生きる意味
『生きていても仕方ないような人間が生きられる』
それをまるで<悪>のように断罪する人間もいるが、それは果たして本当にそうなのだろうか? 本当に<生きていても仕方ない>のだろうか?
だがそれは、何をもって<生きる意味がある>と捉えるかによって全く変わってしまうものの筈だ。他人にとって<意味がない>ように見えても誰かからは生きていてくれることそのものに意味があるかもしれない。それを別の誰かの都合によって<生きていても仕方ない>と断じられて本当に良いのだろうか?
これについてはおそらく明確な答えが出ることはどれほど文明が発達しようともないことである可能性も否定はできないだろう。
単にここの人間達は自らそう思い込んでしまっているだけだ。別に、仕事や役目がないからと言って『死ね』などと言われる訳ではない。そんな法律も不文律もない。過剰なまでの自制心が、『他人に迷惑を掛けるくらいなら死んだ方がマシ』と考えさせるだけだ。
しかし、本来、自然に生きる生き物ならそもそも自らの<生きる意味>など考えることさえない筈だ。自分の命を永らえさせることが可能であればただ生きようとする。目的などというものすら考えない。生きているから生きる。ただそれだけだ。何者かが生きる為に力を貸してくれるならそれを利用してでも生きる。時折、人間の助けを野生動物が拒み結果として命を落とすこともあるだろうが、それは単に人間が信用されていないだけであろう。そこに<野生のプライド>などというものを当てはめてしまうのも、人間の勝手な憶測でしかない。
と、話が逸れてしまったが、ただ命を全うすることに<意味>を求めたがるというのも人間の習性なのだと思われる。
ひめは、そのこともよく知っている。彼女は人間を選別したりしない。ましてや<生きていていい人間>と<生きていてはいけない人間>などという区別はしない。彼女にとってはたとえ凶悪な犯罪者であろうともあくまで<人間>でしかない。ロボットには、そのような形で人間を選り分けるような価値基準は与えられていない。
だから彼女は人間に生きていてほしいと願う。過酷な環境であっても命を全うしてほしいと思う。過酷な環境であればこそ、人間を支え守るのが自分達ロボットの役目だと考えるだけだ。
「浅葱様…浅葱様のお心遣いは大変ありがたく思います。ですが私から道具としての役目を奪わないでください。私に務めを果たさせてください。お願いいたします……」
そう言って深々と頭を下げたひめに、浅葱も、
「ああ…分かった……」
と応えるしかなかったのだった。




