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Break;on hiatus  作者:
脱出編 (プロローグ)
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第二話「分岐」



俺は世界を見る。



この都市の周りを囲うように、膜が出現してからもう百年が経った。

未だにこの膜が何物なのかも証明されていない。むしろ現在では、膜について研究することは法律で禁止されている。

当初は膜の存在を否定的に捉えていた人たちもいたが、徐々に減っていき、何十年か経てば膜の中にいることを正当化するように、大人たちは子供たちにこう教え始めたのだ。


「膜は、神様が人間の為に作ってくれたもの。膜の外に出て行ってはいけないよ。悪い化け物に食べられてしまうから」と。


言いつけを守る子供もいれば、破ろうとする子どももいた。

しかしみんな共通して言えるのは、膜の内側にいる限り、その存在と外の世界に多かれ少なかれ疑惑の念を抱きながら生きていくしかないということだ。




俺は世界を見る。


こんな訳の分からない膜に閉じ込められた小さな街から出て、大きくて広い真実(ほんとう)の世界を知る。知りたい。知らなくてはいけない。

人間が誰しも何かしらの使命を持って生まれてくるのなら、俺の使命は正しくそれだ。

伝説でしか知らない外の世界へ行って、世界の姿を見て、世界の音を聞いて、何も知らないこの街の人間に伝えなくてはいけない。


誰に強制されたわけじゃない。

他でもない、この俺自身が、そう決めたのだ。





ーーーーーーー




とある街外れの教会に、焦った声が響き渡る。


「パティ。協会を出るなんて、本気か?」


「何度も言わせるな、本気だ」


シモンの声音に苛立ちが混じる。

そしてその手はテキパキと大きめのリュックサックに荷物を詰め込んでいる。


「しかし、【黒眼】が協会を出て行くなんて、本部が黙っていないだろう。街は狭いし、すぐに捕まって説得されるのがオチだ。何か当てはあるのか?」

「当てらしい当ては無いな。賭けならあるが」

「悪いことは言わないから、やめておけ。それに、''その力''はこれからもこの街の為に使うべきだ」

「これを何の為に使うかは、俺が決めることだ。協会が決めることじゃない」

「でも……」



「もう諦めなさい、ジュノア。シモンがこうなったら、もう何を言っても無駄よ」



「サラ様」


修道服を着た老婆が、杖をつきながら歩いてくる。

ジュノアと呼ばれた青年は、すぐにその側に駆け寄り、支えるように皺だらけの手を取った。


「シモン。あなたは昔から、他の子たちとは違う方向を見ていましたね。教会の裏口であなたを見つけた時から、私は、今日という日を薄々予感していましたよ」


シモンは手を止めて、老婆の細い目をじっと見つめた。

「マザーサラ。あなたにはとても感謝している。あなたがいなければ、俺はきっと何処かで野垂れ死んでいた」


シモンは、生後約一年で両親に捨てられた孤児である。そしてそれを拾って孤児院に入れ、実親のように育てたのが、サラというこの老婆だった。


老婆はゆっくりと首を振る。


「いいえ、シモン、あなたは神に選ばれた子です。たとえ私がいなくても、あなたは真っ直ぐあなたの道を生きていたでしょう」


「過大な評価で恐縮です」

一礼するシモンに、サラは慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。


「何か、やりたいことでも見つけたのかしら?」


「サラ、ずっと前から俺はそれを見つけていた。いや、それこそ生まれた時から」


「それは、今までさぞ、もどかしい思いをしていたのね。気づいてあげられなくてごめんなさい」


「俺の勝手を、あなたは許してくれるのか」


「もちろん。あなたの母親ですもの」

サラはジュノアにありがとうと言って、その手を離し、シモンの頭の上に手を差し伸べた。


「神よ。この子の未来に、栄光と祝福を」


老婆の手のひらからキラキラと輝く粉のようなものが舞い落ちる。

シモンは驚き、目を丸くした。

ずっと黙っていたジュノアが、突然怒声に近い大声をあげる。


「サラ様!それは協会の規則で、教会の司祭が二十歳を迎えた者にしか与えてはいけない祝福ですよ!それも年に一度、優秀な者一人に限りです!!パティはまだ十九、それらを知っていての行為ですか!!」

「私はこの第八教会の司祭。それくらい分かっています」

「なら、何故!?」

「あなたこそ何故そのように大きな声を出されるのですか、ジュノア。あなたの兄弟であるシモンが、神から祝福を受けたのですよ。何故喜ばないのですか」

「しかし、それには、規則が……」

「確かに、規則は大切です。でも、シモンはもう今すぐここを出て行ってしまうのですよ?彼がこの教会で陰ながら一番修練を積んでいたのを、あなたも知っているでしょう。今まで、この街と協会の平和に貢献したシモンに、今すぐにでも祝福を与えるのか、それとも一生祝福を与えないのか。どちらが良いのですか」

「……」

ジュノアは言葉に詰まり、バツが悪そうに顔を背けた。


サラは真っ白なベールを揺らしながら、窓辺の椅子に腰掛ける。その姿は儚くもとても堂々として見えた。


「サラ、俺は祝福を受けるに値しないかもしれない」

「神が選ばれたあなたの値を、あなたが低く見積もってはいけません。それは、祝福を授けた私への失礼にもなるのよ」

「……ありがとうございます。マザーサラ」


もう一度深々とお辞儀をすると、老婆は少し寂しげに笑った。

「もう昔のように、母さんとは呼んでくれないのね」


「俺はまだ協会の人間です。全てを終えて、またあなたに会えた時には、必ず」


シモンはサラの白い髪に唇を重ねると、濃い灰色のコートを翻して部屋を出て行った。ジュノアは暫く逡巡してから、扉を開けてシモンを追いかける。



後に残った静寂の中、老婆は一人祈った。


「ああ、どうか愛する我が子に、神のご加護があらんことを」







「待て、パティ!」


二つの乾いた足音。

どこか不気味な空気の漂う教会の玄関で、ようやくジュノアはシモンの隣に並んだ。


「まだ何か用か?」

「これを持っていけ」

「は?」

手渡されたものを見て、シモンは唖然とする。


「これ、本部内の全地図じゃないか。持ってるのは協会幹部くらいだぞ。どこで手に入れた?」

「前に本部所属だった時にたまたま手に入れてな。お前の''目''があれば、こんなの必要ないかもしれないが、俺が持っていても宝の持ち腐れだし。お前、どうせ本部に行くんだろう?」

「……ああ」

シモンは観念したように頷く。


「お前が昔から外の世界に憧れていたのは知っている。俺だって行きたいと思ったことはある。でも、俺にそんな勇気は無い」


くっきりと光る三日月を眺めながら、ジュノアは少し遠い目をした。


「膜の外に出ようとして行方知れずになった奴を、俺は何人か知っている。そいつらは、もう恐らく帰ってこない。しかし何でだろうな、お前なら、本当に外の世界に行けるんじゃないかって思えるんだよ。そしていつかまたここに戻ってくると。正直それが羨ましくもあり、妬ましくもある」


「揃いも揃って過分な評価を貰ったもんだな」

シモンは呆れ顔で肩をすくめる。

ジュノアは軽く笑って、右手の拳を差し出した。


「絶対に死ぬなよ、兄弟」


ジュノアはシモンと同じアモル協会の孤児院で育ち、同じこの教会に通った、正しく兄弟だった。


「安心しろ、俺は生きる。皆を頼んだぞ、兄弟」


シモンはジュノアの拳に自分の拳をコツンと合わせると、ニヤリと笑った。


闇夜の中に溶け込んで行くシモンを見送りながら、ジュノアは冬の残滓に小さく震える。








先の尖った屋根が連なる大きな教会は、賑わう街に遜色ないほど眩い光を放っている。


厳かな雰囲気のある入口には【アモル協会本部 第一教会】と書かれており、門番が何人か立っていた。

シモンは正面から教会に向かって行く。


「ん?君、教会に何か御用ですか?」


門番の一人が、シモンに声をかける。

シモンは瞬時に愛想の良い笑顔を浮かべた。


「俺はシモン・パティグスといいます。本部に話があって第八教会から来ました」

「ああ、君が……。しかし知っての通り、儀式や百周年の祭典で、ここの責任者は全員外出中なんです。出直してもらえませんか?」

「いえ、早急な話ですので、どうか代理の方に伝言だけでも頼もうと思いまして」

「そうですか。では、とりあえずついて来て下さい」


門番に連れられ、シモンは本部の中に入ることに成功する。

問題はここからだ。

シモンは苦い唾を飲み込む。


門番の男と入口からすぐ近くの応接間に入り、シモンはソファに腰掛けた。若い女性がテーブルにお茶を出してくれる。


「私では何とも判断出来ないので、上の方と話をして来ます。ここで少々お待ち下さい。話次第では、やはり今日はお帰りいただくことになるかもしれませんが……」

「はい、ありがとうございます」


丁寧にお辞儀をしてから、門番はゆっくりとした歩調で部屋を出て行く。

シモンはカップのお茶に口をつけ、耳を澄ませた。

扉の外の足音はどんどん遠のいていき、やがて聞こえなくなる。


何の罪もない人たちを騙すのは、少なからず罪悪感が湧く。

でも、やるしかないのだ。


シモンは立ち上がり、扉の方に向かう。

外に人の気配は無い。

ポケットからジュノアに貰った本部内の地図を取り出し、再度目的地を確認した。

制限時間は、盛っても十五分。躊躇っている暇は無い。


そっと扉を開くと、やはりそこに人の影は無い。

辺りは閑散としていて、大きな柱時計の音が規則的に鳴り響いているだけだ。


しかし、ここの何処かに、敵は潜んでいる。

さっきまでいた人の良さそうな門番も、お茶を淹れるのが上手だった女性も、今は敵なのだ。


自分の心臓の音を無視して、シモンは最初の一歩を踏み出した。



夜はまだ、始まったばかりである。


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