悪意の病巣 第七話
麗華は階段を駆け下りながら、霊力を壁や床の中に潜む電気系統に浸透させ、その動作一つ一つを解析し始める。
「電気制御系解析っと…… 地下には直接的に繋がっている電気系統は無し、か。でも、この下の階もシャッターが同じ場所にあるね。じゃあ、全部閉じちゃおうか!」
悪い笑みと共に紡がれた言葉と同時に、全ての会の西棟と東棟を繋ぐ通路の防火シャッターが閉じていく。
そんな集中力を要する作業をしている麗華の隙を補うようにして、恭二は周囲を油断なく見回した。そして、オペレーターに向けて言葉を投げかけた。
「オペレーター、動体反応は?」
『お二人のすぐ横の階段から上がってくる反応が二人分あります。この速度だと接敵までおよそ一分とかかりません。また、西棟からあなた方のいる東棟へと向かう反応が複数。おそらく、施設に常駐していた警備員や研究者たちだと思われます』
「確か、西棟に研究室やらが集中してるんだったな…… 東棟は機材とかの保管施設が多いんだったか…… なら、とっとと下に向かうぞ。早くしないと、サンドイッチにされる」
「オッケー じゃ、行こうか!」
麗華はゆるりと立ち上がると、恭二と共に、階段を下りていく。その道中にある監視カメラを破壊することも忘れずに。
その行く手を阻むように、警備員と思しき服装に身を包んだ男が二人現れ、明らかに日本の警備員が持つべきではないものが手に握られていた。
黒光りする其れは、恭二が手にしているタイプとは違うが、サブマシンガンのであり、握っているのはうつろな目をして、十中八九操られているであろう警備員。
霊視用の呪具を装備している二人には、その体が薄ぼんやりと不気味な色の光に包まれているのが見えた。
目と鼻の先に出現した二人警備員を認識した恭二は、雄叫びを上げる。
「らぁ!」
気合一閃。
恭二はライオットシールドで、彼から向かって左の警備員が握っていたサブマシンガンを殴り落した。
しかしもう片方の警備員が、サブマシンガンを叩き落した際の僅かな隙に恭二の頭へ向けてサブマシンガンの照準を合わせる。
その引き金に指がかかり、今にも銃弾が彼の脳漿をぶちまけんとするが、
「させないっての!」
彼の背後から同時に進行していた麗華が、その隙を潰すように蹴りを放っていたので、それもまた叩き落される。
彼女の表情は、絶対零度でも生ぬるい程の冷たさを湛え、それでありながら目には燃え盛るような怒りが宿っていた。
そんな麗華によって放たれた一撃は、サブマシンガンの銃身を捻じ曲げるほどの威力を誇っている。
銃が使えなくなったと悟ると、警備員たちはうつろな目で麗華と恭二に掴みかかり、二人の喉元を食い破ろうと牙をむいた。
「放して!」
麗華は掴みかかってきた腕を介して、電流を流し込む。そうして、警備員は痙攣しながら地面に膝をつくが、それでもなお彼女に向けて噛みつこうとしたので、膝蹴りで地面に転がることとなった。
その隣では、掴みかかってきた警備員のわき腹に向けて、恭二が強引に麻酔ゴム弾を撃ち込み、動きが鈍ったところを盾で殴りつけて、強引にそれを引きはがす。
そして、素早くその背後に回って膝裏を蹴りぬき、体勢を崩させた。
恭二はそこで、サブマシンガンを上空に放り、懐から札を二枚取り出した。それは先の任務でも彼が使用したものであり、拘束符と呼ばれる代物だ。
恭二はそれに微弱な霊力を流し込み、発動させる。
瞬間、二枚の札から光の帯が伸び、敵の手に、足に、首に、顔に、体中のいたるところに巻き付き、拘束していった。
警備員らは、なおも動こうともがいているが、そこから抜け出すすべもなく、地面をのたうち回る。
その姿を横目に、空中から落下してきたサブマシンガンを器用にキャッチした恭二は小さく息をついた。
「三十路に足突っ込んでるおじさんにはきつい作業だな……」
「操られてるだけの一般人を、できるだけ怪我させないように拘束するのってきっついね……」
「お前の高圧電力を遠慮なくぶち込めるわけでも無く、強化した筋力で骨を殴り砕ける訳でも無い。動きを何とか封じて拘束するしかない訳だからな…… 確かにきつい」
麗華が先ほど雷撃を放たなかったのも、そこに理由がある。
空気は優秀な絶縁体であるが、それを突き抜けて進むような雷撃は、総じて電圧が高く、人体に用いるのは危険なのだ。
霊的な攻撃故に、霊力を一定以上持ち合わせている人間は、霊力を用いた攻撃に対する耐性をある程度持ち合わせているため、容赦なく雷撃を叩き込むことが出来るが、今回は操られているだけの一般人。それ故に、遠距離からの雷撃を叩き込むと、死に至る可能性もあるので、麗華は近接攻撃という手段を用いていた。
恭二もまた、彼女と同じような理由で攻撃を手加減せざるを得ない。
さらに、下手に肉体にダメージを与えすぎて、血液が飛び散るようなことがあればそれだけで感染のリスクが高まる。諸々を考量すると、接敵は避けるべきだ。
二人の顔には、操られていた一般人を無事拘束できたことに対する安堵と、心底めんどくさいという感情が滲みだしており、面倒をしでかしてくれた敵に対しての怒りで完全に目が据わっている。
「これが各国にばら撒かれるとか、ちょっと、いや、かなり考えたくないんだけど」
「奇遇だな。俺もだ…… エレインは巻き込まれたと言ってたから、すでに一度、惨劇は引き起こされているはずだ。こんなもの、これ以上使わせたらだめだな…… 不愉快極まる」
「うん、どれだけ死者が出るか分からない。すくなくとも、この施設にあるっていう起動装置は絶対に確保しないと……」
そんな言葉を紡ぎながらも、二人は階下へとゆっくりと足を進める。急がなければならないが、階下に反応に引っかからなかった敵がいる可能性があるため、警戒しながら進まざるを得ない。それに敵の罠が無いとも限らないため、気を緩めることが出来ないのだ。
その中で、麗華は眉間に皺を寄せながら言葉を紡ぐ。
「それにしても、施設のあちこちにいた人間が私たちが侵入した時点でほぼ間違いなく感染してたってことだよね? じゃなきゃ、あそこまで早く人を操って行動するなんてできない筈だから」
「敵さんは、感染が拡大しても、自分たちは感染しないような手立てを既に持ってるってことだろうな…… あるいは術式の効果を受けないようにする手段でもあるのか、だ」
恭二の眉間も、麗華と同じように深いしわが刻まれた。
「操られてる人たちが、いつ感染したかは知らないが、事態は悪い状態といって良い。感染したのが24時間以内なら、敵は俺たちがここに突入することを事前に察知していたってことだ。こっちの方が可能性としては高い。ただ……」
「もっと前に感染したのなら、感染は既に拡大してるってことだよね……」
前者なら相手の体勢が整っている可能性が高く、後者なら既に事態は想定を超えるレベルでの広がりを見せている可能性が高い。もし、そうであるならば既に都市一つを封鎖しなければならない可能性すらあるのだ。
そこで、恭二は素早くオペレーターに向けて言葉を放った。
「オペレーター、俺たちの状況から事態は分かってると思うが、この施設周辺の封鎖の範囲を広げることに関しての協議とかはどうなっている?」
『こちらでも対応と協議を進めていますが、それに関しては時間がかかりそうです。また、西棟にいた動体反応が一階に向けて集結しています。シャッターで東棟への侵入を防がれたため、一階から侵入を試みているようです』
「急がないとまずそうだな…… ありがとう、敵の動体反応が近くなったら言ってくれ」
『分かりました』
オペレーターとの会話が終わると、沈黙が訪れる。
だが、本来ならば重いと感じるようなそれも、二人にとっては想像しているほどの重圧には成らなかった。
任務をこなしていれば、その程度のことは往々にして起こるというのもあるが、それ以上に隣にいる存在が大きい。
八年。
それが二人が共に過ごしてきた時間だ。
年若い麗華にとって、それは人生の半分近い時間であるし、恭二にとってもその時間は決して短いものでは無かった。そしてその内の五年は、二人がコンビとして活動した時間でもある。
それは相手への確かな信頼の裏返しでもあるのだ。
だからこそ、互いが生きているうちは、緊張から冷静さを失うことはほぼ無いと言ってもいいだろう。
『――――‼ 麗華さん、倉田さん! 突如としてあなた方の上の階から巨大な動体反応が検出されました! 来ます!』
階下へと確実に歩を進めていた二人に、オペレーターの悲鳴のような声が響き渡った。
いつもなら、接敵までの時間すら情報として渡すオペレーターが、ただ一言「来ます」と叫んだ。麗華と恭二は、それがどれだけ異様なことで、どれだけ切迫した状況なのか、一瞬で理解できた。
それすなわち、彼らの命が刈り取られんとしていることを示していると。
恭二は己と麗華に強化を施し、ライオットシールドを力強く握り込で咄嗟に背後を振り返った。次いで、麗華も麻酔ゴム弾の入った拳銃を握っていない左手で、特殊警棒を引き抜き振り返る。
しかし、彼らはそろって顔を多く歪めることとなった。
なにせ、そこには、
「ガォオオオオオオ!」
通常の二倍ほどの体躯の巨大な猛虎が、咆哮とともに壁を蹴り、二人に爪を振り下ろしていたのだから。
「――――っ!」
息を飲む間すらありはしなかった。声にならぬ叫びをあげながら、二人は寸でのところでその一撃を躱す。
直後、衝撃が二人の身体を襲った。
狙いの外れた猛虎の爪が、床を抉りぬいていたのだ。
そのすさまじい威力に、二人の背筋を冷や汗が流れ落ちていく。
「恭二が強化を掛けて無かったら、今頃あの世行きだったかもね……」
「シャレになってないぞこれは! 何の妖魔だこいつは!」
麗華は息を飲んで、恭二は心底忌々し気に吐き捨てた。
その言葉通り、彼の強化が間に合っていなければ、二人仲良く猛虎の爪に抉りぬかれていただろうし、こんな常軌を逸した風体をした獣など、妖魔以外にあり得ないだろう。
しかし、それがどんな妖魔であるかなどは、特定することが出来なかった。しかし、それも仕方のないことだ。もとより、古来から語られる妖魔は長い年月の中で人間や、他種の妖魔と血が混じり合い全く違う特質を残していることが多い。
故に、初見でその特性を見破ることは、千年を生きている妖魔であっても難しい。
だが、今はそのようなことは些事でしかない。
重要なのは、目の前の猛虎がすさまじい力を持ち、二人の命を刈り取らんとして、唸り声をあげているという事実だろう。
それは間違いなく、麗華と恭二の命を現在進行形で脅かしているのだから。
じり、と恭二は思わず後ずさろうとするが、階段という地形がそれを邪魔してしまう。その事実に恭二は歯噛みした。
平地ならいざ知らず、階段という足場の悪さ。加えて、階段の下り方向には、通常の虎の二倍以上の巨体を誇る猛虎がいる。この状況は酷くまずい。
もし、引き返そうと背中を向ければ、猛虎は確実に後背を食い破るだろう。さりとて、正面から相手取るには難しい相手でもある。
そのまま、一歩ずつ後ずさるようにして階段を上るのは、体勢が不安定になるため隙を突かれる可能性が高い。
地形一つで、猛虎は二人に対しての凶悪なアドバンテージを手にしたのだ。
その事実に、麗華も恭二より一瞬遅れて気付いたらしく、大きく顔を顰めた。
そして、二人は確信に近い思いを抱く。それすなわち、これは操られている敵などではなく、自意識を持ち合わせたまま行動している、というものだ。
そして、先ほど襲い掛かってきた警備員は、明らかに攻撃のみにしか行動の基準が置かれていなかった。なにせ、接近され、サブマシンガンを叩き落されて尚、回避行動の一つも取らずにそのまま掴みかかってきたのだ。
しかし、目の前の猛虎は、攻撃の間合いを測るようにじりじりと迫ってきており、尚且つ階段という麗華と恭二が闘い辛い地形、その中腹にいる時点で攻撃を仕掛けてきた。それは、目の前の猛虎が知性を残して、つまるところ操られず、自身の意思で二人に攻撃を仕掛けているという事だ。
霊視用の呪具のおかげで、確かに先ほどまでは操られているように見えたが、今はそれが無い。おそらく二人を騙すためのフェイクだったのだろう。
それらの事実は、目の前の存在が敵の首魁と関りがあるという事に他ならない。
「まいったなぁ…… これ、武器の選択をミスったかも」
麗華は軽い口調だが、苦々し気な表情で左手の特殊警棒を構える。
背後からの奇襲を想定し、特殊警棒でのカウンターを考えてそれを引き抜いた彼女だったが、今の状況を鑑みるに、実弾入りの拳銃を引き抜いた方が良かったと彼女は思ったのだ。
もとより右手に握っている拳銃には麻酔ゴム弾が仕込んであるが、それは対人使用を想定したもので妖魔相手に使うものでは無い。人間に使う麻酔も効果が無いとは言わないが、それも微々たるものであることは明らかだ。
しかし、それは後の祭り。
「さて、どうしたもんか」、と恭二は思考を巡らせる。
前門の虎、とはよく言ったもので、後ろには狼がいるわけではないが、相手にとって有利な地形であるという事実は揺るがない。
猛虎は唸り声をあげながら、敵意の滲んだ瞳で、麗華と恭二を見据え続ける。
まるで、お前たちはここで死ぬのだと言わんばかりの態度で。
その体に、膨大な殺気を滾らせながら。