1 何もない森① 入口
第1章は「旅人の男」が主人公
――見渡す限りの広大な自然。月明かりを天井に、細く優しい流れる滝が美しい泉の辺り。少し苔のついた木のすぐ横で若い男女が二人、向かい合って話をしている。
男は人間の旅人で女性よりも少し背が高く茶黒い髪。袖の太いシャツとズボンだけの旅人らしい恰好だ。
女はエルフで白銀の長髪と白い肌が美しい。青いシンプルなドレスに細く長いベルトを垂れ流す。
「私は……」
エルフが旅人に何かを告げようとしたが、その途中で言葉を喉に詰まらせた。彼女は遠のいていく意識の中、持っていたランタンが自身の手から離れていくのが分かった。助けを求めるように手を男の方へと差し伸べるのが精一杯だった。
旅人は彼女に見惚れていたせいで一部始終がゆっくりと感じた。
徐々に彼女の異変に気づいた。意識を保てず閉じる瞼、ぐったりと膝から地面に崩れていく姿。必死に差し伸べてきたであろう腕を掴むと、もう片方の手で体を抱き寄せて倒れるのを未然に防いだ。
旅人は予想しなかった出来事に驚きと戸惑いを隠せなかったが、意識のない彼女を休ませようとあたりを見回すうちに冷静になっていった。
周囲の異変が旅慣れした男の集中力を研ぎ澄まさせた。その集中力は今、一人の女性に対してではなく、周囲の環境に向けられるようになっていた。
そして、聞こえていたはずの音、見えていたはずの色が、夜なら見えるはずのない明るい景色が、一気に目や耳から頭へと流れ込んできた。
「なんだか騒がしいな……」
近くに集落も何もないはずなのに、なんだか人が騒いているような音が聞こえた
月明かりだけの夜のはずなのに、なんだか森が、夜空が明るく感じた
それは空耳のような、不思議な感覚ではあったが経験から何かが起きていると心が脳に働きかけていた。
男は抱きかかえた彼女を傍の木に優しく座らせた。彼女の様子を伺うと、多少汗ばんではいるものの呼吸は落ち着いていた。思わず見惚れてしまった自分に気が付くと頭を振り意識を切り替えた。
「一体、何が起こっているんだ」
そう言い夜空を見上げた。近くには、気配を悟られぬように二人の様子を伺う人物がいた。
※
――時は少し遡る
季節は春の終わり。昼下がりで雲一つない青空の下をゴトゴトと音を立て、のんびり動く荷馬車がいる。
馬車には人間が二人乗っている。手綱を握っているのは地元の男性で年配、農作業に適した服装をしていた。もう一人は若い旅人で、動きやすい服装に脇に置いた荷物と腰から外した剣を一本立て掛けている。手綱を握る年配の男性の隣に座ったまま赤い果物を食べていた。
「うーん。エルフの郷ねぇ。んーにゃ、全然聞いたことないけどなぁ」
「そうか。もしかしたらと思って来てみたんだが。親父さんはここに住んで長いのかな?」
「俺は生まれも育ちもここだけど……」
「ここが大陸屈指の大森林だって聞いたけど。ここより大きい森ってあるのかな?」
「いんや。ここはそこらにある森に比べたら遥かに大きいって聞くけどな。生まれてこの方この森でエルフの話は聞いたことがないなぁ」
「そうか」
「まぁ、俺らが知ってるのは歩いて2日分ってとこまでだけどな。それ以上奥へはよそもんが行くから詳しいことはわっかんねぇけどな。ははは」
「そいつらは何も見つけて帰ってこないのかい?」
「そりゃそうだ。『何もない森』だぞ。みんなが揃ってそう言うねぇ。あんたみたいにたまに来る旅人や冒険者も帰るころには揃って同じことを言うよ」
「何もない森」
馬車は片側が崖になり、広大な森を一望することが出来る道へと辿り着いた。旅人はその景色を眺め大きな期待に胸を躍らせる。見渡す限りの自然。空からは太陽の光だけでなく雲の影が景色を雄大なものにしていた。親父さんが旅人を見ながら思い出したように切り出す、
「そうだ、お前さん! 若いし、見たところ体も丈夫そうだし、なんだったらうちの村においでよ。近くの土地だったら、ほれ、いっぱいあるだろう?」
「ははは。そうだね。これだけの土地ならたくさんの人が住めそうだし、生活にも困らなそうだ」
「それにな! 若い娘も多いぞ? 旅なんぞやめてそろそろ落ち着いたらどうだい? きっと村の皆も歓迎するぞ?」
隣に座る旅人の腕を肘で突きながら「どうだ?」といわんばかりに勧めてくる。
「それは魅力的な話だけど、まだまだ向かうところがあるからね。胸にとどめておくよ。ありがとう親父さん」
「そりゃ残念だ。お前さんだったらうちの子たちも目を輝かせただろうに」
その後も冗談混じりで話を続けたが、まもなく分かれ道にちかづく。
「おっと、そろそろ到着だな。ほれ、入口があそこにあるのが見えるかい? 一応、立て札はしてあるんだが。俺らも森に行くときに使ってる道だ」
「ああ。あれだな」
「歩いて1日か2日分しか続いていないがな。まぁ、その先はお前さんなら大丈夫だろう。それにここの森には魔女がでたって話は聞かないしな。なんせ『何もない森』だから」
「魔女のいない森か」
本当にそんな森があるのだろうか?
旅人は親父さんの話を少し懐疑的に聞いたが、それ以上は特に何も言わなかった。道中、親父さんから聞いた『畑を荒らす謎の獣』の話を最後に確認する。
「親父さん。さっき言ってた畑のことなんだけど」
「おお、そうだった。村のみんながとにかく困ってるんだよ。ここ一か月くらいだが、せっかく育てた農作物が狙われてるようなんだ」
「一か月か」
「とくに俺の畑が森に一番近いからな。たくさんやられたよ。」
「それにしてはそこまで怒ってるようには見えないのはどうしてかな?」
「いやぁ、それがな。他の皆が言うにはさ、一番おいしそうな作物はちゃんと残ってるんだと。出来の悪そうなやつが無くなってるって言っててな。そんで俺も注意してみてたわけよ」
すでに入口に到着した馬車の上で二人は座りながら話を続ける。
「そしたらさ、確かに出来の悪いのから無くなっていくんだよ。まるでそれだけを狙ってるように。んだもんで、食料に困るほど影響がないってんで、な?」
頭をポリポリ掻きながら親父さんは話を続ける。
「それとな、ここ一か月はむしろ育ちが良くなった気がするんだよ。なんかこう、土が良くなったっていうか、残った作物が元気になってるっていうか、畑がきれいになってる気もするな」
「それはまた不思議だなぁ」
「だろぉ? 俺たちもびっくりだよ。んで、高さもよ、低いとこのもんはともかく、木になる実も盗りやがるんだ。わかるか? 高さがバラバラなんだよ」
「鳥じゃないのかな?」
二人とも考え込んでいた。
「いんやぁ、そもそも、俺たちの畑を狙うのはいつも小さい鳥のやつらばっかで、この時期にゃもう気にするほどじゃないんだよ。それにな、仕掛けた罠がそのままだったり、丸ごとなくなってたり、もうわからん。」
「丸ごと? 怪我の跡もないのかい?」
「そうだよ。きれいさっぱり丸ごとなくなってたんだよ」
「それはまた‥‥‥」
「そんで、唯一の手掛かりが土に残った変な足跡なんだよ。重そうな獣の蹄と枝分かれしたような爪の足跡。想像しただけで気持ち悪そうな足跡なんだよ」
「思い当たるのがいないなぁ」
「村の連中も、食料に被害はないけど、やっぱり正体がわからないからどうしようかって困っててな」
「まぁ、通りすがら親父さんがいってるような獣がいたら調べておくよ。馬車と食事のお礼もしなくちゃな」
そういうと、旅人は食べ終わった赤い果実の残骸を森のほうへと放り投げた。
「そうか。まぁ、どうってことないよ。あんちゃん。この先、森でそいつに出会すことがあったらよろしくな! ただ、馬車と食べ物だけでお前さんの命を奪ったとあっちゃ村の恥になるからな。くれぐれも無理はしないでおくれよ」
藁を運ぶ馬車から飛び降りた旅人はそのまま歩き、親父さんに上半身だけを軽く振り返るように手をあげ別れの挨拶をしてその場をあとにした。
旅人は根無し草で13歳から旅をしている。背は高い方で、体格にも恵まれた人間だ。もう10年近く、その身体能力や剣の腕を活かした仕事をしながらいろいろな地域を回っている。といっても、そのほとんどが今回のような内容だった。
はてさて、どんなヤツが出てくるのかな。正体だけでも突き止めておけば恩返しにはなるか。
荷物を背負い剣を腰に装着し、旅人は森の奥へと歩いていく。
第一話読んで頂きありがとうございます。