無私の義務感
妊娠出産そのものを<仕事>と見做すほどだから、それに対して強い義務感を持つのも当然と言えば当然なのかもしれない。自身の幸福云々よりも今の社会を維持し人間という種を存続させることが望まれているのだ。
法を犯し村八分的に社会からはじき出されでもしない限りは『結婚できない』人間はまずいない。
これを『羨ましい』と見るかどうかは個人の自由だろうが、ここまで徹底した無私の義務感によるそれが果たして羨ましいのだろうか……
事故等による体の末端(つまり指など)の欠損や傷痕、四肢欠損、脳障害による学習障害等であっても肉体の機能的に可能であれば結婚の障害にはならないのだという。先天的なものは別としても、後天的な外見上の諸々はそれこそ誰にでも生じる可能性のある世界なので、そういう意味では各種障害の類もハンデにはならないのだが……
顔の皮膚の殆どが失われた重蔵のことさえ、開螺はまったく気にしていなかった。むしろそれを、『私の夫は立派な砕氷だった』と誇りにさえ感じるくらいである。
元より本来の人間社会においても外見等によってその人の価値を決定的に断じてしまうということは減っているものの、それでもハンデとしては完全には消えていないだろう。やはり見た目に美しい方が有利という傾向は残っている。この惑星ハイシャインにおける社会の感覚にまでは至っていない。
まあそれも無理もない話か。これはあくまでここの厳しい環境と、絶滅の危険性が皮膚感覚として実感できてしまう状況がもたらす心理的な圧迫が原因であろうから。加えて、互いに力を合わせなければ生き残れない、多少でも能力がある者には頼らざるを得ないという事情もある。
子を生す能力があるのなら、自立できるかどうかすら関係ないのだ。子を育てる能力がないのなら、その能力を持った者が育てるというのが徹底されてもいるのだから。
さすがにここまでいってしまうと、もはや人間自身が<子を生す為の機械>と扱われているに等しいかもしれない。しかしそれを疑問に感じる者さえいない。そういう世界なのだ。
『本当に厳しいですね……これは決して<平等>ではないでしょう。むしろ人を人として扱っていないとさえ言えると思われます』
ひめはそう考えてしまう。
しかしここの人間達が置かれている状況を考慮すると、それを『間違っている!』と断じることもできない。それをする為には前提条件を変える必要がある。
本来なら、結婚、妊娠、出産と喜ばしいことの筈なのに、素直に喜ぶことができないというのを感じつつ、ひめは今日も坑道の掘削に向かうのだった。




