第三話「襲撃」
「母さんたち遅いなあ」
「そうだね」
ナツとクーナは夜ご飯を食べ終わり、部屋でゴロゴロしていた。
その間もずっと、ナツの頭の中は、シモンとシモンが行こうとしている外の世界のことでいっぱいだった。小説を読んで気を紛らわそうとしたが、うまく集中出来ず、気がつけば時計の針は午前零時を指していた。
いつもなら両親二人とも、もう家に帰って来ている時刻だ。
「電話も繋がらないし」
クーナはスマートフォンを片手に欠伸をする。
この手の端末は二百年ほど前から使用されているらしいが、現在の電子機器は当時のものとは比べ物にならないくらい高性能で、よりクリアな音声と立体映像を通じて、何処にいても電波の届く限り通話をすることが出来る。
「まだ研究所にいるのかな」
ナツは文章を目で追いながら首を傾ける。
「事故とかに巻き込まれてないと良いけど」
「縁起でもないこと言わないでよ」
「ねぇ、ナツ」
「何、クーナ?」
「こういうこと言いたくはないんだけど、私、何だか嫌な予感がするの」
「嫌な予感?」
クーナにはあまり似合わない言葉だ。
けれど彼女の直感が、時としてとても鋭いことを、弟である僕は知っている。
「そう。何となく、だけど」
ナツは薄紫色の栞を読みかけのページに挟んで、本を閉じ、顔を上げた。
「……じゃあ、父さんの研究所に行ってみる?」
「それが良いかもしれないわね。こんな夜中に、外になんか出たくないけど」
普段から引きこもりがちなクーナは、億劫そうに窓の外を見る。
「スカイカーで行けばすぐだよ。二人乗りなら僕でも運転出来るし」
ナツはその辺の服に適当に着替えて、クーナの準備が終わるのを待つ。クーナは髪を巻いたり化粧をしたり服を変えたりとバタバタしている。
「まだ?」
「もうちょっと待って」
「研究所に行くだけなのに、そんなにオシャレしなくても」
「いいの!ナツは男だから分からないだけよ」
「はあ……」
ナツは諦めて、大人しく椅子に座る。
「まあ、二人とも仕事に熱中してるだけだと思うけどね。父さんなんて時々向こうに泊まってたりもするし」
「そうだと良いけど」
「ところでクーナ、スカイカーの燃料って満タンだったっけ?」
「さあ、半分くらいは残ってたと思うけど。それだけあれば十分……」
ピンポーン
クーナの声を途中で遮って、突然家の電子チャイムが鳴った。二人は顔を見合わせる。
「こんな時間に、何だろう」
「宅配は有り得ないし、怪しいわね」
「僕が見てくるから、待ってて」
そう言って、ナツはインターホンの画面を見る。
ナツの脳裏には一瞬、シモンの姿が過ったのだが、予想は外れて画面には数人の知らない男たちが映っていた。
「誰だろう」
「知らない人なら、放っといたら?危ないわよ」
「いや、でも協会本部の制服を着ている。何か大事な用事があるのかもしれない」
「協会なら尚のこと、出る必要ない……ってナツ!」
ナツは受話器を取って、耳に当てる。
クーナは後ろで大きくため息をついた。
「もしもし、カシマですが。協会本部の方ですか?」
「はい、その通りです」
一人の温和そうな男が答える。
「何かうちに御用でしょうか?」
「カシマナツさんと、カシマクーナさんには、これから一緒に協会本部に来てもらいます。ここを開けてもらえませんか?」
「え、どうしてですか?」
ナツには、クーナと本部に行く心当たりなど無い。
どういうことだ?
「あなたのお父様とお母様の件で、少しお話がありまして。とにかく、一緒に来てもらえませんか?詳しいことは、本部でご説明しますので」
「いや、そんなこと急に言われても、もう夜遅いですし……。父と母がどこにいるのか、知っているんですか?」
「あなたのご両親も、今本部の教会におられます。なので、どうかご安心を」
それを聞いて、ナツはますます困惑した。
意味が分からない。
ナツの父と母は無宗教だから教会に行く用事はないし、協会とは何の関わりもないはずだ。
「どうして父さんと母さんが、教会に……」
男は少し困った顔をしてから、後ろにいる他の男たちと手短かに話し合う。
そして今度は語調を強めてこう言った。
「では、ハッキリと申し上げます。あなたのお父様である科学者カシマテルキは、法律違反であるヘブンセントバリアの研究をしていたことが、先日判明したのです」
ナツは耳を疑った。
「そんなまさか。父は膜内における化学反応についての研究をしていたはずです」
「表向きは、そうです。しかしカシマ氏はあろうことか、神聖なるヘブンセントバリアの一部を採取し、その成分や性質などを分析していた。証拠データも発見されています」
「……本当なんですか?」
「残念ながら、事実です」
「けど、そんな話、そう簡単には信じられません」
言い訳のようにナツがそう言うと、男は懐から協会会員証を出して、前の方に翳してみせる。
「これは協会の意向です。同意していただく他ありません」
「じゃあ、父さんはどうなるんですか?」
額に冷や汗が伝うのを感じた。
「私には分かりません。ですが、事情はこの通りですので、どうか我々にご同行願います」
…………分かりました。
仕方なくそう返事しようとした瞬間、隣から受話器を引ったくられ、男との会話は途切れた。インターホンの画面もプツリと切れて、真っ黒になる。横を見ると、そこにはいつの間にか緊迫とした表情のクーナがいた。
「クーナ!?」
クーナはナツの手首を掴んで、強引に引っ張って行く。
「行くわよ、ナツ!」
「どこに?」
「庭の方から出て、スカイカーに乗るの。研究所に向かうわよ」
「でも、実は、父さんが膜の研究をしていたって、協会の人が」
「分かってる、私耳はいいの。後ろで全部聞いてた」
「じゃあ、どうする?父さんと母さんがいない研究所に行ったって、意味がないだろ」
「協会に捕まっても、意味がないわよ。それに私は、父さんが法律を犯したなんて、まだ信じてないし、この目で見るまでは、信じない」
「……分かったよ」
ナツは渋々頷いた。
玄関の扉の方から、何かが激しくぶつかる音がする。
二人は急いで庭に出て小道を抜け、車庫に向かう。
夜空に月は出ておらず、無数の星がチラチラと瞬いているだけだった。
ナツとクーナが車の鍵を開けて中に入り、スムーズな初動で宙に飛び立つ。
その直後、協会の制服を着た男たちが家の中に押し入ったが、そこは言うまでもなく既にもぬけの殻だった。
真っ暗な闇の中を、二人を乗せた車は時速200キロメートル以上で飛行していた。
遠く見える都会の街並みが、異様に神々しく浮かんでいる。その前では、一等星の輝きすら薄れて見えた。
ナツたちの家は多少町外れにあったが、そこから更に外れて緑の多い山の方へ向かって行くと、その麓の辺りにポツリと父の研究所がある。
こうやってスカイカーで行かないと、辿り着けないような交通機関もロクに通っていない場所。
世間的に批判されている科学の研究を、街中で白昼堂々行うわけにはいかなかったのだ。
ーーしかし、そこに父の研究所は無かった。
ナツとクーナは絶句した。
文字通り、言葉を失ったのだ。
建物があった場所は、全て烈火に呑まれていた。
燃え盛る炎は、火の粉を撒き散らしながら、近くの木々に至るまで侵食している。山火事になるのも時間の問題だ。
研究所の壁は黒く焦げ、ボロボロと崩れ落ち、もはや見る影も無かった。あまりに凄惨とした光景に、ナツは何だか泣きたくなってくる。
「何これ……」
クーナの声は、怒りに震えていた。
スカイカーを操作してギリギリまで近づいても、やはり人の姿は一つも見えない。
煙が春風に靡いて、夜空に透けていく。
「父さんと母さんは……」
「本部の教会にいるって、さっきの人たちは言ってたわね」
「嘘かもしれない」
「でも、そこ以外に思いつく所がある?」
「無いけど、本部は危険だよ。研究所をこんなにしたのは、多分あの人たちだ。向こうは、僕らを殺すつもりなんだよ」
「それなら尚更、父さんと母さんが殺されるのを黙って見とけって言うの!?ちょっとそこどいて!」
クーナはナツからハンドルを奪うと、Uターンして元来た方角へと車を全速力で走らせる。この速度は明らかにスピード違反だ。
このままだと、街に入る前に警察に追いかけられる。
「クーナ、落ち着いて!本部に着く前に捕まったら、元も子もないだろ」
「ナツはどうしてそんなに落ち着いていられるの!?アイツらは父さんの研究をめちゃくちゃにした!私は、私には許せないわよ……!」
「僕だって許せないよ。だけどそんな時こそ慎重にならないと、助けられるものも助けられない!」
「だからって!」
「大事な時こそ焦るなって、母さんもよく言ってた。今焦って早とちりでもしたら、命取りになる」
ナツがそう言うと、クーナは我に返ったように黙り込んだ。
そして、「……そうね、確かにその通りよ」と呟き、車のスピードを緩めた。
ナツは一先ず胸をなでおろすが、車内には重々しい沈黙が流れる。
どうすればいいのか分からない。
母さんと父さんは、本当に本部にいるのだろうか。
研究所を焼いたのは、やっぱり協会なのだろうか。
協会は、僕らをどうするつもりなのだろうか。
これから、僕らはどうするべきなのだろうか。
クーナに慎重になろうと言ったナツも、真っ赤な焔が目に焼き付いて離れないのは事実だったし、特に何か考えがあるわけでもなかった。
漠然とした不安とともに、煌めく夜景に刻々と近づいていく中、先に口を開いたのはクーナだった。
「本部に行って、まずは父さんと母さんを探すのが最優先よ」
「……もしいなかったら?」
「いなかったら、他の場所を探すしかないわ」
ナツには、まだ迷いがあった。
「協会が、僕らを捕まえに来る」
「捕まる前に、二人を見つけるの。ナツ、ナツは賢いけど、少し考え過ぎね。考える前にやることだって、時に必要よ」
食い気味に言うクーナに、ナツは思わず笑った。
「僕ら、姉弟なのに全然似てないよね」
「昔からそうね。ねぇ、ナツ」
「何、クーナ?」
「私、神様に頼ったりしないわ」
「……そうだね」
「自分の力で二人を助けて、協会に見つからない所へ逃げて、今度こそ、みんなで一緒にご飯を食べるのよ」
クーナの瞳は、どこまでも美しく澄んでいた。
「そうだね」
ナツはなるべく優しく微笑んでみせる。
この都市の中で、協会に見つからない場所など無いということは分かっている。
クーナの願いが叶うことはないだろうということも、この時点でナツには何となく分かっていた。
でも、否定できるわけがなかった。
クーナは自分に見えないものは信じないし、逆に自分に見えるものは絶対的に信じているのだから。
そして彼女には今、家族との幸せな未来が見えているのだから。
神というのもきっと、それとそう大差ないのだろう。
不意にナツは、これから行く本部にいるだろうシモンのことを思い出す。
シモン、君は何を信じているのか。
僕は、何を信じれば良いのか。
夜は深みを増し、街の明かりはより鮮やかなものになる。その中でも一際目立つ耀き、街の輝きを一身に受ける光を見つけて、ナツはギュッと口を一の字に結んだ。
結局ここに来ることになるとは、思わなかった。
でも、行くしかない。
怖くても、悲しくても、弱くても。
信じることすら出来なくても。
この物語の結末が、どうなろうとも。