第三十二話「赤旗の宣戦布告」− Heaven City side –
「あれは、先輩お得意の【黄金の矢】!!いきなり容赦がないですね!!」
遠くから、レアの興奮した叫び声が聞こえてくる。
うるさいと文句の一つでも言ってやりたいところだが、今はそんな余裕もない。
レハムは、自身の周りに浮かぶ無数の矢を見渡してから、前で突っ立ったままの男に目を向けた。
宝石による技を見ても、フードの下の仮面は、戸惑い一つ表に出さない。それどころか、その変わらぬ姿勢からは、ほんの少しの余裕すら感じる。
レハムは眉根を寄せながらも、敵の方へ一歩踏み込んだ。
「行け」
レハムがそう呟くと、宙に浮いた矢は、一斉に男に向かって降り注いだ。
鏃が、日の光を浴びながら、鮮やかに煌めく。
それはまるで流れ星のようだったが、願う暇も与えず、瞬く間に、目標までたどり着く。
そして、無情にも、その全身に突き刺さり、貫いていく。
ーーはずだった。
が、そこに男の姿は既になかった。
矢は空を切り、地面に深く刺さる。
瞬間移動。
レハムは身構え、辺りを見回すが、赤いローブはどこにも見当たらない。
レハムのすぐ隣を、一つの影がよぎった。
すかさず避けようとするが、反応がほんの少し遅れ、避けきれない。
突然現れた男は、ローブから鋭いナイフを出し、レハムを切りつける。
ーーはずだった。
「遅いんですよ」
レハムは冷ややかな声音で、そう言った。
ナイフは、レハムに触れる寸前で、止まっている。
見ると、男のナイフを持つ手に、一本の矢が刺さっていた。
男はナイフを手放すと、軽やかに後ろへ後退した。
そして、迷わず右手から矢を引き抜く。
ポタポタと血が滴り、地面を赤く濡らすが、やはりローブは赤いので、汚れは目立たない。
レハムはまたいくつか矢を出し、追い討ちをかけようとするが、今度の攻撃は全て、相手の瞬間移動で躱される。
まだ、こちらへ向かってきてくれれば、隙をつくことも出来るかもしれないが、先ほどの先制で警戒しているのか、向こうから近づいてくる気配はない。
ーー厄介だな。
男は際限なく能力を使い続け、もはやその姿は、時々残る影でしか追えない。
たとえ的を撃つ正確さを持ち合わせていたとしても、的が見えなければ何の意味もない。
それに、この速さは、超能力者だとしても尋常ではない。
これまで、レハムも何度か超能力者と戦ったことはあったが、こんなに速い瞬間移動を、しかも無限とも言えるほどに連続で使える人間は、見たことがない。
恐らく相手は、超能力者の中でも、相当な修行を積み、また、我々協会員とも戦った経験のある者であるに違いない。となると、やはり例の通り魔事件の犯人である可能性が高くなってくる。
冷静に敵を分析しながら、レハムは瞼を閉じる。
そして、額の宝石に、また全身の力をかき集める。
ーーこっちも、少々本気を出すしかないか。
レハムが薄っすらと目を開くと、その瞳の色が、一瞬、黒から金に変わった。
そして、残像すら残って見えるほど、凄まじいスピードで周囲を駆け巡る男に、ゆっくりと手を伸ばした。
指先から、虹色の細い剣が現れる。
「キターー!!!!先輩の必勝奥義!!【虹霓の剣】!!」
レアのハイテンションな声が響き渡った。
黄金の矢よりも、さらに神々しい光を放つそれは、静かにレハムの指から離れ、空に舞い上がる。
レハムは手を上げてから、微動だにせず、言葉も発さず、ただ瞳だけが、きょろきょろと動き回る。
まるで、男の瞬間移動を、完全に視界に捉えているかのように。
やがて、空に飛んだ剣は、重力に従って真っ逆さまに落ちてくる。
落下を邪魔するものは、何もない。
早朝の柔らかな光が、剣の刃と重なって、弾けるように周囲に乱反射する。
ーーここだ!
レハムは目を見開き、差し出した手を、くるりと捻った。
同時に、落ちてきた剣は、高速で切っ先の向きを変え、横に飛ぶ。
きらりと、刃から七色の光が零れる。
次の瞬間、激しい爆音と共に、辺りを砂埃が覆った。
ゴホゴホと咳き込みながら、レハムは煙の向こうに目を凝らす。
あまりの速度に、そこにあった古い家屋の壁が壊れ、部屋の中が瓦礫だらけになっている。幸い、住人はいないようだった。
煙の立ち込める残骸の奥に、大きな窪みが出来ているのが見えた。
そして目に映ったのは、塵が舞う中でも、輝きを失わない一筋。
鋭い剣が、赤いローブにしっかりと突き刺さっている。
レハムは思わず、ホッと一息をついた。
「何ヲ、安心しているんダ?」
頭上から降ってきた、歪な声に、レハムはびくりと体を硬直させる。
恐る恐る顔を上げると、近くの住宅の屋根に、一つの影があった。
白い朝陽を背に、こちらを見下ろしているのは、あのピエロの仮面をした男。
しかし男は、赤いローブを着ておらず、ぴったりとした真っ黒な服に身を包んでいた。
ーーまさか。
砂埃が晴れ、瓦礫の中がよく見えるようになってくる。
見ると、剣が貫いているのは、“赤いローブだけ”だった。
ーー中身の男は、瞬間移動でまたも逃げられたということか。
目標を仕留めそこねた剣は、ゆらゆらと揺らめくように消えていく。
悔しそうに顔を歪めたのも束の間、レハムの目と鼻の先に、化粧の濃いピエロの顔が現れる。
「しかし、よくもまァ、オレの動きが見切れたナ」
レハムは瞬時に矢を放つが、男もまたすぐに姿を消す。
そして、いつのまにか、また元の屋根の上に、影が戻って来ている。
レハムは顔をしかめながら、敵の顔を見据えた。
「何なんです、あなたは。その速さ、僕の“光”でなければ、目で捉えることも出来ない」
選ばれし子供たちの持つ、宝石の力には、様々な属性があり、レハムの宝石は、“光”を司る。
光といえば、辺りを明るく照らすものであると同時に、その速度は如何なるものよりも速い。
つまりレハムは、本気を出せば、光速に近い速さで、相手を捉え、攻撃することができる。
また、“光”の強みは、その圧倒的な速さだけではない。あらゆる属性の中でも、“光”の能力は、速度、攻撃力、防御力、いずれの面でも秀でており、その平均値の高さから、宝石の力の中でも最強と謳われるものの一つに入る。
そんな“光”の能力を持ってしても、ここまで攻撃を躱されるほどの回避力は、本来ありえない。
そもそも、超能力が、宝石の力に勝つなど、万が一にもありえないのだ。
瞬間移動に限らず、身体強化、透視能力、念力、いずれにしても、宝石の力を上回るほどの威力も速度も持ち合わせていない。
宝石の力と、超能力。勝負とはいっても、それは勝負であって勝負でない、初めから勝ち負けは決まっているようなものだった。
それは、これまでの超能力者との戦闘で明らかになっている。
頭上に浮かぶ黒い影は、わざとらしく首を傾けた。
「ハァ?お前コソ、何なんダヨ。ヒカリ?とか意味わからんシ。お前の光ル矢?とか、剣とかの方が、ワケわかんねーダロ。コレだから、アモル協会のヤツラは……」
ボイスチェンジャーを使っているのか、男の声は時折高くなったり低くなったりして聞き取りづらい。
しかし、言葉遣いからして、まだ若い青年であることくらいは予想できる。
敵はこちらを見下ろして、退屈そうに首を回した。
「デモ、案外思ったヨリかは強くナイのナ」
レハムは何も言わず、剣を手の中に出すと、敵に向かって一直線に投げつけた。
瞬時に男は消える。
空気を切り裂くように飛んでいった剣は、そのまま何もない宙を通り過ぎていく。
「ドッコ投げてンノ〜?」
レハムは無表情で、手を右から左へと動かす。
すると、虹色の剣もそれに合わせて、速度を落とさず向きを変え、次に現れた男の所へと一瞬で突き抜ける。
が、またもあっという間に男の姿は消え、剣は足を掠めただけだった。
「あチャ、当たっちゃった。オシイオシイ」
ズボンに僅かな血が滲んでいる。
が、それも気にすることなく、ピエロの仮面はあちらこちらへ瞬間移動を繰り返しながら、度々ノイズが入る声で話を続ける。
「オレ一人に、そんな時間カケててイイの〜?」
いきなり言葉数の多くなった男に、レハムはどことなく違和感を感じていた。
挑発的な言葉を並べているが、逃げるだけで攻撃は一切してこない。
その様子から見て、戦闘意欲はもはや無く、自分を殺す気がないのが分かる。
ーー愉快犯か?ふざけてるのか。
レハムは怪訝な顔をしながら、敵への攻撃を繰り返す。
徐々にそのスピードと、動きのパターンも見えてきて、何とか少しずつ攻撃も掠るようになってきた。
レハムが無言で剣や矢を繰り出し、男はペチャクチャ喋りながらそれを躱す。
最初の二人から、まるでその状況は逆転していた。
男の瞬間移動の速度は、相変わらず超能力の範疇を超えたもので、いくら先読みして攻撃しても致命傷を負わせるまでには至らない。
「どシタ?ちょっとオソクなってネ?」
ピエロの顔が、ニンマリと笑って言った。
レハムはピタリと動きを止め、一度呼吸を整える。
ーーまずいな。日が陰ってきた。
上を見上げると、先ほどまで天気の良かった空が、だんだんと曇り始めてきている。
太陽が雲に隠れ、日の光が遮られていく。
気がつくと、まだ朝早くなのにも関わらず、周囲に人が集まり始め、ちょっとした騒ぎになっていた。
レハムはぎゅっと唇を結んだ。
ーー時間がない、か。
逃すわけにもいかないし、かなりの体力を消耗することになるが、仕方ない。
男は高らかに笑いながら、なおも高速で瞬間移動を繰り返す。
レハムはそっと指を組み、雲の合間から溢れる一筋の光に視線を投げた。
そして、そのまま、静かに目を瞑った。
敵も動くのをやめ、不思議そうにレハムを見つめる。
二人の間を、緊張感の滲む沈黙が流れていく。
「ナーニしてんノ?この状況デ神頼みトカ、ふざけてンの?」
男は小馬鹿にするような口調で、そう尋ねる。
春の暖かな風が、通りを吹き抜けていく。
レハムはゆっくりと目を見開く。
青白い、こめかみの血管が浮き出ている。
「ふざけてるのは、あなたです」
まるで本物の黄金のような、金色の瞳が、ピエロの仮面を見据える。
刹那、地面に立つ男の周りを煌めく四本の剣がぐるりと取り囲んだ。
そして男に向かって、真っ直ぐ対角線に交わる。
「増やしたトコロで、一緒だシ」
超能力者は素早くそこから移動し、瞬時に離れたところへ現れる。
的を外した、四つの剣が交差した瞬間。
普通の人間にはもちろん、影からこの戦いを観戦している何名かですら、気を抜けば目で追えなくなるほどの、一瞬。
巨大な剣が、その刀身に鮮やかな光を灯して、男の背後に現れる。
「なッ」
只ならぬ気配に、男は急いで振り返る。
が、遅い。
身構える暇も、声を出す暇も、呼吸する暇すらない。
今度こそ男を完全に捉え、まさに光速で、その体を二つに切り裂く。
ーーはずだった。
「アぶないワねぇ。ほんと」
明らかに人工的な、高い声。
「…………」
身構えながら、レハムは眉間にしわを寄せる。
剣と男のわずかな隙間に、一本の長い棒が挟まれていた。黒く塗られたその棒は、少しひび割れているが、レハムの出した大振りの剣を確かに受け止めている。
棒を持っているのは、赤いローブを着た、男より一回りほど小さな人影。
風に運ばれてくる、微かな雨の匂い。
みるみるうちに、街を影が侵食していく。
光は途絶え、空は不穏な雲に覆われる。
輝く剣は、霧のように辺りに霧散して、あっという間に消えていった。
レハムは緊迫とした面持ちで、慎重に周囲を見渡す。
三人。
今まで戦っていた、黒い服の男。
さらにその両脇に、いつのまにか二人の人物が出現していた。
少し小柄な赤いローブと、男と同じくらいの背丈の赤いローブ。恐らく喋り方からして、小さい方は女性。体格からして、もう一人は男だろう。どちらも、僅かにデザインの異なったピエロの仮面を付けている。
「ほら、落としモンだゾ」
後から来た方の男が、瞬間移動の超能力者に、穴の空いたローブを渡す。
男はそれをひったくるように受け取り、いきなり出てきた二人に目を向けた。
「ジャマすんナ。別ニ、一人デ避けれたシ」
「嘘ツケ。アレ受けてたラ、お前絶対シんでたぜ」
「ウッセ!アイツは俺ダケで十分ダッタシ。何ナラ、見たトコ大してツヨくねえし、俺が今倒しちまってもイイんダゼ?」
男が苛立ちの混じった声で言うと、背の低い方が、手に持った棒を勢いよく振り上げた。そして、その先を男の方に向ける。
「時間切れヨ。目的をハキ違えないデ。当初ノ目的を達成シタラ、速やかニ撤収しなサイ」
「デモ、もう少しデ」
そう言いかける男に、新たな敵は、黒い棒をさらに近づけた。
「もう少しデ、アンタは死にソウだった。アタシらは、アンタのお遊びに付き合うタメに、ワザワザこんなトコまで来たンじゃないワ」
仮面越しにも分かる、鋭い殺気に、重苦しい空気が流れていく。
男はしばらく黙り込んだ後、チッと舌打ちをした。
「……わアッたよ」
「五分以内ニ、戻りなサイ」
そう言い残すと、後から来た二人はさっさと撤退していく。
ーー逃がすか。
即座に、レハムは追いかけようと足を踏み出すが、同時に、目の前の男が懐からピストルを取り出した。
傷のついた赤いローブを肩に羽織い、銃の標準をレハムに合わせる。
レハムは歯を噛み締めながら、前に立ちはだかる敵を見すえた。
「……今更、そんなものが僕に通用するとでも?」
間髪入れずに響く、一発の銃声音。
右肩に、焼けるような痛みが走る。
「……通用するジャン。強ガリはヤメなよ、もう限界なんダロ?」
肩から指先へ、赤黒い血が伝っていく。
もう、どこにも“光”はない。
疲労で、頭痛と目眩がぐるぐると繰り返される。
込み上げてくる吐き気を堪えながら、レハムはピエロの仮面を睨みつけた。
「あなたに、僕は殺せません」
「どうカナ。まあ、お前ヲ殺せるかドーカは置いトイテ。ソノ辺の人間ナラ、いくらデモ殺せンじゃナイ?」
そう言うと、男は銃口を横にずらした。
その先には、騒ぎを見に集まって来た街の人々がいた。
躊躇なく、ピストルの引き金に指をかける。
「なっ」
レハムは目を大きくさせる。
咄嗟に体を動かそうとした瞬間、男は声を張り上げた。
「動くナ。お前ガ少しでも動いタラ、撃つ!」
レハムは反射的に足を止め、苦い顔をする。
人々は男の言葉を聞いた途端、叫び声や悲鳴をあげて、四方八方へ逃げ出していく。
道路は我先にと逃げる人々で溢れかえり、住宅地は一瞬にして混乱の最中へ陥った。
パニックになった住民たちの命など、向こうはいつでも容易く奪えるだろう。
こうなったら、大人しく相手の言うことを聞くしかない。
その場に留まったレハムを確認して、男は自分の首元へ手を伸ばした。
「安心シロ。邪魔サエしなけリャ、お前モ、他のヤツラも、殺るつもりハねーンだ。さっきノ、お前ノ質問にも答えてヤルヨ」
よく見ると、男は首元にくっついている小さな機械を、指で回している。
何が始まるのか。
レハムは身動きのとれないまま、敵の様子をじっと見つめる。
男は仮面の中で深く息を吸い込むと、出せる限りの大声で叫び出した。
「聞こえてンのか!!このクソみたいな街ニ住む、クソ野郎共ォ!!!!」
キーンという耳鳴りと共に、辺りに大きく響き渡る罵声。
首に付いた機械は、声のボリュームを調整できる装置なのか。
その途轍もない音量に、レハムは思わず顔をしかめる。
「モウ、俺ラは逃げモ隠れモしねェ!!アモル協会トカイウ独裁組織ニモ屈しネェ!!お前ラ全員ブッ倒して、俺ラは俺ラの理想とスル世界を創リ上ゲル!!」
「……何を」
言ってるんだ。
そう言いかけて、レハムは言葉を失う。
認めたくはないが、彼の言葉の迫力に気圧されている自分がいた。
「俺ラは超能力者にヨル組織【マシアハ】!!異能ノ力を持っているダケで、差別サレ、迫害されてキタ同胞ヲ救い、俺ラを見捨テタ“神”、そして排除してキタお前らクソ協会を打ち倒ス!!目的ハ救済ト復讐!!」
ーー救済と復讐。
そんな矛盾したものを、同時に成そうなどと本気で思っているのか。
周りには、未だに逃げ惑う人々、突然鳴り響いた声に足を止める人々、黙って耳を塞ぐ人々。
唖然とするレハムの前で、男は肩の上の赤いローブを掴むと、高く天に掲げた。
「超能力ハ進化スル。まだ実験段階ダガ、もうスグお前ラの【神の力】とやらヲ追い越シ、コレまでの報復ヲ遂げる!!ソシテ、お前ラのクソな教えモ、クソな預言者モ、全部ブチ壊して、俺ラ超能力者ガ、新たな国ノ支配者トナル!!」
「……そのために、罪のない人間を殺すんですか!僕らを倒して、新たな国の支配者になる?笑わせるな!!」
レハムが怒鳴り返すと、男は少し沈黙してから、カラコロと笑い出した。そして、ピストルを下に向ける。
そこには、青ざめた顔の死体が、静かに転がっていた。
「罪のナイ、人間?笑わせるナはコッチの台詞ダ!!コイツはれっきトシタ殺人犯ダゼ!!数年前、コノ近所で起キタ通り魔事件ノ犯人ガ、その近くニ住んでイタ超能力者ニ罪を着セテ生きのびた!!無実ノ罪デ、その超能力者ハ死刑にナッタ!!ソコで死んでるソイツがソノ残虐ナ犯人サ!!何モ分かってネェのは、オ前なんだヨ!!」
男は喚くようにそう叫んだ。
それが、嘘なのか真実なのか、レハムには分からなかったが、少なくとも口から出まかせを言っているようには見えなかった。
レハムは眉根を寄せながら、目の前の男を見上げる。
「復讐、ですか。それでも、あなたがこの人を殺していい理由にはなりません」
「これハ裁きダ。街を守るナンテ綺麗事叩きナガラ、罪のナイ超能力者ヲ捕らえて満足シテルお前ラの代わりニ、俺ラがヤッてやってるんダヨ!!理由ハ無くトモ、俺ラにとって意味はアル!!」
「裁きは、神が行うものです。あなたたちではありません。……あなたは、僕たちに報復すると言いましたが、ならなぜ、僕を殺そうとしないんですか。戦闘中、あなたから僕への殺意は感じなかった」
レハムの問いかけに、敵は真意の読めない笑顔を浮かべたまま、現れては消えてを繰り返す。
「言ったダロ。まだ実験段階ダト。俺ラが、お前ラ“選ばれシ子供タチ”を殺スのは、モウ少し後のハナシ。今回はイワバ、“お手並み拝見”ってトコヨ」
「……ふざけるな」
声が怒りと痛みで震える。
神の力を有する我々が、超能力者如きに試されるなど、本来あってはならない。このまま黙って見過ごしていては、協会の名に泥を塗るようなもの。
レハムは、もはや限界などとうに通り過ぎた身体を、無理やり奮い立たせる。
宝石の力を再度解放しようと、拳を握りしめた瞬間、目の前が真っ暗になった。いや、影になって黒く見えたが、それは赤だった。
「コレが、お前ラアモル協会への“反旗”ダ。いつノ時代モ、革命ノ色は血ノ色。この旗ガ、お前ノ血デ染まらナイよう、セイゼイ気をつけんダナ」
耳元で囁く声。
宙に広がったローブが、レハムの視界を遮り、地面にはらりと落ちた頃には、男の姿はもうどこにもなかった。
周囲には住民の姿もなく、犠牲者がいる様子もない。
「…………くっ」
レハムはどっと押し寄せる疲れに、膝をつき、顔を歪めた。
ーー力を使い過ぎた。
これでは、いつまで意識が持つかも分からない。
ぐらつく視界の中で、通りの向こうから、レアが走ってくるのが見えた。
「先パアアアアイ……!!」
大声で名前を呼ぶ、その顔は涙でボロボロだった。
ひどい顔に、レハムは思わず頰を緩める。
何で、君が泣いてるんだよ。
そう言おうとしたが、喉からは掠れた音しか出てこない。
息が苦しい。
そして、すぐに意識は遠のいていく。
ーーーーー
一方その頃、離れたビルの上から、二つの影がゆっくりと動き出していた。
「あーあ、こりゃやられたねぇ。“額に宿す者”って言うから、アカウロと似た能力なのかと思ったけど、どっちかというと、君の力に似てるんじゃにゃい?クリムン」
ブリュダがそう尋ねると、クリムダイは心底嫌そうに顔をしかめた。
「……あんなのと一緒にするな。俺なら、あの赤ローブ、ニ分で倒せる」
「おお〜、相変わらず口だけは達者だねぇ」
揶揄するように笑うブリュダを横目で見ながら、クリムダイは小さくため息を吐いた。
「そもそも、【光】には“二面性”がある。【月】の力と、【太陽】の力だ。俺の能力とアイツの能力は、まずそこから違う。アイツの【月】の力は、この環境では全力を発揮できない」
「【月】と【太陽】ねぇ。んじゃ、さっきのレハムっちは、本気を出しきれてなかったってこと?」
「あの状況においての本気は出せていたかもな。ただ、あれが能力の最高値ってわけじゃない。【光】の力を、しかも額に顕現した者が、あの程度なわけがないだろ。実力があるとはいえ、アイツは能力に対する知識も経験もまだ浅すぎる」
「あら、随分レハムっちの能力を買ってるみたいね?手厳しいクリムンでも、自分と同じ力を持ってる後輩はやっぱしかわいいってことかにゃ?」
ブリュダはニヤリと目を細める。
選ばれし子供たちの中でも、【光】の力を持つ者は、【闇】の力を持つ者の次に少数だ。それだけに、同じ能力を持っている者同士、親近感を感じるのも無理はない。
「……そんなんじゃねえ、ただの客観的な意見だ。【月】は光を反射して、より強大になる力。周りの環境に大きく左右されるし、不安定な力だが、近くに“強い光”があれば無敵の存在ともなり得る。【太陽】はその逆で、暗闇の中でこそ最も強い輝きを放つことができる。環境にはあまり左右されず、自発的に力を生み出すことができるってわけだ」
「ふぅん。んじゃ、【月】の力を持つ人は、いつも強い光のそばにいればいいじゃん。電灯持ち歩くとかさぁ」
「【月】の力は複雑なんだよ。人工的に生み出した明かりなんかじゃ、ちょっとの足しにはなっても、そんなに強い力にはならねえ。それに、“強い光”って言葉の、本当の意味は……」
そこまで言いかけて、ふとクリムダイは何かを思い出したかのように黙りこんだ。その表情は、みるみるうちに深刻そうなものになっていく。
その様子を横で見ながらも、ブリュダは興味なさげに大きな欠伸をした。
「ま、よく分かんないけど。とりあえず、この事は私の口からアカウロに報告しとくよぉ。またすぐに臨時集会かもね〜」
「ああ。またお前らと顔合わせなきゃいけねえのかと思うと、こんな街、出たくもなってくる」
クリムダイの含ませたような言い方に、ブリュダは目をパチクリさせる。
「……もしかして、シモンのこと言ってる?君からその話題を出すなんて珍しいねぇ。まあ、まだ彼が死んだとも、この街から出ていったとも決まったわけじゃないけど」
「ブリュダ」
そう呼びかけられて、ブリュダは初めて彼の目をしっかりと見た。
そして、その灰色がかった瞳が、思いのほか落ち着いた光を湛えていることに気づいた。
「なに?」
ブリュダは返事をしながら、そういえば、自分とは犬猿に近い仲のクリムダイと、こんなにちゃんと顔を合わせて話をするのはいつぶりだろうと、頭の隅で思った。
「何でだろうなぁ。俺は、アイツが死んだとは思ってねえ。いつか、またアイツをぶっ殺す機会が来ると、心のどっかで思い込んでる」
クリムダイは純粋な笑顔でそう言った。
それも一種の、シモンへの信頼なのだろう。
口ではシモンを貶しているが、ある意味、シモンの力を誰よりも認めていたのは、この男だったのかもしれない。
ブリュダはぷはっと笑った。
「まあ、ぶっ殺す前に、ぶっ殺されなきゃいいけどぉ。あの超能力者の集団、【マシアハ】だっけ?呼びにくいなぁ。でもアレは、たぶん一筋縄じゃいかないね。君も、油断してたらやられちゃうよ」
「ハッ、おもしれぇ。最近、どいつも張り合いがなくて退屈してたとこだ。お前らよりも先にアイツら倒して、手柄は第四教会がいただいてやる」
意気込むクリムダイに、ブリュダは下を見ながら口角を上げた。
「ねぇ、第四の代表。このタイミングで超能力者が表へ出てきたのは、シモンが消えたから、なのかね?」
「さぁ、知るかよ。もしそうだったとすれば、俺らも相当見くびられたもんだぜ?あのふざけたツラ引っぺがして、二度と動けねえようにしてやる」
クリムダイはそう言いながら、屋上の柵に足をかけ、身を乗り出す。
「あれ、どこ行くのぉ?」
「レハムんとこだよ。協会の顔を汚した、落とし前はつけてもらわねえと」
「うわぁ、こわ。後輩いびりも程々にしてよね〜」
下へ降りていく白髪の青年を目で追いながら、ブリュダは小さく微笑んだ。
クリムダイとは、まだ出会ってから一年も経っていないが、だいたいの性格は分かっている。
彼は一見、向こう見ずな馬鹿のようで、実は頭の中で色々な状況や問題を複雑に考えている。意外と慎重なヤツだ。
あのクリムダイが、わざわざ後輩いびりなんて陰湿なことをするはずがないことは、よく知っていた。
彼はもっぱら弱者より強者に喧嘩を売るのが好きなタイプだし、今の戦いで、レハムは相当弱っているだろう。
落とし前をつけてもらう、などと言って、本当は何をするつもりなのか。
それはブリュダにも分からないが、レハムとクリムダイという意外な組み合わせが繋がることに、ただ笑いが堪えられなかった。
クリムダイがレハムの元へ歩いていくのを見届けると、ブリュダは曇天の空を仰ぎ見た。
今でも目に焼き付いて離れない、鮮やかな真紅の旗。
超能力者組織にして、反アモル協会集団【マシアハ】。
平穏な日々の繰り返しだった、ヘブンシティの日常は、もはや終わりを告げた。
「さて、こっちはどう動く?アカウロ」
ブリュダは頰の宝石を煌めかせながら、高層ビルから飛び降り、街の中心部へ向かう。
まずは、今見たことを報告しなければ。
それに、彼とは“別の件”で話もある。
しかし、どれだけ足掻いたところで、あらゆることが、自分の目の届かないところで、進んでいっている。それは止められないだろう。
「……この街も、もう終わりか」
何気なく、そんな物騒なことを呟く。
何だか、これから全てがひっくり返っていくような、壊れていくような、そんな予感がしていた。
綺麗に切り揃えられた前髪の下で、深い青の瞳が僅かに陰る。
ブリュダは物憂げな表情で、少し霧がかかって見える、巨大な教会を見据えた。
ーーーーー
ーーーーー
「先パアアアアイ……!!」
一人の少女が泣き喚いている。
その前に、俺はただ立ち尽くしている。
少女と俺の間には、右肩から血を流して倒れている少年。
「おいおい、マジかよ」
まさか、来て早々に、相手がぶっ倒れるとは思わなかった。
わんわん泣いている少女は、鼻水も拭かずに、少年を容赦なく揺さぶっている。
「おい、やめとけ。余計悪くなるぞ」
俺が話しかけると、少女はピタリと泣くのをやめ、こちらを見上げた。
涙を溜めた大きな瞳が、こちらをじっと見つめる。
そして、ゆっくりと薄い唇を開く。
「……あなた誰です?」
「知らねえのかよ。ったく第八はどいつもこいつも非常識な奴ばっかだな。第四教会の代表、クリムダイ様の顔くらい覚えとけ、ブス」
少女は目を何度か瞬かせると、「ああー」と声に出して頷いた。
「……そういえば、聞いたことはありました。第四教会の代表はひどい暴言男だと」
「ああ!?」
少女は地面に倒れる少年を抱き上げると、クリムダイの顔をきっと睨みつけた。
「それより、第四教会の代表がこんな所まで何の用ですか?まさか、私たちを笑いに来たんですか?この変態!!」
「変態!じゃねえよ!!わざわざそんなことしに来るほど、俺も暇じゃねえ。ちょっと話があってきたんだが……」
クリムダイは視線を下に下ろす。
レハムは、少女の腕の中で、目を閉じたまま動かない。
この分だと、当分は目を覚まさないだろう。
「コイツがこの様子だと、来た意味もないな」
帰るか、とクリムダイが背を向けようとした瞬間、後ろへぐいっと引っ張られる感覚があった。
見ると、少女が自分の制服の裾をしっかりと握っていた。
「何だよ」
「あなたは、泣いている女の子と、怪我をして倒れた人を放って行かれるつもりなんですか?」
「……は?」
「それは、あまりにもひどいのではないですか!?」
目に涙を浮かべたまま、大声を上げる少女の手を、クリムダイは無情にも呆気なく振り払う。
「だからって、俺にそんな義理はねえだろ。さっきは変態!とか言っといて、困ったら都合よく助けてもらえると思ってんじゃねえ」
「でも、先輩は私一人じゃ運べませんし、今は頼れる仲間が近くにいないんです!猫の手でも変態の手でも借りたいくらいなんですよ!?」
「理由になってねえし、また変態つったな!もう俺は知らん!一人で勝手に泣いてろ」
クリムダイはそう言い捨てると、さっさと二人から離れて歩き出す。
「あーー!!第四教会の代表様が、いたいけな少女と重症の少年を見捨てていくなんて!!」
仰々しい叫び声が聞こえてくるが、クリムダイは構わず先へ足を進める。
「…………」
「あのクリムダイ様が、隣人助けるべしという協会の掟を破る、そんな非常識な方だったなんて!!」
「…………」
「こんなこと、他の子たちに知られたら大変ですわ!!この事実だけでもひどいのに、更に尾ひれを付けられ、史上最悪の極悪人と噂を流され、代表の座を追われることになってしまいますわ!!」
「…………」
「そのまま牢屋にぶちこまれ、あなたは一生日の目をみることもなく、一人寂しくあの世h」
「分かった!!分かったから!!仕方ねえな、ほんとに……」
このままでは、延々とあることないこと叫ばれそうだ。
自分も甘いなと思いながら、二人の元へUターンして戻ってくると、少女は満足げな顔で笑った。
そして、ぐったりとしている少年を、クリムダイの方へ差し出した。
「じゃあ、先輩を背負ってください。くれぐれも、大切に、割れ物のように扱ってくださいね」
「ハイハイ……」
クリムダイは、レハムを楽々と持ち上げ、後ろに背負った。レハムは、男にしては背が低く小柄だが、それにしても思った以上に軽くて、細身だった。やはり、彼もまだ十六歳の子供なのだ。
「第八教会へ戻ります。ジュノア先輩と、サラ様にも報告しないと……」
少女はそう呟くと、いきなり、血の滲んだ地面を蹴った。
一気に前へ跳躍し、レハムを抱えるクリムダイのこともお構いなしに、街の路地裏を全速力で走っていく。
「おい、ちょっと待て」
クリムダイも慌てて追いかける。
ーー速い。
地面、壁、パイプ、ゴミ箱ですら、器用に使って、出せる最大のスピードで通りを駆け抜けている。
しかも、その速度を保ちながら、人通りの少ない道を瞬時に選んでいる。
先ほどは馬鹿みたいに泣いていたが、この少女は、街をよく知り、判断力にも長けている。
何よりこの機動力には、目を見張るものがある。レハムがツーマンセルの相手に選ぶのも頷ける。
クリムダイは、そう分析しながら、名前も知らない少女の後ろを黙ってついていく。
少女は足を動かしながらも、耳元の通信機で、恐らく同教会の仲間であろう誰かと、何やらボソボソと会話しているようだった。
レハムがこの状況である現在、あの場所に居合わせた唯一の人物であるこの少女のやるべきことは、あまりに多い。
正確な状況報告、事態収束のための、的確な指示と分担、他教会と市民への説明、臨時会議、今後の方針決定……。
そもそも、管轄地区に超能力者の反乱組織などを誕生させてしまった、第八教会自体が、これから大変なことになる。
そして、自分がそこに少なからず巻き込まれてしまっている事実。
目の下が赤く腫れている、少女の横顔を見ながら、クリムダイはため息を吐いた。
「なんで俺がこんなことに……」
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第八教会の管轄下地区にある、時計塔。
派手な桃色の髪をした青年は、先の尖った屋根の上に立ち、くつくつと笑った。
「これは、面白そうなことになってきた」
ダーテは笑いながら、灰色の空を見上げた。
この笑顔は、本当に心の底から愉快に思っている笑顔なのだろうか。それとも、ただの偽物なのだろうか。
自分でもよく分からなかったが、そんなことは今はどうでも良かった。
「人間もまだまだ、遊び甲斐がありますね。我が主よ」
人間は止まらない。
ぐるぐると、目まぐるしく回り続ける。
だからこそ飽きない。
俺もそこで、一緒に回り続けるのだ。
愛おしくもあり、憎くもある、人間たちと。
「これからが、始まりか」
ぽつぽつと、肩に雫が落ちる。
まるで、何かの不吉な予兆のように、冷たい雨が降り始めた。
この閉ざされた、空白の世界の中で。




