《 勾玉 》o。◈。o 魂のカタチ o。◈。o
「立ちくらみでも、したの……?」
「磐座と、波長を合わせていたの」
巨石に寄りかかるようにして目を瞑り、額を近づけていたのが、どうやら具合を悪くして、立っていられなくなったように見えたらしい。
初めて会うこの少年は、少女のように白い肌に、寝起きのようにどこか定まらないぽやん、とした瞳をしていた。
「あなたは……?」
誰?と。ヒミコは何気なく問おうとしたが、自分こそ《護長の義娘》だと告げなければいけないことに気付き、中途半端にその口を噤んだ。
「玉造師のクヌギの息子、エンジュ。ヒミコ様は、一人でここに?」
驚いたことに、エンジュと名乗る少年はすでに自分のことを知っていた。
ご丁寧に家業と父の名まで告げたのは、由緒正しい家か、郷長の一族の遠縁にでもあたるのだろう。
「ええ、一人。ここには初めて来たから、磐座に教えてもらっていたの」
「岩に《教えてもらう》なんて、何を…?」
「はじめまして、の挨拶をして、長年この場に鎮座する磐座に、ここ一帯の景色や、氣の質を視せてもらうの。一度覚えれば、いつでも来れるから」
「ヒミコ様は不思議なひと、だね。祀人みたいなことを言う……僕は、ここに原石を探しに来てる。
元は川底だったところで、上流の石がたくさん堆積した、石が豊富な場所だから」
「原石を拾うのは、家業の務め?」
ーー流石に、私が触れているこの磐座の表面には、貴石がないようだから、エンジュの探している原石ではないだろうけど。
「父上や兄上の手伝いではなくて、自分で見出した原石を磨くのが、玉造師。
磨き上げるまでにはとても時間がかかったけど。数日前、翡翠を勾玉に仕上げることが出来たから。こうして、ここに来るのも久しぶり」
そう言う少年からは、満足のいくものを造り終えた達成感は感じられず、久々だという原石探しにも身が入っていないようだった。
その磨き終えた勾玉に、自分の魂まで預けてしまったのでは…?とヒミコが懸念するほど。
疲れている、というか。
途方に暮れている、というか。
その少年の様子に少しだけ昔の自分を重ね、推測を含めてヒミコはエンジュを案じた。
「……エンジュは、揺れているのね。早瀬に落ちた、木葉みたいに流されて。周りの期待の声が、大きいの?」
「……いつの間にか、自分が今までどうやっていたのかも、掴めなくなってたんだ。
次は誰かの為に、とか。兄上のような一人前だ、とか。急に色々、言われてくうちに」
「きっと、その向けられた思念が重くて沈んでいるだけ。その分、心は波立って荒んでるんだと思う。
私も同じような事を言われたことがあるから、なんとなくだけど……分かる気がする」
「《大丈夫、お前なら出来る》って励まされてるのに、次の石を磨く気が全く起きないんだ」
「それなら、少し待ってみて」
「………待つって、何を?」
「《磨かなきゃ》って、余計な力が入ってるのかもしれない。エンジュの心に。
そうやって自分を動かすんじゃなくて、《玉に向かいたい》と自然に思う時まで、放っておくの」
「そんなこと、できるわけ…」
「一日かければ作れる物ではないでしょう?かかった時間と、仕上がり具合なら、どちらが大切?」
「それはもちろん早く造ることより、仕上がり。原石だったものを、光り輝く玉に造りあげるのが、僕達の仕事だから」
「もっと好きなように、自由に、玉に向かえばいいと思う。
エンジュが尊敬する人達に《一人前だ》と認められているなら。
私は周りに認められる前に、《違い》を感じて、期待が重くて、そこから逃げて来たけど。
でも、他人に言われて毎日向きあってた時と、自分からやろう、って思えた時では、発見も体験も違ったの。していることは大して変わらないのに、ね。
エンジュにとってのきっかけは何になるかわからないけど、磨く石にも個性があるだろうし、父さまや兄さまの磨いた玉にも、一つとして同じ形はないでしょう?」
「……そうだね。
父上が造ると舟の様な、全体的に同じ太さの丸みを帯びた形になるし、兄上の勾玉は猪や狼の牙のように、猛々しい形になる。
僕が磨きあげたのは、三日月の様だと言われたんだ」
「私は、月から降るミヅを集めて流れるものが川だと習った。とても綺麗な川は、明るく澄んだ翡翠色をしていたし。
ミヅを介して遠くへ行ける《舟》も、猛々しい自然を表す《牙》も、月のミヅの結晶である翡翠が、エンジュの手で《三日月》になったのも。きっと、その原石が宿す本質を現してる」
「いくら同じ工程で削って磨いても、仕上がった刻の輝きも表情も、個々によって違う……
なんとなくヒミコ様の言いたいこと、わかった気がする。僕も自分と波長の合う石を探して、教えてもらう」
「……磐座に、訪ねてみる?」
遠い過去に川床だっただけあって、この磐座は山の厳しさよりも、清涼感が際立つ。
貴石は地の氣が結晶化したものだから、心の瞳を介して視せてもらえば、強い氣を発する石は輝いて視えるはずなのだ。
ヒミコの提案に少し驚いた様子のエンジュだったが、ゆっくりと首を横に振った。
「ヒミコ様。原石との出会いも、玉造師には大切な務めの過程の一つ」
「そっか。…エンジュに良き出会いがありますように」
それでも、足元に広がる大小数えきれないほどの川原の石の中から、貴石の原石を見つけるのは楽しそうだなとヒミコは思った。
エンジュと語る間も触れ続けていた川原の磐座に、それが伝わっていたのだろうか。
そろそろ家に戻ろうと、磐座に深く一礼をしたところ、磐座にほど近い場所にある石のひとつが、自然とヒミコの目に止まった。
ーーこの親指大ほどの大きさの石がもし、原石なのであれば、《持ち帰って良い》との知らせかも、しれない。
「……エンジュ。この白い石、何かの原石だったりする?」
どうやらエンジュの方も、自分と波長の合う石との縁に恵まれたらしい。
すでに様々な大きさの石が、片手からこぼれ落ちそうになっていた。
「ちょっと見せて。
………うん、これも翡翠。元々、この辺りで見つかる翡翠は翠、青、紫、白、黒の五色があるんだ。
太陽の光を通す、透明度の高い翠を好む人が多いけど」
「教えてくれてありがとう。私も、原石を持ち帰っていいみたい」
「磐座にとっては、子供石みたいなものかもしれない」と言うヒミコの手に、エンジュは再び白翡翠を戻した。
「僕も普段は、磨きたいと思える原石を、こんなにいっぱい見つけることは無くて……
どんな形になるんだろう、どんな輝きを宿すんだろう、って石に聞くのは大事なこと、だった。
だから。
もしヒミコ様が授かったばかりのその白翡翠を、僕に預けてくれるなら。明け方の空に白く輝く月の様な勾玉に、してみせる」
「玉造師としての、最初の仕事にさせてもらえるなら」そう続けたエンジュは、会ったばかりは寝起きの様にぼんやりしていた瞳に、しっかりと決意を宿していた。
この玉造の少年に、《不思議なひと》だと言われたばかりだったが、《話を聞こう》と意識するだけで、この川原に潜んでいた結晶達に感化出来る方が稀なことなのに、とヒミコは首を傾げた。
そして、玉造師としてのエンジュに白翡翠を磨いてもらえるなら嬉しい、とも思ったのだ。
「……本当に、頼んでもいい?この白翡翠は小さいから、勾玉の形にはこだわらなくてもいいよ」
「うん。輝くまで磨いた玉のままでも、十分綺麗だと思う。
ただ、自分で磨き終えたところを想像すると……まろやかな優しい乳白色に輝く、勾玉になってる」
「エンジュに任せた未来では、もう輝く勾玉に仕上がっているのね?それなら、遠慮なく。
………《玉造師エンジュ》に、この白翡翠を託します。どうか、この石の本質を形作ってくださいますよう、お願い申し上げます」
ヒミコは軽く目を伏せ、そっと両手を重ねて胸のあたりに捧げ持つと、エンジュに向かって手の中にある白翡翠を差し出した。
エンジュは腰に下げていた麻袋に、先程拾ったばかりの石を大事そうに納めると、ヒミコの手から静かに白翡翠を受け取る。
「ヒミコ様より、確かに《白翡翠》受け賜わりました。必ずや、磨きあげた勾玉に光を宿して、御返し致します」
「今から、仕上がりが楽しみ」
それまでの畏まった厳かな雰囲気を、わざと打ち消すかのようにヒミコは口調を普段のものへと戻した。
「集中力と体力勝負だし。実際、預かっても長くかかるから、それなりに覚悟してて」
そう言いながら、陽に透かして白い小石を眺めるエンジュは、もう石との対話をしているかのように見えたのだった。
郷へと向かう道すがら家族の話を聞いてみれば、護長とエンジュの母が再従兄弟同士なのだそう。
第一印象からしてイブキに似ているような、と感じたのは気のせいではなかったらしい。
本当に、些細なところではあるのだが。
ーー皆、もう自分の身の振り方を決めている。
イブキは出会った時から変わらず、郷の学びと記録の保持者に。
ウツギは鍛治師、エンジュは玉造師に。
ヨモギは得意の機織を続けつつも、幼いカリンの母になったのだ。
年初めに郷長のハイトから頼まれるようになった占も、生まれ育った郷で習った時のような抵抗を覚えることはなかった。
ーーこの山郷の暮らしが、好き。
ーーここで暮らす人達が、大切。
大勢の人の意思がうねりのように混ざり合う郷同士の争いや、個人を対象とする呪いではなく。
自然の理の一部として起こる、災害や飢饉に備える為の占なら、出来る。
聞いたままに精霊の聲を届ける自らの神子としての勤めだけでなく、ゆくゆくは郷の祀人を正式に拝命するのかもしれない、とヒミコはこの時、予感めいたものを感じていた。
゜+o。◈。o+゜+o。◈。o+゜
エンジュ→他の物事への興味を始めとし、やる気を終える。知識に関心を止めることで、再び活気を取り戻す。
ホツマツタエに、勾玉は出てきません。
八咫の鏡になぞらえて、一人一人の個性である自我…真の我の魂、マガタマの形の話にしました。
好き、嫌い、得意、苦手…感性を司る自分の【タマ】を知る。