冤罪勇者の逆転譚
ヤバい。
ヤバいヤバいヤバい。
俺は今、人生で最もヤバい状況だ。あまりにヤバすぎてヤバい以外の言葉が出てこない。
落ち着け。状況を整理しよう。
俺はロディ。長い旅路の末、仲間とともに魔王を倒し世界を救った勇者だ。魔王討伐の凱旋のはずが、拘束されて無理やり城に連れて行かれてしまった。
「私の大事な姫と婚約をしておきながら、他の女に手を出しおって!婚約は破談、貴様はクビじゃ!」
ひざまずく俺の前でぎゃあぎゃあ騒いでいるのは、俺たち勇者パーティの雇い主、プロヴィッツ王。そしてそのそばで泣いているのがこの国の第一王女で俺の婚約者、キャンベラだ。
その彼女の横では、戦士のガードンと魔法使いのリリーナが仁王立ちしている。
「ロディ、どういうことよ!姫様とは別れて私と結婚するって、確かにそう言ったじゃない!」
「オレも聞いたぞ。婚約者がいながら仲間に手を出すなんて、人として軽蔑するね」
二人の言い分だけを聞くと、確かに俺が女たらしの最低な人間かのように聞こえる。王様すっかり信じ込んでしまって、俺の話なんてまるで聞こうとしない。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ!俺は一度も、リリーナに手なんて出し......」
「黙れぇっ!!」
怒り狂った王様の一喝で、俺は兵たちに城から追い出されてしまった。しかも約束の褒美もゼロで、一文無し。
「......これから、どうやって生きていけっていうんだよ......」
俺はとぼとぼと城下町を歩く。
今頃は、世界を救った英雄として讃えられるはずだった。なのに街中にやってもいない俺の悪行が顔写真付きでばら撒かれたせいで、人々が俺を見る目はまるで犯罪者を見ているかのようだ。
魔王を倒す旅の途中では、いくつもの苦難があった。雑草を食べて飢えをしのいだことも、金を得るために略奪まがいの真似をしたことも、本当にあと少しで死ぬところまで追い詰められたこともあった。
その果てに待っているのが、この仕打ちかよ。
「貴方、勇者様ですか?」
「あ?」
露店を出している女性に話しかけられる。ずっと目を瞑ったままで、どうやら目が見えないらしい。
「......そうだけど、知ってんだろ?俺は今、姫様と婚約していながら浮気したことになってる」
「していないんですよね?私は目が見えませんが、その分人の内面はよく見えます。......どうしてそんなことに?」
どうして?そんなことは俺が聞きたいくらいだ。理由は分かりきっている。だからこそ、何でそんなことのために俺を陥れるのか、それが分からない。
「姫様との婚約は、褒美みたいなもんなんだよ。魔王を倒した勇者に与えられるもので、セットで次期国王の座も付いてくる。......でも、姫様は俺と結婚なんかしたくない。きっとガードンとデキてんだな。リリーナはがめついから、きっと金で雇われたんだ」
それならそうと、そう言えばよかったのだ。勇者としての俺の名前まで堕とす必要は、まるでなかった。
「貴方に非はない。そういうことですね?」
「非?俺は世界を救った勇者だぞ!ずっと皆のことだけを考えてやって来たんだ。そんなもんある訳ねぇだろ!」
苛立ちまぎれに思わず怒鳴る。
旅の間は、パーティの皆が同じ目標に向かって歩いていた。それが、魔王を倒した途端にこれだ。この世がこんなに無情なら、何のために世界を救ったのか、分からなくなる。
そんな俺を見て彼女はそっと頷き、一つの虫眼鏡を手渡した。
「それなら、これを差し上げます」
「......これは」
他の奴ならガラクタに見えるだろうが、俺には分かる。これは古代に作られた原理不明の不思議な道具、マジックアイテムの一つだ。五十個も百個もあるものじゃない。
「こんなもん、もらって良いのかよ?」
「貴方がこのままいわれのない罪を被るのは、私としても納得できません。真実を明らかにする、助けになれば」
盲目の女性は俺の手を握り、微笑む。
真実を明らかにする。幸せの頂上から一瞬で絶望へと墜落した今の俺にとって、その言葉はギリギリで見えた光明だった。
「.......でも、あんた一体?」
しばらく虫眼鏡を見つめた後、顔を上げる。
そこには露店も人影も、まるで無くなっていた。
「なんだそりゃ......」
狐につままれたような顔で呆然とする俺を、通りかかった一人の商人がじろじろ見て笑う。
睨みつけて、このままじゃ困ると改めて思った。
俺の旅が、苦難が、勝ち取ったものが、無駄だったなんてごめんだ。
このまま笑われていてたまるか。
俺は、俺の地位を、名声を......これまでの人生の意味を、取り戻す。
「あー、ガードン。あんな奴が英雄ということになると、勇者を輩出したことで勝ち得た我が国の信頼が台無しになってしまう。......そこで、魔王討伐は君がやったことにしてくれんかね?」
「オレでよければ、もちろん」
門番の目を盗んでこっそり王城に入ると、王様とガードンが怪しげな会話をしている。
冗談じゃない。魔王にトドメを刺せるのは、俺が抜いた勇者の剣だけだ。もちろん仲間たちも道中の旅や魔王にダメージを与えるのに貢献はしたが、俺が何もしていなかったことになるのはおかしい。
「......待ってください、王様!」
「貴様、どこから入ってきた!」
思わず飛び出すと、王様はぎょっとした顔で怒鳴った。すぐさま衛兵を呼ぼうとするので、俺は例の虫眼鏡を取り出す。
「これを見てください。これ越しに人間を見ると、その人の本性がわかります」
「マジックアイテムか?......本物のようだな。これがどうした?」
「それで、そこにいるガードンを見てください!俺は、誓ってリリーナに手なんて出してない!」
ガードンを指差すと、彼は途端に焦り出した。
「.......な、何言ってるんだ!貴様、そうやって王様を騙す気だな!?」
王様から乱暴に虫眼鏡を奪い取り、足で踏みつけて割ろうとする。寡黙だったかつての仲間が見せたその様子がやけに滑稽で、俺は思わず笑い出した。
「それ、本物だからそう簡単には割れねぇよ。つーか、貴重なんだから割ろうとしないでくれ」
「くっ......そもそも、今更こんなもの使うまでもない!オレが嘘をつく必要はどこにもないんだからな!」
「......じゃ、今から俺が証言するよ。キャンベラ姫様は、旅の序盤に何故かあちこちで現れて、俺たちに物資を寄越してくれた。最初は俺のためかと思ってたけど、姫様は俺なんか眼中にない様子で、いつもお前と仲良く話してただろうが」
たじろぐガードン。もともと嘘がつけない奴なだけに、あまりに分かりやすい態度を取るものだから、王様の信頼も少しずつ揺らいできている。
「で、出鱈目だ!」
「宿屋の主人にでも訊けばすぐにわかるよ。.......なぁ、ガードン。なんでこんな事するんだ?他にどうとでもやり方があっただろうに」
彼は反論もできず、苦虫を噛み潰したような顔でこちらを睨みつける。
そこに、ワイングラスを持ち、高級そうなドレスを着こなしながら階段を優雅に降りて、リリーナが現れた。どうやら、ガードンの金で王城内のバーに入り浸っていたらしい。
「あら、浮気男がまだ私に用かしら?」
事態が変わったことも知らず高圧的な態度を取るリリーナを見て、ガードンが冷や汗をかく。
「リリーナ。お前が金に目がないことは知ってるけど、まさか俺を売るとはな」
「......何のこと?」
とぼけながら、彼女の視線はガードンが持っている虫眼鏡に注がれていた。彼女は魔法使いだ、俺と同じで本物か偽物かは一目でわかる。
「これでお前を見れば、一目瞭然なんだよ。......仲間だと思ってたんだがな」
俺の言葉に、嘘はない。魔王を倒した帰りの道中では、全員が生涯最高の笑顔を浮かべていたはずだ。リリーナが浮かれて酒をがぶ飲みして、危うく階段から転げ落ちそうになったのは、ついこの間のこと。
それがどうして、こうなった?
「......どうやらおかしくなってしまったようね。王様、それはマジックアイテムに偽装された、呪いの道具です。ガードン、それを私に」
リリーナが苦し紛れに言い放ったその一言で、俺の中で何かが壊れた。
「呪いの道具だって?そんなもん、今時どこで手に入るんだ?魔王を倒して魔物はいなくなった。魔物に取り憑かれた呪いの道具も、同時に消え去ったなんてことくらい子供でも分かる。......俺はずっとまともだよ。おかしくなっちまったのは、お前らの方だろ!?」
早口でまくし立てると、ガードンの手から虫眼鏡を奪い返す。王様を強引に引っ張って、その眼に虫眼鏡を当てる。
「いいか、誰が何を言おうとこれで見えるものが真実だ。王様、なんで書いてある?」
敬語もかなぐり捨てて、荒れた感情を剥き出しにする。
「......これは」
驚いた様子の王様から虫眼鏡を外し、自分の眼に押し当てる。
「あー、よく見える。嘘つき特有のどす黒いもやが、よく見えるぜ」
「......っ」
形成逆転。沈黙するしかない二人をよそに、俺は王様に向き直る。
「これでわかったでしょう。嘘をついていたのは彼らで、俺は無実だって」
「うむ......申し訳ない。すぐに民にも真実を伝えなければ」
王様は気まずさを誤魔化すようにその場を離れる。苛つきはするものの、とりあえずこれで俺の無実は晴れるだろう。
「......さて、あとは」
俺は改めて、二人を見る。びくっと身体を震わせる彼らに、俺は冷ややかな眼を注いだ。
「お前ら、何でこんなことした?そんなに俺が嫌いかよ」
「いや、それは.....」
「そういうわけでは、その」
何とも歯切れの悪い二人を見て、ため息をつく。この話は多分、これだけでは終わらない。もう一度虫眼鏡を眼に当て、二人を見る。
「この虫眼鏡は、性格の悪さ以外にも色々なものが見える。さっきは一瞬だったから分からなかったが、こうしてじっくり見れば......」
身を寄せ合う二人から、だんだんとこの事件の元凶が浮かび上がってくる。
彼らが、本当に自らの欲のためだけにここまでしたとは俺は思わない。特にガードンには、ここまでのことをする理由がない。
「父上......?」
その時、階段からキャンベラ姫様が下りてきた。俺の姿を見て、不安気にガードンに視線を向ける。
「なんで、ロディが?」
「これはこれは姫様。今しがた、俺の無実が証明されたところです。彼らが嘘をついていたのですよ」
俺が告げると、二人も観念したかのように頷く。その様子を見て、キャンベラは静かに頭を下げた。
「......そうだったのですね。ロディ様、疑って申し訳ございませんでした」
いかにもしおらしく振る舞う姫様。だが、俺は彼女に虫眼鏡を向けた。
「何ですの、それ?」
「これですか。これは世にも珍しいマジックアイテムでね、これ越しに見るだけでその人の本性が分かる。彼ら二人のように嘘つきにはどす黒いもやが見えるのですが.......」
白々しく説明しながら、俺は目の前に広がる光景をじっと見る。姫様の......いや、キャンベラからは、城全体を覆い尽くすかのよう暗黒のもやが生み出されていた。
「姫様。あんたが、二人に嘘をつくように指示したんだな」
一瞬、キャンベラの表情が固まる。
それはやがて、花が開くように毒々しい笑みに変わった。
「......みーんな、使えない。弱み握られてるんだから、見破られる前に手首くらい切りなさいよ」
年齢より十も二十も老けて聞こえるその冷たい声が響いた途端、ガードンたちが身震いした。
「お言葉ですが。彼らが唐突に手首を切っても、余計に不自然になるだけだ。どの道あんたはもう詰んでた」
間の悪いことに、ここで王様が戻ってくる。険悪な雰囲気を察知して、隅でじっとしているガードンたちに事情を聞くのを目の端でとらえる。
「これで、あんたのイメージも台無しだな」
「勝手に出来たイメージなんて知らないわよ。あたしはあたし。もうすぐ、この国を手に入れる女」
この国を手に入れる、か。
本来なら、この国の実権を握るのは彼女の結婚相手に過ぎない。彼女は城の一室にこもって、ただただ世界の平和を祈るだけ。
「退屈だったのか。それでこの退屈が、一生続くなんて信じられない。そう思った」
「その通り。そもそもあんたみたいな馬の骨と結婚するなんて、想像しただけで寒気がするの」
ガードンは戦いしか経験したことのないような男で、政治なんて出来るわけがない。そういう都合のいい男と結婚して、実質的に自分がこの国を支配する算段だったのだろう。
「そんな最高の計画も、こいつらが無能なせいで台無し。そもそも、最初は旅の途中でどちらかがあんたを殺す手筈だったのよ?......それを、怖気づいちゃって」
「こいつらにそんな事出来る訳ないだろ。二人とも嘘をつく時すら無理してるのが見え見えだったぜ」
突然こんな話が持ち上がったのは、彼女も彼らがしくじったことをつい先日知ったからだ。
そんな行き当たりばったりの計画だから、俺に暴かれる羽目になった。
......いや、そもそも、この女が世間知らずの馬鹿だった話だ。
「でも、そんな話、俺はこれっぽっちも知らなかった。こんな大掛かりな真似をしなくても、ガードンにあんたを譲って欲しいと言われたら迷わず譲ったのに」
「そんな訳ないじゃない。相手はこの国、それにこの私よ?必ず、その汚らしい顔を真っ赤にして食い下がったに決まってるわ」
思わず吹き出す。この女の、どこにそんな魅力があるって?
立場を利用して弱みをつかみ、それをネタに人を脅して殺人までさせようとする、醜い女に?
そんな本性なんて、マジックアイテムを使うずっと前から分かっていた。むしろ、そんなドス黒いものを持っておきながら完璧に隠せる訳がない。
「どこからその自信は来るんだか。......まぁでも、あんたのおかげで助かったよ。どうしようかと悩んでたんだ」
「え?」
俺は先ほどキャンベラが下りてきた階段の上を見やった。こんな騒ぎになっているのは、彼女も気づいているはずだ。
その仕草に気づいたのか、階段からゆっくりと彼女が下りてくる。キャンベラのような偽りの気品ではなく、内側から滲み出るような謙虚さを感じさせながら。
「......ケイト?」
「そう。俺はあんたの妹と、結婚したいと思ってる」
恥ずかしそうに俺の腕を握る、第二王女のケイト。彼女は華やかなキャンベラの陰に隠れて驚くほど目立たなかったが、俺はそこに惹かれた。
旅に出る前、俺は彼女と秘密の約束をしたのだ。もし生きて戻ってきたら、誰が何と言おうと一緒になろう。
「あんたがやらかしてくれたおかげで、俺は誰にも文句を言われることなくケイトと結婚できる。......そうですよね、王様?」
「なんと......。おぬしら、いつの間に」
王様は複雑な表情をしているが、とにかく第一王女がこの有様では認めざるを得ない。曖昧ながら、彼は頷いた。
「ちょ.......ちょっと!あたしとの縁談を棒に振ってまで、初めからその子と結婚する気だったっていうの!?あたしと違って何も持ってない、その出来損ないを?」
慌てふためくキャンベラの声は、もう俺には聞こえない。放っておいても彼女は処分を受けるだろうし、ケイトとの結婚は認められた。俺は王様に、結婚式の相談を始める。
「式はあまり大仰にしてほしくないんですよね。もちろん次期国王の誕生の瞬間でもありますから、身内だけって訳にはいかないのは分かりますが......」
「何を言ってるの?次期国王はあたしよ!あたしが、その子より負けてる部分なんてこれっぽっちもないわ。あんた、絶対に後悔するわよ!」
暴れるキャンベラを、流石に見かねた衛兵が拘束する。
「ちょっと、触らないで!あたしは、あたしで、世界で一番.......」
あまりにぎゃあぎゃあとうるさいので、俺はもう一度だけキャンベラの方を向いた。
「二つだけ教えてやるよ。一つ目は、あんたはこれから次期国王どころか、しばらく牢屋暮らしだってこと。二つ目は......ケイトは少なくとも、あんたにないものを一つは持ってる。人間なら誰でも当たり前に持っているはずの、良心をな」
それだけ言って、また彼女に背中を向ける。もう二度とその顔を見ることはないだろうし、見たくもない。
これで、俺の人生は本来の軌道に戻った。世界を救ったんだから、少しくらい良い思いをしたっていいだろう。
その時、入口の扉が大きく開いた。
現れたのは、俺に虫眼鏡をくれたあの盲目の女性だ。ただ、あの時と服装が違う。その姿をどこかで見たことがあるような気がした。
「勇者様。どうやら無実を証明することはできたようですね」
「ああ。......これ、誰に返そうかと思ってたんだ。ありがとな」
俺は虫眼鏡を渡す。彼女はそれを受け取りながら、じっと俺の目を見る。俺は神秘的なグリーンの瞳に、吸い込まれそうになるのを必死に堪えた。
「勇者様。この度は魔王を倒していただき、本当にありがとうございました。これはささやかながら、そのお礼です」
彼女はそう言って、王城を後にする。あなたは誰ですか。そう聞かなければならなかったはずなのに、不思議なことにその場にいた誰もが、一言も言葉を発せなかった。
彼女が去ってしまってから、俺はふと思い出した。彼女は、ある著名な画家の絵画に描かれていた。
その作品のタイトルは、「エチュード」。恋愛成就を司る神。
「......そういうことかよ」
俺は苦笑いした。