11 二人の時間② どうしても見たい!
「イタタタタタタ! ちがうちがう! ちがうって! 開けたいのは目だよ! ちょっ、おい!」
深く透き通った泉では彼女が水浴びをしている。美しく長い銀髪は水に濡れ、細く引き締まった体と柔らかく張りのある部分は濡れた肌のせいで光を反射し輝いている。
その間、旅人は目を開けようと色々試みた。しかし、どうやっても上がるのは眉毛と上唇だけだ。別に見せたくて歯をみせているわけじゃない。
指を使って瞼を上げようとしたし、手の腹を押し付けて上げようともした。逆に、指で目の下を引っ張リ下げたりもした。それを眺めていた小さなサルはウロウロしながらそれをずっと眺めていた。サルは旅人の顔によじ登り、一生懸命にその『顔芸』を手伝う。とりあえず唇の両端を小さな両手で目一杯上へと押し上げる。
「ちょ。え? お前、違うから。目だよ。目を開けたいんだよ」
二人はそれぞれ自分の目的のためにがんばった。がんばったが結局得られたのは――
「あははははは。あなたたち、何をしてるの? あはは」
すぐ目の前で聞こえる彼女の笑い声。旅人の上がらない瞼の先では泉から出て、そのままの恰好で歩いてきた彼女がおなかを抱えて笑っている。彼女は目尻を指でこすると――
「もう。だめじゃない。私の服を返して。悪い子」
太陽の光が彼女の一部の皮膚を透過しその内部で広がると耳や指にわずかに色味を帯せた。
彼女の声が座っている自分と同じ高さから聞こえる。すごく近く、同時に手に持っていた彼女の服が無くなる。旅人には何も見えないが状況を把握した。
「いやぁ、ちょっと顔の体操をね。笑顔の練習をしてたんだよ」
「あんなに面白い顔をできるのね。だめ、思い出したらまた――」
そう言われるとちょっと恥ずかしかったが、彼女が笑ってくれるのがすごく嬉しかった。
「うふふ。あ、ちょっと、まってて」
そう言って走っていく彼女の足音が聞こえる。音のする方へ顔を向け彼女を追いかける。いつの間にか自然と目が開くようになっていた。すでに服を着てしまった彼女の後ろ姿がわずかに見えたが、何かをとりに洞窟へ行ったようだ。
「これはまた明日に持ち越しだな」
「キキッ」
会話が通じているのかは疑問に思ったが、返事をしたサルが胡坐をかいた旅人の頭上に座る。手に木皿を持った彼女が、洞窟から戻ってくる。
泉のそば、苔の生えた大きな木、柔らかい根と地面。彼女は旅人の横に座ると、一緒に朝ごはんを食べ始める。時折、小さな動物が食べ物を運んできてくれる。そのたびに彼女はお礼を言い、それを聞いた動物も嬉しそうに帰っていった。
「あはは――。もう。二人はとても仲がいいのね。その子もあなたを気に入ってるみたいよ」
さっきの二人の状態が彼女のツボにはまったらしく、まだ思い出しては笑いを堪えていた。
「いやぁ。はずかしいな。ははは」
皿から木の実や果物を取って食べる。時折、頭の上のサルに分け与えたりしている。頭の上にいるおかげで、サルが欲しいときに動くからなんとなくわかった。とくに小さい葡萄が好きなようだった。皮はそのまま頭に積み重なるが、今はこの空間を壊したくなかったので特に気にしないようにしていた。細い体の割に彼女は手を止めずに朝食を食べている。
「ところで、君の使ってる魔法のことなんだけど‥‥‥」
「うん?」
「私の魔法がどうかしたの?」
「いや、杖がないのに詠唱も無しに魔法を使えるなんて、まるで魔女みたいだなって」
一度、全部飲み込んでからしばらく考えているようだった。
「詠唱? んー。呼びかけたりすることはあるけど。あっ! ていうことは、外では皆がそうしてるのかしら?」
結局、フードでまた顔が見えないがそれに関してはもう慣れてしまった。どこを見てて、どういう顔をしてるかはなぜかわかる。それに今は、膝が当たるくらい横に座ってる彼女の、姿と声としぐさで十分だった。
「ああ、そうだよ。詠唱無しで魔法が使えるのは、森の魔女と血統の魔女。血統の魔女、えぇと、つまり街の魔女はより強く安定させたり、精度を上げるために詠唱や杖を使うのが一般的かな。魔法使いに関しては杖や道具、術式が必須になるよ」
「血統の……えっと、街の? 森の魔女?」
「初めて聞くかい?」
「うん。魔女は本で読んだけど。種類があるの?」
「そうだね。街の魔女っていうのは、代々魔女の血を受け継いだ人達のこと。それで森の魔女と区別するのに『街の魔女』とか『血統の魔女』って呼ばれているよ」
「その街の魔女っていうのも本に書いてるように見た目がこわいのかしら?」
申し訳なさそうに彼女が問いかける。
「ははは。確かに森の魔女、特に闇の方は見た目が怖いなぁ。魔女が皆、人間から生まれるのは変わらない。でも、街の魔女はいたって見た目も中身も普通の女性だよ。魔女の子は魔女ってね」
「魔女の子は魔女?」
「そう! って、知らない?」
旅人は、これは話がいのある相手だな!と腕を組み覚悟をする。組んだ右手を解き、人差し指を立て話をつづける。
「そう。『魔女の子は魔女』。魔女の最初の子は健康な女の子が必ずうまれるんだよ。そして、その子は例外なく魔法を使えるんだ。と言っても、その後も女の子が生まれるんだけどね」
「あら。じゃぁ、外の世界は魔女だらけなの?」
「ははは。いやいや、一人目は必ず魔女だけど、二人目以降は普通の女の子だよ。まぁ、たまに何人か魔女の素質を持った子が生まれることもあるみたいだけど」
「男の子は生まれないの?」
「そうだな。魔女の息子ってのいうはまだ会ったことがないなぁ。それと魔女っていうのは皆、勉強が好きで落ち着いてて、のんびりしてて、なんていうかちょっと、独特なんだ」
その後も、魔女の違いや詠唱のことを話した。といっても、詠唱に関しては魔法が使えるわけではないので雰囲気だけしか伝えられなかった。彼女は「詠唱ねぇ」と呟く。
「ふうん。あっ、こういうことね!」
彼女は思いついたように、指を旅人の口の横に当て唱えた。
「顔の傷よ、痛みよ、この男から飛んでいけっ!」
顔芸を披露していた時、サルに色々されて赤くなっていた所を彼女の魔法が癒してくれた。たしかに、詠唱というか――
「ね?」
「ははは。それじゃおまじないだよ。まぁ、今までで一番の魔法なのは確かだけど」
彼女は不服そうな顔をしている。
「その、答えなくてもいいんだが‥‥‥」
「何かしら? なんでもお答えしますよ?」
フードに入った顔を傾げた。
「どうしても、そのフードの中の顔が見えないんだけど、どうしてなのかな?」
パン!っと両手を合わせると彼女は言う。
「そうね! でも、これは仕方ないのよ。貴方たち人間には顔を見られない方がいいって聞いてるわ。だからこの中は見えないようになってるの」
「やっぱりそうか。すごい魔法だね。見えそうで見えない。でも、表情や仕草は伝わる。独特の感覚だよ」
旅人がフードの中を覗き込むと、彼女は顔を逸らした。
「あのね、本当は見えているはずよ。ただ、そういう部分以外は見えてないと伝えさせるの。姿は見せたくないけど、表情やしぐさは伝わるから会話をするのには便利よ」
「透明化とか、暗闇とかとは違う魔法なんだね」
「うーん。よくわからないけど、透明になってはないし、暗くもなってないわ。あなたがそう感じてるだけなのよ」
「なるどほね。じゃぁ、俺の考え方次第でその中が、君の顔がみえるようになるのかな? 綺麗な君の顔を見つめたい! って気持ちが強ければ打ち破れたりするのかな!」
旅人は自信ありげな顔で、親指を立てて彼女に言う。
「あはは。でも難しいと思う。そうね――、私が見てほしいって思えば別ね。あとは――、そう! 前提を覆せばいけるわ。例えば今は『フードの中が見えない』ということでしょ? だからフードを外せば見えるはずよ。がんばって!」
見せたくない本人が本気で応援してる。両の掌を握り旅人の前に掲げた。そのしぐさがまたすごくかわいく旅人は自然と笑顔がこぼれる。
「俺からの質問は、次で最後だけどいいかな?」
「うん。でも、最後でいいの? まだ時間も日にちもあるのよ?」
さりげない彼女の一言が、旅人の胸に響くと心を熱くする。
「じゃあ、言い方を変えるよ。次の質問が終わったら、また外の話をしよう!」
「うん!」
「君はエルフかな?」
「……ヒュー」
吹けもしない口笛を吹いている様子が面白、かわいい。
彼女の様子が変わった。顔を見せれないということ。髪、肌、特異な魔法、会話で得た情報を整理し彼女がエルフであることは確信していた。特徴のある耳はまだ見れていない――
「よくわかったわね! でも、違うわよ。私は人間である!」
いや、最初に『よくわかったわね』って言っちゃってるし。しかも、『である』って……『貴方たち人間』とも言ってたよな?
「そうかぁ。人間かぁ。エルフだと思ったんだが。外で見たことはあるんだがなぁ」
「そうなの? 誰に会ったの? ここからは誰も外に出てないわよ? その人からも外の話をこっそり聞いてみたいわ」
いや、何この子、もう隠す気ないのかな?
「確か、獣人を四人ほど従者として引き連れてたよ。あとはエルフ装飾の鎧を身に着けた者が同じく四人、それと偉そうなのが一人で合計九人だったかな」
「うーん――。あとで、調べて探してみよっと」
「そうかぁ、人間なのか。さっきも『貴方たち人間』って言ってたから俺はてっきり――」
「ち、ちがうの! 外の人間ってことよ? ね? そういうことなの」
「じゃぁ、ここでも八歳になったらアレはするのかな? アレしないと大変なことになるからね」
「八歳……? も、もちろんしたわよ。アレ、アレね? 大変だったんだから。でも、八歳っていうとかなり昔のことだからちょっと覚えてないかも」
水浴びの前に見ることの出来た彼女の顔。人間でいうところの十代後半から二十歳。少女と大人の入り混じったなんとも表現しがたいエルフの美しさを兼ね備えていた。聞いたところエルフの表情は少女の様に、時に大人の様に、可憐な若さを見せたかと思えば、妖艶で魅力的な顔立ちで話すという。飽きることのないその容姿には一度会った人間は虜になるそうだ。
シティエルフから話を聞いたことがある。世界に点在しているエルフの末裔と違って『本当のエルフ』は長寿だと聞く。見た目はその年齢とは関係ないらしい。もし彼女がそうなら――、八歳が何年前になるかはわからない。彼女にとっての八歳はきっと相当、昔のことなのだろう。
しかし、面白いからこのままにしておく。別に八歳になったからって何もしないけど――。
「ありがとう。俺の方は明日また水浴びのあとにでも聞くよ」
「わかった。それじゃぁ、今度は私の番。貴方は何をしにここまでやってきたの?」
「うーん。世界を旅して回っていたんだけど、ある町でここの森のことを聞いたんだ。本当に『何もない』のか、自分の目で確かめようと思ってさ。それにこの森の中に、噂に聞くエルフの郷があるかもと思って」
「エルフの郷? この森の中にはないわよ。でも、何か見つかるといいわね」
あっさりと答える彼女の言葉。不思議と言ってることが真実だと思える。嘘はついていないと思えるのは魔法のせいなのだろうか?
「ねぇ。冒険の話を聞かせて? きっとすごい事も経験してるんでしょう? 本でしか読んだことがないような事、いえ、本に書いてある以上の事が外には本当にあるのかしら?」
旅人は近くにある大きな布を手に、すくっと立ち上がるとそれをうまくマントのように羽織り、左手を腰に、右手で遥か彼方を指差し声を張り続ける。
「さぁ、それでは始めよう!
わが、勇気と希望に満ちた数々の冒険の話を! 本にも勝る外の世界を!」
「わー」
女が手を叩いてそれに応える。熊とサルはすでに眠り呆けていた。
この日、二人は夜遅くまで会話で華を咲かせた。
楽しく話す二人が惹かれあうのに時間はそんなに必要なかった。