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Break;on hiatus  作者:
マーティン公爵邸編
23/37

第二十二話「赤の戦い 開幕」



後ろを振り返ると、いつのまにか屋敷の入り口はレンガ造りから灰色の石造りに変わっていた。壁には西洋の技術を感じさせるような、凝った繊細な意匠が施されている。

一体どんな魔術を使えば、ただの煉瓦からこんなにも美しい外装を生み出せるのだろうか。ナツには見当もつかない。

古かった扉も、品のある木製の扉に新調されていて、その側にはやはりマテオが立っていた。

マテオは仮面を少し傾け、枯れ草色が広がる荒野の彼方、今さっきシモンが見つけた影の方を向く。


「マ、マテオ様!玄関はどうなりましたか?」

あわあわと震えるジールに、マテオは懐からひらりと白い紙を取り出した。

『無事完成したが、今はそれどころではないようだな。公爵がどこにいるか分かるか?』

ジールは頷き、すぐに今やるべきことを行動に移す。


「ぼ、僕は急いでウォルカ様を連れてきます!皆さんも屋敷の中に入っていて下さい!」


犬耳をピンと立てた少年は、マテオの脇をすり抜け、出来立ての玄関に駆け込んでいった。

遠くの影はいつのまにか数えきれないまでに増え、かなり速いスピードでこちらに向かってきている。

マテオはシモンとナツに向かって、小さく手招きした。

屋敷の中へ向かおうとして、ナツは地平線を食い入るように見つめるゾイクに声をかける。

「ゾイクも、とりあえず中に入ろう」

「……オレはここにいる。お前らだけ入っとけ」

「え?」

「アイツらを常に視界に入れておかないと、気が済まねえんだ。この距離なら、いつ行動を起こすかも分か」


と言っている途中、突然背後から何かに包まれたような感覚を覚えた。

ナツはビクリとして、後ろを振り返る。

そこにあるはずの綺麗な玄関は、跡形もなく消えていて、代わりに見覚えのある場所が広がっていた。

いつか、ナツがツクヨミと話をした場所。

暖かな空気と、冷たい空気の入り混じるバルコニーだ。

でも、なぜ今ここに?自分たちは外にいたはず。

また荒野の方を向き直ると、そちらも同様に、いつのまにか見晴らしの良い三階からの景色に変わっていた。


「オイ……」


目の前で、ムッとした顔のゾイクがこっちを、いやマテオを見ていた。


「オレは下にいるって言ったんだけど?マテオ、転移のコントロールも出来ねえのか」


転移。なるほど、マテオが転移を使ったから、いきなり場所が変わったのか。あまりに自然な転移で、まるで違和感がなく、何が起こったのかさっぱり分からなかった。


『ここなら、外も見れるし良いだろう。それに、あれは一人でどうこう出来る相手でもない。手負いの貴方なら尚更のこと』

チッと舌打ちをして、眉根を寄せたまま、ゾイクは再び荒野の影に目を凝らした。そしてまた口を開く。

「……アイツは?」

『気配が近づいている。間もなく来られるだろう。それと、この屋敷内にもう一つ気配を感じるのだが』

「気配?」

ゾイクは訝しげな表情で聞き返す。

どうやったらこんなに速く筆談することが出来るのか、マテオは手本のような文字が並ぶ紙をペラペラとめくる。

『それより、とにかく今はマーティン卿が来られるまで、耐えるしかない。約五分間だ』

「は、五分?そんな短時間じゃ、奴ら結界すら破れないんじゃねェのか?」

「結界?」とナツは首をかしげる。

ヘブンシティの膜も結界だと、ジールは言っていたが、ここにもそれがあるのか。

『この屋敷にも、無論結界は張られている。卿が自ら作った結界だ、弱くはないが、何せ公爵は防御魔術が特に苦手で、結界なんかの類は連中相手ではすぐに……』


「来るぞ」

シモンの声に、後ろを振り返ると、荒地に軍隊のように整列した人影をはっきりと確認でき、またそこから何か大きなものが猛スピードで屋敷に飛んでくるのが見えた。それも一つや二つではない。三十を超える物体が、不動の空気を切り裂き、こちらへ真っ直ぐに突っ込んでくる。


「岩……?」


その物体が、途轍もなく大きな岩石だと分かった時、既にそれは上から屋敷に向かって墜落してくる直前だった。

反射的にナツはその場にしゃがみこむ。

今に屋敷ごと、数十個もある巨大な岩の下敷きにされてしまうだろう。

そう思ったが、岩は屋敷の上空の何もないところでひび割れ、呆気なく粉々に砕け散った。音もしない。勢いよく向かってきた岩々が、次々と何かにぶつかって崩れていく。

まるで、目に見えない壁がそこにあるように。


「あれが結界か」

シモンが呟くと、仮面は頷いた。

『はい。しかし、この分だとそう長持ちはしない』

「あの、そもそもあんな大きな岩、どこからどうやって飛ばしているんでしょう」とナツ。

『その辺にあった岩を持ってきて、連中が投げているのだろう。相変わらず粗暴な集団だ』

「……投げている?この岩を?」

ナツはマテオが書いた文面と、宙で爆破されるが如くバラバラになる岩を見比べて、愕然とした。

あの距離から、直径5メートルほどもある岩を、素手で投げているとでもいうのだろうか。

驚くのも束の間、


ピキィイイイイン


と甲高い悲鳴にも似た音が響き渡った。

思わず耳を塞ぎ、上を見ると、何もなかったはずの空に白く細い線が走っている。

あれは……ヒビか?


「確かに、お粗末な結界だな。まあでも、どのみち大人しく待ってるのも柄じゃねえ」

ゾイクはニヤリと笑った。いつのまにか、その足と腕からは獣の黒い毛が生えていた。以前暴走した時とは違って、あくまで部分的な変化だ。


「ナツ、お前は俺から離れるなよ」

シモンは前を向いたままそう言った。

結界が壊れれば、どうなるんだろう。

あの吸血鬼たちは、本当に僕らの敵なのか。

嫌な予感と、言いようのない不安が、ナツを襲う。


『貴方も私から離れないように。シモン』


マテオが前に出した紙を見て、シモンは訝しげな顔をする。

「何のつもりだよ。まさか、お前にも俺たちを保護する義務があるわけ?」

『いいえ、別に義務はない』

実際、ウォルカならまだしも、マテオがシモンやナツを守る義務はないはずだ。

「じゃあ、俺たちに構う必要もないだろ」

シモンがそう言うが、仮面は黙ったまま何も返さない。その有無を言わさぬ目(仮面なので実際にはただの模様だが)から逃れるように、シモンは目をそらした。


「……とにかく、余計なお節介だ」

「でも、みんなで一つに固まっておいた方が、僕も安全だと思うけど」

「あのバカを見てみろよ」

シモンが顎でしゃくった方を見ると、さっそくゾイクがバルコニーから下へ飛び降りて行くところだった。


「ちょっと、ゾイク!」

ナツが慌てて呼び止めると、ゾイクは半身を乗り出したまま振り返った。

「あ?何だよ」

「単独行動は危ない。みんなで一緒に行動した方が……」

「あー。分かった、分かった。一応お前らのことも守ってやっから」

「そうじゃなくて」


ナツの説得などお構いなく、ゾイクは張り切った笑顔で柵を飛び越えて行ってしまった。

まあ、話して聞くような人じゃないことは、この数日で分かってきてはいたが。

恐らくもっと長い期間を共に過ごしているマテオにとっては、分かりきっていることなのだろう。

『あいつは放っておけ』と書かれた紙が静かに差し出される。


そんな中、突然上空から「パリン」と一際大きな割れる音が聞こえた。

見上げると、透明なガラスのようなものが、降ってきた岩を粉砕すると同時に、自らも煌きながら霧散していく。上から下へ、時間をかけながら巨大な何かが崩れていく。

ナツから見ても、結界が破られたのだと容易に分かった。

そして少々不謹慎かもしれないが、その崩壊していく様が、ナツには何だか美しく見えた。

強力な結界も、無くなる時はあまりに儚い。

ナツはなぜか、もう過去の思い出となりつつある故郷、ヘブンシティを頭の片隅に思い出していた。


ぼーっと空を眺めていると、隣から「ナツ」と名前を呼ばれて、ハッと我に返った。前方から、数個残った岩がこちらに向かってきている。

結界がない今、今度こそ確実に、あの岩石に屋敷ごと潰されてしまうだろう。

しかし、あまりにもそれが現実離れているからだろうか。味方ともいえる人外がいるからだろうか。それとも、隣にいるこの友人を信頼しているからだろうか。

そうはならないという安心感もどこかにあった。

そしてやはり、心配は杞憂に終わった。


結界越しには聞こえなかったが、今度ははっきりと耳に届く激しい衝突音。

下から跳躍してきた黒い影が、屋敷に落ちる前に一つ残らず岩を破壊していく。上からその小さな破片がパラパラと落ちてきたが、元の大きさの岩に比べれば、なんてこともない。

俊敏な動きと、並外れたパワー。影の正体は、ここからでもよく分かる。


「ゾイクか」

「やっぱり、強いんだね」

ナツが感心していると、いきなりマテオが無言で二人の前に立ちはだかった。まるで、何かが起こることを察知したかのように。

どうしたとシモンが尋ねる前に、それは現れた。


突如、渦巻く黒い(もや)のような何かが、六つほど空中に浮かび上がる。それが、敵なのか何なのかも分からない。

不気味な悪霊のようにも見える靄は、みるみるうちに大きく膨らみ、ナツとシモンに近づいてくる。二人を呑み込まんとするばかりに、暗い闇の淵を広げて。


「っ……」


ナツは冷や汗が首筋を伝うのを感じた。体も思い通りに動かない。ぞわりと悪寒が走る。見たこともない現象に、ただただ恐怖を覚える。

シモンは険しい表情で、自身の目元に手を動かそうとした。

その時、目の前に何か赤いものが見えた。

火だ。

二人にあと一歩届かないところで、揺らめく靄はボッという音をたてながら、真っ赤な炎に焼かれて燃え尽きてしまった。

一瞬の出来事に呆気にとられてから、ナツはパッとマテオの方を見た。

彼の手には、細長い棒のようなものが握られていた。よく見ると、それは黒い木でできた、手触りの滑らかそうな杖。


「……ここに来て、魔術という単語はよく聞いたが、杖を見るのは初めてだな」

シモンは横目にその杖を見つめる。

マテオはシモンの言葉には何も返さず、『その右目は使うな』とだけ書かれた紙をシモンに見せた。

シモンは目を瞬かせた後、怪訝そうな顔をする。


「なぜ?そうもいってられないと思うけど。というか、さっきの黒い霧みたいなのは何なんだ。敵か?」

『もちろん、敵だ。吸血鬼は変形魔術に関しては得意で、よくああいう実体を持たない姿になって敵陣に乗り込んでくる。そちらの方が、城の門や扉があっても隙間から入れるし、あの靄は吸血鬼本体ではないから、今みたいにたとえ靄を消しても向こうの術師自身は無傷、リスクは低い』


それを見て、ナツは眉をひそめる。


「じゃあ、向こうのやりたい放題じゃないですか?」

『そうでもない。靄の姿で出来ることは限られている。それこそ、いくつかの靄が固まってようやく、人間二人を連れ去ることが出来るくらいだ。だから、あの靄はだいたい偵察用に使われるんだが、先ほどの様子からして、偵察ついでに貴方方を捕まえてしまおうとするほどには、こちらを舐めているようだ』

シモンはヘラリと笑った。

「そういうことか。まあ、ただで捕まるほど安くはないけどな」

『しかし、ゾイクと戦っていた時に貴方が使っていた右目は、今は使うべきじゃない。あまり向こうに手の内を見せるのは得策ではないし、もしかすると、それが敵の狙いなのかもしれない』

「ふーん」と曖昧な相槌を打ち、シモンはマテオの仮面をじろりと見やった。


「それより、あんたは随分俺たちに肩入れしてくれてるんだな。なぜだ?人間に何か思い入れでもあるのか?」

『父が、ジャパムスと同じく、少数種族や人間を尊重する思想だからだ。それが神の本当の意向でもある』

ナツは最後の文に目を止め、首をかしげる。

「神の、本当の意向?」

「その父ってのは、どこのどういう……」


シモンがそう尋ねようとしたところで、マテオは杖を持った右手をさっと振り上げた。

瞬間、三人の前に円形の透明な壁が、三層に渡って展開される。そこに、どこからともなく現れた十本ほどの赤い槍が、勢いよく突き刺さってくる。

十本のうち半分は、防御壁の一層目で刃先が折れて、床に落ちると同時に溶けるように液体になる。それに伴い、一番外側の壁も、硝子のように粉々に砕け散った。

細やかに反射する光に、目を奪われる。

壁は残り二枚だが、二層目が割れる時には既に残っている槍はなく、長い槍は全て赤い液体となって白い床に大きな染みを作っていた。


「さ、さっきの槍は、いったい?」


手に汗が滲んでいる。

次から次へと来る攻撃に、ナツは戸惑いを隠せない。

マテオは至って落ち着いた仕草で、杖を懐にしまい、代わりにまた一枚の紙を取り出した。


『あれは、対象を貫く呪いがかけられた槍だ。誰が放ったのかは知らないが、全て私に向けられていた。つまり、貴方方を殺す気はないらしい』

「え、でも、十本以上ありましたけど」


今の今まで迫ってきていた槍を思い出して、ナツは小さく身震いする。それを全て落としたマテオの能力も、計り知れないわけだが。


「しかし、お前は何で攻撃が来る前に攻撃に反応して防御できた?瞬発力というより、もはや予知の範囲だと思うが?」

シモンがそう聞くと、マテオはやはり瞬時に答えを返す。

『気配だ。人間より、我々の方が勘が優れている』

「ただ勘が優れてるってだけで、何でも分かるのか?」

『何でもは分からない』

「じゃあなぜ今回は分かった?」

矢継ぎ早に質問され、仮面から、僅かにうんざりとした表情が透けて見える。

『知らん、神の采配だ。先ほどから貴方は質問が多い』

「悪いな、好奇心が旺盛で」

悪びれる様子もなく、シモンは笑った。

『好奇心もいいが、そろそろ来る頃だ』

「来る?」

それこそ予知のようなマテオの返事に、ナツは首をかしげる。

シモンは咄嗟に辺りを見回した。バルコニーには何も変わったものはない。ヒュウと音を立てて、冷たい風が頬をかすめていく。



「……ねぇねぇ、キミたちが人間ってことでイイんだよね?」


「!?」

突然、頭上から降ってきた聞き覚えもない女性の声に、三人は咄嗟に顔を上げた。

すらりと伸びた細い足、程よく筋肉のついた腕、肩の上で揺れる黒髪に、鮮やかな赤い瞳を持った女性が、屋根の上でニコニコと笑いながら立っていた。

闇に紛れるような黒い制服とマントが風になびく、その手には、さっき見たものより数倍長くて大きな槍が握られていた。


「……誰だ、お前」


威嚇するように低い声で言ったシモンの問いを無視して、その女性は鼻を僅かに動かした。


「くんくん。やっぱりそうだ、匂いで分かる。美味しそうな血の匂い」


そして赤い瞳を仄かに輝かせながら、愉快そうに続ける。


「でも人間は二人って聞いたから、その仮面は護衛ってことだよね?まあ、何にせよ、君らを生け捕りにするのがボクの役目だ。大人しく捕まった方が、痛い思いしないで済むよ?」

「誰が大人しく捕まるかよ」


眼帯に手を伸ばしたシモンの手を、マテオが横から掴んで止めた。シモンは邪魔だと言わんばかりにマテオを睨むが、何を考えているのか、仮面は沈黙したままだ。

ナツは頭上から感じるとてつもない威圧感に、足がすくんで動けなくなっていた。

ただ、分かることは、今僕らを見下ろしているこの女性は、明らかにそう簡単にどうこう出来る相手じゃないということだけだ。

女性はくすくすと可笑しそうに笑った。


「しかし想定外だなぁ。ここまで来れたのがボクだけだなんて。先に来た連中は、みんなあの犬に潰されたのかなぁ。まったく情けないよねぇ、犬ごときにやられるなんて、吸血鬼の恥だ」

「…………」


言葉に詰まるナツを見て、彼女は自分の手にある赤い槍を撫でながら、紅い唇でチュッと音を立てる。


「ねぇ、キミたちはボクに勝てると思うわけ?」

「さあ、やってみなきゃ分からないと思うけどね」

シモンの挑戦するような物言いに、吸血鬼の女性は高らかに嘲笑った。

「ははは。後ろを見てみなよ」


三人が後ろを振り返ると、屋敷の周りは既に無数の、まるで軍隊のように整列した影に囲まれていた。

いつのまにこんなに近くに、しかも大勢……。

不敵な笑みを浮かべる彼女を、マテオは仮面越しにただじっと見つめている。


「キミらには勝ち目も逃げ場もない。さぁ、大人しく捕まって、“父様への供物”になってよ」

「だから、誰が大人しく捕まるかっつってんだろ」

シモンが苛立たしげにそう言うと、黒髪の女性はやれやれとため息を吐いた。

「……残念だ。傷をつけると質が悪くなるらしいのに。でもまあ、仕方ないよねぇ」


女性はそう呟き、槍をくるくると慣れた手つきで回してから、その切っ先を三人に向けた。

持ち手から刃先へ、キラリと妖しい光が流れる、細長い紅蓮の槍。

彼女は青白い肌に、どこか幼さの残った微笑を浮かべて言った。


「さぁ、どこまで逃げられるかな?」


その瞬間、シモンはマテオの手を振り払って右目の眼帯をはずす。そして反対の手でナツを引っ張って、バルコニーの白い柵を飛び越えた。


「ちょっ」

ナツが焦って柵を掴もうとするが、もう遅い。

二人は重力に従って、地面へ真っ直ぐに落ちていく。

恐怖で目を瞑りそうになったが、目の前で一緒に落ちているシモンの横顔に、思わず目をみはった。

静かに輝く漆黒の宝石。その眼はしっかりと、自らが落ちていく先を見据えていた。


「逃がさないよ」


鋭い声が後ろから聞こえた。

しかしシモンは顔色一つ変えず、ナツを抱えて地面に降り立つ。小さな衝撃がナツにも伝わる。

「シモン、大丈夫か」

「ああ。飛び降りるのには、昔から慣れてる」

本当に何でもない顔でそう言うと、シモンは懐から銃口の細いピストルを取り出し、周りに撃ち出した。


屋敷の周囲は、暫く見ないうちに、人、いや吸血鬼で溢れ返っていた。よく見ると、皆さっきの女性が着ていたような黒い服を着ている。

しかし、その多くは既にぐったりと地面に倒れていて、まだ動いている者たちも、もうだいぶ疲弊しきった様子だ。


シモンが撃った銃弾は何人かには当たり、傷を負わせるが、殺傷能力はかなり低いようだ。敵は蚊にでも刺されたような顔で、シモンとナツに武器を構える。


「チッ、これでその程度かよ。人間の武器じゃもう通用しねえな」


そしてシモンはナツに一言、「動くなよ」と言うと、黒い眼を何度か瞬かせた。そして、向かってくる男たちの腕を器用にすり抜け、その頭に向かって背後から一発撃ち込む。すると今度は赤黒い血を吹き出して、男の一人がばたりと倒れた。さっきとは違う様子、異変に気付いた男たちは一旦動きを止める。が、シモンは容赦なくどんどん男たちを撃ち倒していく。

連射して鳴り響く銃声。

速度は互角、力は圧倒的に向こうが強く、人数も向こうの方が多いのに、なぜかシモンが優位に立っていた。それも、あの“目”のおかげなのか。


「人間もまーまーな武器持ってんだな」


後ろからの声に振り返ると、すぐに見慣れたゾイクの姿が目に飛び込んできた。辺りにいる吸血鬼は皆、一様に髪色も肌色が薄いので、黒髪に褐色の肌をしたゾイクはかなり目立って見える。

「あ、ゾイクさん!」

「おー」

勢いよく殴りかかってくる男をヒョイと躱し、横から襲いかかってくる剣や拳を跳ね返しながら、ゾイクはゆっくりとこっちに近づいてくる。

ナツはギョッと目を見開いた。

「ひ、ひどい傷じゃないですか!それ、どうして」


ゾイクの体は、血だらけで、厚着していたはずの服はもう見る影もなくボロボロだった。

顔にもいくつか斬られたような傷が出来ている。


「ん?これくらい、大したことねェぞ」

「いやいや、それで大したことないって……」

どう見ても重症。四肢繋がっていることが不思議なくらいだ。

言葉を失うナツに、上から細長い何かが首筋に突きつけられる。見ると、鋭利な刃を持った、赤い槍。


「逃がさないって言ったよね?」


先ほども思ったが、彼女にはまるで気配がない。影のように、いつのまにか背後にいるような。

ナツは反射的に左腕に力を込めた。

シモンはこちらに気づいておらず、他の吸血鬼たちを抑制するので精一杯だ。

ゾイクとはまだ距離があるし、深手を負った彼にこれ以上戦わせるのは危険だろう。

今頭上にいる女性は、きっと自分なんかじゃとても手に負えない。でも、やるしかない。


拳を握りしめ、意識を集中させようとしたその時、首元にあった槍が、カンと音を立てて何かに弾かれた。

振り返ると、後ろの瓦礫の上に立った女性の槍が、マテオの持った剣で制されていた。


「キミさぁ、さっきから邪魔なんだけど?」


女性は抑えきれない苛立ちをぶつけるように、そう凄む。対して、仮面は黙りこくったまま、銀に輝く剣をかまえている。

その場の緊迫感に合わせて、周りの吸血鬼たちも静止し、ピリピリとした空気がただ流れていく。

ナツは左手の拳を握ったまま、二人の様子を黙って見ているしかなかった。

「何だ、アイツ」とゾイクも眉をひそめるが、入り込めるような空気でないことは察して、大人しく闘いを見守っている。


剣と槍が重なり合ったまま、永遠に続くかのように思われた時間は、女性の方が先に痺れを切らしたことによって終わった。

瞬時に槍を引いてマテオの後ろに回り込み、今度は背中を貫かんとする。背後から迫る槍を、マテオはまた剣で跳ね返し、そのまま女性の首を剣で斬りつけようとするが、女性も紙一重で避ける。が、その瞬間、追い討ちをかけるように、マテオの剣から炎がメラメラと燃えたち、炎は牙のような形となって女性へ襲いかかった。いくら足の速い吸血鬼でも、その炎からは免れきれない。黒髪の女性はあっという間に真っ赤な炎の渦に呑み込まれていく。


それを見ていた周りの吸血鬼たちは、一瞬動揺するように騒めく。が、燃え盛る炎の中、


「へぇ、やるじゃん」


という声が聞こえ、激しいほむらは一柄の槍に切り裂かれた。

そして、金属のぶつかる音と飛び散る火花。

見ると、目にも留まらぬ速さで炎から飛び出した女性の槍と、マテオの剣がまたぶつかり合っている。

ギリギリと刃が重なり、どちらも一歩も譲らない。

マテオは相変わらず仮面で表情が読み取れないが、女性はニッタリと口角を上げて笑っている。


「あはは、嬉しいなぁ。久しぶりに骨のある敵だよ。キミ、覆面してるけど、ただのエルフじゃないね?ボク見たことあるよぉ、その魔術は、エルフのお……」


「その辺にしとけ、夕月(ゆうづき)


突如そう響き渡った声に、女性の眉がピクリと動いた。

そして同時に、ナツの目の前に一つの影がよぎった。

灰色の髪、紅い瞳、不機嫌そうな仏頂面。

黒いローブを身にまとった男が、ナツの方を見て「大丈夫か」とだけ声をかける。ナツはこくりと頷いた。

すると、夕月、と呼ばれた女性は、マテオと武器を交えたまま、まるで男と旧知の間柄のように楽しそうに話し始めた。


「ああ、マーティン。どこ行ってたのぉ?ボクはキミとやり合うつもりだったんだけど。まあ、キミ以外でこんな敵と戦えるなんて、それはそれで思わぬ拾い物だったよねぇ」

「そうか、そら良かったな。じゃ、気が済んだなら、もう帰ってくんねえか?俺の屋敷や領地もだいぶ荒らしてくれたみたいだし」


ウォルカは心底迷惑そうな顔で肩をすくめた。

夕月は楽しくて仕方ないという風に、カラコロと笑ってみせる。


「いやぁ、そういうわけにはいかないんだよ。父様がボクに、人間を生け捕りにしろって言ったんだから。父様の命令は絶対だって、分かるでしょ?まあ、その二人をくれるんなら、今すぐにでも帰るんだけどさぁ」

「ハッ、周りをよく見てみろよ。見たところ、お前以外はただの雑魚。俺に挑んでおきながら、パパ上は軍力ケチッてんのか?明らかに分があるのはこっちだぜ」

「あははは、ご冗談。周りをよく見ないといけないのはキミの方だ。よもや、落ち目貴族のキミと、このちょっと戦えるエルフと、バカそうな犬の三人で、分がそっちにあるとでも?ここには執行クラブ配下の兵、数千人を集めた軍、それに兄様がいるんだよ。どう考えても分はこっちにあるね」


そう豪語する夕月に、ウォルカの瞳が一瞬ギラリと光った。


「さあ、どうかな?少なくとも、今ここでこのままやり合えば、お前は確実に死ぬだろうがな」


二人の間を、凍えるような風とともに、張り詰めた沈黙が走り去っていく。

遠くに響く銃声だけが、微かに耳に届いた。


「へぇ。じゃあ、()ってみなよ?」


夕月の満面の笑みには、怒りと紛れもない殺気が滲んでいた。

ナツもゾイクも、マテオさえ固まったまま動かない。


次の瞬間、見えたのは一筋の赤い槍。

そして残ったのは、爆風と、後ろから聞こえる衝撃音。

振り返ると、屋敷の壁にはいつかのように大きな穴が開いていた。さっき作ったばかりの新しい玄関など、とうに見る影もなくなっている。


「あっははははは!!ここ数十年で本当に牙が抜けたんじゃない?マーティン!!キミ、昔はもっと強かったよねぇ!?」

「るっせぇ」


盛大に笑い転げる夕月は、一瞬にして消え、ほぼ同時に遠くの岩場で派手に土煙が上がった。

夕月がいた瓦礫の上には、代わりに頭部から血を流すウォルカが立っていた。


「ウォルカさん!」

ナツは駆け寄ろうと一歩踏み出したが、鋭い視線に足を止められる。

「下がってろ。手ェ出したら死ぬぞ」

「でも」

「ジール!そいつら一箇所にまとめとけ。転移の準備だ」

「は、はい!」

いつのまにかそばにいたジールは、ナツとゾイクとマテオを素早く集めて、シモンの方を見やる。

「シモンさん、はやくこちらへ!」

「……殺す」

「え?」

シモンが発したそのたった一声で、ナツはぞっと寒気を感じた。この友人の口からは、聞いたこともないほどの残酷な冷たい声。

見ると、何十にも重なった吸血鬼の死体の上に、シモンは茫然と立ち尽くしていた。ぼんやりと虚ろな顔をしているのに、右眼にはまった黒い宝石だけが、生き生きとした輝きをたたえている。


「シモン!」

思わずナツがそう叫ぶと、シモンは我に返ったように目をパチクリさせて、辺りを見回した。そしてナツたちに気がつくと、おもむろに四人の元へ近づいてくる。

「呼んだか?」

ケロッとした顔で尋ねてくるシモンに、ナツは何とも言えない不安に襲われる。

「呼んだかって、シモン、大丈夫なの?」

表情こそ何ともなさそうだが、シモンの服は所々破れているし、手足は傷だらけだった。吸血鬼相手に一人で戦っていたのだから、無理もない。

それにしても、人が変わったようなあの現象は、一体……。


「ああ、俺はまあ、何とか」

どこか上の空なシモンの肩を、ゾイクはご機嫌そうにバシバシと叩く。

「おー、お前ヒョロい見た目のワリにはやるみたいだなァ!」

「まあ、お前よりは」

「あ?それどーいう意味だ」

一瞬にして険悪な空気になる二人に、ジールが慌てて割って入る。

「まあまあ、今は喧嘩してる場合じゃなくて!」

「そうだよ、逃げる準備をしないと……」


ナツがそう言いかけたとき、空から何か黒いものが降ってくるのが見えた。


「あはは、いったいなぁ!」


愉しそうに笑いながら、瞬時に戻ってきた夕月は、ウォルカを槍で突き刺しにかかる。が、ウォルカはその攻撃をひらりと躱し、足で蹴り返そうとするが、夕月も身軽にそれを避けきる。目にも止まらない速さで攻防は展開されるが、どちらも隙がなく、埒があかない。

そんなことをしている間に、まだ荒野にいる別の吸血鬼たちが乗り込んでくるだろう。

適当なところでキリをつけ、ウォルカはナツやシモンを含めた六人を連れて退散しようとするが、そう簡単に敵も見逃してはくれない。

六本に分裂した槍が、くるりと五人の周りを囲みこむ。


「そう簡単に逃げれるなんて思わないでよ。大した転移の腕も持ってないくせに、そんな大勢引き連れて遠くまで行けると思ってるわけ?“成り上がり”クン」


チッと舌打ちをするウォルカ。

ナツは空に向かって目をこらすと、ようやく上空から落ちてくるものが何なのかを理解した。

膨大な量の黒い球。砲弾だ。

しかも一つ一つが巨大で、屋敷も味方も敵も関係なく、破壊し尽くすくらいの威力を持っているだろう。


ナツはゴクリと唾を飲み込むと同時に、信じられないという顔をする。

人間は生け捕りにすると言っていたのに、これでは間違いなく死ぬし、何より向こうの仲間である吸血鬼たちもまだ近くにいるのだ。

味方が巻き添えになっても、構わないということか?

ナツの隣で、ジールやゾイクも唖然と立ち尽くしている。

ウォルカも、夕月と一進一退を繰り返しながら、厳しい表情で上空を見つめていた。


ーーどうする?


ナツがシモンに声をかけようとした、その時、幽かに耳鳴りがした。

向かってくる球の間を縫う白い稲妻のような光が見える。

何か、一瞬にして空気が変わったような気がした。

そしてそう感じるや否や、こちらに迫り来る無数の砲弾は一瞬静止した。実際は、そう見えただけかもしれないが、とにかくその直後、いきなり吹き荒れた激しい突風によって、倍の速度で全ての弾が元来た方角へ跳ね返されるように軌道を変えた。

辺りがざわめくのも束の間、まだ荒野の方にいた多くの吸血鬼たちは巨大な砲弾の餌食となる。運良く逃れた者たちも、これには堪らずたちまち後退していく。

何が起こったのか分からないまま、呆然としていると、突然上の方から聞き覚えのある声が降ってきた。



「やぁ、ナツ、シモン。怪我はない?」


しなやかに揺れる、長い若芽色の髪。


「……レイフィアさん!?」


いきなり目の前に現れたレイフィアは、驚いた顔の二人を見てふわりと微笑んだ。




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