3 何もない森③ 鬼ごっこ
会話を試みるために隠れていた木の陰から立ち上がったのはいい。そのせいで今は気まずい雰囲気になっている。油断して踏んだ足元の枝が折れ、音が鳴り響いてしまった。お互い一言だけ発して静止している。実際は数秒だったがずいぶんとゆっくり、長い時間、目を合わせた気がした。
旅人は気まずそうな顔で少しずつ木の陰に戻っていった。
そのままゆっくりと元の場所へ。
何事もなかったかのように。
大男は「なんだ?」という面持ちでのそっと立ち上がる。少しだけ体を傾けると、その場から足を動かさないようにしながら旅人が隠れた木の裏を見ようとする。同じく様子を見ていた旅人と目が合う。旅人はなけなしの笑顔で応えるが大男は、
「オアエヤエアアアアア!」
大男が叫ぶ。
だよなぁ……失敗したなぁ。まずは落ち着かせるか
大男は両足でジャンプして地団駄を踏んだ。そして叫ぶ。ふぅ、ふぅと息を荒くしてしばらく旅人を黙って見ていた。途中で自分の両手をみて何かに気づいたようだ。ゆっくりと四つん這いに戻った。旅人はその様子を見ていたが、
なんでまた四つん這いに? ジャイアントは生い立ちや扱いから低い知性のまま育つというが……仲間が来る前に落ち着かせなければ。
旅人は戸惑った。大きな男が獣を演じてるのか、獣だと思い込んでるのかわからない。
大男は四つん這いの状態から、まるで猛牛のように後ろ脚で地面を蹴りあげている。足元の折れた枝や草や土が空中に舞う。仲間の命令なのだろう。「獣のフリをしろ」という指示をこうして守っているのだと判断する。従順さは褒められるのだが、融通が利かないこともある。それがジャイアントだ。
「ウウゥー」
「待て、話を聞け! 聞きたいことがあるだけだ。あ、おいっ、おい!」
大男は旅人が対話を望むも、それを拒否するかのように走り出した。しかし、獣のフリをした大男の突進を避けるのは簡単だった。
「おいおいおい! 話を聞けって! っていうか、話はできるのか? できるよな? な?」
「ア”-」
旅人は前に出した両手で大男をなだめようとするが、そんなのお構いなしでさらに突っ込んできた。大男は突進を避けられ、勢い止まらず転がり、木へとぶつかっていた。思い通りにいかないことに苛立ち、旅人の声などもう耳に届いていなかった。
もう一度、突進するために四つん這いになる。フー! フー! っと溜め込むような大きな鼻息で準備をしている。しかし、3回目の溜め込みの際、強張った顔が途中で変わった。一瞬、「あ」という感じで真顔になった大男は、余裕そうに何かを言っている旅人に顔を向けニヤリとした。
「おい。なんでニヤつくんだ? 見ろ、両手とも、ほら、武器なんて握ってないだろ? だからなんでニヤニヤしてるんだ? うおおぉ」
大男が大きく息を吸い、今までにない速さでこちらへ走ってきた。今度は、立ち上がりしっかりと二足で走ってきた。四足の時よりは大分早くなったが、それでも手足に小岩と枝で作ったサンダルを履いているのだから、本来の速度は出ない。
始めこそ焦ったものの、旅人は難なく避け続ける。
さすがに、四つん這いのままこちらへ来るほど馬鹿じゃないか! まぁ、何か奇策があるのかと思ったら、"それだけ"か。ちょっと笑えるな
大男が最初にいた開けた場所以外は木が密集しているため、突進や攻撃を避けるのは簡単だった。さらに大男には戦闘技術がなく回避に専念することができた。捕まれば、武器を持っていれば、戦場であれば脅威となる力を持っているのは確かだ。しかし大男には掴む指さえない状態だ。鬼ごっこもすぐに、誰が見ても勝敗が明らかな状態へと落ち着いていた。
木に凭れながらも旅人を追いかけ続ける大男。
「おい、もうやめとけって。熱いだろ? 休めよ。話をしよう」
肩で息をしながら、木から木へと歩くだけで精一杯になった大男。
「なぁ? 大丈夫か? とりあえず戻ろう?」
行くわけないのに手招く大男。両手でガシガシする。
「いや、行かないから。何をする気だ?」
そんなやりとりをするうちにお男はあきらめ、疲れ切った歩きで元いた場所に戻り座り込んだ。顔をあげ大口を開けて息を始めたところで、旅人が大男に声をかける。
「危害を加える気はない。いい加減に落ち着け。話はできるか?」
大男が目を瞑ったまま苦しそうな顔でうなずいた。
「よし。暴れないと約束するなら、その手足のものをとってやるが?」
大男が目を見開き何度も嬉しそうにうなずいた。
「いいか? 約束だぞ?」
旅人は、汗をかき肩で息をしている大男の手足についている物を外してやる。剣をしまい、近くに置いてあった水筒の蓋を開けると彼に渡した。仲間が用意したものなんだろうが、そもそも手があの状態では開けられなかったのだろう。嬉しそうに全部飲み干してしまった。
「アイアオ」
「話ができる連れはいるか?」
大男は指差しをしながら答える。
「アイジャ、アイジャー。オエ、オオ。オエ、ォォ、アイジャ……」
最後は心配している人が出す声だった。オエ、オオと言っているときは自分を指さし、次いで地面を指差したのでなんとなく言いたいことは分かった。
「アイジャっていうのが大切な人なんだろう? 向こうか? 心配なんだな? 見てくるからここで休んでろ」
「アイアオ」
旅人は大男が指さした方向を目指し歩いて行く。少しだけ下り坂になっている森をさらに奥に進みしばらく経つが誰も見当たらなかった。
仲間に何かあったのだろうか?
旅人は心配になりベルトの鈴に手を当てたが音は出なかった。大男の仲間を探しに来る途中、とくに今いる場所の近くでは地面に刺さった矢を見かけた。木の低い位置、根本近くにも何本か刺さっていたがそのどれにも毒を使用した形跡はなかった。
きっとウサギを追いかけていたのだろう
矢の刺さった角度や高さから仲間の身長はなんとなくわかっていた。とはいえ、見つからない。
「おーい。誰かいないか? 向こうでお前の連れに頼まれてきたんだ! 困っているなら手伝うぞ」
旅人は周囲を見回しながら大声で呼びかけた。
頭上では、片手にナイフを持った人物が旅人を観察していた。
■ 笑顔の可愛い大男