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Break;on hiatus  作者:
マーティン公爵邸編
24/37

第二十三話「赤の戦い 対峙」



「……チッ、エメルダか。厄介だなぁ」


夕月は忌々しそうにそう呟くと、くるりと弧を描くように武器を収め、残りの吸血鬼たちに目で合図した。

そして次の瞬間には、煙のようにその姿を消す。


五日ぶりに会ったレイフィアは以前と何も変わらず、かっちりした軍服を着て、綺麗な長い髪を不穏な風に揺らしていた。


「二人とも元気そうで良かった。ここの暮らしには、割とはやく慣れたみたいだね」

「おいおい、あんたの目は節穴か?これのどこが元気そうに見えるんだよ」


シモンは度重なる戦闘でボロボロになった服をつまんで見せる。レイフィアは楽しげに笑った。


「あはは、まあ、殺されてないだけ上出来だよ」

さらっと物騒なことを言うレイフィアに、ウォルカが遠く見える敵の群勢を親指で指差した。


「積もる話もいいが、第二支部長様よ。まずはアレをどうにかしてくれないか?こちとら三日は寝てねえんだ」

「ああ、マーティン卿、もちろん私が何とかするよ。まさか向こうがこんなにはやく動くとは思わなくてね。君には迷惑をかけて、すまないと思ってる」

「本当に思ってるなら、行動で示してくれよ」

呑気に笑うレイフィアを見て、ウォルカは呆れた顔をする。

「あの、何とかって、どうするんですか」

不安そうな顔のジールを安心させるように、レイフィアは至って明るい声で言った。


「話し合いでもしようじゃないか。我々は世界でも有数の、平和主義な組織だからね」

「有数じゃなくて唯一な。あと、吸血鬼(やつら)の下っ端を一掃しといて、よく言うよ」とウォルカ。

「話し合いには''場''が必要だからね。最低限の処理さ」


レイフィアはパキパキと指の骨を鳴らすと、さっきからずっと無言のゾイクに目をやった。


「やあ、ジールのお兄さんだっけ。君、吸血鬼(あいつら)には勝てるの?」

「だいたいは勝てるな」

「クラブの幹部でも?」

「負けはしねえよ」


ゾイクは、こちらへ前進してくる吸血鬼の軍を睨みつけながら、低い声音で答えた。

その鋭い眼からは、確かな感情の高ぶりが感じられる。

レイフィアはなるほどと納得するように頷いた。


「勝てないが負けもしない、自分の強さをよく理解している者は心強いよ」

「お前は勝てんのか?」

「……相手によるけどね、私も負けはしないかな。勝利には拘ってないんだ」


屋敷に群がっていた吸血鬼たちはすっかり退()いていったようで、辺りは先ほどまでとは打って変わって、水を打ったように静まり返っている。

何かを探すように、レイフィアは辺りを見回した。


「……彼女は、ツクヨミはいるかい?」

「話し合いって、アイツで解決するつもりか?」

怪訝な顔をするウォルカに、レイフィアは両手を挙げてみせる。

「誤解を生むような言い方はやめてくれ。あくまで私は彼女の望む通りにするまでさ。向こうへ行きたいなら向こうへやる。それで戦いも回避できるなら一石二鳥というまでだ」

「あの、レイフィアさん」


ナツはレイフィアの近くまで寄って、真正面から深い緑の目を見据えた。

その真剣な表情に、レイフィアをピクリと眉を上げる。


「なんだい?ナツ」

「あの、ツクヨミを、どうするんですか?吸血鬼たちに引き渡すんですか?」

「彼女がそう望めばね。でもあの子は今、道を迷っている……、答えが出せるかな」


レイフィアは暗闇の彼方に浮かぶ星々を眺め、またナツの方を向き直った。


「ナツ、君は彼女が人質だって知ってるんだね?」

「はい。でも、ツクヨミはここも好きだって言ってました。中央都市国も。ここにいるみんなも悪い人じゃないって」

レイフィアは意外そうに目を見開いた。

「おや、お姫様は随分君に心を開いてるみたいだね」

「彼女は、自分が王族の恥になるから、一刻も早く人質から解放されたいって言ってるけど、たぶん、本当は地下帝国に帰りたいわけじゃないんです」

「どうして、そう思うのかな」

「僕もそう思うからです」

「え?」

思いもよらない返答に、レイフィアが聞き返すと、ナツは屋敷の三階の方を見上げて呟くように言った。


「……僕はもう、訳あって元いた場所には戻れないけど、もし戻れるという選択肢が与えられたとしても、きっと僕は、あそこへ帰りたいと思わないんです。少なくとも、今は」

「何で、帰りたいと思わないの?」

首をかしげるレイフィア。

その瞬間に思い出されるのは、脳裏に焼き付いて離れない、血生臭い光景。

街から出ても、逃がさないとばかりに繰り返される悪夢。

ナツの瞳が、揺れるように微かに曇った。


「そこに、僕の居場所は、もうないから」


「……居場所がない?」

レイフィアは鶯色の目を僅かに細めた。


「はい」

「ツクヨミも、そうだと?」

「確かなことは分かりませんが、恐らく。地下帝国はツクヨミを縛り、彼女を外の世界から遮断している。僕のいた所みたいに」

「へぇ」

レイフィアは夜空を見上げながら、ナツの顔をチラリと横目で見る。そして確かめるように、ナツに問いかけた。

「じゃあ、ここにはあると思う?」

「何が、ですか?」

「居場所。ツクヨミも、君も、ここにはあるのかな」


僕の居場所。

ナツはじっと辺りを見渡した。

崩れかけた屋敷、荒らされた庭園、あとは地平線まで何もない砂漠のような荒野が広がっている。

星の少ない空は、真っ暗で不安に満ちている。

敵もたくさん潜んでいる。

でも、偽りに塗れたどこかよりは、ナツにはここが幾分かマシに思えた。

ゆっくりと口を開いて、掠れた声で返事をする。


「……たぶん、あると思います」


レイフィアはそれを聞いて、安堵したように微笑んだ。


「なら良かった」


そして、そっとナツの左手をとって言った。


「じゃあ君がツクヨミをここに連れてきて」

「僕が、ですか」

「そう。君なら、彼女の迷いを断ち切れるかもしれない。それまで私が時間を稼いでおくから。……任せてもいいかい?」

ナツは一瞬口を噤んだ後、レイフィアの目を見て深く頷いた。

「分かりました」

レイフィアはまたにっこりと笑い、ナツの手を離した。


ナツは緊張した面持ちで、シモンの前を通り過ぎる。

「ちょっと行ってくる」とだけ言うと、意外にもシモンは何も言わず、ただ黙って頷いた。



ナツが半壊した屋敷の中に入っていくと同時に、レイフィアたちの前に夕月が一人また音もなく姿を現した。

何をしに来たのかと、ウォルカやシモンは眉をひそめるが、レイフィアは彼女に和やかに笑いかけた。その笑顔には、なぜか懐かしさのようなものも滲んで見えた。


「やあ、夕月。行ったり来たり忙しいね」

顔見知りなのか、夕月も呼び慣れた口調でレイフィアの名前を呼ぶ。

「エメルダ。兄様がお呼びだ」

「そうか、丁度いい。こちらも話し合いをしたいと思っていたところなんだ」

「おい、向こうには軍が配置されてる。おびき出して一気に叩くつもりかもしれねえぞ」

反論するウォルカに、レイフィアはウインクしてみせる。

「君の言うことも一理ある。しかし話し合いにしても殴り合いにしても、広い方がやりやすいだろう」

「まあ、それもそうだが」

「マーティン卿、別に君はここにいても構わないよ。呼ばれたのは私だけだし」

「いや、ここは俺の領地だ。お前一人に任せられない。かといってこいつらから目を離すのも得策じゃねえ。行くなら全員でだ」

「何でもいいけど、あんまし兄様を待たせないでね?怒らせると怖いんだからさぁ」

夕月は億劫そうに呟くと、瞬く間にまたその場から跡形もなく消えていった。


「シモンを連れて行くのは危険だ。奴らの狙いは、ナツとシモン、人質のツクヨミなんだから」とレイフィアは抗議するが、構わずシモンは前へ出る。


「俺は行くよ」

「なぜ?無駄に命を危険に晒す必要はないだろう」


シモンは荒野に並ぶ軍隊を見つめて言った。


「自分たちを狙うのがどんな奴らなのか、ちゃんと見ておきたい」

「……しかし、人数では圧倒的に向こうが勝っている。それに吸血鬼は、君が太刀打ちできる相手じゃないよ」

「ところがどっこい。コイツは一人で十人以上はやってたぜ」


ゾイクは愉快そうな顔で、地面に倒れる死体に目配せしてみせる。

レイフィアは厳しい表情で、シモンの右眼の宝石を見つめながら言った。


「シモン。その目が何なのか、私はまだよく知らないが、奴ら相手に使うことはお勧めしないね。君たちがこの世界に来てからまだ二週間も経ってないのに、むやみに情報を漏洩して、良いことなんて一つもないだろう」

「分かってる。最初から手の内全てを晒すほど、俺も馬鹿じゃない」

「じゃあ、あえてその右眼を隠さないのは、何か策でもあるっていうことかい?」


レイフィアがそう尋ねると、シモンの右眼で黒い闇が不気味に煌めいた。捉えどころのない輝きに、少しでも気を緩めると、目が離せなくなりそうになる。


「俺を保護したいなら、まず俺を信用しろ」

右の目が怪しげな光を放っているとすれば、左の目は澄んだ湖のような純粋な色と光を湛えていた。

固い意志を持った瞳に、レイフィアの心は僅かに揺れる。


ーーどうする。

どうしてここまで頑固なのかは分からないが、これは何を言ってもどうにもならない目だ。

それに、吸血鬼十人以上を容易く倒せるほどの彼の力量は、こちらもちゃんと知っておきたいところではある。

最悪、向こうへ連れて行けば、大軍との戦いに巻き込むことになるだろう。まだ奴らに関する情報も、この世界のことについても十分に説明しきれていないし、何よりシモンもナツも、この世界では全てに対して経験不足すぎる。

しかし、もしここで私が奴らから彼を守り切れないようなら、どのみちこの先も危ういことに変わりはない。ここで奴らに奪われたら、自分はその程度だったというまで。

今が、彼らとの、彼らと共に歩む上での、一つの境目でもあるのかもしれない。

レイフィアは覚悟を決めて、シモンに向かって首を縦に振った。


「……いいとも、信じるさ。でも、とりあえず今は眼帯をしておいてくれ。それと、奴らに会う時、絶対に私やマーティン卿より前へ出てはいけない。分かった?」

「分かった分かった」

シモンのてきとうな返事に、レイフィアはどうなるんだかとため息を吐く。

シモンは地面から眼帯を拾い、土を払って右眼に被せた。


「……兄さんはここで待ってなよ」

不意にジールがゾイクにそう声をかけると、ゾイクはあからさまに顔をしかめた。

「あ?嫌だ。お前はアイツらについて行くんだろ?じゃあオレも行く」

「そんな大怪我じゃ、もし向こうに行って戦いに巻き込まれたりでもしたら大変だよ」

「お前は口出しすんな。オレがどこに行くかは、オレが決めることだ」

「でも」

「くどいぞ!ジール!行くっつったら行くんだ!!」

「もう……」


頑なに考えを変えないゾイクに、ジールはうんざりとした顔をする。ウォルカも肩をすくめて言った。


「まったくどいつもこいつも言い出したら聞かない。まあ、万一のためにもなるべく大人数で行った方が都合はいいし、コイツに関しては生命力だけは馬鹿みたいにあるから、問題ないだろ」

「ああ!?いまバカっつったか!やんのかウォル」

「よし、決まりだね。マタ、じゃなくて、マテオ君はナツが無事にツクヨミを連れてこれるよう、残ってこの辺の安全を確保しといてくれる?」

レイフィアがゾイクの怒鳴り声を遮るようにそう言うと、仮面は素直にコクリと頷いた。

ゾイクはまだ何か言いたげだったが、徐々に深刻さを増していく空気に、今回ばかりは大人しく黙っているようだった。



ーーーーーー



五人が屋敷を離れ、だだっ広い荒地に着くと、そこにはやはり何千もの兵士で構成された軍隊が待機していた。甲冑の隙間から見える一人一人の目は、炎のように赤いのに、そこから感じられるのは異様なまでの冷たさ。全員が、殺すこと、死ぬことを覚悟しているのが一目で分かった。


殺気立つ兵士たちの前には一人、見るからに高価そうな黒いスーツを着た男が、王座のような椅子に座っているのが見えた。

ある意味シュールなその空間の中で、男は至って生真面目な表情を浮かべていた。そして何か考え事をしているのか、静かに腕組みをしている。

その少し離れたところには、相変わらず余裕のある笑みを浮かべた夕月が、槍を片手に立っている。

まだ吸血鬼に対して知識の浅いシモンは、一人その場を分析する。

もしかしなくとも、この偉そうに座っている男が、夕月の言う“兄様”だろう。

そしてその後ろに大勢いる吸血鬼たちは、全員この二人の配下であり、執行クラブの下っ端の構成員といったところか。

気配の薄い夕月とは対照的に、男は圧倒的な威圧感をもって、玉座から降り、五人の方へ一歩進み出た。


「レイフィア、それにウォルカ。久しぶりだな」


「久しぶりだね」

レイフィアが変わらず笑顔でそう答えるのに対し、ウォルカは若干バツが悪そうに目をそらす。

シモンがレイフィアに小声で耳打ちする。

「さっきから思ってたが、お前はこいつらと知り合いなのか」

「まあね。詳しくは、また今度話すけど」


男は真顔のまま、続けてレイフィアに話しかける。

「そんな所にいないで、またクラブへ戻ってくればいい。好きなだけ戦わせてやるぞ」


シモンは眉根を寄せた。

ーー戻る?

クラブへ戻るということは、昔はクラブにいたということになる。

あいつらと知り合いだったのは、つまりレイフィアもウォルカと同じように、昔は吸血鬼側にいて、クラブに所属していたから、というわけか?

でも、ウォルカは吸血鬼だが、レイフィアは正真正銘エルフのはずだ。

何故、エルフのレイフィアが、吸血鬼至上主義の執行クラブに入っていた?

しかも、たしかツクヨミも吸血鬼の王族で、元はクラブの幹部だったはずだ。

この分だと、まさかジールやゾイクまで元は吸血鬼の味方だったとか言い出すんじゃないだろうな。


自分の知らない情報が多すぎて、シモンは内心困惑する。

一方レイフィアは至って落ち着いた声音で「お断りだよ」と返した。

「あの頃は黙ってたけれど、本当は戦うの、そんなに好きじゃないんだ」

「……まさか。エルフどもに洗脳でもされたのか?お前は戦うことこそが生きがいの女だったはずだ。いや、女というよりは“人形”というべきか」

「洗脳はそちらに特許があるでしょう、王子様。私は自分の意思でここにいる。それに、私は“人形”じゃない」

「人形って、どういうことだよ」

我慢できなくなって、シモンは疑惑の面持ちでレイフィアに問いかける。


いくら何でも、隠していることが多すぎる。

吸血鬼(あちら)側とも、謎の繋がりを持っているレイフィア。

その気になれば、シモンは“自らの力でだいたいのことを知ることは出来る”が、そのためには膨大な量の力を消費してしまうことになる。それは体力だけではなく、精神力までも失うことを意味する。

これから戦場と化すかもしれない場を前にして、無駄に出来る余力などない。


「今は説明する暇がない。ただ一つ言えることは、私は君たちの味方だということだけだ」


レイフィアはそう短く、しかしはっきりと断言した。

それを見た男は、意味ありげな顔をして、今度はシモンの方に語りかけてくる。


「騙されるな、人間。見た目はただのエルフだが、そいつは何千、いや何万の人間を殺戮してきた、感情の欠片もないただの人形だ。今は生かされているようだが、殺されるのも時間の問題だな」

シモンはそれを鼻で笑った。

「それは、あんたたちに捕まっても同じことだろ」

「こちらに来れば、悪いようにはしない。殺しもしない。我が王の供物として、お前たちは永遠に生きることができる」


するとシモンが口を開くより先に、今まで静かだったゾイクが威嚇するように男の前へ出ていった。


「永遠に生きる?馬鹿な。人間は百年もすれば自然に死ぬ、猿でも知ってる道理だ。それにテメェらがすることといえば、肉を裂いて血を絞り、ちまちま冷蔵庫にでも入れておくことくらいだろう」


そんなゾイクの姿を見た夕月は、嫣然と一笑した。


「まあ、薄汚い犬の血なんて、マズくて飲めやしないけどねぇ」

「ああ!?んだとこの野郎」

今にも噛みつかんばかりの勢いのゾイクに、レイフィアは手を出して制止する。


「無駄なお喋りはもういいよ。今、君たちの妹をここに連れてきている。彼女の意思次第では、彼女をそちらに引き渡そう。それで君たちの目的も達成され、戦いは避けられるはずだ」


一瞬、妙な沈黙の間があった。

まるで、何か話に食い違いでもあるかのように。

くつくつと笑い声が聞こえてくる。

見ると、男が初めて硬い表情を崩して笑っていた。

レイフィアは不可解な状況に眉をひそめる。


「……何がおかしい?」

「お前は、いくつか勘違いをしているな」

「勘違い?」

男は顔に笑みを残したまま、淡々とこう告げた。


「まず、月詠(つくよみ)の意思など確認するまでもない。彼女は王の下に帰るだろう。そして次に、俺たちの目的は、出来損ないの妹をおんぶして帰ることじゃない。自力で城に戻ってくることもできない愚者など、王族には要らない。俺たちの目的は第一に、その人間を陛下に捧げることだ。あと、俺は無駄なお喋りなどしない」


薄暗い静かな荒野に、男のどこか事務的な声だけが風とともに響いていく。

レイフィアの顔がだんだんと強張っていくのが見えたが、構わず男は平坦な調子で続けた。


「陛下は、お前のようなものに、戻ってきてもいいと言われている。見たところ、だいぶ頭がおかしくなってしまっているようだが、性能はまだ以前とも劣っていないだろう。戦いを避けると言ったか?お前らしくもなし、馬鹿馬鹿しい。大人しくついてくれば、また好きなだけ暴れさせてやると言っているのに」

「……どうやら、君とは話が通じないみたいだね」


怒りか、悲しみか、それとも呆れか、レイフィアの声は微かに震えていた。


「最後に三つだけ、言っておくよ。一つ、ツクヨミは君たちの元にはきっと帰らないよ。二つ、私もそちらへ戻る気はない。三つ、シモンはまだここに来て日が浅いんだ。これ以上余計な話をして、混乱させるようなら、話し合いはやめにしないといけない」


今まで我関せずと静観していたウォルカが、シモンの服のすそを引っ張って、半歩後ろへ下がる。

何か悪い予感でもしたかのように。

二十メートルほど先に立っている男は、レイフィアの言葉を受けて、少しの間考えを巡らせているようだった。

が、やはり何を気にするようでもなく、まるで世間話をするかのような軽い調子でまた口を開いた。


「そうか、残念だな。ここまで手遅れになっているとは。お前の父上も悲しまれるだろうに」


吸血鬼の男がそう言った瞬間、レイフィアの方からバキリと乾いた音が鳴った。

見ると、レイフィアの足元が、地面が割れている。

その顔はなぜか穏やかな笑みを浮かべていたが、その笑顔からは穏やかでも何でもない、途轍もない圧力を感じた。

シモンの首筋に、一筋の冷や汗が流れる。


「まいったな。君って案外饒舌だったんだね」


いつも通りの声だが、レイフィアの瞳は今まで見たこともない殺気に染まっている。

男はニヤリと口角を上げた。

ーー怖い。

シモンは直感的に、自身の身の危険を感じていた。

禍々しい空気がピリピリと肌に伝わってくる。

本能が、逃げろと警鐘を鳴らしている。


「お前も、人形にしてはよく回る舌を持っているが。あの頃は話すこともなかったから知らなかったな。父親の話はそんなに嫌か?」


シモンは一瞬寒気を覚えた。

次に男を見た時、そこに男はもうおらず、代わりに新緑の髪をなびかせて着地するレイフィアがいた。

同時に弾けるような衝撃音が響き、周囲の地面が僅かに揺れる。見ると、遠い地面に煙が立っている。


「おいおい、これじゃ時間稼ぎどころじゃなくなるんじゃねえか」

ウォルカはぼそりと呟き、夕月の方に一瞥を投げた。





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