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私の期限、 あなたの寿命

作者: 藍絃

『合言葉を』


少年の持つ電話端末(カード)から、男の声が言った。


ほしながれ、からすたわむれすさんでいく、ゆうぐれはまよい、むらさきそのへとゆく、くれないみちをすすみ、まことみきる。」

『よし、一応の確認は完了した。毎度堅苦しいのは勘弁願いたいものだ』


心底面倒だと言う男に、少年は苦笑した。


「あなたが決めたことじゃないですか」

『まあ……そうなんだが…おっと、何の用だね、外属(がいぞく)の人間たる君が?』

「その言われ方は気に障るけど……“そちら側”に送りたい人間がいるんだ。お願いできるかな?」


電話端末の向こう側で男が、驚く。


『君が私に頼みごとをするなんて、な……誰を送りたいんだ?』

「僕の“娘”と、未来の“息子”になる予定の少年を」

『お、ついに君の箱入り娘も恋をしたのか!!』


男に言われて、少年は不快そうに顔を歪めた。しかし、相手に頼むこともあって、努めて丁寧に言葉を発する。


「まあ、認める気はないけどね……そいうわけでお願いしたいんだけど、いいかな? 受け入れだけでいい」

『……受け入れだけ? 外属の人間がそう簡単にここまで来れるはずは…』

「“昼日”に搬送を頼む」

『よし分かった。いいだろう』


即座に、快い承諾に安心すると、少年は、近くの睡眠カプセルの中で眠る少年と、自分の背後で頭をおさえている少女を見つめた。


「僕は、意地悪なんだ」

『お前ほどの親馬鹿で、鬼畜な奴はなかなかいな……』


少年の言葉を拾った。電話端末の向こう側にいる男の言葉に、不快になった少年は、苛立った様子で会話終了を告げた。


「黎明。君には悪いけど、僕は彼を試したいんだ」


その声は、誰かに届いたのか、知る者はいない――。


×××××


少年の名前は海原かいばらなぎさ。彼は自らの名の全てで海を表していた。それが影響してか、海へ行くことが大好きな少年だった。

 自宅は、海へと徒歩で数分の場所にあって、いつだって潮の香りが流れ込んでくる。

 幸せな日々を過ごす少年は、毎日が充実していた。学校では、海の博士とさえ呼ばれるようになった。

 彼が10歳の時、海の浄化作用が極端に弱まったと聞き、渚は毎日欠かさず海に通い、心を痛めた。原因はもちろん、機械化の進んだ世の中だ。


「僕が海を元に戻す!」


子供ながらにネットワークや、本を調べて知識をつけていくが、やはり追いつかない。

 苛立ちが募る中、少年は病気にかかった。

 “海毒病”その名の通り、海が原因で発祥する病。彼は、愛する海に、発病者第一号の名誉をもらった。

 病気の原因となったのは、“コード”という物質に組み込まれたAI。ヒューマノイドは、今や人と見分けがつかないほどに精巧なものへと進化していた。

 一般にも普及しだしたヒューマノイドは、その身にバーコードのようなものが球体を作り出す光の粒子、“コード”を組み込まれることにより、人間の感情を学び、自らを人へと近づけていく。

 壊れたヒューマノイドから取り出された“コード”は、廃棄ができず、そう簡単に捨てることもできないという盲点があった。何故学者たちは気付かなかったのか、彼らには元より“捨てる”ということを考えていなかった。

 愛する子供を捨てるなどと、彼らに出来るはずが無かったのだ。

 かくして“コード”は、街のところどころに廃棄されているのを見かけるようになった。 それは、街の排水溝を流れ、下水道を流れ、海へと流れ出した。水にも汚れにも強く作られた“コード”は壊れることなく浜へと流れ着いた。

 自我と言う名の憎しみを抱いて――。


×××


ある日、浜に“コード”が流れ着いていた。

 毎日の日課としてごみ拾いをしている渚は、波に揺られる一つの“コード”を拾おうと手を伸ばした。普通なら触れるはずの“コード”は、どういったわけか、少年の手に吸い込まれていった。

 それが、始まり。

 初めは夢。そのヒューマノイドの記憶が、渚の夢へと現れた。その時はまだ、ただの悪夢として処理をした。

 次の時には、左足の痛み。夢の中で、女性型のヒューマノイドが、主人に切り落とされた左足が、同じように痛み出した。それでもまだ、どこかで捻ったか何かしたのだろうと楽観的な判断をした。

 その次の時には、頭が割れるように痛んだ。人間としての感情を手に入れたヒューマノイドは、後に使えた主人が、彼女を奴隷のように扱ったようだった。 

 痛いの、辛いの、疲れたの……私は、意思のない人形なんかじゃない、痛みも感じるヒトなの――!!

 女の声が、頭の中で勝手に主張する。渚の様子は、明らかにおかしくなっていた。

 両親も心配になり、ヒューマノイドの権威たる博士のもとを訪ねることにした。どんなに後でもいい、とにかく会う約束だけでもできればいい。そういった願いを込めて博士の住む家へと向かった。

 博士の名前は朝月あさつき、朝月(こう)

 今や、渚たちの住む国で、考の名前を知らぬものはいなかった。


×××××


「いらっしゃいませ、えっと……渚君、だったね?」


朝月邸を訪ねた時、迎えたのは渚と同じ、15,6歳くらいの少年だった。何日も洗っていないかのように、汚れて、よれよれになっている白衣を着て、寝癖なのかあらぬ方向へはねている髪の毛を無理やりに押さえつけていた。

 表情は豊かで、ヒューマノイドとしての特徴に当てはまるようなものなどなかった。“コード”を取り入れて以来、ヒューマノイドを嫌うようになった渚からしたら、それはとてもありがたいことだった。

 少年は、居間の方へと案内をした。彼のすぐ隣に控えていた少女は、ゆっくりと一礼すると、渚に向かって微笑んだ。一瞬、彼女がヒューマノイドなのではないかと怯んだ渚だが、 ヒューマノイド特有のゆらぎのない、無機質な笑顔ではない、人間の微笑だと知って、安堵の溜め息をついた。

 居間に案内された渚は、椅子に座るよう言われたが、高級感溢れる椅子に、座ることをためらった。

 両親は、元より座る気がないのか、渚にだけ座るよう促した。


「ほら、座って座って! 話がいつまでたっても始められないじゃないか」


ためらいながらも座った渚は、早速話を切り出すことにした。こうしている間にも、自分が自分ではなくなってしまうのではないかと言う恐怖に追われているのだ。


「僕、考博士に会いに来たのですが……博士は、どちらに?」


敬語というものに、若干慣れない感覚を抱いた渚は、少年を見た。

 少年は渚の言葉に、唸りながら考え込んだ。隣では、少女が渚を見つめている。

 興味津々と言った様子の少女に見つめられて、少年は顔が自然と赤くなるのを感じた。少女はといえば、今度は渚の両親の方へと視線を移していた。視線に落ち着きがないことを、少年がたしなめた。


「まず。何の用でここを訪ねてきたのか、そこから教えてもらえないと、博士は忙しいから……もしかして、海毒病のことかな?」


頷いた渚に、義務的に聞いてくる少年だが、実際に忙しいのなら、ここへは近寄ることすらできなかっただろう。

 画期的な発明をした朝月博士を、報道陣が放っておくはずはない。それに加えて、近所の人間だって報道の、ほんの数秒でも映る可能性があるのならば、目立ちたいがために朝月邸を訪れるはずだ。

 だが、実際は誰もここへは訪れていないし、もてはやしもしない。彼は、“廃棄できない感情”を作り出した。評判の人間は、今や悪い方の批判の中心になってしまったのだから。

 渚は、回りくどいなどと思わずに、浜で取り込まれた“コード”について、全てを少年へと伝えた。 時折頷いて、反応を示す少年は、待機したままの少女に、お茶を頼んだ。

 全ての事実を話し終えた渚に、少女がティーカップを差し出した。渚の目の前では、少年がすでに紅茶をすすっていた。

 なんてのんきな、渚は湧き出す怒りを押さえつけようと努力した。

 その瞬間に、女性の金切り声が轟いた。


『ふざけないでくれるっ?! 私は真剣なのよ? 何よ、何よおっ!!』


何か発言しようとしていた渚の両親が顔を見合わせた。少年と、その隣に控えた少女も、呆然として渚を見つめている。


『私は、私、は……っ!』


大きく肩が揺れた。渚は、目を驚愕に見開いたまま、体をかき抱いた。勢いよく立ち上がった足は、震えて、今にも崩れ落ちそうな様子だった。

 視線が、まったく焦点を定めず、多きく揺れ動く。膝をついて、両手をついて、荒く息を吐き出しながら、渚は、呼吸を無理やりにでも整えようとして、失敗して咳き込んだ。


「黙れ、出て……来ないでくれ…!!」

「驚いた……“アレ”が、君に入り込んだ“コード”…?」


少し距離をおきながら、少年が聞いた。少年の前には、少女が盾となるように立っていた。渚の両親も、そこまで過剰な反応は見せなかったが、やはり渚から少し距離を置いていた。

 呼吸を整えた渚は、乱れてしまった髪の毛の間から、憎悪に満ちた顔をのぞかせ、苛立ったように声を荒立てた。


「そうだよ、今みたいに勝手に出てくる。くそっ、忌々しいよまったく!!」


苛つきを発散するために、強く置いたティーカップが、砕け散る音を渚は聞いた。指には、小さな血の玉がにじんで、直後に浅く焼けるかのような感覚が襲ってきた。

 少年が、椅子から立ち上がろうと中腰の状態になる。しかし、そのときすでに、少女が渚の手を掴んで止血を行っていた。次いで取り出したのは、止血テープ。傷口をテープで止めると、一安心したようで、少女は息を吐いた。


「あ、ありがとう……えっと…」

鈴鳴すずなりっていうんだ。彼女は。それと、海毒病のことだけど……まだ分からないことが多すぎて対処法が見付かっていないんだ…さて、用件も聞いたことだし、いいよ、帰ってもらっても」


未練も何もない、あっさりとした口調だった。

 しばし言われたことの意味が分からず、渚と両親は、口を開けたまま固まっていた。

 ようやく言われたことの意味を飲み込んだ渚の両親は、怒りもあらわに怒鳴った。


「ふざけないでくれ! 博士をだしてくれたまえ!!」

「そうよ! 渚が、渚がかわいそうよ!!」

「第一君は子供じゃないか! きちんとした大人を出したまえ!!」


子供。確かに少年の外見は、明らかに子供と見られるだろう。しかし、渚の両親が怒鳴りだしたことで細まった瞳は、子供では出せるはずのない、深みがあった。

 世の絶望と、希望を砕かれたことがあるような、死にかけたかのような瞳。それでも今なお彼がここにいるのは、まだやり残したことがあるからだと、鈴鳴は知っていた。しかし少年に言うことを止められていたため、勢いを増す渚の両親の批判を、苦悶の顔をしながら耐えるしかなかった。

 少年の表情は、飄々としていて、不快であるはずの文句を聞き流している。馬の耳に念仏。渚は、その言葉がまさに今の少年を表しているのだろうと感じた。


「しかし、君みたいな子供に家を任せるなんて、その博士とやらは頭がおかしいんじゃないか?」


気にも留めない少年に、渚の父親が言うのに対して鈴鳴は、傷ついた表情になり、やがて涙をこぼし始めた。

 そのことに驚いたのは渚で、さすがにやりすぎだろうと感じた。

 止めようかと思い、両親の顔を見ようとした。表情は侮蔑を込め、上から下を見るような目線だった。見たことのない、恐ろしい表情に、渚は出そうとした言葉を飲み込んでしまいそうになった。


「か、あさん。言いすぎだよ! 僕、こんなことのために来たんじゃ……」

「お前は黙ってろ!!」

「あなたは黙ってなさい!!」


白熱した2人は、息子の怯えた声に耳を貸さず、さらに過激な発言を並べ立てようとしていた。


「やめっ、やめてください! どうしてあなた方はそんなひどいことをっ!!」

「うるさいっ、子供がでしゃばるんじゃない!!」


渚の両親の前に立ちはだかった鈴鳴は、あっけもなく渚の父親に突き飛ばされた。


「あっ!!」


渚が叫んだ時には、素早く少年が頭から倒れようとしていた少女を支えていた。

 両腕でしっかりと鈴鳴を支えた少年は、次に顔を上げた時には、深淵を思わせる冷めた瞳で、突き放すかのような声で、告げた。


「帰ってくれ、さもなくば僕の“子供たち”が黙っちゃいない」


場の気温が一気に下がったような感覚に、寒気を覚えた渚は、そこかしこから笑い声が聞こえ始めたことに、恐怖を抱いた。

 渚が恐る恐る辺りを見回すと、まるで群れを成す獣たちのように、ヒューマノイドたちが集まっていた。何に使うのか分からない機材や、机の上に腰掛けているヒューマノイドたちの笑い声だった。今では人間と聞き分けできないほどの声を持つそれらは、わざと機械音を交えたような笑い声を響かせる。威嚇していたのだ。


「ヒューマ……ノイド! 笑うなっ! 僕が惨めだと言いたいのかっ?!」

「な、渚! 帰るぞ、こんな不快な場所にいられるか!!」


近くにいたヒューマノイドに殴りかかろうとした渚の手を、父親が掴んだ。


「気味が悪い! こんな化物たちっ!!」


母親が渚の、あいているほうの手をとった。

 半ば走るように渚と両親は出て行った。少年はその背中をつまらなそうに見て、不安そうにしている少女へと視線を移した。


「どうしたんだい、鈴鳴?」

「あの、男の子……」


それだけ言うと、鈴鳴は黙ってしまった。

 ははぁん。そういうことね。少年は、鈴鳴の反応を変な方向に解釈したようで、すでに消えかけている渚を呼んだ。


「不安になったらここへ来たまえ、“子供たち”も歓迎してくれるようだ」


半ば嫌味を込めたセリフだったが、果たして渚に聞こえたのか、少年は薄く笑うと椅子へ座った。


「は、博士っ! 彼はヒューマノイドを嫌っているみたいでしたよ?!」


鈴鳴が怯えた声を出すが、少年は彼方を見つめている。


「そ、それに……怖いのは、嫌です…」

「大丈夫だよ、僕に任せなさい。そうだ、鈴鳴。どこか調子がおかしいんじゃないのかな?」


確信したような言葉だった。鈴鳴は、気をそらすかのように肩を揺らすと、冷静を装って返答した。


「はい……渚、と言いましたか? 彼を見ると…ここがおかしくなるんです」


言いながら押さえたのは左胸。ヒューマノイドで表すとしたら感情をつかさどる機関が載せられている場所だった。

 考は、娘とも言えるヒューマノイドの顔を見つめた。表情はまるで、恋する乙女。

 あんなののどこがいいんだろう。まだ恋するには早いんじゃ……。少年の頭の中は、娘のことでぐるぐると渦を巻いていた。


「鈴鳴、今日はもう疲れたろう、休みなさい」

「いいえ、私は疲れません、まだ……」

「休みなさい」


考の命令に、何か言い返そうとしていた鈴鳴は、何故反論してまで休みたくないかという理由を考え、何もないと言う結論に辿り着き。部屋から立ち去った。


「考博士? どうか、なさいましたか?」


鈴鳴に代わって、別のヒューマノイドが声をかけた。博士の様子がおかしいのではないか、 そう心配をする男性型のヒューマノイドと、水に浸したタオルを持った女性型のヒューマノイドが、考の側に控えていた。


「ん、心配しないで……娘の将来を思ってつい、ね…」


ゆったりとした動きで、わずかに残っている紅茶を飲み干した考は、タオルを持っているヒューマノイドに聞いた。


「恋をしたことはあるかい?」

「……はい、昔に。」

「そうか。なら、鈴鳴の手助けをするにはどうしたらいいか分かるかい?」


女性の思考は、いつまでたっても分からない。女性の心を解明しようと昔に試みたことのある考は、結局残念な結果しか出なかったことにより、女性の悩みは同じ女性型のヒューマノイドに解決させることにしていた。

 特に、今質問を投げかけられたヒューマノイドは、かなりの古株で、相談するに一番気が楽なのだ。古株のヒューマノイドは、表情も柔らかで、物腰も柔らかい。白に水色を混ぜたような薄い色の髪の毛は、光の反射で煌めいた。


「もちろんです。それでは、私は彼女のところへ行ってきますね。力になれるかは分かりませんが」

「行動が早くて助かるよ、昼日(ひるひ)。」


鈴鳴が消えた方へ、同じく歩いていく昼日に感謝の言葉を述べると、男性型のヒューマノイドと、考のみが部屋へと残された。


陽夜(ひよる)。僕と一緒に出掛けないか?」

「了解しました」


軽く一礼をした陽夜の、紫を黒に近づけたような短髪が、小さく揺れた。


×××××


もう二度と朝月邸へ訪れる気のない渚の両親は、渚を病院へと連れて行くことにした。

 しかし、今現在。病院は渚と同じ症状に悩む人々で溢れかえっていた。一人一人の診察もままならぬ状態で、解決策などあろうはずもなかった。

 諦めて家へ帰ったが、海毒病の発作により、渚は暴走した。暴れる自分の子供に、渚の両親は、ある種の恐怖を覚えていた。どこかよそよそしくなる親に、渚も何かを感じ取り、部屋にこもりっきりになった。

 外は晴れ、加えるとしたら日曜日。休みを利用して海へと遊びに行く子供たちの楽しそうな声が響いてくる。だが、渚はそこへ加わることはできない。いつおかしくなるかもしれないというのに、外へなど出ていられない。親も、自分を外へ出す気などないのだろう、家の鍵は全て閉められている。


「もう……やだ…」

『ほら、私に体をよこしなさいよ、楽になれるわよ?』

「うるさいっ!!」


頭の奥で囁くのは、ただの人工物(データ)でしかなかった“コード”。いっそ体を預けてしまえば楽なのだろうが、渚は、抵抗した。

 自分を捨てることなど、簡単に決心できるはずもない。こうして考えている今にも、“コード”は、自分をのっとろうと企んでいる。

 医者は、どこも多忙で頼れない。親戚も、渚を怖がって相手にしてくれないだろう。もし誰かを頼れるとしたら、やはり原因を作り出した人間だ。親は、渚がどこへ行こうと、もう探さないだろう。

 渚が眠ったと思い込んだ親たちの、毎夜の怒声、泣き声、叫び声。それらが全て自分のせいだと、その本人が気付かないはずがない。


「行こう。もしかしたら博士に会えるかもしれない……」


思い立ったが吉日。渚はまず、倉庫へと降りた。外へ出ることが極端に減ったせいで埃を被っているものを掘り出した。それは、一人乗り専用の乗り物。結構昔の型で、今では新しいものが出ている。

 まるで魔女の乗る箒をイメージしたような空中移動装置(フライ)に、渚は腰掛けた。

 目的地を設定すると、後は勝手に宙に浮いて、動き始める。

 速度は制限に忠実なので遅い。のろのろと進んでいくフライに、別の型、UFOのような乗り物や、サーフボードのようなフライに乗っている人が追い越していく。

 新型と思わしきフライに、羨望のまなざしを向けながら、渚は、朝月邸が見えるまでぼんやりと風景を眺めた。

 数十分ほど飛行すると、ヒトの気配があまり感じられない考博士の住まいへと到着した。

 いきなり乗っている人を跳ね飛ばさないように、緩やかに速度を落として降下するフライの上から、買い物カゴを片手に歩いている鈴鳴を見つけた。

 声をかけようかと迷っている渚に、鈴鳴はまだ降下を続けているフライと渚を見つけたようで、手を振ってきた。


「こんにちわ!」


元気な挨拶に、つい先日のことを思い出し、気まずそうに顔をそらしそうになった渚に、鈴鳴は笑顔を向けるが、降下が終わり、地面に降り立った渚に不安そうな顔を見せた。


「今日は両親と一緒じゃないの?」


どちらかといえば一緒にいないよね? そういった確認だった。彼女の心配することもなんとなく分かったので、渚は頷く。

 確認が終わり、安心しきった鈴鳴は、緊張で少し引きつり気味だった顔を緩めた。

 ほにゃっとした笑い方に、渚はついふき出してしまった。


「え? え、何で笑うの?」


鈴鳴は、途端に顔を困り顔に変えて、焦る。

 それなのに、渚は笑ったまま。頬を膨らませる鈴鳴に、遠くから声がかかった。

 機械的な、感情を最低限に留めているヒューマノイドの声だと知ると、渚は自然と警戒心をあらわにした。

 じわじわと湧き出る憎悪に、抑制をかける必要があるのか、迷う渚の目に、鈴鳴の姿が映った。

 ここで騒ぎを起こしたら彼女が困る。そう思うと、警戒心は消すことはできないが、 憎悪をぶつけることは止められた。


『マすターガ、お待ちでス。ドうゾこちラへ……』


言語能力が元から低いのか、どこか不具合があるかのように、質素な格好をした女性型のヒューマノイドは、片言の言葉を発した。

 鈴鳴が、お使いをしていたのだと言うと、ヒューマノイドは自動的に玄関の方へと歩み始めた。自動案内モードが搭載されているのだと、鈴鳴は説明した。

 玄関の前で立ち止まったヒューマノイドは、扉を軽く叩き、自ら扉を開き、先にどうぞとでも言うように手を「あちらへ」と出した。


『お帰りなさい。鈴鳴サん、そしてようこそおいでくださいました。渚様』

「ヒューマノイドなんかに言われなくても……」


憎しみを込めた渚の言葉に、鈴鳴がしおれるので、無理やりに優しく変えようと努力した言葉が裏返って、恥ずかしい思いをすることになった。そんな渚に、鈴鳴は、一瞬目を丸くすると、すぐに笑顔を見せた。

 彼女はよく笑うんだと、渚は、その笑顔が逆立つ心をなだめていくかのように感じた。


「よかった」


鈴鳴が言った。


「何が?」


それだけでは何がよかったのか分からない。態度で示す渚に、笑みを浮かべたままの少女は答えた。


「怖い人だと、思ってたから……でも、あなたは優しいのね」


唐突に、この前のことで彼女を怯えさせてしまったという罪悪感が芽を出し、渚は、咄嗟に謝っていた。


「ごめん、父さんと母さん、僕が海毒病に侵されてからぴりぴりしてるんだ……」

「あ、いいの、怖いのには……慣れてるから…」


鈴鳴の表情が、硬く、沈み込んだ。

 触れてはいけない部分に触れてしまったと、渚は焦った。


「ご、ごめん!」

「あなたが……謝る必要は…」

「まったく、君たちは何で謝りあっているのだろうか? というか、僕の屋敷で辛気臭い雰囲気を出すのはやめてくれないかな?」


数分前から居間の、豪華な椅子に座って紅茶を飲んでいた考は、呆れたようなまなざしを向けていた。このままでは、第三者が入るまで終わりそうもない謝罪合戦が始まってしまうだろうと考えて、声をかけることにした。

 気付いていなかった渚は、鈴鳴が当たり前のように主へ礼をしたのに対して、顔を恥ずかしさのあまり真っ赤にして俯いた。


「さて、どうやら君は僕に用があるみたいだね」

「え……じゃあ、じゃあ、あなたが、考、博士…?」


素早く顔を上げた渚は、まだ少し顔を赤くしている。

 目の前で優雅に紅茶を飲む少年が、渚の目的の人物だった。つまりは、前回の目的は果されていた。そういうことになる。


「す、すすす、すいませんでしたっ!!」


慌てて土下座をする勢いで謝る渚に、考博士は眼鏡越しに、優しい眼差しをよこした。


「気にしなくていい。もし僕が街を歩いていたとしても、気付く人間なんていないのだから……それに、謝ってばかりの人間も好きではない」


遠まわしに、謝るなと告げた考に、もう一度謝罪を述べそうになった渚は、一度言葉を飲み込み、しっかりとした口調で、感謝を述べた。

 考は、また謝るかと思ってつまらない人間として分類しようとしていた。しかし、その感謝を聞き、むしろ面白い人間として分類することにした。


「君は面白いね、さて、ご用件を聞いてあげよう。僕の知識を総動員して、ね」


悪戯っぽく笑う少年は、世間を騒がせる“考博士”だと分からない。だというのに、彼の笑顔には、どこか陰が潜んでいる。

 渚には気付けなかっただろうが、鈴鳴はその表情に気付いた。


「博士……」


「鈴鳴……さん? 大丈夫?」


考の微細な感情には気付かないで、鈴鳴の声に含まれる微妙な悲しみに気付いた渚は、心配そうに鈴鳴に声をかけた。

 鈴鳴は、儚げに笑うと、気にしないでいいよ、そう言った。


「……面白くない」


「え? 何が、ですか?」


不機嫌な声を出す考に聞いた渚を、面倒くさいとばかりに見ると、標準的な笑顔に表情を作り変えた。


「何も。ほら、用件用件」

「あ、はい……率直に言いますと“コード”を、僕の体から取り除く方法はありますか?」


できるだけ丁寧に、そして慎重に言おうとした言葉は、緊張で震えた。

 ふむ、と考は考える。元より解決策なんてあるとは思っていないだろう、それでもこの僕に期待してここへと来ているのだと考えると、とても楽しい。むしろ彼を利用してやりたいことがある。

 考のよからぬ計画に、なんとなく嫌な予感を感じた鈴鳴だが、確信がないので口には出さなかった。


「なくもない……かな」


「本当ですか?!」


「ただし、君が嫌っているヒューマノイドの力が必要だ」


「なっ!!」


嫌だ。何であんな無機物で、僕をこんな目に合わせたやつの力を借りなきゃいけないんだ。嫌だと言ってしまいたかった。でも、話だけは聞いておいても損はないだろう。

 一応話を聞こう、渚は、考へ説明を求めた。


「そうだね……君に入り込んでいる“コード”を、“コード”の入っていない《からっぽ》のヒューマノイドに入れ替えるんだ」


「そんなこと……」


できるはずがない。その言葉を、渚は発することができなかった。なぜなら、彼は初めて“コード”を発明した人間で、彼ら(コード)を自分の子供のように扱っている。

 ならば、その“コード”をみすみすと犯罪者にさせてしまうはずがない。


「できる。僕らならね、でも……もし“コード”の入れ替えを行わなければ君の寿命は後数ヶ月ってところだろうね…」


さて、どうする? 考が挑戦的な瞳で渚を射る。

 渚は、考の眼差しに気付かないで、頭の中で考の告げた言葉を反芻した。

 “君の寿命は後数ヶ月”――。その言葉が渚の中で重くのしかかった。


「博士……あ、あの…私…」


「鈴鳴、君は黙っていなさい。渚君……何も君に今すぐ決断を求めているわけじゃない。ただ、早くしたほうがいいという警告はしておく…1週間、まずは考えてみてくれたまえ」


それだけ言うと、考は、鈴鳴に見送りを頼んだ。渚も、もう何も言い返さなかった。

 渚が帰り、機械音だけが響く中、考は鈴鳴の浮かない顔をしている瞳のあたりへと手を滑らせた。


「これは、君の覚悟を決める期限でもあるんだ。彼を、助けたいと思うのか、答えは彼の返答を聞いてからでいい。選択肢は2つ、どちらを選んでもいいんだ。いや、お願いだから……」


すがるような言葉が出そうになった考は、咳払いをした。それでもまだ、未練のカケラが言葉の端に見て取れた。


「いや、僕は口出ししないことにするよ」


それきり、考はどこか上の空になり、誰の声も聞きたくないとばかりに研究室に閉じこもった。


×××××


あれから数日、渚は久しぶりに外へと出ていた。親も、もう何も言わなかった。

 久しぶりに見た海は、とても濁って見えた。どこかの国で、誰もついていけないほどの知能を持った学者が生まれたらしい。そのニュースも、かなりの時間が経った今、やっと知ったことだった。

 工業が発達した国は、環境に優しくない動きを見せている。ああ、僕が海を綺麗にしようと思ってたのに……。渚は、沈み込む思考の中、鈴鳴の柔らかい笑顔を思い出した


「なっ、何で彼女の笑顔が……」


振り払おうとしても消えない。あんな風に笑いかけてくれたのは、彼女だけだった。

 海の知識があっても、芸能人(タレント)の知識や、情報(ニュース)について知らなければ、つまらない人間として分類されてしまう。渚は、そのせいで友達らしい友達がいなかった。

 だからこそ、今、鈴鳴の姿しか思い浮かべることができなかった。


「渚……君…? 今日は!!」


記憶中の映像でしかなかった少女が、目の前にいた。

 急なことで叫び声を上げた渚が、しりもちをついた。


「驚かせちゃった? ごめんなさい!!」


鈴鳴は、未だ呆然とする渚の片腕を掴むと、軽々と体を持ち上げてみせた。

 ズボンや上着についた砂を丁寧に払い落としていく鈴鳴に、渚は見惚れていた。


「本当に、ごめんなさいね?」

「あ、い、いいんだよ、気にしなくても、鈴鳴さんはお買い物?」


この前に会った時に、お使いをしていたので今回もそうだろうと思って聞いてみた。

 鈴鳴は、今日は考からの頼まれごとで外に出ていると言った。


「あと、私のことは鈴鳴でいいよ、さん付けってちょっと慣れないから」

「あ……うん。わかったよ、えっと…鈴鳴。僕も、渚でいいよ」


なんだか照れくさくなる。渚は、頬を軽く引っかいた。


「荷物、持って行くの手伝おうか?」

「いいの? まだ、博士と会うまで時間はあるよ……?」


今一緒に考のところへ行けば、決断したと思われてしまうのでは、鈴鳴はそう懸念したのだ。

 それでも、手伝うのとはまた別だよ、渚は言うと、彼女の持っている2つの袋のうち、重そうな方を持つことにした。

 お、重い――。鈴鳴の持っていた荷物は、意外にも重かった。それでも、やはり男としてのプライドが、渚に情けない顔をさせることを許さなかった。


「渚君大丈夫?」


「大丈夫だよ、それと、渚でいいって」


「うん……駄目だったら言ってね、渚君」


結局直ってないじゃないか、軽く笑った渚は、自分を元気付けながらも、朝月邸まで重い荷物を運んでいく。時折、無言が辛くなると、鈴鳴から他愛もない会話がふられてくるので、退屈などと思うこともなかった。

 渚が荷物の重さに根を上げそうになっていると、鈴鳴は自分の荷物と取り替えないかと提案をして、有無を言わせずに軽い方の荷物を渚に持たせた。

 情けなさに涙が出てくる。とはこういうことなのかと、渚は実感した。


「あの、ね……一つ、聞きたいことがあるんだけど…いいかな?」


荷物が重いものだなどと思わせない足取りで歩く鈴鳴に、渚はふらつきながらも並んだ。


「いいよ」

「どうして、ヒューマノイドが嫌いなの?」


純粋な問いかけに、一瞬息がつまった。渚は、眉を八の字にして自分を見る鈴鳴が、どうしたら悲しまないように回答ができるか、急いで探し始めた。

 頭の中で思考の糸が絡まりあう。

 鈴鳴は歩調を緩めながら、目の前に見え出した考博士の待つ家に着くまでに、渚が答えてくれることに期待した。

 正直に言ってしまわなければ、鈴鳴に嘘をつくことになる。もし正直に言ったとしても、 ヒューマノイドを“子供”とまで言って愛する博士の側にいたのだから、彼女は悲しむだろう。

 渚が唸っていると、隣に並んでいる鈴鳴が、荷物を取り落とした。


「鈴鳴……? 何か…あっ!!」


口元をおさえて、足をすくませている鈴鳴の視線の先には、ぼろぼろの状態で地面に転がっている白衣の人間がいた。

 その周りを囲うようにしているのは、もはや原型を留めていない“コード”を、まるで見せしめのように粉砕していく大人たちだった。


「はか、博士? 考博士!!」


鈴鳴が落とした荷物を置き去りにして駆け出した。渚も、続けて駆け出すべきだったが、声にならぬ悲鳴を漏らす“コード”に、視線が釘付けになっていた。

 痛みや悲しみを訴える“コード”は、やがて考の名前を呼んで、弱々しい光だった形を全て砕け、散らしていった。


「あ、ああ、あぁあぁあっ! 僕の……僕のっ…!!」


“コード”をかばう為に出した手は、無残に踏まれ、痛々しく血を流している。止めに入った鈴鳴は、人に手を上げることを躊躇し、かばうだけですぐに傷だらけになった。

 渚は、考や、鈴鳴までも取り囲んだ大人たちの視線を受けた。

 憤怒に染まった目は、こう語っていた。

 「お前もこいつの仲間か? なら、貴様も……」と、大人の一人が、すでに渚の方へと近づいてきていた

 足が震える。僕は、捨て身になってまで博士を助けたいわけじゃない。でも、だけど……鈴鳴が傷つくのは嫌だ…。


「やめろっ!」

「なんだぁ? ガキが、俺たちの邪魔すんじゃねえよ!!」

「このろくでもない博士のせいで私の子が……!!」


明らかに憎しみを込めた声や、悲しみを込めた金切り声。彼らも被害者なのだと、渚は気付いていた。だから、止めるという一歩を踏み出すことがためらわれた。

 だが、制止を叫んだ渚に迷いはなかった。


「だからってこんなことしていいはずがないだろう?! 今すぐ博士と鈴鳴から離れろっ!!」


駆け寄って、鈴鳴の前で大声を発した渚は、手元に潜ませていた防犯ブザーを鳴らした。

 最新の型ではそれだけで警察への通報ができるが、渚の持っているものは旧型。しかし、威嚇には丁度良かった。

 慌てて散りだす大人たちは、砕けたコード(がらくた)に目も向けずに消えていった。

 鈴鳴は、土で汚れてさらにみすぼらしくなった考の服をはたいている。渚も、2人の元へと駆け寄った。


「大丈夫ですか?」


立ち上がるために手を貸そうとした渚の手を、考はつかむこともせず、一人で立ち上がった。歪んだ眼鏡をはずして、片手に持つと歩き出した。家とは反対方向に。


「博士、道が逆です」


鈴鳴の冷静な突っ込みに対して、考はそうか。と頷くと、今度は家とは右側の方へとふらふらと歩き出した。

 目が極端に悪いのだ。渚は、考の目が、ものをしっかりと、はっきりと捉えられないのだと分かると、鈴鳴と一緒に方向の修正のために声を出した。

 手をかりて誘導すると申し出た鈴鳴の提案を跳ね除けて、足取りが怪しい考が、自宅へと辿り着いたのは30分を越した頃。もし普通に歩けば10分ほどの距離だった。


『お帰りなさいませ、マスター。鈴鳴、海原様……お帰り、そして、お待ちしておりました』


帰宅を喜ぶのは薄い水色の髪の毛をした女性。柔らかい物腰と表情。しかし、渚はこの家に“人間”が考博士以外にいないとつい先日知ったばかりなので、驚いた。


「まるで……」


人間のようだ。そう言おうとした渚を、考の言葉が遮った。


「当たり前だよ、僕の“子供たち”は皆、下手をすれば人間よりも“人間らしい”」


矛盾を含んだ考の言葉だったが、渚は、不思議とそうかもしれないと思ってしまった。

 “考博士”の生み出す“コード”は、どれも表情豊かで、知識も深い。渚がネットワークを使って調べたところ、恋愛感情さえも手に入れ、恋をするヒューマノイドを作ったのは考博士ただ一人だけのようだった。

 渚は、ヒューマノイドについての知識など、手にいれる必要などないと思っていた。しかし、状況は一変した。一瞬にして憎しみの対象になった“コード”。それでも、渚は何も知らなかったから純粋に憎むことができた。今は、鈴鳴や考博士本人と接したことにより、ヒューマノイドについて知る必要があると感じていた。

 いつもの場所に座り込んだ考は、 昼日から紅茶を受け取ると一口飲み、渚に向かいの席を勧めた。

 紅茶を渡し終えた昼日は、救急箱を取り出してきて、考の手の消毒を始めた。続けて黒に近い紫色をしている短髪の男性が現れ、考に代えの眼鏡を渡した。その行動がされる間に、渚の隣に鈴鳴が座った。主の隣に座らないようにという配慮だったが、実は彼女の中には渚の隣に座りたいという欲望も含まれていた。


「さて、これで3回目だね……先程はありがとう。さ、用件を聞こうか?」


大体の用件は予想できるというのに、考は3回目の用件を聞いた。


「あなたのヒューマノイドについて聞きたいです。それが聞けたら……この前のことに判断を…決められると思うから」


隣にいる渚に聞こえないように小さく息を呑んだ鈴鳴に、昼日と、昼日の隣に並んだ陽夜が悲しげな視線を送った。

 後ろで悲しみのオーラが流れているということを無視し、考は鈴鳴の様子を窺いながらも、笑みの形を作った。


「何が、聞きたい? 簡潔に?それとも複雑に?」

「あなたの“子供たち”について、できるなら……簡潔に」


渇く喉を、唾で無理やりに潤すと、余計に喉が渇いた。渚は、極度に緊張していた。

 自分の今後に関わる重大な選択とも言えるだろう。冷や汗をかきだした渚に、鈴鳴は無言でハンカチを差し出した。渚は、その気遣いをとてもありがたく受け取った。


「僕の、ね……ああ、一つだけ。僕が話し終えるまで横槍を入れないで欲しい…正確に言うと元はと言えば彼らは“実体化しそこなった人間”なんだよ」


初めから混乱するような言葉。考は、空を見上げるかのように天井を仰ぐ。瞳は、どんよりと濁っていた。


「つい最近のニュースを、君は知っているかな? ああ、知らないのならばいいんだ。転移装置が発明されたんだ、ある博士の手からね。そうだね……例えるとしたらここに物体Aがある」


言いながら考は、ティーカップをソーサーから離して、1メートルほどのところに置いた。


「ティーカップを物体Aと仮定し、ソーサーを物体Bとする。ここにその装置がある。これを物体A,Bに取り付けて、スイッチを押してみるよ」


正方形の小さな箱に取り付けられている赤いボタンを軽く押すと、ソーサーから離れたところにあったカップが、またソーサーの上にかちゃんと小さな音を立てておさまっていた。

 声を出さずに、あんぐりと口を開けた渚に、考が苦笑した。


「そんなにすごいことじゃないのだけどね……さて、原理については説明が面倒だから省くけど、今君に見せたように物体の瞬間移動できるような装置があった…だが、事故は起きた」

「『実験失敗?! 人が戻ってこない……転移装置の落とし穴?』そんなニュースの見出しだったかな……とにかく転移装置を利用した人が行方不明になった。何人いなくなったのかな…かなりの人数がいなくなったはずだ。おっと、そんな顔をしないでくれ、関係がない話ではないのだからね」


渚が不可解な事柄に対して、顔を顰めるので、考は少しおどけて見せると、陽夜を呼んで何かを取りに行かせた。

 陽夜が戻ってくるまでの数分間。誰も口を開かなかった。ただ、機械の動く無機質な音が響くだけで、音らしい音は他に聞こえてこなかった。

 まだ時間がかかるのだろうか。重苦しい沈黙に耐えきれれなくなった渚は、陽夜と呼ばれたヒューマノイドに、早く戻ってきて欲しいと願った。


「陽夜兄さん……遅いな…」


鈴鳴が、考に確認を取るためにも、陽夜が戻ってこないと口に出した。


「……兄さん?」


渚が鈴鳴の口にした言葉の一部を拾った。

 考の隣で控えていた昼日が、少ししゃがんで考に何事かを耳打ちしたが、渚も鈴鳴も気付かない。


「ええ、陽夜は私よりも早くこの世に生まれたの……昼日姉さんが一番上なの」


言葉に濁りがあったのは気のせいだろうか。渚は、凛とした様子で立つ昼日と、探すのに時間がかかっているのか、戻ってこない紫色を黒とも見れるほどに近づけたような髪の陽夜を思い浮かべた。


「似てないね」


率直な感想に、空気が一瞬にして凍る。特に鈴鳴と、昼日の表情が明らかに歪んだ。

 突然、陶器の割れて砕ける音が響いた。考の持っていたカップが割れた音だった。

 何か拭くものを、と立ち上がろうとした鈴鳴よりも早く、昼日が動いていた。スカートのポケットからハンカチを取り出した昼日は、考の前に跪くと、丁寧に濡れた部分をふき取っていった。その時の考の表情は凍てついていて、まるで王族の如く威風堂々としていた。さしずめ昼日や陽夜は追うの従者、なら、鈴鳴は――?


「渚君」

「あ、はい!」


驚いて返事をしたせいか、妙に声が上ずっている。考は、割れたカップを片付ける昼日には目もくれず――昼日もそれを当然として作業を続けて――、自分の眼鏡の位置を直した。


「君はヒューマノイドをどう思う?」


漠然とした質問に、びくりと肩を震わせる。考の目は責めるそれではない、だが、逃がさない。暗に、そう言っていた。


「嫌いです」


正直に発言してから、急いで隣に座る鈴鳴を見た。彼女は、悲しげな表情も、切なげな表情もせず、ただ、どこか彼方を見つめて、話が耳に入っていないようだった。


「そう、君は正直だね。原因は海毒病かな?」

「当たり前だ……です」

「いちいち敬語にしなくてもいいよ。海毒病……おかしな名前だよね、ヒューマノイドの“コード”が原因だというのに…」


「海は悪くないのに、不名誉な名前で不快だと感じます」


海が好きで好きでたまらない渚にとっては、不名誉以外の何者でもない。それをはっきりとさせているところに、考は、好感がもてるなと思った。


「君らしい怒り方だ。君は海が好きなのだろう? よく鈴鳴が見かけたらしい」


そうなのか。気付いていなかった。それなら、彼女は渚を知っていたことになる。

 改めて隣の席を見ると、鈴鳴が顔をそらしていた。耳が真っ赤になっている。


「大好きですよ、こうなった今では外に出掛けることも減りましたけどね」

「そうか……さっきのことだが、僕も不名誉で仕方がない」


怒りを含んだ声だった。それが、「海は悪くないのに」にかかるのか、「不名誉な名前」にかかるのかは、次の言葉を聞くまで、渚は測りかねた。


「“コード”は悪くないのに、不名誉極まりない。元はと言えば……」

「遅れました。持ってきましたよ、マスター」


このまま考の愚痴に突入しようとしていたのを止めたのは、箱を持ってきた陽夜だった。

 陽夜は、箱の中身を取り出すと、一つを考へ、一つを渚の目の前に置いた。それは、スキー場などでかけるようなゴーグルだった。

 ゴーグルをかけるように考が指示した。

 簡単にかけられるようになっているゴーグルを装着した渚は、赤いガラスのはまっているゴーグルから、“余計なもの”が見えた。

 霊感なんてあったっけ? いや、ないよね――、渚の目の前には、たくさんの人間が飛び回っていた。


「見えるかい? 見えるよね、彼らは全員転移装置の“被害者”なんだ。いきなりなんだって思うだろうけど、これは事実で、現実だ。話の続きをしてもいいかな?」


ガラス越しの光景に目を奪われながらも、渚は頷いた。今なら、考の言う話の全てを信じられそうな勢いだ。


「消えた彼らは、もちろん普通の人にも見えないし、触れもしない。何で僕が彼らを見ることのできるゴーグル(これ)を持っているかの話はいるかな?」


渚が首で否定を示す。考が続けた。


「さて……“ヒカリ”おいで…」


考は、右手を頭より少し上にもっていき、手のひらを少しくぼませて水をすくうような形にした。赤いゴーグルが見せる光景の中、数人の幻とも取れる人間が考の差し出した手に集まった。

 それは徐々に収縮していった。最後には、綺麗な珠になっていた。


「ゴーグルを取って、僕の右手を見て」


それだけ言うと、考は昼日にゴーグルを取らせると、渚がゴーグルを取るまで待った。

 髪の毛を絡めているゴーグルを外すのに手間取っている渚に、鈴鳴が動かないでとだけ言うと細い指でゴーグルを外した。その際に、首筋に触れられて渚が飛び上がった。

 すぐさま謝罪する鈴鳴から、顔をそらしたが、赤くなってしまった耳は見られてしまっただろう。


「……お」

「抑えて下さいマスター」


呟きの上にわざと重ねるようにした陽夜は、考の睨み顔を見ないように自分の後ろで鈍い起動音を発する機械を見つめた。


「……さて、僕の右手にあるのは何でしょう?」


咳払いをして渚の意識を自分の方へと向けながら、考は右手を自分の胸の前へと下ろす。


『それ、は……』


声を震わせたのは考ではなく、彼の中に入り込んだ“コード”だった。渚の抵抗は、まだないようで、声はしっかりとしていて、体も特に暴れてはいなかった。


「君か……どうだい? 君の兄弟が生まれた瞬間に立ち会った気分は?」


別段驚きもせずに考は気軽に聞いた。鈴鳴の顔は、本人が見せないように意識しているのか、考からは見えなかった。


『不思議な、気分ね』

「改めて名前を聞かせてもらえるかな? もちろん製造番号じゃない方のを、ね?」

『メリィ、クリスマスの日に起動させられたから、らしいわ』

「メリィね、初めまして、それとも久しぶり、かな? この前は話す暇もなかったからね」


メリィは、動揺もせず平然としている考に、何故だか安心した。元主のように乱暴する人ではないからと分かったからなのかもしれない。


「自分が好きにできる体は欲しいとは思わないかい?」

『いらないわ、だって、もうすぐこの体は私のものに……』

「駄目よ!!」


怒鳴り声に近い大声を張り上げたのは鈴鳴だった。これには考も驚いた。そんな声を、彼は一度たりとも聞いたことはなかった。

 メリィも、渚の顔で強張った表情を作った。


「駄目、私は……私が、私の体をあげるから…だから、渚君だけは、駄目!!」


怒っている。鈴鳴が、僕の時はかばったり、悲しむだけだったのに、そんなに好きなの? 考は、悲しみの淵に落ちそうな表情を引き締めた。まだだ、まだ彼は決断していない。考は“ヒカリ”によって構成された“コード”を、ゆっくりとテーブルの上に置いた。


『そんなのきっと無理ね』


渚の顔で、女の高い声を発するメリィは嘲笑を向けた。鈴鳴の顔は、怒ったままだ。


「あなたが嫌だと言っても、博士ならどうとだってできるわ!!」

『違うわよ』


何が違うの? 鈴鳴は咄嗟にそう言い返すが、後には後悔しか生まないことを、彼女は知る由もなかった。


『博士ならどうにかしてくれるけど……』

「鈴鳴……」

『この坊やはどう思うかしらね?』


くすりと笑うと、渚の中にいた(メリィ)はいなくなった。

 鈴鳴は気付いた。自分の失態に。


「君は……ヒューマノイドで…僕に、嘘をついていたの…?」


絶望、哀しみ、怒り……それらは全て彼の中で大きな感情――憎悪――に繋がった。

 考は何かを悟り、陽夜と昼日の後ろに隠れるように移動した。


「ちが……違う…違うよぉっ!!」

「黙れ嘘吐き! 僕は、君を……」


鈴鳴は涙を流す。そこまで人と同じなのか。渚の怒りは頂点に達していた。


「消えて……しまえ。君なんて消えてなくなってしまえばいいんだっ!!」


これまでに、ここまでの怒りを覚えたことは、今までに一度もなかった渚は、怒りに任せて、言ってはいけないことを叫んでいた。

 はっとなった時にはもう遅い。言い過ぎたと思っても、謝るべき彼女は、床に倒れていた。鈴鳴に近づいた考は、狡猾な少年の面を消し去り、“考博士”の面を被っていた。

 糸が切れたように動かなくなった鈴鳴を、考博士は膝をついて少しだけ頭を抱き上げた。

 渚を見上げる考博士は、口の片端だけを吊り上げた。奇妙な、笑い方だった。


「どうやら君の期限に間に合わなかったようだね、愚かな私の娘」

「な……にが…?」


一気に冷え込んだ頭で、渚は鈴鳴を見た。死人みたいだ。瞼を閉ざしたままで、ぴくりとも動かない彼女は、悲しげな表情のままだった。

 考博士は笑った。時折女とも、男とも、子供とも思えない笑い声を混ぜながら。恐怖に身を強張らせる渚を、考博士は見た。


「彼女には私の定めた期限があった。それを過ぎれば機械のシステムは全てダウン、つまり人間で言う“死”を迎える。その瞬間が、今だっただけだ。」


無感動な声は、考博士のものでなく、別の誰かのものではないかと渚は感じた。一人称まで変わっている。

 陽夜が、膝をついたままの考博士の側にしゃがみ、鈴鳴の体を抱き上げた。その横には、昼日が並んだ。


「君の中にいる“子供”は取り除いてあげよう、だが、それが済んだら二度とこの家には近づかないことを誓ってくれ」


「鈴鳴は……どうなる…?」


「彼女は死んだ。まるで人魚姫のように、泡となって消えてしまったんだよ」


人魚姫。人間の王子に恋をした人魚が、魔女に声を失う代わりに人間の足を手に入れることのできる秘薬をもらい、陸に上がる話だったと思う。その後は確か、運良く王子に拾われたものの、彼には婚約者がいて……その後は? そうだ、このまま彼と結ばれなければ泡となって消えてしまうと人魚の姉妹たちが短剣を持ってきたんだ。それで王子を刺し殺せば助かる、なのに、陸に上がった人魚は最後までそれを実行できずに結局…。


「泡になってしまった……それは、僕のせい?」


「誰のせいでもないよ、君はタイミングが悪かったんだ。彼女は、ずっと前から君が気になっていたみたいだよ」


そう言った考博士の声は、誰かに話しかけるものではなく、自分の記憶を思い起こさせる為の確認みたいなものだった。その間にも陽夜が考博士と渚を背に、空っぽだった機械のカプセルを開けるスイッチを押した。


「お使いを頼んで帰ってくる度に、砂浜に落ちているゴミを拾う感心な少年がいるって、ああ、こんなことも言ってたな……『彼とお話できたらいいな、私、彼のことが好きなのかもしれない』て…ふざけないで欲しいよね、鈴鳴はずっと私の娘だって思ってたのに、一端に恋なんてしちゃってさ」


最後の辺りは、父親の持つ一種の未練がこもった言葉になっていた。考博士の吐き出すようなセリフに、渚の頭の中で、鈴鳴の笑顔がちらついた。やめてくれ、嘘をつかれていたのは僕なのに、罪悪感がわくじゃないか。


「未練がましいことを言ったね……さて、君の中に入るメリィを出してもらおうか」


有無を言わせぬ口調に怯んだ渚は、考博士の向こうにある、今は鈴鳴の入っているカプセルの隣にあるカプセルは繋がっているのだと発見した。

 もしかしてと思った。渚の直感は、外れてはくれなかった。


「あれが“コード”を移し変える装置だよ、さ、君も早く入ってくれたまえ。私は今極端に気が短くなっている」

「あ……の…」

「なんだい? これで最後の質問かい? でなければ私は聞かない」


一方的な言葉を投げかける考博士に、見知らぬ大人の姿が重なった。どこか遠くを見ていて、悲しげな表情だというのに、口元だけは笑みの形がつくられていた。渚は、肯定を頷きで示す。


「鈴鳴は……どうなるんですか?」


死んだ。とは言われたものの、まだ信じきれない自分がいた。渚の中では「それを聞いてどうする」と冷静に自分を見下す考がいた。


「メリィの感情(メモリー)を上書きするのだから、全ての存在がこの世から消えてしまうだろうね」


カプセルに入っても、目を覚まさない鈴鳴を考博士が見ていた。「まあ、その原因はお前だけどな」そんな声がどこからか聞こえた気がしたが、それは渚の幻聴だった。


「あなたの、娘なのに?」

「質問はこれで最後と言っただろう!? 黙れ、もう一言も口をきくな、身動きもするな、ついでに息も吸うな」

「……いや、最後の要求は無理だろ…」


呟いた言葉が考博士の耳に届いたらしい、陽夜が八つ当たりの、渾身の蹴りを喰らって床に倒れる。その寸前で、昼日が片腕で陽夜の全体重を支えた。男のプライドがどうとか言っていた陽夜は、渚の目の前まで来ると、体を引っ張ってあいている方のカプセルに押し込んだ。


「やっぱり、駄目だよ!!……鈴鳴が、消えちゃうなら僕は…」


陽夜を押し返そうとしたが、ヒューマノイドと人間の力を比べてはいけない。元より海へ行く以外は完全なインドア派の渚の力など、陽夜にとってはないに等しい。


「黙れ、私の娘が自分が死んでもいいとさえ言って差し出したんだ。拒むことは私が許さない!!」


断固とした“親”としての姿を見せる考博士が、渚の見た最後の一瞬だった。

 カプセルが閉じると同時に、カプセル内に満たされたガスで意識を失った渚を見下ろした考博士は、放置されたままの“ヒカリ”を片手に、鈴鳴の眠るカプセルの前に立った。


「鈴鳴……起きなさい、やはりあなたも“未来”に行かせます」


考博士の声に呼応するように、死んだかのように動かなかった鈴鳴は目を開けた。自然と開くカプセルから起き上がった鈴鳴は、考博士を真正面に捉えた。


「はい、分かりました……マスターのお名前はなんと言うのでしょう?」


起動当初のプログラムに従って動く鈴鳴を、考博士は無関心な瞳を向けた。


「貴様は知っているだろう? 親の名前が何か、そして、自分の名前も」


当然のことができないことに怒る親のように考博士が言うのに対して、鈴鳴はすまなそうな顔になった。


「はい、貴方様はコウ・チョウゲツ。私は、黎明です」


「よしよし、いい子だ……もうすぐ君の妹が生まれるんだ。名前はもう決まっている、光、だ。他にもメリィという姉もいる。」


笑顔で鈴鳴に接する考博士は、昼日と陽夜に笑いかけた。


「僕と一緒に“未来”に来てくれるかい?」

「……いいだろう、俺も、マスターに作られた身だしな」

「了解いたしました。私も、身体が消滅した時に、陽夜(カレ)と一緒に救ってもらいましたから」


考博士は満足げに首を何度か縦に振ると、電話端末(カード)を取り出して、この国ではない別の国の番号をダイヤルした。


『合言葉を』


電話の奥から、声が聞こえてきた。陽夜と昼日は、その後ろに片膝を立てて主の命令を待つ。鈴鳴は、それに続くべきかと考えたが、頭の中で見知らぬ少年が顔を真っ赤にしているという映像(ノイズ)が走ったことに、顔をゆがめた。

 考博士は、声が電話の相手に届かないように小さく舌打ちをすると、瞬時に苛立たしげな表情を隠した。




――Bad Ending?――










これはただの始まりにしか過ぎなかったのかもしれない。

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