《 心 》o。◈。o ミヤビのヰクラo。◈。o
ヲシテ時代の死生観。天と地に還るっていう穏やかな考えが好きです。
帰りの行程を半分程過ぎてもまだ辺りは明るく、一行は順調に自郷へと向かう。
「そういえば、別れ際にあの女性に何を耳打ちしていたの?」
「イブキには教えない」
「残念です、……姉上」
「内緒ったら内緒!」
そのうち慣れるのだろうか、とイブキはヒミコを《姉上》と試しに呼んでみたのだが、本人には不満そうにふい、と反対側を向かれてしまった。
気にしても仕方ない、と思っているとヒミコにしては珍しく、馬の手綱を取る護人のカンバに、何やら堅い顔で会話をし始めた。
二人共、視線を前に戻してからも暫く声を低めて話続けるのを不審に思い、イブキは何事か、と尋ねたいのを堪えた。
緩い傾斜の湾曲した道に差し掛かったところで、カンバが唐突に矢をつがえて半弓をぎり、と短く引き絞り、大きな葉を茂らせた朴の木の下に短く狙いを定め、茂みへと鋭く矢を放った。
流石に前を行くナガミは馬の速度を緩める事なく、その行動の示す事実を短く問う。
「……獲ったか」
「手応えは、あります」
「先鋒からの合図が無い事に怖気付いてくれる連中ならば良いな。クロマには警戒してもらおう」
護人同士の間で何か交わしたのかもしれないが、イブキとヒミコに分かったのは、殿を務めるクロマの気配が殺気とまではいかないものの、きりりと研ぎ澄まされたものに変化した事だった。
これがクロマの間合いなのかもしれないと思うと、イブキは背筋にひやりと冷たいものを感じ、妙に緊張してしまった。
クロマの威圧が功を成したのか、その後も何事も無かったかのように馬を進めた一行は、賊に襲われる事無く、郷の最奥である長の館前まで辿り着いた。
ヒミコが馬を降りるのに手を貸し、そのまま視線を合わせるように膝をついたカンバが、「大丈夫ですよ。皆、無事でしたから」と言っているのを耳にして、イブキは荷解きの手伝いよりも二人の元へ駆け寄ることを優先した。
「誰も賊を見た者は居ませんし、私は護人としての務めを果たしたまでです。風霊がそう教えてくれたなら、貴女も危険に対処できる私へと、勇気を持って伝えて下さったのですから。」
とんとん、と少女の細い肩を労うように軽く手を置くと、カンバは苦笑しながら「イブキ様が心配しておりますよ」と続けた。
イブキはそこでようやく、近寄り難い雰囲気のヒミコに、話しかける事ができたのだった。
「お疲れ様さま。足、ぺたぺたしない?海に入ったせいだと思うけど、日が落ちる前に川で洗ってこようよ。」
「…………うん」
ミィーンミンミン、カナカナカナ…と。森にほど近い清流では、さらさらと耳に爽やかなせせらぎの水音よりも、蝉の合唱が辺りに響き渡っていた。
空が橙に染まり始める刻、二人は浅瀬で膝から下を洗い流し、細かい砂が付いていた木靴も軽く濯ぐ。
ぽたぽたと雫を滴らせる木靴を手に、川面から離れようとしたイブキに、ヒミコは躊躇いがちに声を掛けた。
「ねぇイブキ。どうしてイブキもカンバも、精霊の話をすぐに信じてくれるの?この郷には、祭祀を司る方は……居ないのに」
「ええと…何から、言ったらいいか……」
答え難いと言うよりは、した事のない説明をするのに、戸惑いをみせたイブキだったが、やがてヒミコの方へ向き直った。
「深山の神樹がある精霊の地は、昔からとても大切にしていたらしくて、稲作はもちろん、季節を通して山の恵みで郷の暮らしがあるんだ。
天を読み、地を知るのに長けていた人が、代々郷の祀人を務めていたんだけど、その先代の祀人が僕の母上。精霊の声を届けてくれる、耳聡い女性だったんだって。
だから姿や声は見れなくても、精霊の存在や助言を否定したり、疑うような人は、この郷には一人も居ないよ。」
ふにゃり、と力無く笑ったイブキが、無理に笑顔を作っているのが分かり、ヒミコもつられて痛みを堪えるような表情になる。
「ごめんね、イブキの、母さまの話をさせて……」
「ううん、郷では亡くなった人の話をあまりしないだけだから。僕には精霊の姿や声は分からないし、父上も何となく気配や存在がわかるだけなんだって。
……だから、あの時。木苺の場所を教えてくれた精霊は、母上だったりしないかなぁ、とは思ったんだ。
僕には黒蝶に見えたけど、母上はふわふわしてる女性だったらしいから。」
イブキはそこで照れたのように頭をかき、僅かに視線を落とした。
そして二人は夕闇の迫る森を背に、まだ少しだけ昼間の温かさを残す河原の石の上を、裸足のまま歩き出した。
「……暮らしが違うと、考え方も違う、ね。
私の生まれた郷では、そういう子ばかり集められて、幼い頃から占や呪いを学んで、外へ出られるのは山で禊をする時くらいだったの。
精霊に教えてもらうとか、力を借りるのではなくて……大きくなった郷同士の争いに勝つためには、他郷より豊かになるには、なんて。そんな強い欲望に利用されるばかり。
……でも、この郷には精霊の声を聴いて、他人の幸福を願っての言動が出来る祀人や、その善意を汲み取る事の出来る郷の人たち…【ミヤビ】の【ヰクラ】と、《調和》があるのね。」
「ミヤビの、ヰクラ……?初めて、聞くなぁ。
郷長の家系は皆、勘が鋭くて、他人の心の機微にも聡いから。郷の人達も、思い遣りとか優しさがあるから平和な郷なのかもしれない。争い事なんて、滅多に聞かないし、ね。」
「そう。知恵や知識と、他人を思い遣る気持ちが【ミヤビ】。五つの【ヰクラ】のひとつ。」
「それじゃあ、ヰクラ、っていうのは?」
「【タマ】と【シヰ】、それを結ぶ【タマノヲ】から形作られるものが、人の【ヰクラ】。
生命尽きれば、タマは宇宙の中心へ、シヰは地球へ、それぞれの故郷に還る。でも、また地球にタマが降りる時、御魂同士の縁の近くで生命が…タマとシヰをこの世に止めるタマノヲが、結ばれるの。
ふわふわしてるタマが宇宙の中心に早く戻ってしまうのは悲しいこと。でも、タマノヲが解かれたのにシヰの《欲求》に囚われてタマが地球に居続ける事もある。でもそれは《廻り》から外れてしまうことなの。
……イブキの母さまなら、【行き来の道】を経て、きっと何処かで、また逢えるよ。」
「そっか。母上は早くに《逝ってしまった》んじゃなく、《御許に還った》んだね。いつか逢えるのを、楽しみにしようかな。……教えてくれてありがとう、姉上」
「私の事を妹のように思ってても、これからは《姉上》と呼ぶの?」
真面目な話をしていたのに、とその一言に気が削がれたらしいヒミコは、イブキの発言に納得がいかないようだった。
「生まれ故郷よりも、こちらの郷の方が好きみたいだし。これからも一緒に暮らせるなら、もう《ヒミコ》は家族だよ。だから、《姉上》」
すでに郷の家々の戸口からは、火の灯りが漏れ、暮らしの中で踏みしめられてきた郷の土を照らしている。
今夜は一際立派な館である郷長の家で、ナガミが語る浜郷との交易報告を聞きながら、一族の皆で夕食を囲むらしい。
「夜ご飯にも貝汁が出るかもよ?」と少し離れたところから急かすイブキに、ヒミコはぽつりと小さく、呟いた。
「………ありがと、イブキ」
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タマ→人の一生を楽しむ為の感性。
シヰ→生命維持を支える欲求。
タマノヲ→両者を結びつける緒。
ヰクラ→心のこと。ココロバは《ウツホ》、ミヤビは《カゼ》、タマは《ホ》、シムは《ミヅ》、シヰは《ハニ》。五元素に基づいた五つのクラ。