がやってきます
その時に彼女の眼が光ることはないでしょう
「どうだい? クレアちゃんはこわかったかい?」
「んーん」
「そうかい。そうかい」
「あのね、おばあさん。昔、人間が一緒に森を守ってたらどうなってたのかな?」
「どうだろうねぇ」
「私ここの森が好き。ここが壊されたら私だっておこるもん」
「はっはっは。じゃぁ、クレアちゃんは闇の魔女かな?」
「そう。悪い人を追い出すの。それならおばあさんは光の魔女ね」
「あら? どうしてかな?」
「だって、今もすごく眼が綺麗だから」
おばあさんの上で振り向くクレア。夕暮れ前で太陽が地平線に近くその光が木の幹の間を通り抜けて二人を照らす。おばあさんの綺麗な瞳を見つめながら笑顔で言った。
「はっはっは」
「それにおばあさんと居ると、お父さんと居るときと一緒」
「どういうことかな?」
「お父さんと手を繋いでるとね、なんだか負けない気がするの。でもね、おばあさんと一緒に居ると皆が大好きになってすごい暖かい気持ちになるの」
「それはまた――」
「木も草も、花も虫も、空も土も動物も人も――。きっと魔女だってそうよ」
「はっはっは。いい子だね」
そう言いながら椅子を揺らすと、クレアはしばらくおばあさんの上で目を瞑りいつもの夢を見た。昔、父親が話してくれたお話を。
しばらくして日が沈むころになると父親が魚を手に二人の元へ戻って来た。三人は大きくて白い身の焼き魚にノラから貰ったソースをかけ、美味しい幸せの時間を今日も過ごす。
翌日になると、クレアと父親は自分たちの家へと帰った。
「おばあさん。また来るね! すぐに一人で来れるようになるから!」
「ははは。お父さんは留守番かな?」
そんなクレアの意気込みは六歳になった頃から現実のものとなる。まずは父親に抱えられることなく数時間の道のりを歩けるようになると、その足は少しずつ長く早く走れるようになった。普段からエレノアと森の中を走り回っていたこともあり、いつしかクレアと父親のかけっこの勝負へと発展する。
森のおばあさんは、その結果を見届けるのが楽しみになりよく外の揺り椅子に座っていることが多くなった。父親に勝てなくても、片道の時間がかなり短縮されたクレアはより頻繁におばあさんの元へと訪れる。
「今日こそ負けないから!」
「ははは。お父さんだってまだ負けるわけにはいかないからね」
「絶対に手加減したらダメだからね」
「もちろんさ。お父さんは勝つための作戦は試さないと気が済まないからね」
「もう。この前みたいな動物はなしよ」
「せっかく用意しておいたのに。残念だ」
「へっへーんだ。新ルールねお父さん」
「そうか、わかった。ルール追加だね。クレア」
「「動物には乗らない」」
森の中を風に押されるかのように、まるで地面が後押しするかのように駆け巡るクレアが父親に勝つ日はそう遠くなかった。この後も「ウサギを一匹捕まえる」、「魚を一匹捕まえる」などというルールの元、クレアは弓の腕をあげながら、頻繁におばあさんの元へと赴いた。




