悪意の病巣 第三話
機関長こと小太郎に切り出された言葉に、恭二と麗華は露骨に顔を顰めた。彼がこのようなことを言いだしたときは、一切の嘘偽りなく、相当面倒な仕事が割り振られるからだ。それも、危険度の高いものが。
そんな風に顔を顰めた両名を見て、小太郎は先ほどまでの笑みを引っ込め、真剣な表情で言葉を紡いだ。
「まあ、察してもらえただろうけど、今回の案件は重要度、並びに危険度が相当高いものだ。なので、恭二君に首根っこ掴まれたままでもいいから、麗華ちゃんもしっかり話を聞くように」
「うーん…… 真剣な話みたいだし、恭二も手を放してくれない?」
「そうだな。これは、真面目に聞かないとまずそうだ」
麗華と恭二はそんな風に会話を交わし、居住まいを正して小太郎の体面にあるソファへと腰かける。
そんな二人の様子を見て、彼は小さく頷きながら言葉を続けた。
「ロビーを通ってきてだろうから、分かっていると思うけど、今回エレインが休暇を潰される原因になった奴らが相手でね。詳しくはこの映像を見て欲しい」
そう言って、小太郎が手元の機会を操作すると、部屋の壁に映像が映し出された。
そこに映し出された光景に、麗華と恭二は絶句する。
まるで、出来の悪いゾンビ映画のように、人間が凶暴化し、人間に襲い掛かっている映像が映し出されたからだ。
それを見た恭二はすぐさま映像についての分析を始める。その顔を仮面のような無表情で覆いつくしながら。
「死霊術……? いや、あれは間違いなく生きている人間。ってことは操作系の術の類によるものだろうけど、これだけの大人数を操るなんて……」
「そう、通常なら不可能なんだ。だけど、今回の事件ではそれを可能にしている。エレインがこの事件が起きた場所に偶然居合わせなかったら、事態の究明が遅れてたのは確実だよ」
小太郎はそう言って、機械をもう一度操作し、次の映像を映し出した。
「これが、今回の騒動の種だ」
「え、これって…… 微生物?」
映し出された次なる映像によって示されていたのは、現役高校生である麗華が教科書などで見るような微生物に酷似している。
そして、彼女の言葉を裏付けるかのように小太郎も鷹揚に頷いて言葉を紡ぎ出した。
「大体そんな感じだよ麗華ちゃん。まあ、正確に言うならばウイルスなんだけど、これは自己増殖し、霊力を生成し、発動する厄介な術式だ」
「ウイルスが、術式……?」
「その通り。術式っていうのはどんなに小さくても、その意味が通るように組んで刻めば効力を発揮する。これはまあ、分かってるよね? 二人とも、術式をミクロ領域で刻み込んであるものを複数所持しているはずだし」
「確認しなくても、流石に分かってるってば」
麗華の返事に、「よろしい」と言って頷き、小太郎はさらに言葉を続けた。
「その術式をウイルスの構成情報に組み込んだんだらしくてね。まず、霊力を生成する特性を持ったウイルスが体内で増殖して、それから十分な霊力をウイルスがため込んだ時点で起動キーとやらを使って術式の発動をしているらしい。感染経路は飛沫感染及び接触感染によるものだ」
さらりと小太郎は言ってのけるが、そのとんでもない内容に恭二は眩暈を覚える。
「細菌よりも小さいウイルスにパターンを組み込むとか、普通あり得ないでしょう…… それが飛沫感染とかで拡散とか悪夢にも程がある」
「普通なんて、オカルト事象を相手にしている俺たちが言えた義理じゃないでしょ。非常識な事なんて今更だよ」
「それもそうですけどねぇ……」
やれやれ、と恭二は頭をかいた。事の厄介さに顔を顰めながら。
「調べるとなると、ウイルス研究が出来る設備を片っ端からですか?」
「いや、場所の見当は大方ついているんだ。エレインが事件に巻き込まれた時、しっかりと情報を持ち帰ってきてくれたから、それの解析を待っているところ」
「そりゃ心強い」
「まあ、自分たちで作ったウイルスとは言え、容易に流出するような環境では扱いたくないだろうっていうのは確かだけどね。なにせ、霊力を喰らう上に体内から作用するような術式だ。霊的な耐性が強くても、容易に操られかねない。そんなものにうっかり感染したくはないだろう。もっとも自分たちには作用しないような環境をとっくの昔に整えている可能性もあるけど」
「……で、エレインが仕事をしに戻ってるってことは、もちろんそのウイルスとやらの対策は出来てるんですよね?」
恭二の問いかけに対し、小太郎は「もちろん」と言って、小型の注射器と札をセットにした袋を机の上に取り出した。
それを見た麗華は、怪訝な顔をしてその袋を手に取ると、小太郎に対して言葉を投げかける。
「これで、どうやってその対策をするの?」
「まず、注射器の方だけど、そいつはウイルスを変異させるための代物でね。変異によってウイルスに組み込まれた術式のパターンを台無しにしたうえで体内から駆逐する代物だけど、エレイン曰く、地面をみじめにのたうち回りたくなる程度の激痛が十分程度続くらしい」
「えー? なにそのドМ御用達みたいな代物は…… そんなの使いたくないんだけど……」
「まあまあ、落ち着いて。そう言うと思ってこっちの札を用意したんだ」
そう言って、小太郎は袋の中に入った札をトントンと指さした。
「こいつにはたっぷり霊力を詰め込んであってね。こいつに刻んである術式は、ウイルスの変異によって与えられる激痛を遮断する効果がある。まあ、ウイルスの変異の過程でで発熱などの症状が出るから、確実なのはウイルスに感染しないことに尽きるけど」
「それなら、もうちょっとその注射の本数と札の量を増やしてよ。二度目以降の感染をすると、確実に詰むじゃん」
「エレイン曰く、一日にこれ以上注射による投薬量を増やせば命の保証はないそうだ」
「あ、それなら仕方ないね」
麗華は真顔になってそう言うと、袋を受け取った。これ以上の質問は特に無いらしい。
それを見てとった小太郎は、任務の概要の説明に移った。
「さて、君たちに担当してもらうのは、他でもない。このウイルスに刻まれた術式の起動キーとやらの破壊だ。不可能であるならば、確保という形でなんとしても差し押さえて欲しい」
「機関長、その仕事を俺達だけに任せるつもりですか? 正直、村正さんや九鬼さんをあてがった方がよっぽど確実だと思いますけど」
「あの二人には別件の仕事を割り振っててね。他のメンバーには、各国の大使館の護衛や、ウイルスが貯蔵されている場所への急襲を担当してもらっている。正直な話、人員がカツカツでね。この任務は君たち以外に割り振ることが出来ない」
小太郎の言葉に、恭二は硬い表情で「了解」と返した。そんな彼の様子に、麗華がニンマリと笑ってその背中を叩いた。
「大丈夫だって。私と恭二ならパパッと片づけて帰ってこれるよ!」
「はは、そうだな」
麗華のいつもと変わらない態度に、恭二は小さく苦笑を浮かべつつそう返した。だが、その表情は先程よりも柔らかい。
そのやり取りを見ていた小太郎は、ふむ、と息をつきながら顎を撫でた。
「まあ、話はまとまったみたいだし、下がっていいよ。起動キーのある場所への急襲は、明日の午前四時から向かってもらう。それまでには情報の解析が終わり、正確な位置まで割り出せているはずだ。今回はヘリで目的地まで移送することになるけど、移動中にブリーフィングをすることになるから、仮眠はしっかり取っておくように」
「了解」
「りょうかーい」
そう言って、恭二と麗華は部屋を退室しようとする。が、そこで小太郎が声を上げた。
「ああ、恭二君は少し残ってくれるかな? ちょっと話があるから」
「え? はい、分かりました。麗華、そう言う事だからお前はもう寝とけ」
「ん、分かった。さっき買ったチーズバーガー食べてから寝るよ」
「……デブるぞ」
「その分、明日の朝消費するから問題ないよーっと」
麗華は軽く舌を出しながらそう言って、部屋を足早に去っていった。
その背中を呆れたような表情で見送ると、恭二は軽く息をついて小太郎に向き直る。
「それで、機関長。話って何ですか?」
「君と麗華ちゃんのことだ。あんまり、過保護すぎるのも考え物だよ?」
突如として投げかけられた言葉。それに対して、恭二は困ったような声色で言葉を返した。
細められた彼の瞳に映るのは、自嘲と悔恨。
「過保護…… に、見えますかね?」
「彼女は自分の意志でこの機関に所属し、文句を垂れながらも仕事をこなしてる。君も、その意思を尊重して、相棒として一緒に戦っているのも確かだ。けど、今回のような危険度が限りなく高い仕事が回ってきそうな時は、できるだけ避けてきたのも事実だろう?」
小太郎の鋭い指摘に、恭二はバツが悪そうに頬を掻いた。その言葉が他ならぬ事実だったからだ。
「あいつはまだ若いですし……」
「それでも、君に引き取られ、クロユリに所属してから既に八年だ。現場に出るようになって五年目。今回のレベルの危険度の仕事も、クロユリに所属していれば往々にして遭遇することもある」
「ですが、だからと言って今回の仕事はあまりにも…… 危険度に関しては百歩譲るとしても、重要度に関しては近年類を見ないレベルでしょう…… それをクロユリの最年少に任せるのは信用問題にかかわりますよ」
恭二の言葉。其れもまた事実だ。
そも、今回のように集団をコントロールできる代物は、戦争を引き起こす引き金として用いたり、国家間の摩擦を生み出すことなどに用いれば絶大な効果を発揮する。
だからこそ、クロユリが擁する恭二と麗華以外の機関員に、大使館の護衛任務が割り振られた。群衆が操られ、大使館になだれ込んだ時に、最後の砦とするために。
そうすることで、最悪の場合に陥ったとしても国同士の軋轢を最小限にとどめるために。
だが、そんな恭二の懸念を一掃するようにして、小太郎は静かに言葉を紡いだ。
「俺は君たちが適任だと判断した。君が居たからでも、彼女が居たからでも無い。君たち二人だからこそ任せられる」
それは、クロユリという機関の長としての厳命だった。
恭二は、この決定が覆されることが無いと分かってはいたが、改めて突きつけられた気分となりため息をつく。
そんな様子の彼に対し、小太郎は静かに言葉を紡いだ。
「恭二君が麗華ちゃんを引き取ってもう八年。もう少しで、実の親と過ごした時間よりも長く君たちは共に過ごしたことになる。これが良いことか悪いことかはさて置き、それだけ長い間共に過ごしたんだ。死なず、また死なせるな。この命令は覆ることは無い。だから、それだけを意識して行動しなさい」
「なら、もう少し安全な役割を割り振って欲しいんですけどね……」
「ははは! 他の機関員も似たような立場だ。麗華ちゃんが若いという理由だけで、君たちを特別扱いするつもりは無いよ」
機関の長としてあくまでも冷徹に、小太郎はそう断言した。
本音を言えば、彼は誰にも死んでほしくないし、死なせたくはないのだろう。だが、それでも決断を迫られるのだ。機関の長というのは否応なしに。
そんな小太郎の決断だからこそ、恭二はその命令を渋々と受け入れる。
「分かりました。もう文句は言いませんよ。誠心誠意、力を尽くし、二人して生き残ることを誓いましょう」
「うん。その返事を聞けて安心したよ。話はこれだけだ。特に無いなら君も仮眠を取りなさい」
小太郎がそう言うと、恭二もこれ以上会話の必要性を感じなかったらしく「失礼しました」と言って部屋を去っていった。
その背中を見送り、小太郎は小さくため息をつく。
「はあ…… 責任の多い立場じゃ無ければ、俺が現場に行って方を付けるんだけどね…… ままならないな」
その呟きは彼の膝に乗っていた黒猫以外の誰にも聞きとられることなく、部屋に吸い込まれるようにして消えていった。