第六話「打破」
後ろから足音が近づいて来る。
静かに、規則的に、だが速い。
シモンは振り返り、地下通路の闇の奥に目を向けた。
誰だ?さっきの警備員三人か?
いや、そんな筈はない。
真っ黒な右目が、鋭く一閃した。
一つの影が、暗い霧の中から浮かび上がってくる。
そして、危惧していたことが現実になったのを知って、シモンは憂鬱そうに低く呟いた。
よりにもよって。
「レハムか……」
「シモンさん、どうしてあなたがここに?」
レハムと呼ばれた少年は、理解出来ないといった表情でシモンを見つめる。
シモンは、腰から二丁のハンドガンを抜きながら苦笑した。
「お前こそ、今日は折角の祝いの日なのに、こんな陰気なところで油を売ってていいのか?」
「ふざけないでください。ここで一体、何をしているんですか」
「見れば分かるだろう。いくら鈍いお前でも、この通路が何処へ繋がっているかぐらい、大体察しがつくはずだ」
「……もしかして、外の世界とか異次元とかのことですか?あんなの、暇なヤツが作ったただの噂です」
「さあ、それはどうだろうな。実際、噂通り教会の礼拝堂にこの通路は隠されていたんだ。真実である可能性は高い」
「それ、本気で言ってますか?」
「本気だよ」
レハムは、シモンの顔を穴が開くほどに見つめる。
冗談を言っているようには見えなかった。
レハムを首を横に振る。
「信じられません」
「何が?」
「……まさか、あなたがそんなことのために、あんな惨殺までするなんて」
「惨殺?」
シモンは首をかしげる。
その様子に、レハムは憤りを隠せなかった。
「あなたは、自分が今何をやっているのか、ちゃんと分かっているのですか!?」
距離を詰めながら、そう叫ぶレハムに、シモンの表情は少し揺らいだ。
「十分分かっている。でも、もう決めたことだ」
「決めた?そんなの、あなたの勝手じゃないですか」
「そう、俺の勝手だ」
素直に頷くシモン。
一刻の沈黙。
レハムは、懐から拳銃を取り出した。
「……なるほど。自らの信念を優先して、協会からの恩を仇で返すというのですか。そんな不埒者、僕は許しませんよ」
失望と怒りの入り混じった声が、通路に響く。
シモンの顔が険しい表情になった。
「お前のそういう真面目で信仰深い所は、俺も一目置いている。だが、それだけでは視野が狭過ぎるな。何でも協会の言う通りにすれば、協会のためになるわけじゃない」
レハムは、闇にポッカリと空いた銃口を、真っ直ぐシモンに向けた。
「言い訳は結構です。あなたは、僕が止めます」
シモンは悲しそうに笑った。
「……お前じゃ俺には勝てないよ。レハム」
「うるさい!」
怒鳴り声と同時に弾を連射する。
が、シモンは先を見越しているかのように、あり得ない速度で全ての弾を避け切った。同時に激しい爆発音が地下に木霊する。
シモンは避けたついでに、レハムの背後に回って両手で二発、銃弾を撃ち込んだ。レハムは急いで躱そうとするが、弾の一つは肩を掠る。
一般人には目も追いつかない瞬時の出来事である。
顔を歪める少年に、シモンはニヤリと笑った。
「俺の目は開いたままだ。力を使わないと、すぐに終わるぞ」
本気の目。
レハムはゴクリと唾を飲み込み、深く息を吸った。
「……容赦しませんからね」
「もちろん」
レハムは覚悟を決めて顔を上げると、拳銃を捨てて額に手を当てた。
前髪の隙間から、チラチラと黄金色の光が零れる。
そして、やるせない顔をした。
「あなたは、第八教会の誇りであり、僕たち''第八院生''の憧れだった。それなのに何故?''その力''以上に、一体何を望むんですか!」
先天的に''神の力''を持って生まれた選ばれし子供たちは、皆一様にして親元を離れ、協会の孤児院に預けられる。それは、生まれたばかりの子供は力の制御がままならず、一般家庭で育てるのは困難だからだ。
そして孤児院や教会で修行を積んだ子供たちは、ゆくゆくは協会の手足となって、超能力による犯罪から街を守る仕組みとなっている。
そんな子供たちが、互いのことを纏めて''院生''や''兄弟''と呼ぶのだが、正にレハムは、ジュノアと同じようにシモンと同じ屋根の下で育った院生であり兄弟であった。
シモンはあっさりと答える。
「世界だ」
レハムは更に顔を強張らせる。
そして、自嘲気味た笑みを浮かべた。
「……あまりに強欲ですよ、シモンさん」
「そうかもな」
シモンは無表情で肯定する。
「選ばれた身でありながら、神のご加護を無下にして、化け物の住まうヘブンセントバリアの外へ出て行くなんて。罪深いにもほどがあります」
「加護なのか、過保護なのか。俺は真実を見たいだけだ。その前には、偉大なる膜もただの障害でしかない」
「その言葉、他の信徒たちの前でも同じように言えますか?かつてあなたの通った清き教会の前でも、同じように言えるんですか?」
レハムはゆっくりと右手を上げる。
すると、金色に輝く美しい矢が、シモンを取り囲むようにして宙に現れた。
しかしシモンは、特にそれに臆する様子もなく、明確に答えを紡ぐ。
「どこでだって、同じように言おう。今の俺にとって、あの膜は信仰の対象になり得ない」
「……救いようがありません」
そう言ってレハムが手を下ろすと、シモンに容赦なく無数の矢が降り注いだ。
暗闇を射抜くそれは、まるで夜空を流れる星のようだったが、シモンは身動き一つせず、僅かに数回瞬きを繰り返してこう言った。
「あらゆる光を操るお前の力は、確かに強いけど、その強さ故に技が単調過ぎる。捻じ曲がった俺の目との相性は悪い」
シモンの右眼に宿る宝石が、矢を映して光ると、黄金の矢は石のように固まり、みるみるうちにその煌めきを失った。そしてパラパラと地面に落ち、跡形もなく消えていってしまう。
シモンは余裕ありげにくるくると二丁のハンドガンを手の中で弄んだ。
「しかもこの真っ暗闇だ。光を司る力は、存分に発揮出来ない。やはり、お前に勝ち目はないよ」
そう豪語するシモンに、後退しながらレハムは唇を噛んだ。
ーー強い、あの人の力は圧倒的過ぎる。
少年の額に、一筋の冷や汗が伝う。
面と向かって一対一で戦ったことはなかったが、正直、ここまで向こうと力の差があるとは思わなかった。
このままでは、こちらが殺されるのは時間の問題だ。
どうする?
一方その時、シモンはシモンで困惑していた。
右の目から見える万華鏡のような視界に、数百メートル先から闇雲にこちらに向かって走ってくる一人の青年が映ったからだ。
「……ナツ?」
どうして今、あいつが見える?
何故ここにいる?
その視線に気がついて、レハムも後ろを見る。
そして、僅かに表情を曇らせた。
ナツは徐々に減速して、やがて荒い呼吸を繰り返しながら立ち止まり、前にいる二人を凝視した。
「シモン?」
ナツが目を瞬かせた瞬間、レハムは素早くナツの後ろに回り、どこからともなく現れた虹色に輝く剣を、ナツの首に突きつける。
「二人とも、動かないで下さい。動いた瞬間に、剣でこの人の首を搔き切ります」
シモンは眉を潜めた。
「まさか。一般人を殺すのか?」
「場合によっては」
「レハム。お前は盲目すぎる。むやみに人の命を奪うのは、教理以前に人間としての道徳に反している。それぐらい分かるだろう?」
「とっくに道を踏み外しているあなたには、言われたくないですね。それに、ここに不法侵入している時点で、この人の命は無いものと同じ」
淡々と言葉を並べるレハムに、シモンは嘆息する。
「協会の度量はもはやその程度か。我々の信じる神は、あらゆる罪を赦されたはずだ」
それを聞くと、レハムはさも可笑しそうに笑った。
「ここまで来て、一体どの口で神を語っているんですか。もう何をしても贖罪にはなり得ませんが、せめて、今ここで自害をして罪に報いて下さい」
「は?何をーー」
レハムは、闇に浮かぶ諸刃を、さらにナツに近づける。
「じゃないと、僕はまた一人、人を殺さないといけません」
「また?」
「さあ、はやく」
急かすように、ナツの首筋に剣の切っ先が当てられる。
白い皮膚に、真っ赤な血が細く線を作った。
シモンは小さく舌打ちをする。
あの距離では、たとえさっきのように剣を消しても、またすぐに新たな剣か矢が現れ、ナツを傷つけるだろう。
いくら俺でも、この距離差で光の速さには追いつけないし、今こうしている間も、レハムはいつでもナツを殺せる。
じゃあ、どうする?
ナツを見殺しにするか。
俺の使命は、友を見殺しにしてまで成さなければものなのか?
そう、おそらく、友達の一人や二人見殺しに出来ないと、この先とても膜の外ではやっていけない。
……でも、俺は。
殺される寸前だというのに、ナツは一言も声を発さず、狭い通路には、ただ重々しい静寂だけが過ぎ去って行く。
「時間切れです」
レハムは冷たくそう言い捨てた。
ナツの首に、鋭利な刃が血を滲ませながら食い込む。
紅い露滴らせて、剣の輝きはより強くなる。
しかし、その途中で虹は煙のように消えてしまい、同時にシモンが勢いよく二人の間に駆け込んだ。
ナツをレハムから引き剥がすようにして、自分の胸に引き込み、そして後ろへ退こうとした時、シモンは目を見開いた。
ナツの後ろに、もう一つ巨大な七色の剣があって、二人を串刺しにしようと刃をギラつかせている。
ーーしまった。完全に''死角''だった。
すぐに''目''を働かせるが、遅い。
次の瞬間には、長く尖った刃がナツの背中から突き刺さり、俺の腹までを貫くだろう。
そうしたら、生きてここを出るのは、ほぼ確実に不可能となる。
シモンは歯軋りをした。
言い訳をすると、ナツに気を取られていたのと、ほんのちょっと油断していたのがいけなかった。
それが、まさか命取りになるとは。
シモンが覚悟を決めようとした、その時、辺りに途轍もない熱風が巻き起こり、何か反応する間も無く後方へと吹き飛ばされた。
二人を串刺すはずだった剣も、その風に耐えきれず霧散していく。突如出現した強風によって地面に溜まった土埃が舞い、周囲は煙幕を張ったようになった。
シモンは暴風から抜けて上手く着地すると、咳き込みながらナツの姿を探した。
だが、ナツの姿もレハムの姿も、どこにも見当たらない。
何が起こったのか分からず、シモンはただ銃を構えて警戒した。
土煙が晴れると、風が起こった中心に、ナツは立っていた。表情は見えない。
そしてその両手は、レハムの首を絞めている。
レハムは苦しそうにもがいているが、ナツは固まったまま手を離す様子はない。レハムの顔がどんどん青白くなっていく。
「おい、ナツ」
とりあえずナツを止めようとシモンが手を伸ばした時、ナツの服の袖から仄かに輝く青緑色の宝石が見えた。
「これは……」
シモンは目を見張る。
ナツの左手首には、目が醒めるような青緑色の宝石が埋め込まれていた。石は穏やかに、でも何処か激しい、聖なる光を燈している。
シモンは、レハムの首を絞めるナツの手を無理矢理引っ掴み、宝石に指先でそっと触れてみた。
熱く、まだ柔らかい。
ナツは我に返って、シモンをまじまじと見る。
「これ、いつなったんだ」
「え?」
シモンに言われて初めて、ナツは己の手首に視線を向けた。
そして、目をパチクリさせる。
「何これ」
「今気づいたのか?」とシモンが呆れた顔をする。
「うん。道理で、さっきから痛いとは思ってたんだけど」
「さっき?」
「ああ。クーナと、別れた後ぐらいから……」
「クーナって、お前の姉貴だよな。どうして二人がここに?それに、そのクーナはどこにーー」
シモンはナツを見て、またギョッとする。
ナツが、大きな瞳に溢れるほどの涙を浮かべていたからだ。
シモンは我慢強いナツが泣くところなど、今まで一度も見たことが無い。
「クーナは、あいつに……!」
涙を散らせて、ナツはレハムを睨みつけた。
シモンは察したようにレハムを見る。
ナツの手から解放された少年は、二人から距離を取って、手跡の付いた首を抑えていた。
「僕は自分の役目を全うしただけ。君を庇って弾に当たったのは、あの女性の選択で、自業自得です」
「詭弁だ。例えそれがクーナの選択だったとしても、僕は、君を殺して姉の仇をとらないといけない」
シモンが、言い争う二人の間に割って入る。
「落ち着け、ナツ」
「落ち着けるわけないだろ!クーナは、僕を守って」
シモンは宥めるように、ナツの肩に手を置いた。
「そうだ。クーナはお前を守った。その命を、こんなところで争って、無駄に危険に晒す必要はないだろう。それとも、彼女は、お前に復讐を望んだのか?」
「それは……」
ナツは言葉に詰まって、黙ってしまう。
「レハムも、そろそろ手を引いてくれないか?俺たちは先に進めて、お前は命拾いをする。悪い提案じゃないと思うが」
「冗談じゃないですよ。あなたたちを野放しにするなんて、僕はーー」
「でないと、本当に死ぬぞ。俺が消え、さらにお前が死ねば、協会は、少なくとも第八教会は、多大な損害を被ることになると思うがな」
「…………」
シモンの言葉に、レハムも顔をしかめて、口を閉じた。
数分にしては長く感じる、重苦しい沈黙が三人の間を流れていった。
一番最初に行動したのは、レハムだった。
長い間考え込んだ後、レハムはそろりと後ろの暗がりの方へ下がった。
「確かに、僕は、街と教会を守るためにも、まだ死ぬわけにはいきません。でも、一つだけ言っておきます。あなたたちは外へ出て、必ず後悔することになります。そして、主なる神と協会に、許しを乞うことになるでしょう」
呪いのようにそう言い残すと、レハムは背後の闇の中に、すっと溶け込んでいく。
ナツが追いかけようと一歩前に出たところを、すかさずシモンが腕を引いた。
「よせ、ナツ」
「でも、あいつは、クーナを……!」
レハムは元来た通路の奥へと消え、ナツとシモンだけが取り残される。
「だから、ここで戦ってもクーナは戻らない。お前が今すべきなのは、膜の外へ出て生き残ることなんじゃないのか」
「……そう、分かってるよ。分かってるけど」
そう言って、ナツは肩を落とした。
簡単に、気持ちに整理はつかない。
シモンは荷物から真っ白な包帯を取り出し、テキパキとナツの左手首に巻きつける。宝石は見えなくなり、代わりに薄ぼんやりとしたエメラルド色の光が少し透けて見えた。
「まだ痛いのか?」
「ちょっとね」
シモンは真剣な表情で、改めてナツを見据える。
「ナツ、お前は俺と、この街を出て外の世界へ出て行く。それで良いんだな?」
ナツはシモンの青い目を見返してから、決心したように頷く。
「うん……クーナと約束したんだ。僕も、世界を知りたい」
「よし、じゃあさっさと行くぞ」
先導するシモンの後に、ナツも続く。
二人はまた、真っ暗な通路を歩いて行く。
一歩ずつ、着実に。
大きな不安と、期待を胸に。
どこまでも続く道が、まだ見ぬ世界に開くまで。
もうすぐ。