19 終わりの始まり④ 俺の名はカッソ
上空にあるエルフの郷から先遣隊として森に降り立った三人。シルヴェール、シエナ、カッソは旅人のいる泉の近くまで迫っていた。
旅人が目覚めた時は彼らが休憩をしたため、わずかだがいつも通り朝を迎えることができた――
「あぁ。これで最後かぁ。思い返すと短く感じるな」
旅人は背伸びをしながら歩いて洞窟から出る。いつものように泉で顔を洗い、傍の木へと腰掛ける。すぐに彼女が来る時間だが、今日は準備もあるかもしれない。気長に待つつもりで最後になる景色を味わっていた。しかしそこではいつもの様子はなく、ただ静かな時間が過ぎるだけだった。
そろそろ、皆が集まってくるはずなんだが……
長い間待ったが、唯一サルだけがやってきた。小さいサルだが、今朝は一段と小さく感じた。昨日までとは様子が違い、恐る恐る旅人の傍へ近づいてくる。旅人と自分の周囲を警戒しつつ、近づいてくる。距離を置き、怯えながら、最終的には懐に飛び込んできた。そして服をギュッと掴むと丸くなる。
「おい? どうした? そんなに俺が恋しかったのか? 何に怯えているんだ?」
「キィィ」
とても静かな森。鳥も飛ばず。鳴き声も聞こえない。微かに木々が揺れる音だけが聞こえる。その音の中に近づく足音が混じっているのに気づく。とても小さく、旅人のいる場所からではそれが何なのかは確認できなかった。傍にある木剣を手に取り、サルを抱えたまま立ち上がる旅人。
「シエナの言う通り、人間だったね」
「はい」
少し離れたところから出てきたのは二人のエルフだった。彼女のように顔を隠しては居なかった。
男のエルフは短髪で若く見え、腰には剣を携えている。シエナと呼ばれた女のエルフは長く赤い髪で前髪を目のあたりでパッツリ切っている。両手で細く長い杖を握っているとても綺麗な女の子だ。
男はその様子から察した。顔を隠さずに現れるってことは、『何もない』と言うようになるか、『何も言えなくなる』かのどちらかだと。抱きかかえた小さなサルが旅人に強く抱き着く。そしてシエナが話す、
「どうしましょう? どこまで知ってるんでしょうね」
「あれ? あの手に持っているのは、訓練所の木剣じゃないかな?」
「あら? 盗人かしら? イヤラしい」
「いや、入れるわけがない。持ってきた人がいるんじゃないかな。ここで誰かと会っているのか? ってことは、あの人間が持っているのは情報になるのかな? シエナ」
「はい。シルヴェール様。生で出しちゃダメですよ」
シエナの表情が変わる。何かを囁き杖を大きく振り回すと周囲で強風が巻きあがった。木や葉っぱが揺れる音がする。剣を構え警戒する旅人。それに便乗して隠れていた一人の男カッソが旅人の頭上から奇襲を仕掛ける。旅人はシエナの大げさな動き、強い風、木々の音でカッソには気づかない――はずだった……
――グッ!!
頭上から現れたカッソを蹴り飛ばす旅人。吹き飛ばされ草の上を滑るカッソは腹を押さえそのまま立てなかった。旅人は右手で剣を振り下ろすと半身でシエナとシルヴェールの二人を見る。二人は驚いた顔をしていた。
「これは失礼。彼は奇襲が好きなんです」
「シルヴェール様? 人間に私たちの言葉は通じませんよ……」
「そうだった。カッソ、大丈夫ですか!?」
「クソ。いってぇ。ちょっと動くのは無理そうだ。汚いサルを抱えたままやられるとはな。恥ずかしいぜ」
それを聞いた旅人はカッソの方へと近づいていく。吹き飛ばされ時に短剣を落としてしまったカッソは、木剣とはいえ近づいてくる旅人に恐怖し、逃げようとしたが腹部の痛みで帰って倒れ込んだ。怒った表情の旅人が胸倉を掴みカッソにささやく。
「俺の女を馬鹿にするんじゃねぇ」
「おまっ、ことブァッ――」
喋り切る前にグーで殴るとカッソは気絶した。サルがその上に飛び乗る。旅人はその手を離し二人の方へ振り替える。シルヴェールが歩いて旅人に近づく。5メートル程までくると立ち止まり腰に携えた剣を抜く。
「すみませんね、人間さん。命令なので。その魂がまた望む形で育まれるようにせめてお祈りはしますので」
「シルヴェール様、優しいですね!」
旅人に斬りかかるシルヴェール。その剣は早く正確だったが、まだ荒さが残っていた。狡猾さに欠け、気持ちのいい太刀筋で将来有望だと感じた。旅人はその剣を避け、木剣でいなし、腕や体を利用し振らせなかった。その様子にシエナは恐怖と同時に、感動さえ覚えていた。
「すごい……」
「はぁはぁ――せい! は! たぁ!!」
最後はシルヴェールの突きを避け、その手から剣を外す。空中で舞うシルヴェールの剣を一瞬で奪いその喉に突き付けた。その華麗さに本人もシエナも驚いていた。
旅人が奪った剣を放り投げると、それはシエナの横の地面に落ちた。シルヴェールはまるで歯が立たないことに悔しさを感じると同時に、新しい闘いに喜びを感じていた。
「シルヴェール様!」
シエナが呼びかけると、シルヴェールは傍まで戻って剣を拾う。切らした息を元に戻す。しばらく黙っている。背中からシエナが回復促進の魔法で援護する。
「あいつ、エルフの匂いがする。人間だけど、微かにエルフの匂いがあるんだ。それに強い。本気で行かないと」
「気を付けてくださいね」
本当はわかる二人の会話を黙って聞いていた旅人。エルフの言葉が分からないと踏んで勝手に喋ってくれるのは助かった。シルヴェールが剣を鞘に収め、旅人の数メートル前まで来ると腰を落とし、剣に手を添える。旅人は、距離があるとはいえ迎撃の準備をする。すぅーっとリラックスをし、シルヴェールを見つめた。リラックスした状態の旅人を見たシエナからはなぜか不安が消えなかった。
「俺の本気だ。貴方みたいな人と闘えて良かったです」
――ッシ! っという呼吸と共に足元の草が吹き飛ぶ。
シルヴェールは一瞬で間合いを詰め、右手で振り切った剣は旅人の首を刎ねる。
シエナが、ドン! とう鈍い音を聞いた時は、首が落ちる音だろうと思った。シルヴェールが邪魔で旅人がどうなったか見えないが、きっと首から上がないからだろうと――
「カハッ……げろ、シエナ」
倒れたシルヴェールの死角から現れたのは、剣を避け、腰を低くした状態の旅人だ。木剣の柄でシルヴェールの腹を打ち気絶させた。シルヴェールの剣はその衝撃で手から離れ、傍の木へと刺さっていた。シエナは自分だけが残されたことに恐怖する。
「ひっ」
必死で自分に防護魔法を使うが、混乱状態にある彼女は容量を間違え暴走し、魔力が尽きるとそのまま気絶した。旅人はその様子に驚いた。サルがカッソからロープを持ってきた。元々は旅人に対して使うはずだったが今は三人を捕らえるのに役立っている。木を利用してシルヴェール、カッソ、シエナの順番で縛り付けた。
最初に目を覚ましたのはカッソだった。
「いってぇ。このクソざる!! ぐ。寄るな。汚い」
旅人がカッソを殴るとまたそのまま静かになった。その騒ぎに気付いて起きたのがシエナだ。自分が起きた瞬間、その横でカッソが殴られるの見てその野蛮さに恐怖する。それが一発目だったのかも分からない。しかも縛られている状態に気づき股間から生暖かい物が流れることに気づいた。自分も同じ目に遭うのだと思うと震えが止まらなかった。サルがその匂いに最初に気づいた。そして、旅人も気づく。
「おいおい。大丈夫か? ちょっとまってろ」
そういうと、泉から水を汲んできて女に浴びせる。三人とも繋がっているので隣にいたカッソも濡れる。
「これで大丈夫だろ。恥ずかしいからな。なんだったらクッソのせいすればいいさ」
旅人が話しかけると、シエナが恥ずかしそうにお礼をいう。
「ありがとう……。――!? 貴方、言葉!」
「ああ。わかるよ。勝手にお前らが思い込んでただけでな」
「なんで!? なんで私たちの言葉をしゃべれるのよ!?」
「んー。ひ・み・つ。お互い、君にもあるだろ?」
そういうと、シエナの股間でサルが鳴く。シエナは無言で頷くと、はっとした様子でシルヴェールを探す。カッソを挟んで反対側にいるのを確認すると安心し安堵の溜息をついた。旅人が話す、
「えっと、シエナ、それとシルヴェールと、クッソ。どうして俺を襲ったんだ?」
「貴方が人間だからよ。しかも、エルフの物を持ってて、匂いもする。今となっては言葉すら話す。外に出すわけにはいかないから」
「今日、出発するってなんで知ってる?」
「出発? なんのこと? そうだったのなら運が悪かったわね。私たちは魔女の気配を感じて森を調べに来ただけ。そして、見つけたのは貴方ってわけ」
どうやら彼女とは関係ないのか?
「魔女の気配?」
「そうよ。昨晩、一瞬だけ現れたの。でも、そのあとは……それで調査してるの。貴方、何か知らない? 教えてくれたら見逃してあげる」
「この状態で、よく言えるなぁ」
「シエナのいう事はあながち間違っていないですよ」
目を覚ましたシルヴェールが二人の会話に混ざってくる。旅人がエルフの言葉を喋っていることに感心はしていたが、すでにシエナが普通に会話していた為、あえて何も言わなかった。そして続ける、
「僕たちは先遣隊です。調査し、報告。一度現れて消えた魔女が、もしここにいたなら撤退し再編成する予定だったんですが、そうでない場合は……まぁ、ご存知ですよね。負けましたけど」
「じゃぁ、このあと別のやつらがやってくるのか?」
「シエナが暴走でもしてなければ、すぐは見つかりませんが――」
旅人とシエナが目を合わせる。屈託のない笑顔を作り応えるシエナだったが、その顔はすぐに落ち込む。その様子に気づくとシルヴェールが「ああ、やっぱり」と頷く。
「貴方がここで何をしているのかは知りませんが、死にたくないのならすぐに逃げることをお勧めしますね。貴方は強い。人間のことを甘く見ていた俺もまだまだだけど――。それでも、次は数が多いでしょうし、団長が来たらさすがに勝てませんよ」
「団長?」
「はい。リードレ団長です。俺のさっきの技はあの人から教わりましたが、段違いですよ。瞬きをするごとに敵が減っていきますから」
「お前のもすごかったけどな。危なかったぜ」
旅人はリードレという名前を思い出した。彼女と剣を交えた時に出た名前だ。
「ははは。初見で破られるとは思いませんでしたが。とにかく死にたくないなら――」
「悪いな。俺はここで約束があるから。動くわけにはいかないんだ」
頭を掻きながら説明する。シルヴェールの飛んで行った剣を樹から抜こうとする。その刺さった深さが威力を物語っていた。それは一重に速度だけではなく、魔法を上乗せした一撃によるものだった。
「ったく。どんだけ、深く、んぎぎぎぎ!」
二人の前で格好良く片手で引き抜こうとしてたが、最後には剣を両手で掴み、木の幹に両足をつけ踏ん張って抜くと、そのまま地面に落ちる。何事もなかったのようにスクっと立ち上がると三人の傍の岩に座り込む。シルヴェールが旅人に、
「はは。その剣を使ってください。振るごとに、風を斬る毎に速くなるいい剣ですよ」
「わかった。ちょっと借りるな!」
「いやよ、わたし。人間にシルヴェール様の剣を使わせるなんて。絶対いや」
「ところで、貴方の名前は? きっと外の世界では名のある方なんでしょうね。俺はシルヴェール。まだ修行中ですが、いずれ貴方も越えますよ。まぁ、生き残れればですが」
「んー」
「シルヴェール様が名乗ったうえに、教えろって言ってるのよ? 名乗りなさいよ」
腕組をした旅人は悩みながら言う。
「シルヴェール二号」
「はぁ?! ちょっ、はぁ!?」
シエナが怒って襲い掛かろうとするが縄が邪魔で動けない。シルヴェールの剣を握り始めてからずっとけんか腰だ。
「だって、お前ら名前を教えたら追いかけてきそうだから。いいんんだよ。シルヴェール二号。あ、シルヴェール一号のほうがいいかな?」
「貴方何を言ってるの? そもそも一号はここにいるでしょ! 一号は名乗らせないわよ」
「まぁまぁ。シエナ。彼は俺たちの命も握ってるんだよ? 落ち着いて」
シルヴェールがなだめると、自分の置かれた状況を思い出したシエナが、黙って膝を自分の胸に寄せて縮こまった。シルヴェールはふと考える。この旅人と団長が戦ったらどうなるんだろうと――