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嫉妬

 詩音の運び込まれた病院は、ガンジスロードから奥へ入り込んだ小さな病院だった。


 カナダでは通常のソシアルサービスの範疇で有れば、一定水準の医療が受けられた。しかし、そこは宏が様々な治療で通っており、完全看護が謳い文句の値段が張るところである。それでも淑姫が救急隊員に言ったことは、高くてもこの病院へ、ということだった。

 病院には、宏の事務所から淑香も来ていた。助けられた時に詩音は何も持っていなかったことを踏まえて、詩音とサラの身元保証人には宏の名前を記載してあった。宏の名前があったため、病院は治療と精神的ケアに万全の体制をとり、また淑香も様々に心を砕いていた。

 そんな声が周りに響いているのを、詩音はふわふわした気持ちのままで聞いていた。詩音は鎮静剤により、ずっと眠り続けているのだった。うつらうつらとしながら、周りに動き回る様々な人々を感じていた。彼らの善意を感じながら、彼女は過去の自他の嫉妬を思い出していた。


 ………………………


 詩音の心奥に今までの幼い恋とは異なる炎が燃え始めていた。詩音はそんな心を持て余しながら、お花茶屋伝道所の会堂に倒れこむように入りこんでいた。山形牧師はその姿を見ていた。

 詩音は、黙したまま肩を震わせて祈っていた。詩音は孤独だった。民生はクラスさえ異なり、宏は遠かった。心に二つの大きな穴が空いていた。じっと耐えつつ何をどう祈ったのか自覚しないまま、ただ御心のままにと繰り返すだけだった。その末に見えて来たことは、片隅の忘れ物のような言葉だった。祖父に教えられたこと、つまり、物事を見すえて見抜き、神のみ心を求めつつ、泣かずに耐えることを思い出した。また、宏の慈愛を思いだしていた。彼は離れていても詩音のために執り成し祈り続けてくれている。そう確信できただけでも、心は少しばかり落ち着いた。宏の包み込む慈愛に触れたい、そう感じていた。


 詩音にとっては長かった試験休みが終わると、一年生とはいえ、成績に基づいて補習が行われるため、夏休みは理解度別の補修を通じて成績アップが課せられている。息つく暇もなく、終業式の日から補修は始まった。補習担当の教師は民生が最上位クラス並みの成績を取ったことを紹介した。

「みんな座ってくれ。今日から補習が始まる。珍しいことだが、三クラス下の者が努力の結果だと思うが、この強化補習クラスに加わった。彼は上原民人くんだ。…みんな七月の期末テストでは、努力した奴ほど成績が伸びているな…。特に上原は、…お前頑張ったな…数学も完璧だ。合計点では学年で十番になっている。さて、席は、辻堂の隣だ、辻堂、お前も上原と同じように一クラス下からの追加組だったな。この補習コースのスキームを教えてやれ。……。それから……、皆気をつけてほしいことがある。この学校から駅までの通学ルートに不審者がいるという情報が入っている。不審者は普通男なのだが、これは珍しく中年の女らしい。皆気をつけてな。」

 そういうと、補習担任は教室の外に詩音と民生を呼び出した。

「辻堂、さっきの中年女だけどな、田山詩音を探しているってえ話だ。気をつけろよ。辻堂、旧姓は確か田山だったよな。それから新入りの上原よ、辻堂が新参者に教えてくれるんだから、お礼に無事に送り届けてやれよ。」

 席に戻った民生は新しいクラスということでキョロキョロし、落ち着かなかった。取り巻きだったのぞみ、裕子、美希、圭子たちがそばにいないためかもしれなかった。詩音はそれがおかしかったのか、思わずウフフと笑い、民生も決まり悪そうに笑っていた。

「こうして話せてよかったね。」

 民生の笑顔は再び詩音を捉えていた。詩音は民生の端正な笑顔に見惚れて、返事もそぞろだった。

「う、うん。」


 その日の放課後、詩音は民生を教室で待っていた。ようやく民生が来たが、その後を一人の女子生徒が追って来ていた。のぞみだった。

「民生!待って!。ごめんなさい。」

「しつこいよ。彼女はおしかけて来ているわけではないよ。僕が同じ補習クラスに入れてもらったら、その補習クラスに先に入った彼女がいたんだ。それで、色々教えてもらっていたんだよ。でも、彼女に危険があるし、先生が送っていけというから、一緒に帰ることになっているだけだ。」

 のぞみは詰るように低い声で民生に言い寄った。

「嘘!。じゃあ、なんでわざわざ教室で待ち合わせて話をしているのよ。」

「だから、教えてもらっているって言ったじゃないか!。もうたくさんだよ。」

「上原くん。私は一人で帰れるから。」

 詩音は恐る恐る声を掛けた。やはり、民生が詩音のものになるはずもなく、いままで近くにいたはずの宏との会話も絶対的に不足していた。詩音は孤独を覚えつつも学力テストを思い出し、ひたすらそれに打ち込めれば良いと思い込もうとした。しかし、民生は強い剣幕で指摘した。

「何言っているんだよ。襲われて、また脇の下の傷跡みたいにひどくなったらどうするんだよ。」

 詩音は思わず両腕で胸の双丘を抱えるように隠し、民生を睨みつけた。左胸の横の脇の下には、詩音が幼い頃に襲われて負った傷の痕がある。幼い詩音が上半身を晒して民生に手当をしてもらったことがあるため、民生は知っていた。しかし、詩音にとっては男子にはもちろん女子にも知られたくないことだった。

 のぞみは、それを聞いて誤解をしていた。

「民生、この女を抱いたのね。嘘つき。辻堂さん、貴女は成績一番で、さも『私は男を相手にしませんわ』なんて顔をして、他人の男を横取りしているんじゃないの。」

「そんなことしてない。」

 民生と詩音は同時に否定したが、声が揃ってしまったことが、のぞみの怒りに油を注いでいた。

「覚えてなさいよ。」

 のぞみは詩音を睨みつけて走り去って行った。

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