16 終わりの始まり① エルフの郷
昼下がり、晴れた空、泉の前で踏ん張る旅人。
「んぎぎぎぎぎぎ――」
「もう少しよ! がんばって!」
旅人は肩ほどに広げた足で踏ん張り、両肘を曲げて拳を顔の高さまで上げ、歯を食いしばり、サルが投げつける木の実を顔で受け止めている。彼女は旅人の近くで声援を送っている。場所は泉の傍、芯が空洞になっている倒れ樹に腰掛けていた。横のサルは木の実を旅人に向かって投げ続ける。
「んぎぎぎぎぎ!」
旅人の顔は、木の実のせいでたくさんの色に染まっている。木の実を投げつけられるたびに目を瞑り、歯を食いしばり唸っていた。
――ペチャ
「ああ! お前、これ、腐ってるだろう? わざとだな」
知らんぷりをするサルは、傍に置いてある旅人の服で手を拭く。汚れないように脱いだのに、結局は汚されてしまった。その様子を見て、笑う彼女がまた可愛いと見惚れている。
「もう。あのね、もっとリラックスして。こう! すーっと、それでフッとするの」
ああ、彼女の説明は絶望的だな。全くもって、わからない――
「あの、もうちょっと説明を分かりやすく……」
今二人がしているのは、彼女が旅人に与えた加護の使い方の練習だった。彼女は空間の中の物体の時間と速度を遅らせることができた。範囲は広げるほどに、そして遠いほどに通常の速度に近くなる。その中では彼女に近いほどその速度は遅くなり、手が届くほどの距離まで来るとほとんど止まっているかのようだった。
「んー。じゃぁ、力を抜いてて。私が使うから、よく感じてね」
「ああ、わかった……感じるって?」
彼女がお願いすると、サルがまた木の実を一つ、旅人に向かって投げる。サルの横にいる彼女がその能力を使う。加護により、彼女の空間の中でも普通に動けるようになった旅人だが、この奇妙な感覚にはまだ慣れていなかった。
旅人はゆっくりと飛んでくる木の実を、二本の指で掴み口に入れる。そして、彼女が元に戻す。サルは、木のみが消えたことに驚いている。
「どう? 感じた? すぅーっとした感じ。なんか、フッとしたでしょ? ね?」
「んー……。何となく? というか、説明がわかりにくいんだよなぁ。もうちょっと、こう、腹に力を入れるとか、きっかけを教えてくれないかなぁ」
サルと彼女が目を合わせる。
「練習あるのみね」
「キ」
「そいっ!」
投げつけられた木の実を普通に避ける旅人。
「あ、ずるい!」
「へっへーんだ! 避けながらでもいいんじゃないか?」
サルがどんどんと木の実を投げ、それを避ける。彼女は座っている倒れ樹から腰を上げ、旅人のほうへ近づいて行く。彼の肩を掴むと座るようにプレッシャーをかける。旅人もそれに気づいて、腰を下ろした。
「じゃぁ、こういうのはどうかしら?」
ああ、座ってれば避けられないってね。今度は、手で掴むさ
旅人がそう考えていたのも束の間。彼女が手を添えた地面はあっという間に盛り上がる。旅人の首から上だけを出した状態で固めてしまった。嬉しそうに両手を合わせた彼女が旅人に言う。
「ね? これならばっちりだと思うの。避けられないから、必死になるでしょ? やればできるはずよ。貴方も言ってたじゃない? 『強い男は、ピンチな時ほどその真価を発揮する』って」
人差し指を挙げながら、彼女は旅人の真似をして言った。
「ちょっ。これはないって! 痛い、ちょっと、痛い。おま、そんなに連続で投げるなよ! ねぇ」
「キッ、キッ、キッ、キッ――」
「リラックスよ! リラァーーックス」
ああ、イテ。拷問だな、イテ。これは……。
そんなこんなで、増えた日課も含め、二人の楽しい時間は過ぎていく――
※
「やったぁ! 出来たわね! やった!」
「はぁはぁ、なんだこれ、すごい眩暈が――」
確かに加護を使い自身でも発動することには成功したが、それはわずかな時間だけだった。しかも、後半は息をギリギリまで止めた時のような感覚になり限界だと悟った。すぐに効果が切れ、今は頭痛と動悸が伴っている。
「ねぇ、大丈夫?」
「ああ。とりあえず、出してもらえるかな?」
「あ! そうね! うふふ、ごめんなさい」
土から出てきた旅人は、一瞬ふらついて彼女に凭れかかった。
「一緒に座りましょ」
旅人を支えながら、後ろにある木に腰を掛ける。
「これは、私じゃ治せないわ。傷じゃないし、きっと初めて使ったからだと思う。今日はもう、休みましょ」
「ああ。それにしても、君は毎回これに耐えてるのか?」
「私は、何も感じないわよ? で、どうだった? すぅーっときた?フッとした?」
うう。悔しい。こんなに説明が下手な彼女に同意しないといけないなんて……
「おっしゃる通りでした。すぅーっときたし、フッっとなりました。先生」
「でしょ?! よかった。私の説明はバッチリね!」
その笑顔が最高にかわいい。綺麗でかわいい。でも、笑顔のまま俺を土に埋めて、嬉しそうな顔で木の実を投げつけてくる君。これはどうかしら? と腐った木の実を選ぶ君。次からは先生を選ばねば!
旅人はそう心に決意した。
「あのね、私のコレは特別なの。貴方は加護で動けるし、使うこともできるけど……たぶん、慣れてきても連続で使わない方がいいと思う」
彼女の言う事は正しいと思った。今回、魔法も使ったことのない俺が、いきなり特異な力を使った反動は大きく、慣れたところでどうなるか。
「ああ、そうだね。気を付けるよ」
そのまま二人は夕暮れまで時間を過ごした。そして、別れの時間がやってくる。
「私、明日の為に、今日はこれで帰るわ」
「明日の為?」
「うん。あのね、明日……私、決めたの! 明日、出発しましょう?」
不意に訪れた出発の日時。少し戸惑ったが、彼女の眼を見て、旅人の胸の中へ最初に訪れたのは安堵だった。
「よし。じゃぁ、明日だ」
「よかったぁ! 嬉しい」
旅人に抱き着き、胸に顔をうずめる。そのまま旅人に言う。
「明日、ここで待っててね」
「ああ。君が来るまで、ここで待ってるよ」
……
二人は約束をして別れた。彼女がどこへ帰って、どこから来るのか。あまり気にしていなかった――
※
一方、そんな二人が分かれた少し後。日も暮れた別の場所。ドワーフとジャイアントがパチパチとなる焚火の前で、夕飯を食べていた。
「いやぁ、今日も見つからんかったのー! 大きいの」
「……」
「しっかし、川を下っても死体もなかったしのぉ! 大きいの」
「……」
「ここはちょっと小高いから。煙を見て戻ってくるんじゃないか? わはははは」
「……」
不貞腐れた顔で話を聞いている大きいの。
「そうだよな、夜じゃ見えないよなぁ。大き……ミート」
「アウア」
「ミート」
「イッガァ」
「……」
リッカーは手に持った酒を一気に飲み干すと、ミートを見つめる。ふぅっとため息をついて、旅人の残した荷物を見ると、その中から一つ取り出す。
「わしらに名前をくれて、あんなにいい男はいないよなぁ? お前も気に入ってるんだろう? 明日また、探しに行くか?」
「アウ」
リッカーは手に取った鈴を振る。
「まぁ、これが鳴らんうちは大丈夫だて。明日は、森の奥へ行ってみようか? 今日見つけた跡も気になるしな? お前さんが言う、ヤクに乗ったって説を信じないわけじゃないんだぞ? ミート」
「……」
ミートは無言で首を振った。今日の捜索では、川沿いにヤクの足跡があったのに気づいた。ミートがリッカーに、これを追ってみるのは? と提案してきたのだ。まぁ、手掛かりもないし、それもいいかと妥協してるところだった。
そして二人は、森の夜空、明日行くであろう森の奥の方を眺めていた。
「なぁ? 今日の星はやけにきれいだな?」
「アア?」
「だって、ほら、あんなにキラキラしてて、いろんな色があるぞ?」
「アウア!」
「なんだか、街の夜景を見ている気分だな。綺麗だな。わはは――」
そう話しているリッカーの手を取り、左右に振ると綺麗な景色に見惚れていたリッカーはその恐怖に気づいた。
――チリン チリン
手に持っている鈴。魔女の鈴が鳴ったのだ。そして、夜空だと思って見上げていたものは、見たこともないとても大きな街だった。
二人がいる場所からは、まだだいぶ遠かったが、それでもとてつもない大きさだとわかる街が、森の上空にあった。その街の光を、星だと勘違いしていたのだ。同時に二つの衝撃を受けたリッカー。慌てて立ち上がろうとしたが、驚きと恐怖でバランスを崩して後ろに倒れてしまった。
「ああっ!? ――、っつぅ。ワシが見たのは――」
起き上がり、再度その景色を確かめようとしたが、そこにはすでにいつもどおりの夜空が待っていた。目をパチパチとしたり、こすったりして、何度も確認するが、先ほど見た街を見つけることはできなかった。そして、拾った鈴もまた音が鳴らなかった。
「イッガア……」
「ああ、わしの錯覚か? だが、鈴は確かになったよな? あっちの方角だったよな?」
「アウ」
「うーむ……。今は、鳴らないし、明日はあっちの方角へいってみようかの? 向きはあっちで綺麗な音が鳴ってたよな? ミート」
「アウ」
「あいつ、何かに巻き込まれてなければいいんだが――」
そして二人は、翌朝に森のさらに奥へと向かうための準備をし、眠りについた。
※
リッカーとミートが、夜の森の上空に見たのは幻ではなく本物の空中都市だった。そこに住むのはエルフのみ。彼らは一度もこの街を出たことがない。きわめて純粋なエルフだった。
現在、外の世界、つまりこの郷以外に存在するエルフは、はるか昔にここから出て行った者たちの子孫にあたる。彼らは、郷を出てから後悔することになる。そして閉ざされた門が再び、彼らのために開かれることはなかった。
外に出たエルフはやがて、二つに分かれる。そのほとんどが、シティエルフと呼ばれる者達で、人間や獣人と一緒に住んでいる。もう一つが、ウッドエルフと呼ばれる者達で、森での暮らしと狩猟が中心になっていた。当初に比べたらその数は減る一方で、エルフの特色を色濃く受け継いだ者は現在ではほとんどが残っていない。特に、ウッドエルフは閉鎖的で数も少なかった。
今回、二人が森の上空に存在している大きい空中都市を目にすることが出来たのには、ある出来事が原因だった。それは二人が酒を飲み始める少し前の時間。
空中都市『エルフの郷』、とある部屋。
石台の上にはエルフの女性が一人、仰向けに寝ている。森で旅人と会っている女。朦朧とした目つきで天井を見つめていた。服はまとわず、生まれたばかりでまるで何物にも汚されていないような陶器のような肌をしている。
横には白衣を着た二人の男性のエルフが立っていた。1人は、背が高く、長い髪をそのまま降ろした見た目の若いエルフだ。もう一人はその助手で、中年の見た目に少し猫背で女のことを卑しい目つきで見ていた。
「最近、こいつはよく森へ行ってるそうだな」
「はいご主人様。そのようで……一体、何をしているのやら。」
ご主人様と呼ばれた若いエルフは、彼女の顔を見下ろながら、
「そうか――。 では、始めようか。妹よ」
そう言うと、彼女の腹の中へ両手を入れる。彼女が目を見開き呻き声をあげる中、猫背の助手は「ヒヒヒヒ」と笑っていた。