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しなやかさ

 ガルフ諸島やバンクーバー島など、高緯度地帯では、夏でも太陽の光は強くない。その気候はちょうど軽井沢のように冷涼である。この季節に、この島の人々はピクニックに行くのを楽しみにしている。

 宏も、この日商談を兼ねて知人達と共にマクスウェル山へピクニックへ出かける計画を持っていた。そこは静謐な針葉樹林の中を縫うようにトレッキングコースが設けられている。その静寂の中にいれば、日頃のビジネスに疲れた知人たちのこころをやすませることはできたはずだった。しかし、入水自殺を図って入院した詩音のことは狭い島中に知れ渡っており、朝から誰から言い出すこともなく、宏のことを配慮して早々に取りやめになった。それでも宏は入院している詩音を見舞う途中でマクスウェル山に立ち寄り、松ぼっくりを拾い上げていた。彼は程よい実を二つ見繕って魚の姿にカットし、皮の紐で二つのネックレスに仕上げた上で、再び車に乗り込んだ。かつて、宏が聞いた詩音の危うさを思い出しながら。


 ………………………


 詩音は軽井沢のヘルモンクラブハウスへ来ていた。山形汰欣やまがたタゴン牧師のお花茶屋伝道所では、毎年八月一日から三日まで風の学園のキャンプが軽井沢の別荘地で実施される。

 そのヘルモンクラブハウスは、南軽井沢の林間にあり、浅間山の見える位置にあった。高校生の詩音は、風の学校で最年長であり、山形牧師の信頼も厚かった。淑姫ら大人の指示に反発しがちな中学男子達でさえ、詩音の小さな声の指示によく従っていた。軽井沢駅を南口に出ると、こどもたちは駅前には着いたばかりの迎えのバスに歓声をあげていた。


 冷涼な軽井沢でも昼間は暑い。一行を乗せたバスは線路を南へくぐって少しばかり走っていた。南ヶ丘までくると、針葉樹林に囲まれた二階建ての建物が見えて来た。児童生徒たちは芝のよく整えられた前庭に集められ、これから二泊の予定に落ち着かない様子で歓声を上げていた。無理もなかった。彼らにとって軽井沢はまず訪れることのない土地であり、ましてや豪華な宿泊施設には泊まれるはずもなかった。それでも風の学園では支援者たちによって夏のキャンプが大規模に行われる。


「たっくん」と周りからそう呼ばれている小学二年の少年は、バスの外に広がる針葉樹林とそこに点在する別荘、その玄関へ細く続く道、ゴルフ場、そして浅間山に目を奪われていた。下町のごみごみした街並みに慣れた目には、全てが新鮮だった。彼と同年齢の少女達も、風景が変わるごとに大きな歓声をあげていた。その興奮冷めやらぬうちに、バスは森の中に突然ひらけた場所に入り込んで行った。その先には少々古くなったクラブハウスがあった。その玄関先にバスが横づけされ、ドアが開くと車内に冷涼な風が吹き込んで来た。

「着いたぞ。」

「すごーい!。」

「あっ、浅間山が見える。」

「………。」

 詩音は、立ち上がって声をかけた。

「はい、みなさん、騒がないで。まずは運転手さんにお礼を言いましょう。」

「はーい。運転手さん、ありがとうございました。」

 ワイワイガヤガヤと皆は降り立ち、淑姫が降り、最後に詩音が運転手に一礼をして降りていった。運転手も、シワの深い顔を崩してそれに答えていた。


 クラブハウスには、一階に食堂といくつかのセミナー室があり、詩音と少女達の部屋は二階の奥、少年たちと淑姫や教師達の部屋は二階の階段近くだった。荷物を置き、詩音や教師達は早々に連絡確認事務のために食堂に集められ、子供達には自由時間となった。そうして一時間ほどの打ち合わせののち、高校生の詩音だけは自分の部屋へ戻っていった。


 その頃、クラブハウスに面した交差点のコンビニ店では、クラブハウスから買い物に出かけた子供達を震え上がらせている事件が起きていた。


 遠藤カズトは高校サッカー部の合宿で怠けた罰として周囲を走らされていた。カズトはのぞみと違い、ほとんど勉学はできなかった。高校でもアウトローとなり、果てはスペクタキュラーという暴走族に入り浸るようになっていた。彼の高校でも手を焼いていた悪ガキだった。

 この日軽井沢へは仲間が集まることになっていたため、宿泊代が浮くと考えたカズトはサッカー部の合宿に来ていた。しかし、初めから練習する気のないカズトは懲罰を受けた。サッカー部での懲罰が面白くなかったのだろうか、たまたま怠けていたコンビニの駐車場に来ていたヘルモンクラブハウスの子供達に因縁をつけて、コンビニ裏の駐車場でカツアゲをしようとしていたのだった。


 遠藤カズトは「たっくん」と呼ばれる小学二年生の子供を捕まえて、他の子供たちに言った。

「あそこから出てきた奴らは、みんな金持ちだろが。お前たちも金を持っているんだろ。」

「僕たちお金持っていないよ。」

「じゃあ持ってこいよ。それまで、こいつはここに居残りだ。」

 子供達は騒ぎ始めたが、カズトのドスの効いた一喝で震え上がってしまった。

「いいか、誰にも言うなよ。バレたらなぁ……。」

 そう言いかけて、カズトは捕まえていた「たっくん」と呼ばれていた少年の頰に重く響くパンチを入れていた。彼は泣き始めたが、カズトはその子供の髪の毛を引っ張り上げた。

「黙れよ。殺すぞ。」

 子供達はその声にさらに震え上がり、「たっくん」を残してクラブハウスへ逃げ帰っていった。


 詩音達の部屋からは森の木々の間から谷を見下ろせた。その向こうは妙義山だろうか。そんなことをぼんやり考えていると、少女達が息急き切って部屋へ飛び込んで来た。

「お姉ちゃん、たっくんが捕まっているの。わたしたちがおかねをもっていかないと、たっくんは帰れないんだって。」

「何で?。どこで?。」

「大きな交差点のコンビニの裏で待っているって。」


 まだミーティングは続いていて、大人達は居なかった。詩音はとりあえず子供達に隣のコンビニまで案内をさせて、コンビニの裏手へ回った。詩音からは暗がりのカズトの顔は見えなかった。しかし、その周りには、のたうつ赤虫のようなものが感じられた。

「どこかで見たことがある。」

 詩音はそう思った。


「お姉ちゃん!。」

「黙れ。」

 カズトは泣き続ける「たっくん」を脅し、詩音を睨みつけた。

「おう、お前どこかで会ったことがあるな?。」

 あまりおしゃべりではない詩音は、カズトのその言葉に驚いた。

「お前、辻堂詩音だろ?。」

「なんで?。」

 詩音の言葉は、後が続かなかった。この人は誰?。なぜ私の名前を知っているの?。その疑問が詩音の頭の中をぐるぐる回っていた。しかし、今は目の前の男の子を助けるのが先だった。しかし、詩音の手元には何もなかった。短くても棒のようなものさえあれば、幼い頃に仕込まれた剣技が使えたのだが。しかし、今はそれも望むべくもなかった。それでも、詩音は心の中で、宏が先祖からの口伝として伝授した霊刀操を念じていた。


「………霊は精神なり。霊刀とは空刀にして渾渾沌沌たる所の唯一気也。理曰闇と淵の水の面を聖霊動ずるところに、光を生じ一気発動し闇に勝て万物を生ず。刀を直に立るは渾沌未分の形光有て万象を生ず。故に是を太刀生れと云う。先ず己が情欲に勝て敵を恐れず勝敗を思はず。心中の空刀と真刀と一致になりて千変万化の業を成す。再び刀を直に執るは万物一源の光に帰する形に表す。此の気を使徒に言と号し耶氏是を三一と名づく。我朝道と称す。始でありて終であり火に入て焼けず水に入て溺れずと死て滅びざるとを以て当流未来永遠の執行とする者也。然りと虚ろに得て言べからず。耳に得て聴べからず。心に得て会し自得して知べきなり。………」


 詩音は覚悟を覚えて意を決したようにカズトに話しかけた。

「その子を放して。」

「金を持ってきたか。」

「これは立派な身代金目的略取誘拐ね。」

「単にお金を恵んでくれといっているだけだぜ。 」

「立派な身代金要求よね。重罪よ。」

 カズトは少なからず動揺を示していた。詩音はその時を逃さず、剣道で培った間合いを活かして飛び込み、手刀でカズトの手首に打撃を与えて子供を逃した。しかし、同時に詩音がカズトに捕まえられてしまった。

「お姉ちゃん!。」

「逃げて!。大人を呼んできて。」

「この野郎。」

「う、うぐっ。い、痛い。い、息が。」

 子供たちは一斉にクラブハウスへと駆け戻った。しかし、詩音はカズトに腕を捕まえられて道路から離れた森へ引き込まれつつあった。


 その道路を、詩音の同じ高校の生徒たちが通りかかっていた、どこかの運動部が夏の合宿に来ていたらしかった。

「あれは辻堂さんじゃねえか?。」

 その言葉に反射的に踵を返してカズトの前へ飛び込んだのは、民生だった。彼らは詩音と同じ高校の合気道部だった。

「辻堂さん⁈。」

「あっ、お前。」

 民生もカズトも互いに面識があった。

「遠藤のぞみさんのお兄さんですよね。」

「お前?、あっ、のぞみの彼氏?。」

「彼氏じゃありませんよ。」

「お前がここに居るってことは、のぞみからこの女に乗り換えたんだなぁ。」

「何を言っているんですか?。その女性を放してくれますか。」

 民生はカズトとの間合いを測りながら、ジリジリ近づいていた。そして、右手でカズトの右手首を捻じ上げた。とつぜん解放された詩音は、大きく咳き込みながら民生の横へ倒れ込んだ。

「お兄さん、動くと関節が使えなくなりますよ。」

 民生はカズトの腕を締め上げながら、質問をした。

「なぜ、辻堂さんを襲っていたんですか?。」

「たまたま、こいつだったんだよ。イテテッ。」

「妹さんのため?。」

 民生は怒りに任せて締め上げた。

「違うって!。イテーよ、放せよ。ホント違うって。」

 しかし、民生にはカズトが妹の恋敵を襲ったとしか思えなかった。しかも、襲われた相手は民生の心の中に大きくなっていた詩音だった。怒りに震えた民生はカズトをそのまま投げてしまった。

「二度と辻堂さんの目の前に現れるな。次は生きて返さぬ。」


 カズトは走り去っていった。民生の足元には、息も絶え絶えに倒れたままの詩音がいた。民生は詩音を仰向けにして介抱していたところへ、風の学園のボランティアや山形牧師たちを連れて、子供たちが戻って来ていた。

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