第三十三話「いきなりドタバタ!?攫われたナツ」
さて、突然だが、ここに一つの問いがある。
もし、どこかも分からないような場所で、手足を拘束され、圧倒的力差のある敵に囲まれた場合、人はどうするべきなのだろうか。
……否、よく考えてみれば、そもそもこれは問いですらない。
現実世界において、このような場合、元より自分に選択できる選択肢などありはしないのだ。結局向こうが強いなら、何をやったって無駄な足掻き。逃げ出そうとしたって、余計な傷が増えるだけ。
僕自身が出来ることは、ただ相手の命令に大人しく従い、運命を受け入れることだけ。僕を救ってくれる奇跡的な“何か”を信じることだけ。
情けない話だけど、それ以外にどうしようもない。
現実は非情で残酷だ。
現実とは、だいたいがあと一歩のところで失敗する。
どこぞの漫画やアニメの主人公のように、冷静に、その場の状況を最大限に利用し、上手い具合に機転を効かせて、尚且つ運もタイミングも良く、自力で格上の相手を倒せるなんて、現実ではまずあり得ない。
でも、残酷な現実と同じくらい、感動の奇跡もこの世にはありふれている。それも事実だ。
しかし、たとえ万一僕が奇跡的に生き残ったとしても。
そこに待っているのが、ハッピーエンドだとも限らない。
皮肉にも、生き残っていた方が、不幸な場合もある。
こんなことになるなら、あの時に死んでいた方が百倍マシだったと、思うことだってあるのだ。
白銀に輝く髪と瞳を持った、彼女のように。
あるいは、どこかも分からないような場所で、手足を拘束され、圧倒的力差のある敵に囲まれた、あの時。
ただ運命を受け入れることしか出来なかった、僕のように。
ーーーーーーー
「ここが中央都市国か」
眼帯の青年は、頭上を仰ぎ見ながらそう呟いた。
中央都市国。
エルフたちの住まう領域の中心部であり、エルフの王が治る、この世界で有数の多種族共存国家。それ故に自由な国風で、様々な方面で他国より技術が発達している豊かな国だ。王がジャパムスの思想を認めているため、人間をも平等に受け入れてくれる唯一の国でもある。
「近くで見ると、やっぱり大きいね」
僕も隣で同じように上を見上げる。
山のように高く連なるタワーやビル群。
空は深夜のように真っ暗だが、街から溢れる光で、そこは夜の遊園地のように輝いて見える。
「ジールさんたちは、ここに来たことあるんですよね?」
ナツが振り向いた先には、瓜二つの顔を並べた二人組が立っている。どちらも、ふさふさとした犬耳に褐色の肌、青い瞳を持っていて、背丈も同じくらいだが、纏う雰囲気は全く異なったものだった。
ジールと呼ばれた、物腰の柔らかそうな青年は、にこりと笑って頷いた。
「はい。僕とウォルカ様は、月に一度買い物に来ていましたし、兄さんは二年前までここに住んでいたんですよ」
「だよね?」とジールがもう一方の片割れに尋ねると、その相方はそっけなく「まーな」とだけ答えた。
「そうなんですね。……君は、来たことあるんだっけ?」
ナツは、そばにいる黒髪の少女に目を向けた。
「ええ、何度か。最後に来たのは、去年の冬ね。でも、あまり長く外へ出たことはないわ」
そう話す少女の髪は、肩の上で真っ直ぐに切られていて、風が通り過ぎるたびに静かに揺れていた。
先の戦いの中で、所々髪が切れ、長さがバラバラになってしまったため、短く髪を揃えたらしい。
髪型に合わせてか、服装も以前のようなドレスではなく、ボーイッシュでシンプルなものになっている。
「これからあの門を超えて、都市国へ入国する。事前にレイフィアが手配しているおかげで、お前たちに対する入国審査は一切ないから安心しろ。あと、街に入る前にこれを着ておけ」
ウォルカはナツとシモン、そしてツクヨミに、藍色のローブを手渡した。
「何だ、これは」
シモンが怪訝な顔をすると、ウォルカは何食わぬ顔で淡々と言った。
「前にも言ったはずだ。この国の王が、お前ら人間を受け入れるとはいえ、人間という種族を差別視している者が圧倒的多数であることに変わりはない。それに、前に仕掛けてきた帝国の奴らも、恐らくまだお前らを狙い続けているし、ツクヨミにしても、今じゃ反逆罪で指名手配されているようなもんだから、帝国の吸血鬼に見つかれば、タダじゃすまないだろう」
「でも、帝国の奴らはこの国には入れないだろ」
シモンがそう言うと、ウォルカはニヤリと皮肉っぽい笑みを浮かべる。
「いいや、いくらでも入り込めるぜ。流石に王家や貴族なんかの著名人は、高度な変身魔術を使わないと入国出来ないが、逆に言えば、それさえ出来れば誰でも入国は出来る。この国は、そういう国だ。そして、だからこそ、お前らもここに入っていくことが出来る」
「ふーん、あちらを立てればこちらが立たずってわけだ」
「世の中、何でもそう都合よくはいかねえんだよ」
「ほら、さっさと着ろ」とウォルカに促され、三人は少し大きめのローブを頭から被った。
「おー。これじゃ、いちいち顔を覗き込まねーと、誰が誰だか分っかんねーな!」
ゾイクはからかうように、三人のフードの中を覗いて回る。それを流し目で見ながら、ウォルカはぼそりと呟いた。
「背でだいたい分かるだろ。馬鹿か」
「ああ!?ウォルカてめぇ今バカっつったな!!」
馬鹿という言葉に対しては、異常なほど過敏に反応するゾイクに、ジールは急いでフォローを入れる。
「兄さん、落ち着いて。大丈夫、聞いたことあるでしょ?馬鹿って言う方が、馬鹿なんだって」
ジールの言葉を聞いたゾイクは、少しの間考え込み、やがて深く頷いた。
「……ああ、そういえばそうだったな。じゃあ、いいか」
「よくその理屈で丸め込まれたな。まあ、とにかくそろそろ入るぞ。門の向こうがレイフィアとの待ち合わせ場所だ」
「なら、さっさと行こう。アイツには少々言いたいことがあるからな」
シモンはそう言うと、嫌なものでも思い出したかのように、僅かに顔をしかめてみせた。
ナツにとっても、思い当たる節は一つしかない。
「……シモン。ケーキのことは、本人には何も言わない方がいいよ。せっかく僕らのために作ってくれたんだから」
「いいや、起きて早々にあんなゲテモノ食わされたんだ。文句の一つや二つ言って、本人に自覚させないと気が済まないね」
苛立った口調のシモンに対して、ゾイクはケロッとした顔で言った。
「そーか?オレは案外イケると思ったけど」
「お前は舌まで馬鹿だからな」
「あ?」
途端に睨み合いになるシモンとゾイクの間に、「まあまあ……」とジールが割って入る。
「早く行って、レイフィア様に案内してもらいましょう。都市国はとても賑やかで、素敵な街ですよ。美味しい食べ物や美しい建物、珍しいものもたくさん売ってますし」
「へぇ、それはすごく楽しみですね」
「本当に、楽しみだわ」
目を輝かせるナツとツクヨミに、シモンはやれやれと肩をすくめた。
「楽しいだけなら、ありがたいんだけど」
「俺とレイフィアが付いていれば、だいたいの敵は手を出して来ない。一人にでもならないかぎり危険はないと思うが、まあ油断はするな」
ウォルカは、いつもより少し真面目な調子でそう言うと、正面にある大きな門に向かって歩き出した。ナツ、シモン、ツクヨミ、ジール、ゾイクの五人も後に続く。マテオは事情あって、先に入国しているらしいので今はいない。
中央都市国の巨大な入国門は、青色の柱が二本立っているだけの簡素なものだったが、よく見ると、その柱には緻密な模様のようなものが端から端まで敷き詰められるように描かれていて、時折、どくどくと波打つように発光した。
「あれは何ですか?」
ナツが指をさして尋ねると、ウォルカは前へ足を進めながら答えた。
「あの細かいのは全て高度な結界系の【魔術印】だ。魔術印ってのは、描いただけで自発的に作動するトラップみたいなもんで、許可されていない者は都市国へ一歩も入れない仕組みになってる。あと、物理、魔術、あらゆる攻撃も基本的に通用しないから、無理やり通り抜けることも出来ない」
「とても強い魔術印なんですね。誰が作ったんですか?」
「そりゃ、王様だろうよ。エルフ王より上か同等の魔術師なんて、魔王か【三大魔術師】くらいしか存在しないしな」
「三大魔術師?」
「“魔術を制する者が世界を制する”と言われた時代に、最強と謳われていた三人の魔術師ことだ。まあ実際は、体術や武器、精霊の力が魔術に勝さる場合もあるから、三大魔術師なんて魔術師が讃えられていたのは一昔前までだがな。……さあ、そんなことより門をくぐるぞ」
ウォルカに言われ、前を見ると、二本の柱のすぐ目の前にまで来ていた。柱の両脇には、何人か門番のような兵士が立っていたが、ウォルカがフードを上げて顔を見せると、黙ってこちらに向かって会釈をした。
二本の柱の間は、虚無のような暗闇が続いているだけで、街の様子や人の姿は一切見えない。
「この暗闇に、入ればいいんですか?」
「ああ。外部へ余計な情報を漏らさないように、ここからは真っ暗にしか見えない仕様になっている。でも門さえ通り抜ければ、すぐに都市国の街が見えてくるから、安心しろ」
「分かりました!」
ナツは少しわくわくしながら、二本の柱の間に足を踏み入れる。
ウォルカは「そういえば」とナツの顔を一瞥した。
「ちょっと気持ち悪くなるかもしれないが、我慢しろよ」
「……え?」
次の瞬間だった。
柱にびっしりと描かれた魔術印が、色濃く浮かび上がり、辺りに眩い水色の光を放つ。
と同時に、視界は闇に飲み込まれ、全身をビリビリと電気のようなものが駆け巡る。まるで体中をまさぐられているかのような感触に、ぞわりと鳥肌が立った。
それが数秒続くと、徐々に寒気は収まり、視界は晴れていく。
ぼんやりと滲んで見えた色とりどりの光が、はっきりとした形を取り戻し、喋り声や足音、機械音、雑多な音が耳に聞こえてくる。
「……わあ」
腕をさすりながら、ナツは思わず感嘆の声を上げた。
そこは、一言で言ってしまえば「混沌」だった。
奇しくも、ヘブンシティから初めて外の世界へ出た時の印象と酷似していた。が、ここは荒野などとはまるで対極的な場所だった。
辺りは家や店、建物で埋め尽くされていて、市場のように通りのあちこちに露店があり、古くも賑やかな街並みが続いていた。
そして、行き交う無数の人々、いや、人ではない。様々な種族の生き物たちが通りを平然と歩いている。
例えば、エルフや吸血鬼、獣族はもちろん、人と同じくらいの大きさのカエルが、服を着て歩いていたり、半魚人のような姿の者が、自販機の前でジュースを飲んでいたり、体中から長い毛が生えている者、頭からツノが生えている者、巨人に小人、本当に多種多様な生物たちが、この一つの道の上に存在している。
その光景は、どこまでも現実離れしていたが、どこまでも現実だった。
顔を上げると、遠くにいくつもの霧がかった高層ビルが見える。
恐らくここは郊外で、高層ビルのある辺りが、もっと多くの人外たちが暮らす中心部なのだろうが、ここも十分活気に満ち溢れていた。
「どうやら、レイフィアはまだ来てないみたいだな。ったく、アイツは時間を守った試しがねぇ……」
眉間にしわを寄せながら、ウォルカはいつものように煙草を咥える。前を往来する人外の群れは、ほとんどがこちらに目もくれず通り過ぎていく。ローブなど着ては逆に目立つのでは?と少し思ったが、実際はそうでもないらしい。
「思ったより、人がたくさんいるんですね」
「人じゃないけどな。まあ、数は腐るほどいる。そこがここの良い所であり悪い所だ」
「へぇ。あそこは何をやっているんだ?」
そう言いながら、好奇心で店の方へと歩いていくシモンを、ウォルカはがしりと首根っこを掴んで引き止める。
シモンは構わず進もうとするが、体はピクリとも動かない。
「何だ、離せよ」
シモンが不服そうな顔で振り返ると、ウォルカも機嫌の悪そうな表情で煙を吹かした。
「離せよじゃねえよ。ここでの単独行動は一切禁止だ。特にお前ら、シモン、ナツ、ツクヨミは、絶対に俺かジールと一緒に行動しろ」
「はぁ?保護者にでもなったつもりかよ」
「勘弁してくれ。ナツはともかく、お前やツクヨミの保護者なんて、考えただけでもゾッとする」
ウォルカがさらに顔をしかめながらそう言うと、ツクヨミはそれを横目で見ながら鼻で笑った。
「あら。あんたみたいな貧乏貴族の娘なんて、こちらから願い下げよ」
「び、貧乏貴族……」とジールは呆気にとられた顔で呟く。
「貧乏でも貴族でも何でも構わないが、レイフィアが来るまではここで大人しくしといてもらうぞ。俺もジールも、都会の中心部ならよく通っていたが、この辺の国境付近にはあまり土地勘がないからな」
「そうですね。この辺りのことなら、さっきも言ったように兄さんの方がよく……」
ジールがちょうどそう言いかけた時だった。
音も気配もなかった。
もしくは、周囲の騒がしい声や音で掻き消されて、気づかなかっただけなのかもしれない。
いきなり後頭部に激痛が走り、声を出す間もなく、ナツはがくりと膝をついた。意識が朦朧として、頭痛とともに吐き気も込み上げてくる。
「うっ……」
訳も分からないまま、ナツは頭を抱えて地面に崩れた。
額からは冷たい汗が吹き出てきて、体の震えが止まらない。なのに頭の中は真っ白で、急激な体の変化に、脳だけがついていっていなかった。
「おい、どうした」
突如倒れたナツに、シモンはすぐさま駆け寄ろうとするが、ウォルカに腕を引っ張られて止められる。
「お前は俺の横にいろ。ツクヨミもだ。ジール!」
「分かっています」
瞬時にジールが、ナツのそばに立って構える。
すると、複数の影が突然人混みから飛び出し、次から次へとジールに向かって襲いかかった。
その数は全部で五つだが、一人二人ならともかく、とてもジール一人で太刀打ちできる数ではない。それでも両腕から先を獣化させ、最初の一人、二人、三人までは弾き返す。
が、やはり残りの二人の攻撃には手を回しきれない。せめてナツを庇うため、その背中の上に覆い被さろうとした。
その時。
ジールの目に映ったのは、敵の姿ではなく、自分そっくりの兄の横顔だった。
「……兄さん」
ゾイクは両腕両足を獣化させると、ジールの数倍の威力で敵を返り討ち、吹き飛ばされた二人は近くの出店へと突っ込んでいった。豪快な音とともに、店の半分は破壊され、道路には瓦礫が落ち、薄く土煙が上がる。が、通行人たちは特に驚く様子もなく、それがまるで日常茶飯事であるかのような顔で、喋ったり食べたり歩いたりを続けている。
ジールとゾイクによって食い止められた五人も、よろけながらもすぐに立ち上がり、体勢を立て直す。
そしてすぐにまた、五人を相手に激しい攻防が繰り返される。
やはり敵は皆、倒れたままのナツを狙っている。
そしてさらに十人ほどの男たちが、ウォルカたちとジールたちの間を隔てるかのように立ちはだかった。
いずれも鋭い殺気をもって、こちらを見つめている。
「チッ。レイフィアが来るのも待たせてくれねえってわけか」
「俺は、ナツを助けに行く」
またもその場から離れようとするシモンを、ウォルカは手を伸ばして制した。
「いや、お前はここで大人しくしてろ。もしその目をまた使おうって思ってるなら、敵より先に俺がお前を蹴り飛ばすからな。次は三日のお休みじゃ済まねえぞ」
「…………」
ウォルカの厳しい剣幕に、シモンは黙ったまま、口をぎゅっと結んだ。
ツクヨミも、ジールたちと分断された以上、今はただ状況を見守ることしか出来ない。
謎の集団、ウォルカたちの周りを取り囲む十人のうちの一人が、ウォルカの方へ一歩歩み出て言った。
「ニンゲン二人を出せ。情報は持ってる、隠しても無駄だ」
「……お前ら、いったいどこの差し金だ?見たところ獣族ばかりみたいだが」
「ウォルカ・マーティン、お前には関係ない。さっさとニンゲンをこっちに渡せ」
「ほう、俺の名を知ってるのか。ってことは、上にいるのは吸血鬼の連中か?」
ウォルカが尋ねると、集団のリーダーらしき男は、ニヤリと笑って首をかしげた。
「……さあ、どうだろうな」
「まあ、何でもいいが。しかし、俺の名を知っててもなお、俺に勝てると思ってるのか?たった十五人の獣風情で」
「いいや、勝てるとは思ってないが、ここで大きな騒ぎを起こせば、困るのはそっちだぜ。今はまだ、よくある喧嘩騒ぎで済まされてるが、もしニンゲンがいるなんて大々的に知れたら、いったいどうなるんだろうな?」
男は性根の悪い笑みを浮かべたまま、こちらへ少しずつ距離を詰めてくる。
確かに、今ここでナツとシモンの存在を周りに知られるのは相当まずい。
どこに人間を狙う輩がいるか分からない状態で、わざわざ敵に居場所をばらまくわけにはいかないし、最悪の場合、この場で周囲の者を巻き込むほどの争いが起こってしまう可能性もある。いや、厳密に言えば、今の時点で既に少し巻き込んではいるが。
突然店が壊され、訳もわからず途方に暮れている店主をちらりと見てから、ウォルカはため息を吐いた。
「騒ぎになるのは、確かに困る。……だが、お前らに人間は渡せない」
「ああ?渡せないだと?」
「今ここにいる街の奴らに、お前らのことを言いふらして、無理やりニンゲンを奪ってやってもいいんだぞ!」
「そうなりゃ、お前らこの国で安心して寝ることも出来なくなるぞ!!」
何人かの男たちは、今にも飛びかかって来そうな勢いで怒鳴り散らす。
ウォルカは少しの間沈黙していたが、地面に煙草を吐き捨てると、足でそれを強く踏みつけた。
「奪えるもんなら奪ってみろよ。他の奴らに言いふらしたって構わない。まあ、その代わり、お前らの命は確実にいただくけどな」
「なっ……」
一瞬、男たちは狼狽えるように目を泳がせた。
それくらいに、目の前の赤い瞳は、余裕と自信に溢れていた。本気で、命を奪えると確信していた。
リーダーの男だけは、しばらく怒りに顔を引きつらせていたが、やがて腕と足を獣化させて言った。
「吸血鬼が、舐めやがって。もういい、数ではこっちが上だ。まとめてかかれ!」
僅かに躊躇するが、もはや後には退けない。
他の男たちも、リーダーに続いて体を獣化させ、一斉にウォルカたちに向かって攻撃をしかける。
「結局こうなるか。ツクヨミ、レイフィアが来るまで援護しろ。シモンは俺の後ろから離れるな」
「分かったわ」
ツクヨミは六本の刃を両手に構え、頷く。
シモンは沈黙したまま、こちらへ迫ってくる敵をただ見つめていた。
ナツが今どういう状態なのか、ここからでは全く分からない。ナツの身に何が起こったのか。もしかしたら、命に関わるくらい深刻な状態になっているかもしれない。
なのに、自分は今“目”を使うことも出来ない。
もどかしくて、シモンは力いっぱい自分の拳を握りしめた。
いくら戦い慣れているウォルカでも、十人の相手を一瞬で倒すことはできない。
シモンに当たらないよう、一人一人の攻撃を足で蹴り返しながら、ウォルカは周囲の敵を分析した。
途轍もなく速いスピード、暗がりの中でも時折光を反射する爪、牙、瞳の奥には、野生の本能のようなものが潜んでいるように感じた。
敵のほとんど、いや、おそらく全員が獣族だ。それぞれが肌の色も髪の色も違うため分かりにくいが、佇まいが何となくゾイクやジールのそれと似ている。
そして、相手もただの獣族ではないようだ。
それなりに戦闘の心得があるらしく、その辺の兵士よりはよほど強い。
また、敵はいずれもまだ若く、着ているものはみすぼらしく、決して体格も良くないが、なぜか“しぶとく戦い続ける力”があった。生き残る力、生命力のようなものだろうか。
確かに、それはエルフや吸血鬼に対して、社会的弱者となりやすい獣族という種族の特徴であり、唯一とも言える強みだった。
蹴っても殴っても、すぐ起き上がって、また襲いかかってくる。何度も何度も繰り返すうちに、こちらにできた一瞬の隙を、逃さず突いてくる。
腕に鈍い痛みを感じて、見てみると、羽織っていた上着にじわりと赤い血が滲み出ていた。
「キリがねえな。傷も開いちまったし」
夕月との戦いで出来た傷は、まだ完全に癒えてはいなかった。
「どうするの?このままだと、本当に大騒ぎになるわよ」とツクヨミ。
気がつくと、流石に住人たちの目についたのか、周りには小さな人だかりが出来始めていた。
「……来て早々、事を荒立てたくはなかったが、これは無理してでも一気に片付けるしかないか」
ウォルカが険しい表情でそう言った時、すぐ近くで大きな銃声が鳴り響いた。
ーー
「ジール!!」
ゾイクが叫び声を上げる。
その先には、地面に座り込むジールがいた。
足から血が流れ、どんどんと地面に広がっていく。
銃弾が、獣化していない部分に当たったのだ。
ゾイクはジールの方へ踏み出しかけるが、少し離れた所で蹲っているナツを見て、思わず足を止める。
ゾイクが迷っている間に、敵の一人が動けないジールを脇に抱えて、近くの建物の上へと登っていく。
相手はナツを容赦なく襲った連中だ。攫われれば、何をされるか分からない。
しかしジールの方を助けにいけば、その間に残り四人の敵によって、今度はナツが攫われるだろう。
ジールを選ぶか、ナツを選ぶか。
どんどんと背中は小さくなっていく。悩んでいる暇はない。
「……悪りぃな」
小さくそう呟き、ゾイクは走り出した。
ジールは腕の中でもがきながら、追いかけてくる兄に向かって叫ぶ。
「兄さん、来たらダメだ!」
「ウッセエ!さっさとそいつを離せ!!」
ゾイクは瞬く間に建物の上へ駆け上がると、ジールを捕まえていた男の後頭部を勢いよく殴り飛ばした。男には抵抗するすべも避けるすべもなく、ゾイクの一撃をもろに受けて気を失ってしまう。
「銃なんか使いやがって!男なら素手で戦え!素手で!!このヘタレ野郎!!」
ゾイクはジールの手を取り、もはや意識のない相手にこれでもかと悪態を吐く。ジールは足を引きずりながらも、何とか起き上がり、よろよろとゾイクから離れて歩き出した。
「大丈夫か、ジール」
心配そうなゾイクを安心させるように、ジールはそっと微笑む。
「うん、ありがとう。僕は大丈夫。それより、ナツさんを……」
ゾイクとジールは急いで元の場所へ戻る。
しかし、二人が建物から降りた時、既にそこにナツの姿はなかった。
ーー
銃声がした直後、ゾイクたちと戦っていた何人かが、リーダーの元へ集まって来ていた。そして、こちらに聞こえないくらいの小声でひそひそと会話をしている。
「ナシウス、やっぱあれ、ゾイクだろ。ちょっと雰囲気変わったけど、間違いねえ」
「だとすれば分が悪いぜ。早々に引き上げた方がいい」
「それに、もし向こうの応援が来たら厄介だし。ニンゲンは一人いれば十分だろう」
「……分かった。撤退だ!」
リーダーが大声でそう言った瞬間、ウォルカたちを取り囲んでいた敵は、四方へ散るようにさっさと退いていく。
「銃まで出したようだが、もう逃げるのか?」
ウォルカは挑発するように言うが、男は何ともない顔でヘラリと笑った。
「そっちも手負いみたいだし、ちょうどいいだろ。俺たちとしても、こんなに人目のある場所は何かと都合が悪いんでな。今日は一匹だけで我慢しといてやるよ」
「一匹?」
シモンが眉をひそめる。
「じゃ、あばよ」
リーダーの男はそう言い捨てると、他の男たちを連れて路地裏へ入り、あっという間に闇の中へと消えていく。
嵐が過ぎ去った後のような静寂に、増えつつあったギャラリーも徐々に解散される。
シモンはすぐに辺りを見回すが、あるのはジールとゾイクの姿だけで、ナツの姿はどこにもない。
さっきの男の言葉からして、やはりナツは連れていかれたに違いない。
「……追いかけないと」
シモンはぽつりと呟き、敵が逃げていった路地裏の方へ走り出す。が、また後ろから腕を掴まれ、強引に引き戻される。
「無駄だ。お前が今追いかけても、獣族の速さには追いつけねえ。たとえ追いつけたとしても、お前にいったい何ができる?」
ウォルカの冷めた物言いに、シモンは手を振り払いながら、キッと睨み返す。
「命令するわりに、何も出来なかったあんたに言われたくないね。保護するなんて大口叩いておいて、人間一人も守れねえのかよ!」
「一人は守ってんだろ。まあ、遅かれ早かれこうなるとは思っていたが、まさか初っ端からとは、まいったな……」
さすがにこれは想定外のことだったのか、ウォルカは怠そうに空を仰いだ。
「すみません、ウォルカ様、シモンさん。ナツさんが連れていかれたのは、僕の失態です……」
泣きそうな顔で頭を下げるジールに、ウォルカは首を振った。
「お前のせいじゃない。そもそも全ては、あの緑色が時間通りに来ないせいで」
「それって私のこと?」
背後から聞き慣れた声が飛んできて、四人は一斉に後ろを振り返る。
そこには、「やあ、おまたせ」と笑顔で手を上げるレイフィアがいた。
「レイフィア様!」
ツクヨミはウォルカから離れ、レイフィアの元へと駆け寄る。
ウォルカは訝しげな目でレイフィアを見た。
「お前、いつからいたんだよ」
「いつからとは、人聞きが悪いね。今さっきだよ。ここに人が集まってたみたいだから、まさかとは思ったけど、いやはや本当に君たちだったとは」
「こっちもびっくりだな。来て早々、変な奴らに歓迎されるとは。さっそくナツが行方不明だ」
イライラとした声音で言うウォルカに、レイフィアはぴたりと顔から笑みを消した。
「ナツが?……相手は、どういう連中だった?」
「恐らく全員獣族だ。しかもまだ若い、子供に見える奴もいた。格好からして、スラムの集団じゃないかと思うが」
「スラムか。でもどうして、彼らがわざわざ人間を狙う?」
「さあな。奴らにとって、人間は直接の価値にはなり得ない。誰かに指示されていると考えるのが妥当だろ」
「そうだね。とりあえず、子供たちを安全な場所に……」
すると、話し合うレイフィアとウォルカの前に、シモンが断固とした態度で立った。
「そんなことはどうでもいい。お前らが行かないなら、俺だけでもナツを探しにいく」
一人焦燥に駆られているシモンを見て、レイフィアは首をかしげた。
「珍しく冷静じゃないね。本気で、君だけでナツを探し出せると思ってるの?」
「この“目”を使ってでも探し出すさ。もうあんたたちの力には頼らない。俺たちを守るとか保護するだとか、口だけなら何とでも言えるな」
そこまで聞くと、ウォルカはいきなりシモンの胸ぐらを掴み、軽く30センチほど持ち上げた。
怒鳴られると思ったシモンは、内心身構えたが、意外にもウォルカは怒っているわけではなく、いつものやる気のなさそうな顔に、ただ呆れた表情を浮かべているだけだった。
「好き勝手言ってんじゃねえよ。とりあえず、お前はもうちょい落ち着いて考えろ」
そう静かに諭すが、シモンは一向に考えを変える様子もなく、ウォルカの目を見据えてはっきりと言った。
「そうやって保護者ヅラするのはやめろって言ってんだよ。あんたに口出しされる謂れはない。俺は、自分の意志でナツを探しに行くだけだ」
「だからな、それは無理だって言ってんだろ。だいたい分かってんだよ。お前のその目は、何度も使うと危険なんだろ?しかもこの国にはお前らを狙う奴もたくさん……」
「ウォルカ、離してやりなよ」
ウォルカの言葉を遮って、レイフィアは穏やかな声音でそう言った。
「は?いいのかよ」
怪訝な顔をするウォルカに、レイフィアはただ薄く笑ってみせる。
ウォルカはそれでもしばらく、何か言いだけな顔でシモンを見ていたが、やがて渋々と地面へ下ろした。
シモンは胸元に出来たシワを手で伸ばし、二人の顔をちらりと見た。
「もう、俺たちに構うな」
そう言い残して、背を向けようとした瞬間、レイフィアがシモンの頰をぱしりと叩いた。
音は一瞬で消え、辺りは一層静まり返る。
「……甘えるな」
聞いたこともないような、冷たい、感情のない声が、レイフィアの口から漏れた。
シモンは戸惑いを隠しきれず、目を見張って、その場に立ち尽くした。
隣に立っていたウォルカも、唖然とした顔でそれを見つめている。
「たしかに、ナツは連れていかれたけれど、ウォルカは君を守ったはずだ。ジールやゾイクも、身を呈して君たちを守ろうとしただろう。それに対して、礼の一つもないどころか、不平を言うのかい、君は。……それは、君がまだ、甘えだらけの子供である証拠だ」
レイフィアは至って淡々と、怒りも苛立ちも見せずにそう言い放った。その言葉には、人を叩くだけの説得力があった。
シモンは黙って俯き、バツが悪そうに唇を噛む。
そして、長い沈黙を置いた後、絞り出すように「……悪かった」と呟いた。
「気が動転していた。ナツが殺されるかもしれないのに、俺は何も出来ないままなんじゃないかって。それで、お前らに八つ当たりして……。たしかに俺は、ただの子供だ」
顔を伏せるシモンに、レイフィアは小さく微笑んだ。
そして、シモンの頭にポンと手を乗せる。
「……大丈夫、ナツは殺されないよ。人間を殺せば、その価値は半減する。彼らだって馬鹿じゃないさ」
それを聞いたシモンの瞳は、少しだけ落ち着きを取り戻す。
ウォルカも安堵した表情を浮かべながら、ジールの方へ目をやった。
「馬鹿といえば、ゾイクはどこへ行った?さっきまでお前といただろ」
「はい。どうやら、ナツさんを連れていった奴らをすぐに追いかけていったみたいです」
ジールはシモンの方を向いて、続ける。
「シモンさん、どうかここは兄さんに任せて下さい。兄さんは足がすごく速いし、この辺の土地にはとても詳しいんです」
「ああ、そういやアイツが住んでた都市国の貧民街って、ここだったのか」とウォルカ。
レイフィアは、ジールの肩に手を置いて言った。
「彼に任せてみなよ。私も、彼のことはまだよく知らないけど、仲間を見捨てるような男には見えない」
シモンの脳裏に、褐色の肌と深い青の瞳がよぎる。
ーーゾイクか。
感情の起伏が激しく、短気なヤツだが、確かにそのぶん情に厚く、正義感が強い。
正直、ゾイクが自分の身を犠牲にしてでもナツを守るほどのお人好しには思えないが、それでもこの状況において一番頼りになることは間違いない。
「……分かった」
シモンは頷き、レイフィアの翡翠色の瞳をじっと見つめた。
「でも、あんたに一つだけ言っておくぞ」
「何だい?」
レイフィアが尋ねると、シモンは一呼吸置いてから、真面目な顔できっぱりと言った。
「ケーキはもう作らない方がいい。腕も口も立つみたいだが、料理の才能だけはないな」
レイフィアは束の間キョトンとした後、心底おかしそうに笑い出した。
「あはは、手厳しい感想だね」
「けど、ありがとう。お前の気持ちは伝わった」
シモンは顔を背け、囁くような声でそう言った。
それを聞き逃さなかったレイフィアは、さらに嬉しそうな笑顔で、シモンの肩に腕を回した。
硬い軍服から、柔らかな草花の香りがする。
「うん、どういたしまして。まあ、諦めないけどね!初めは誰だって失敗するものさ。次は別の料理に挑戦することにしよう」
シモンはうんざりとした表情で、肩をすくめた。
「更なる被害者が出ないことを祈ろう」
「おいおい、勘弁してくれよ。結局、アレの大半を片付けたのは俺なんだぜ」
冗談じゃないとウォルカが口を挟む。
レイフィアはニヤリと笑って、首を傾けた。
「おや、ダーリンだったのかい?私の愛情こもったケーキを一番多く食べたのは」
「……まあ、ナツとシモンは一切れ半でギブ、他の奴らなんて一切れも食べ終えられない。ゾイクだけは普通に食ってたが、アイツはすぐに飽きるからな。結局俺が一人で半分以上食べる羽目になったわけだ」とウォルカはどこか遠い目をして言う。
当の本人以外は、心から同情する目でウォルカを見ていたが、レイフィアはそんな苦労もつゆ知らず、次は何を作ろうか今から考え出している始末。
ここにいないナツとゾイクのことが、気がかりであることに変わりはなかったが、それでも、少しはマシな気持ちで、シモンはウォルカたちとともに都市国内部へと入っていく。
レイフィアは前を歩きながら、長い髪を風に揺らした。
「まずは新居へ案内しよう。入ってきたばかりの国で、安心して休める所もないようじゃ、ナツを探すのも無理だからね。君たちの新居に移動してから、今後のことは考えよう」
「……そうだな」とシモンはまだ緊迫とした面持ちで答える。
キラキラとした色鮮やかな光、あちこちで自由に飛び交う声や音、見たことのない食べ物、賑やかな店、静かな家、明るい道、暗い道。街の所々で窺える、かつての人間並みに高い科学技術と、まだ見慣れない魔術の存在。そして様々な種族が入り混じる、どこかヘブンシティと似て見えるこの国は、決定的にヘブンシティとは異なったルールと文化を持っていた。
それは追い追い、シモンやナツが身をもって知ることとなる。
良いことも、悪いことも。楽しいことも、悲しいことも。素敵なことも、恐ろしいことも。
何はともあれ、本当の意味においての、二人の冒険の始まりは、ナツが攫われるというドタバタ騒ぎからだった。
そして、この事件が、後に大きな、あまりに大きな出来事へ繋がることを、攫われたナツも、守られたシモンも、今はまだ知らない。




