o。◈玉響◈。o 風の薫りと贈り羽根
ナガミは浜郷の者から積み荷の話を聞いているし、護人の三人は馬の手綱をとり、隊列を成している。
イブキは既に馬上だ。
ヒミコは見送りに出てくれていた、案内を務めてくれた女性へと小走りに駆け寄ると、気になっていたことを口にした。
「……あの。今日、浜に広げていたものは、陽が落ちる前に片付けたりしますか?」
「天日干しにしているものは、時折様子を見ていますから、そのままにはしておきませんよ?夜には、別の魚を一夜干しにしたりしますね」
山郷暮らしでは、果実などを風通しの良い日陰に吊るして、干しっぱなしにしておく。
保存食といえど、扱う品や所変われば作り方も違うものらしい。
「今夜はこれから雨が降るので、《干しもの》には向かないと…思います」
「もしや、山郷の祀人を務めていらっしゃいますか?
先代は早耳な方だったと、伺っていますが………失礼でなければ、理由をお聞かせください」
「私は祀人ではありません……ただ、ここから見える山の頂に雲がかかっていて、西の風に変わりました。これは、天候が崩れる兆しです」
「ふふ、貴女は良い目をお持ちですね。私は浜の者の間でも鼻が効く方ですが、まだ雨の匂いはここまで届かない。潮風は気まぐれで、急に変わりますから」
「潮風の香りで、天候を読むのですか?」
「忙しい郷の者は皆手元に集中しておりますし、遮るものの少ない浜辺の風は、常に肌に近しいものです。
流石に漁をする者達のように海の機嫌までは分かりかねますが、雨風に備えるには大抵、間に合います」
「………浜郷で暮らす方に、失礼なことを申しました」
丁寧な説明をしてくれた女性に、ヒミコはぺこり、と深く一礼して侘びた。
「いいえ。せっかくの保存食を無駄にしないよう、貴女は気づいたことを私に教えてくださったのでしょう?
そのお心遣いは浜に暮らす者として、とても嬉しく思います。
ただ、知識は時として得難い財産や、大きな力にもなり得るものだと、心してください」
「得難い財産……大きな力?」
考えたこともなかった、とヒミコはその言葉に瞳を丸くしつつ、ゆっくりと顔を上げた。
「《夜からは雨になる》…くらいなら、大丈夫ですよ。皆に伝えておきますね」
「あの、貴女は浜郷の……?」
「アコヤ、と申します。
祀人のように精霊に近しい者ではなく、郷長の一族の者、というだけです。…山郷の姫」
ニコッと快活な笑みを見せたアコヤに、ヒミコもつられて少しだけ口角を上げる。
「アコヤ様。私は、ただ《伝えること》しかできません。
他者にとって《尊いもの》、《知識》とは何かも……まだ分かりません。
それでも、これから。自分なりに向き合ってみようと、思います」
「また機会があれば、ぜひこちらにおいでください。
茜色に染まる空と海の境に、金色の太陽がゆっくり溶けていく様や、満月の夜には、白銀に輝く月光の道が海上に現れます。
刻を忘れる潮騒も良いものですが、次は美しい海の景観も、心ゆくまで楽しんでいってくださいね。…お待ちしております」
「……浜郷の姫様も、屋根の下より海の見える空の下が、お好きなんですね」
「ええ。昔からこっそり部屋を抜け出しては、後から気付いた家の者に叱られていました」
ヒミコとアコヤは似た者同士の内緒話をするかのように、くすくすと控えめに笑いあうと、小さく片手を振りあって二人だけの短い別れの挨拶を交わした。
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「二色の色糸を編んで、翡翠の羽根を二枚。飾りで、付ける…の…」
鮮やかな森の翠と澄んだ清流の青を混ぜたような美しい色をした羽根に、ヒミコは懸命に細い糸を巻きつけようとしている。
そのわずかな指先の動きでも、純白と桜色の貝がらが触れ合い、かちり、と乾いた音をたてた。
浜郷の使いの者が、山郷の長を訪ねるにあたって「アコヤ様から頼まれました」とヒミコ宛に持参した品。
その可愛らしい2枚の稚貝を通して複雑に編まれた柔らかな紐が、今はヒミコの華奢な白い手首を飾っている。
「次に浜郷に行けるとしたら、秋の収穫が終わってからだと思うよ?
……だから、そんなに日がな一日、根を詰めて腕飾りを作らなくても」
イブキは真剣なヒミコの隣で気遣いの言葉をかけつつ、小さな瑠璃色の羽根をくるくると指先で遊ばせていた。
「私、こういうの苦手で……不器用だから。ミモザに教えてもらったばかりのうちに、丁寧に、作り、あげ、たいの」
細い指先の動きがぎこちないのは、一目瞭然。ただ、こうして傍で不器用なヒミコを眺めていることに、イブキは少し飽きていた。
「もう一枚のこの羽根に、糸を巻きつけるの、手伝うよ」
「……うん。あり、が…と」
「まず輪っかを作って、外れないように羽根軸にぐるぐる巻きつけていけば、いいんだよね?」
「《三重巻きくらいだとしっかりする》って。細い糸だから、丈夫にしておかないと」
「この光沢……生糸だね」
「生糸?蚕の繭糸を煮出して紡いだ糸、だったっけ……?」
「そう。呼吸する生糸で織った絹は、肌触りもなめらかな生地になるから、とても貴重な品なんだ。染色も綺麗に染まるし」
「アコヤ様から、浜辺の花びらのような綺麗な貝を、もらったから。《森と川の色をした腕飾りを作りたくて》って、ミモザに相談したら《蓼藍と露草で染めた糸がある》って、用意して、くれたの」
山郷の大切な交易品になる生糸や絹織物。
その要となる養蚕を生業とする一家が、伯母上と母上の生家だ。
「それなら、この翡翠の羽根は、どうしたの?」
「ちょうど、夏の換羽中だった翡翠が住処にしてる木を、教えて、もらったの……」
誰から?と重ねて聞かなくても、ヒミコにとって身近な存在である水辺の精霊に、だろう。
山河に囲まれた郷で生まれ育ったイブキであっても、目当ての鳥の羽根をそう簡単に見つけられるものではないのだ。
それから日暮れまで、黙々と二人は繊細で柔らかな糸を使い、ちまちまと羽根に細工を施し続け、ようやく羽飾りの部分が出来上がったのだった。
「手伝ってもらっちゃったイブキにも、ね。……はい、これ」
ヒミコが背中に隠すようにして、別の部屋から持ってきたのは、流線形に整った長い羽根だった。
「クマタカの風切羽根。一番長くて、飛ぶ為の大切な羽根なの。
これも、換羽で落ちたばかりのものを、もらったんだけど……イブキは文字を書くから、羽根軸はどうかなって」
馬や鹿、兎の毛を使って作られた細筆や太筆は、郷長の家に数本しかない。
それを借りて、木簡や白布に文字を記す。
軽くて良く撓る羽根軸は、血が通う為に中が空洞で、斜めに切れ込みを入れれば墨を含むかもしれない、とイブキは思った。
何より風切羽根そのものが美しい。
白から羽根先に向かうにつれて濃くなる茶褐色は、途中から綺麗な縞模様を描いている。
「これ、軸削ってみてもいいかな?明日には試し書きしてみたいから」
「イブキが気に入ってくれたなら、使いやすいように加工してくれていいよ」
きらきらとした眼でじっと風切羽根を見つめるイブキは、とても嬉しそうに見えた。
ヒミコは少し長すぎた?と心配していたのだが、手に馴染んだところを見ると、ちょうど良さそうだ。
きっかけはアコヤからの小さな貝殻の腕飾りだったが、思いがけない贈り物も、その人のことを考えて、自分で贈り物を用意することも楽しいものだと、ヒミコは初めて知ったのだった。
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アコヤ→全ての物事のはじめ、生きようとする思いを繋ぐ。善悪の判断に積極的に動く。
羽根ペンが日本に渡来したのは1871年と随分最近(?)の事です…
鵞鳥、白鳥、鴉、猛禽類、雁、七面鳥の羽根が使われるのが一般的で、羽根軸の整形して使っていたのだそう。
季節的な換羽で抜けた羽根は、羽繕い中に本人 (鳥)が咥えてます。
自咬症でもない限り、血は付きません☆