第五話 「死」
少し残酷な描写があります。苦手な方はお気をつけ下さい。
都会の真ん中に、城の如く高く聳え立っている。
いつ見ても見慣れない、眩いほどに輝く西洋風の建物に、二人は目を凝らした。
「協会本部……」
「本当に、あそこに父さんと母さんが?」
「分からない。行って確かめるしかないよ」
第一教会の周囲は、高さ一メートルほどの塀で囲まれている。住宅地とは数キロ離れているので、夜中は教会の周辺に人の姿は見られない。
ナツはスカイカーを道路の脇に止めると、背伸びをして塀越しに教会を覗き込んだ。
塀には瑞々しい緑色の蔓が絡まっており、向こう側が見えにくかったが、どうやら出入り口の方に人はいないらしい。
「誰もいないみたいだけど、これ、入ってもいいのかしら?」
ナツは、先に進もうと息巻くクーナの服を慌てて掴んだ。
「いいわけないだろ。それに、きっと扉には厳重に鍵がかかってる」
「じゃあ、開いてる窓から入るか、窓を割って入るしかないわね」
「すぐに音でバレるよ。それに、中には監視カメラがあるだろうし、場合によってはセンサーとかもあるかもしれない」
即行反論するナツに、クーナはムッとする。
「それじゃあ、他に何か良い方法があるの?私たちは超能力者じゃないし、武器を持ってるわけでもないのよ?」
「でも、よく考えておかないと。仮に入れたとしても、すぐに捕まってしまう」
「大丈夫、そう簡単には捕まらないわよ。ナツは、私について来ればいいの」
どこからそんな自信が湧いてくるのか、クーナは豪胆にもそう言ってのける。
「いったい何を根拠に……って、クーナ!」
クーナはナツの返事を待たずに、塀を乗り越え教会の敷地内に侵入する。
ナツは「あーもう」と少し苛立たしげに言ってから、急いでその後を追った。
暗がりの中を二つの影が小走りする。
大理石で造られた立派な玄関には、やはり人の影は無く、窓の向こうを真っ暗である。
耳を澄ませても、辺りは全くの無音で、生き物がいる気配すらしなかった。
「誰もいないのかしら」
クーナは首をかしげる。
「まさか。協会の本部だよ?何かの罠かもしれない」
逆に警戒するナツに、クーナはやれやれという顔をする。
「まあ、罠かどうかは置いといて、とりあえず、開いてる窓が無いか外から探してみましょう。くれぐれも、人に見つからないように、慎重にね」
「いや、こっちの台詞だよ」
現在は夜の一時。家を出てから、丁度一時間が経っている。
二人は花壇や草木を避けて、建物の周りをぐるっと回った。植えられた綺麗な花々も、小道の脇に生えた雑草も、今は夜の空気に色を失っている。
十分ほど歩くと、クーナとナツは広々とした庭園に辿り着いた。広葉樹が何本か生えていて、大きな池があって、側に鹿威しまである。
西洋風の教会と日本庭園という異様な組み合わせだが、見事なまでに違和感なく調和している。
「見て、あそこ」
クーナが指差した先には、開けっ放しの窓があった。
一階の窓なので、足をかけて簡単に中に入ることは出来そうだ。
「……思ったより、不用心だね」
都合の良すぎる展開に、ナツは呆れ半分で呟いた。
「でも、そのおかげで助かったわ。さあ、中に入りましょう」
「人がいないか確認して、気をつけて」
クーナの迅速果断を止めるのはもう諦めて、ナツは注意だけしておく。
教会の中は、ひんやりと冷たかった。
ありとあらゆる電気が全て消してあり、廊下の奥へ進むには何か照らすものが必要だ。
どこかに灯りになるものは無いか、ナツが周囲を見回すと、何故かクーナの手には既に携帯用の小型電灯が握られていた。
「ふふ、準備が良いでしょう?車の中にあったのを、ポケットに入れておいたの」
ナツの視線に気がついて、クーナは得意げに胸を張る。
一方ナツは感心するというより、また呆れたように言った。
「そういうところはちゃっかりしてるよね」
「ちゃっかりじゃなくて、しっかりしてるのよ」とクーナは訂正する。
「どうだか、クーナは結構うっかりしてるよ」
「そんなことないわ」
「そんなことあるよ。昔から、いつも学校には忘れ物して行くし、すぐに物を落とすし、塩と砂糖は今だってしょっちゅう間違えるじゃないか」
「あら、それくらいは誰にでもあることでしょう」
クーナは何食わぬ顔でそう言った。ナツの口からは思わずため息が出る。
確かに一度や二度なら誰にでもあるのかもしれないが、クーナは何度もそれをやらかす。昔からずっとだ。
ナツの脳裏に、まだ自分が幼かった頃の記憶が蘇る。
そういえば、小さい頃、教会に通う信徒の子供たちに''いたんしゃ''だと虐められることがよくあった。
まだ純粋な子供たちだって、アモル教信徒以外を侮蔑する大人たちの姿を見れば、自然とその真似をするようになるのだ。
ナツは特別力が強いわけでも、人一倍社会性があるわけでもなかったので、小学校ではずっと周りから避けられ、虐められていた。
そんな時、いつもナツを庇って味方してくれたのは、クーナだった。
クーナは当時、隣町の道場で空手を習っており、ナツが虐められていたらどこからでも飛んで来て、相手が年上だろうが年下だろうが構わず殴りかかっていた。もし、自分の見ていないところでナツが虐められようものなら、次の日にはそいつの家へ押しかけて、やはり殴り込むのだ。
それで何度か警察沙汰になったこともあるし、クーナの悪評は街中でも有名になっていた。
やがて子供たちも、ナツに手を出せばクーナという面倒なオマケが付くということを学習し、中学に上がる頃にはナツに近づく者は誰もいなくなった。
クーナは、自分が徹底的に悪者になることによってナツを守ったのだ。
もっとも、クーナは恐らくそれを自覚していないのだが。
ナツはまた、大きなため息をつく。
僕が、どれほどそれに救われたのか。
もしもクーナがいなかったら、僕は……。
「どうかしたの?ナツ」
黙り込むナツの目を、クーナが覗き込む。
「何でもない」
「そう?なら良いんだけど」
「……ありがとね、クーナ」
ナツが不意にそう言うと、クーナは一瞬驚いた顔をしてから、満足げに笑った。
二人は縦に並ぶと、電燈を持ったクーナを先頭にして壁沿いに歩き始めた。そして一つ一つ、鍵のかかっていない部屋を順番に開けて行く。
その殆どは、高価そうな調度品で飾られた客間であり、時々講義室のような部屋や食堂があったりした。
そしてそのいずれにも、ナツの両親はもちろん、協会の人すら居なかった。
これ幸いと、調子に乗ってクーナは無人の教会内を闊歩する。
「まるで、二人きりみたいね、ナツ」
「不法侵入してる身なのに、クーナは気楽だなあ」
「ねぇ、ナツ」
「何、クーナ?」
クーナは、微妙な空白をあけてから、ゆっくりと口を動かす。
「私ね、……」
そう言いかけたクーナの声は、後ろから近づいてくる規則的な足音に遮られた。
「?」
ナツが振り返ると、そこには自分より一回り小さな人影があった。ここに来て初めて見るそれは、二人を認識すると、シルエットだけの頭を横に傾ける。
「ああ、本当に''鼠''が入ってたんですね。こんな日にまでそんな馬鹿なことする奴はいないって、思ってたんですけど」
「誰?」
クーナは眉根をひそめる。
「救援要請を受けた、協会の使者です。協会本部に無断で立ち入ったあなたたちを捕まえに来ました。といっても、情報では一人だと聞いていたんですけど」
暗がりの中から薄っすらと現れてきたのは、黒髪短髪の少年。
ナツよりも少し年下に見えるが、表情は随分と大人っぽい。協会の正式会員である印が付いた制服。その腰には拳銃をつけている。
革のブーツが床と擦れる音が、通路に響き渡った。
''選ばれし子供たち''か。
その能力は、見た目では計り知れない。
ナツはゴクリと唾を飲み込む。
救援要請を受けて来たということは、僕たちが侵入してることはバレていたのか。
でも、いつだ?
部屋を回ってる時?窓から入った時?それとももっと最初から?
それに、僕たちは超能力者じゃない。捕まえるのなら、それこそ警察でも一般男性でも出来なくはないだろう。何故、わざわざ彼を呼んだ?
どんどんと湧き出てくる不可解な疑問を、ナツは一旦胸に閉まった。話が通じる相手かはわからないが、とりあえず少年に事情を説明しなくては。
「僕たちは、父さんと母さんを探しに来ただけなんです。ここにいるって、聞いたから」
少年は表情を変えず、コクリと頷く。
「そうなんですか。僕はここの人間じゃないのでよく分かりません。まあ、それも一緒に来てもらえれば分かることです。大丈夫、抵抗しなければ何もしません。君たちは、殺さずに捕まえて来いという命令ですからね」
「あなたに付いていったら、父さんと母さんに会わせてもらえるのかしら?」
クーナが試すような口調で言う。
「子供を両親に会わせてあげるくらいの倫理観は持ちあわせています。でも、あくまで僕の任務はあなたたちを生け捕りにすることです。それから先は、君たちと本部の人間で話し合って決めて下さい」
「じゃあ、大人しく捕まれって言うの?」
「今ここで殺されたくなければ、黙って大人しく僕に付いて来ることです。僕も、命令を破ってまで面倒なことはしたくないので」
さらっと物騒なことを言った少年は、二人の返事を待たずに二階へと続く階段を上っていく。
振り向く様子も、これ以上何か言う様子もない。
クーナとナツは、仕方なく、少し距離をあけて彼の後に続いた。
真っ白な壁には傷一つ付いておらず、石造りの階段には、やはり埃一つ落ちていない。
その様子は、誰かが毎日念入りに手入れをしているというよりも、何か特別な力によって清浄に保たれているという感じだった。
長い階段を経て二階に上がると、そこも一階と同じように、どこまでも静まり返っていた。
しかし電気だけは付いており、懐中電灯無しでも進むことができる。
「こちら、レハム。侵入者を見つけました。今、二階の取り調べ室に連れて行きます」
少年は、二人を一瞥しながら、耳につけた電子機器で誰かに端的な報告を済ませる。
クーナはコソッとナツに囁いた。
「取り調べ室って、刑事ドラマとかに出てくるアレかしら」
「多分ね」
「私、取り調べなんて受けるの、初めてよ」
「だろうね。……ねぇ、もし、父さんが本当に法律を破っていたら、僕たちはどうなるんだろう」
「まだそんなこと考えているの?もしそうなったら、その時にまた考えればいいだけでしょう」
「行き当たりばったり過ぎるよ」
「考えたって、仕方ないこともあるもの」
二人が小声でそんな会話をしていると、ある扉の前で少年は立ち止まった。
少年の黒い眉が、ピクリと動く。
「ああ、恐らくここですね」
少年の目の前には教会の雰囲気に似合わない鉄製の扉があり、鍵はどうやらかかっていないようだった。
少年は何の掛け声もノックも無しに、その扉をバタンと開け放つ。
そして、一瞬にして不快な表情に変わった。
二人もつられて扉の向こうを覗き、唖然とした。
「何だこれ……。血の匂いがするとは思いましたが」
少年は鼻をつまみながら、部屋の中に入っていく。
壁も床も、扉と同じ鉄で出来た空間には、大量の血を流した死体が二十体ほど積まれていた。
そのほとんどが、協会の制服を着た大人たちであり、そのどれもが、首や腕、胴体、足をバラバラに切断されている。
あまりに血生臭く、凄惨な光景。
ナツはその場に座り込み、堪え切れなくなって、床に嘔吐した。
クーナは硬直したように動かない。
「さっき、通信に誰も応答しなかったのは、このせいですか。……でも、何故だ。誰か他に、ここに侵入者がいるのか。こんなに大勢を一気に殺害するなんて、超能力者でも難しいはずだけど。まさか、教会内に裏切り者が……?」
少年は汚物を見るような目で死体の山を見ながら、独り言のようにブツブツと呟く。
ナツは胃の中にあったものを吐き出せるだけ吐き出し、未だ込み上げる吐き気を必死に抑えながら、隣に立ち尽くしたままのクーナを見上げた。
クーナの目は、血だまりのある一点に釘付けになっていた。
何だ……?
その視線を辿って、ナツは、今度は酷い吐き気を忘れるくらいに絶望する。頭から冷水をかけられたかのように寒気がして、全身が震えた。
「父さん……、母さん……?」
そこにあったのは、変わり果てた両親の姿だった。
四肢バラバラとなり、他の死体と同じように転がっている自分の実の親を見て、ナツの思考は完全に停止する。
どうして?何が起こった?死んでる?なぜ?どうして??どうして???????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????????
あまりの衝撃で口もきけない二人を他所に、少年は一人、自らの思索に耽っていた。
「他にもう一人、別に侵入者がいるとすれば、要請時に侵入者は一人だと言っていたのにも説明がつく。しかし、一体誰が……」
「……シモン」
そうナツが答えたのは、ほぼ条件反射だった。
ここに血の惨劇を作った犯人が、シモンだと疑っていたわけじゃない。
むしろ、シモンがそんなことをする筈がないと確信さえしている。
ただ、ナツは混乱していて、その蚊の鳴くような声を、運の悪いことに少年は耳聡く聞き逃さなかった。
「シモンって、シモン・パティグスのことですか?君、彼の知り合いなんですか」
「…………」
ナツは押し黙ったまま、顔を上げない。
「僕も、彼とはそれなりに旧知の仲です。だからこそ分かりますが、彼は敬虔な信徒とは言えないまでも、その辺の奴らよりはずば抜けて優秀です。よもや裏切り行為なんて……」
少年はそう言いつつも、耳元のデバイスに手を伸ばし、指先だけで操作をする。
どこかと通信をとろうとしているようだが、やがて諦め、その眉間に皺を寄せた。
「繋がらない、か。やっぱり、何かがおかしい」
その時、床が微かにカタカタと揺れた。
部屋の中の机や椅子、死体が皆、凍えるように震える。
小刻みな振動は暫くの間続き、やがて何事もなかったかのように収まるが、少年の表情は、さらに険しいものとなる。
ヘブンセントバリアが出来てから、この百年間、東京に地震が起こったことはないし、これからも起こることはないだろうと言われていた。
つまり、この揺れは地震のような天災の類ではないということだ。
少年は腰から拳銃を抜き、血に濡れた靴で部屋の外に出る。
「一階の様子をまた見に行かなくはいけませんね。そこに、どうやら何かがあるみたいですから」
そして、手に持った拳銃を、ナツの前に突きつけた。
躊躇なく、引き金に指をかける。
「その前に、鼠は始末しておきましょう」
「……大人しく付いて来れば殺さないって、君は言ったはずだけど」
ナツは、少年をキッと睨みつけた。
少年も、ナツから目を逸らさずにキッパリと答える。
「それが命令だったからです。でも、その命令を出した人たちは、そこで死んでしまっています。もう命令を聞く必要がありません」
「僕らを殺して、君に何のメリットがある?」
「僕にメリットがあるというより、教会の将来の為なんです。本部に不法侵入などする反乱因子は、早いうちに摘んでおくべきですよね」
「父さんと母さんを助けたかっただけだ。反乱の意志は無いよ」
「では、君の父親と母親は、どうしてここに連れて来られたのでしょうね?」
「それは……」
違法である膜の研究をしていたから、とはとても言えない。
言葉に詰まるナツに、少年は薄笑いをする。
「大方、法律を破ったか、協会の怒りを買うようなことをしたのでしょう?死んで当然です」
「なっ」
「ご両親に、会わせてあげますよ」
少年はナツに銃口を向けたまま、一歩近づき、引き金を引く。
ナツは抵抗もできないまま、ただ次に来る痛みに身構えた。
ーー銃声がした瞬間、ナツの前に一つの影がよぎる。
茶髪の外にはねた長い髪、子供のような瞳、自分とよく似た横顔。
「クーナ!」
「ナツ!逃げるわよ!」
クーナはナツの手を握って全速力で走る。
見ると、少年が持っていたはずの銃が、何故かクーナの手の中にあった。
二人は部屋から出て、元来た廊下を戻っていく。
何度か背中から炸裂音が響いたが、ナツは引っ張られるがまま、後ろを振り返る暇もなく一階の廊下まで突っ切った。
少年が追って来る気配はない。
二人は息を切らして、一階の祈祷室という部屋の中に駆け込む。
「大丈夫?ナツ」とクーナが声をかける。
「僕は大丈夫だよ。でも、父さんと母さんが……」
ナツはそこで、声が出なくなった。
リノリウムの床に、ポタポタと血が溢れている。
自分の体からではない。
前を見ると、胸から腹にかけてが血で染まったクーナが、壁にもたれて苦しそうに息をしていた。
クーナは、ナツを庇って何発か被弾していたのだ。
明らかに、出血多量。
目の前が真っ暗になった。
家を追われ、一度に両親を失い、もうこれ以上、絶望するはずがないと思っていた。
ナツは崩れそうになるのを耐えて、急いでクーナの元に駆け寄る。
「逃げて、ナツ。私はもうダメよ」
クーナは、聞いたこともないような弱々しい声で言った。
「出来るわけないだろ!」
ナツは珍しく怒鳴る。
悔しかった。守られてばかりの自分が。
「一緒に逃げられるよ!傷だって、急いで手当てをすれば、間に合うかもしれない」
「ダメよ、私はもう走ることもできない」
「なら、僕が背負うから。車に乗って、あとは……」
「逃げて、生きて」
一筋の線がほっぺたを伝った。
ナツは泣きながら首を振る。
「嫌だ。クーナがいない世界でなんて、生きたくない……」
クーナは穏やかに微笑んだ。
まるで、苦痛など一切感じていないように。
「あなたには、夢がある。父さんや母さん、私の分まで、自由に生きて」
「そんなの無理だ」
「大丈夫、ナツなら生きていける」
「嫌だよ」
「ナツ!!」
クーナは大きな声を絞り出し、ナツの頰に優しく右手を添えた。
ナツは驚きのあまり、目を見開く。
大粒の涙が、ポロポロと床に落ちる。
「甘えないで。あなたは、外の世界を見てみたいって、昔から言っていたじゃない。それは、研究者である父さんや、母さん、私の夢でもあった。でも、もう私たちには、あなた以外に何もない。あなたには、生きる義務がある」
「クーナ……」
「シモンが、いるんでしょう?真実かどうか、分からないけれど、ここの地下に、外へ通じる通路があるらしいの。あの子と一緒に、ここを出ていきなさい。それで、あなたがしたいことをしに行くの」
「でも」
「行って、はやく!死ぬ前に、私のお願いを聞いて!!」
クーナに突き飛ばされ、ナツは扉の前に転がった。
彼女は血まみれになりながらも、ナツに笑いかけた。
「生きて、いつか私に教えて。この世界が、本当はどんな世界だったのか」
「クーナ!!」
ナツは手を伸ばす。
「ばいばい、ナツ。愛してる」
そう言うと、クーナは泣きながら、自らの心臓を銃で撃ち抜いた。
血飛沫が清潔な壁を汚し、みるみるうちに血だまりが大きく広がっていく。
ナツは呆然と、倒れて動かなくなるクーナを見つめた。
何が起こったのか分からない。
嘘だ。
クーナが死ぬなんて。
夢だ。
こんなの、信じられない。
酷い。
僕は、僕は。
ナツは震えながら、後退りする。
『生きて、いつか私に教えて。この世界が、本当はどんな世界だったのか』
クーナの言葉が、頭の中で反芻されていた。
頭が痛い。耳鳴りがする。
目から涙が溢れて止まらなかった。
僕は、何をしてるんだ。
クーナの願いを、僕が叶えないと。
クーナは、僕の為に死んだ。その死が、無駄死にになる。それだけは、絶対にダメだ。
僕は何があっても、生きなくてはいけない。
気がつくと、走り出していた。
部屋を飛び出し、フラフラになりながら教会の中を駆けていく。
何度も躓き、転びそうになる。
疲弊しきった体は、精神共に悲鳴をあげていた。
でも、止まるわけにはいかなかった。
ーー力が欲しいか?
どこからか、そんな声が聞こえた気がした。
辺りに人はいない。幻聴か。
だが、ナツはそれにすら縋りたい気持ちだった。
力が欲しい。僕が弱いばかりに、大切な人をたくさん失ってしまう。
なれるものなら、何でもいいから、強くなりたい。
高らかな笑い声。
そしてその直後、左腕に激痛が走った。
今までに味わったことのない、意識が暗転しそうになるほどの痛み。
思わず足を止めそうになるが、拳を固く握りしめて踏ん張る。
明かり一つない暗闇の中を、何度も壁にぶつかりながら、ナツは奔り続けた。
生き延びるために。