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Break;on hiatus  作者:
マーティン公爵邸編
18/37

第十七話「双子」



「シモン、大丈夫?」


部屋に戻って早々ソファの上で脱力しているシモンを、ナツは心配そうに覗き込んだ。


「大丈夫だけど、一日分の体力は使ったな。まったく、朝っぱらからとんだご挨拶だった」

シモンは怠そうに伸びをして、目を瞑る。よく見ると、その目の下には薄っすらとクマができていた。きっと昨夜もあまり寝ていないのだろう。


先刻ジールの兄、ゾイクが暴れ出した騒動で二階の半分は大惨事になっていた。床も所々割れていたことから、一階にも少なからず影響を及ぼしてそうだが、二人の部屋はゾイクの部屋の真反対にあったので奇跡的に無事だった。こうなることを見越したウォルカの配慮なのか何なのか、とにかく幸運としか言いようがない。


ナツは部屋にある簡易的なキッチンから水の入ったコップを持って来て、シモンに差し出した。

「飲む?」

「ああ、ありがとう」

シモンは安堵のような一息を吐いて、一口水を飲む。


「ねぇ、シモン」

「なに」

「あの人、大丈夫かな。いきなり消えてしまったけど、ウォルカさんに何されたんだろう」

シモンは思い出すのも嫌そうな顔で肩を竦めた。

「シンプルに蹴っ飛ばされたんだよ。お前には見えなかったんだろうけど、あの吸血鬼の脚力、いや身体能力は半端じゃない。獣族の心配をしてる暇があったら、自分の寝床と命の心配をしろ」


ナツはテーブルの何もない所を見つめながら「でもどうして、あの人は僕らを攻撃してきたんだろう」と呟いた。

それに、シモンは何でもない顔で答える。


「そりゃ、獣族ってのは、''本能的に人間を嫌悪している''からなんだろ。ウォルカが言ってた」

「じゃあ、何で本能的に人間を嫌悪しているんだろう」

「さあね。そんなこと言い出したら、獣族に限らず、異界から来た人外がなぜ人間を嫌悪し、全滅させたのか、というのがまず問題になってくる。それこそ、神のみぞ知る領域だろう」


神のみぞ知る領域。

ナツは昨日のレイフィアの言葉を思い出す。

神はなぜ異界の民を地球に召喚したのか。

……人間を滅ぼすため。

それが理由なら、たしかに異界の民に人間への憎悪を先天的に植え付けるのも首肯ける。

ナツは部屋の一角を見つめながら、腕を組んで考え込んだ。


「とにかく、お前は早く宝石(ジュエル)を使いこなせるようになるのが第一だな。このままだと本当に命がいくつあったって足りない」


シモンは依然として険しい表情を崩さない。

それを見たナツは逆に頬を緩めて、左手を自分の前に持ち上げた。


「そうだね。いつまでも逃げてばかりじゃいられないし、はやく宝石(これ)を使えるようにならないと」

「ああ、一通りここで落ち着いたら、それの使い方を教えてやるよ。といっても、宝石はだいたい一つ一つの性能が全く違うから、俺が助言できることは少ないかもしれないけど」

「それでもありがたいよ。今日から、シモン先生ってわけだ」

シモンは笑い返しながらソファに一層深くもたれかかる。

「先生は勘弁してくれ。……それより、宝石といえば、そもそも何でお前がいきなり''選ばれた''のか、だ。あの時は逃げるのに必死でそれどころじゃなかったが、思えば極めて不可解だ」


ナツは自分の左腕にある青緑色の宝石を確認した。

今まで一般人だったナツは、宝石(ジュエル)について何一つと言っていいほど知識がない。

この小さな宝石に、一体どれだけの力が宿っているのだろう。

じっと見ていると、何となく、その小さな石の中に、奥の見えない、深い海が広がっているような感覚にとらわれた。油断したら、今にも中へ引きずりこまれてしまいそうで、ナツは少し身震いする。


「……''選ばれた''、か。僕は、選ばれたのだろうか」


特別な力を手に入れたという実感は、あまり無い。

ナツがどこか自信なさげにポツリと呟くと、シモンは口だけで笑った。


「そりゃな。ヘブンシティじゃ、その宝石を持ってる奴を''選ばれし子供たち''って呼ぶんだぜ。しかもお前は後天的に神の力を授かった、極めて稀なパターン。加えて宝石が与えられたのは外の世界へ出る直前、まさにグッドタイミング、''誰かが陰から様子を伺っていた''としか思えないくらいにな」


それを聞いて、ナツはハッとした顔をする。

「そういえば、聞こえたんだ」

「なにが?」

「『力が欲しいか?』って。その後に、左手がすごく痛くなって、見たら宝石があったんだけど、あれが神様だったってこと?」


あの時の声は、なんだか抽象的で、どんな声だったかはよく思い出せない。が、「力が欲しいか」とどこかから問いかけられたことだけは、はっきりと覚えている。

シモンは一笑した。


「それが本当なら、まるでどこかの漫画か小説にでもいそうな神様だな」

「嘘じゃない、本当に声は聞こえた」

「お前が嘘をつくはずないさ。ただ、色んなことで混乱して、お前の脳がちょっとヤバかった、とも考えられるだろ?」

「…………」


そう言われると、確かにあの夜はクーナのことや両親のこと、色んなことがあって気は動転していた。

大量の死体。真紅の血しぶき。

思い出して、ぞっと背筋が寒くなる。胸がしめつけられ、息が苦しくなってくる。

今でもまざまざと目に浮かぶ光景を、ナツは無理やり脳内から搔き消した。


「じゃあ僕は、幻聴でも聞こえてたってこと?」

「どうだろうな。ただ俺が想像してた神様とはだいぶ具合が違ったからさ。……まあ、案外神ってそんな風なのかもしれないけど。宝石(これ)のことも、もうよく分からなくなってきたし」

「ジュエルの力のこと?」


シモンは右眼の眼帯に指で触れながら、小さく頷く。


「そう。ヘブンシティでは、宝石は街の平和を守るために神が与えたものだと尊ばれていた。でも、もしかしたら、これは、そんなものじゃないのかもしれない」

「そんなものじゃないって、どういうこと?」


訝しげな顔をするナツに、シモンは窓の外を見やった。色んな色が混じり合ってどす黒くなったような、どこか不穏な空が、硝子に反射した自分たちに透けてみえる。


「恐らくこの宝石には、所有者に酸素を必要とさせない、また日光など人体に必要な物質をも必要とさせない効果がある」

「うん、レイフィアさんの言ってた''心当たり''は、宝石以外ありえないだろうからね」

「アイツの言うことが本当だとして、膜内では、そんなこと誰も気付いていなかった。多分、この効果は膜の外へ出て初めて発揮されるものなんだろう。外の世界における宝石(ジュエル)の力、神の力は、もはや未知数だということだ」

「確かに」


ヘブンシティでは知られていなかった、宝石の隠された力。

そんな力を自分が手にしているなんて、いまいち実感の湧かないナツに、シモンはぼんやりと呟いた。


「……宝石を生まれながらに持っている俺たち、''選ばれし子供たち''って、何のために存在するんだろうな」

「え?」


言葉の真意がよく分からず、ナツが聞き返すと、シモンは少し黙ってから、緊迫とした面持ちで言葉を紡いだ。


「だって、膜内の平和を守るためなら、別に酸素を必要とさせない機能なんて必要ないだろ。宝石を作った神か何かは、宝石を所有する人間が膜の外へ出ることを想定していたと考えられないか」


「……僕らがヘブンシティから脱出することを、誰かが想定していた?」

たちまち眉をひそめるナツとは対照的に、シモンは楽観的な笑みを浮かべた。

「まあ、だとしても今更どうしようもないけど。むしろ俺たちの脱出が神のご意向なら、好都合さ」

「神のご意向、ね。なら神は僕らに何を求めているんだろう」

「そんなの、人間の俺らには計り知れないことだよ」

やや投げやりにそう言ったシモンは、もう一回コップの水を口に入れる。


「シモン」

「何だよ」

「……宝石って、本当に神様が与えているものなのだろうか」

ナツはシモンの眼帯を見上げながら、そう尋ねた。

「違うと思うのか?」

「君も言ってたけど、昨夜僕が聞いた声は、何だか神って感じじゃなかったから」

またその話か、とシモンは肩をすくめる。

「じゃあ、なに、どんな感じだったわけ」

「普通に人間っぽくて、神みたいに全知全能、偉大!って雰囲気じゃなかった。何なら、どちらかと言うと邪神に近い感じ」

「邪神ねえ。レイフィアは神は二人いると言っていたが、邪神まで出てくると一層ややこしくなるな」

シモンはくすりと笑う。

「まあ、邪神みたいっていうだけで、邪神が存在するとは思ってないけどね。そもそも、僕は神が存在することが当たり前の前提になっていることに、未だついていけてないんだ」

「俺も、案外人外が人間と似たような宗教観持っていることには驚いたけどね」


シモンは目を伏せながら、ヘブンシティを思い出した。あの街にいたのが、何だかずいぶんと昔のことのように感じられる。


そういえば。

神と一口に言っても、吸血鬼もエルフも、獣族と呼ばれる人外たちも、皆同じ神を信仰しているのだろうか。

それとも、皆違う神を信仰しているのだろうか。人間と同じように。

レイフィアは、人外たちはみな自分たちが神より生まれ、神から与えられた使命を持ってこの地球へ再度誕生させられたことを、本能的に知っていると言っていた。そして、それを知らないのは、恐らく人間だけだ、とも。

なぜだ。

なぜ人間だけ知らない?

ーーその答えは、人間自身で見つけるべき。

人間自身で、どうやって?

どんなに崇高な哲学者や神学者でも、神の存在を完璧に立証できた者はいないだろう。

人間は、本能だけで生きてるわけじゃない。理性がある。だから理性的に、神を知らないと、納得出来ないのだ。

人外たちにも理性はあるように見えるが、彼らは理性的に神を分かっているのか……?


思考が行き詰まっていくのを感じて、シモンは息を吐きながら目を開ける。気づけば、この世界の異質な空気にも慣れ始めていた。


「……人間の作った道具は結構あったけど、ここに科学は存在するのかな」


ナツがそう呟くように言った。

不意打ちのような問いかけに、シモンの冴え冴えとした碧眼は、一瞬迷うように僅かに揺れた。


「どうだろうね。何せ太陽も酸素も存在しない上に、魔術があるらしいからな。ここに存在するものは何もかも、科学の法則を無視している。まあ、気になるならあのエルフにでも聞けば分かるんじゃないか?」

「ああ、レイフィアさん?でも、次に会えるのはいつなんだろう」


ナツは暖炉でパチパチと燃える炎を見ながら、緑の髪を持った親切なエルフのことを思い返した。

たおやかな仕草、凛とした声。謎めいているのに、一緒にいるとなぜか安心する、あの女性は、自分たちのことを、この世界のことをどこまで知っているのだろう。


「割と長らく会えないかもな。先方はお忙しそうだから。それより、今は目の前のことだ」


シモンが壁にかかった古い振り子時計を顎でしゃくる。

見ると、ウォルカと約束した13時の15分前だった。

シモンはテーブルの上にあった本を手にとって、ナツに差し出した。古びたワイン色の表紙で、無題だ。


「昨日この部屋の本棚を漁っていたら見つけた。日本語でこの世界のことが簡単に書いてある。暇な時に読んどけ」


ナツは受け取って、ページをパラパラとめくってみた。確かに、よく見慣れた文字が並んでいる。


「思えば、レイフィアさんの部屋にあったたくさんの本も、日本語のものばっかりだったけど、人外たちは日本語を使ってるんだね」

「まあ、おかげで意思疎通くらいはできるワケだ。ありがたいことにね」


ナツは立ち上がって、もうしわけ程度に隅に転がっている自分の荷物の中に、本を入れておく。

シモンは部屋の一角にある背の高い本棚に目をやった。そこには色とりどりの本たちが、静かに手に取られるのを待ち構えている。


「でも、日本語だけじゃないぜ。少なくともあの本棚は英語の本が大半だったし、中には中国語や韓国語なんかも見かけた。内容はいずれもこの世界のことについてだけど」


ナツはまばたきをして、シモンの方を見る。


「君、中国語や韓国語も読めるの?」

シモンは大して得意げな顔をすることもなく、「まあ、少しは」と答えた。

「初耳だ。いつ習ったの?」

「高校の時、独学だよ。お前がしょっちゅう、あの古い図書館に行くのに付き合わされてた頃の産物だ」


ナツは思わず唖然とした。

自分が生物学についての古い資料を探している間に、シモンが外国語を習得しているとは。

ヘブンシティで、外国語の教育は奨励されていなかった。というか、教育自体が全くと言っていいほど行われていなかった。

なぜなら、外国と完全に隔離されたヘブンシティでは、外国語を学ぶ必要がないから。

あの閉鎖された街で外国語を学ぶのは、未だ日本語に訳されていない外来本を読んだり、アモル教至上主義の最中で膜の外の世界に夢を見るような一部の物好きだけだった。それはおそらく、異端である科学者たちよりも少数だったに違いない。


「どうして?」

「どうしてっていうのは、どういう意味?」

「生物学をやってた僕が言うのもなんだけど、外国語なんてどうして勉強してたのかなって思って」

「そりゃ、いつか使えるかと思って」


あまりに単純で短絡的な答えに、ナツは半ば呆れた顔をして言った。


「まだ、ヘブンシティ以外に人間の国が存在すると思っていたのか?アモル教的には、あり得ないことだろう」

「可能性はあると思ってたし、何なら今だってあると思ってる。現に、魔王は人間の生き残りなんだろ?人外たちは、膜外の人間は全滅させたと言っているが、実際はそんなの確認の仕様がないから分かるはずがない」


話をしながら、ナツとシモンはウォルカとの約束通り、部屋を出て一階の食堂に向かう。

屋敷の中はどこまでも静まり返っていて、まるで二人しかいないようにさえ感じた。

ナツは床の石の模様を目で追いながら、シモンに言葉を返す。


「でも、人外たちは、膜外の人間は全滅したと思ってる」

「殺し尽くして、もうどこにも見えなくなったってだけだ。人外に見つかってないだけで、隠れて生きてるかもしれない」

「酸素がないのに?」

「酸素がないのに」

「百年も経ったのに?」

「百年も経ったのに」

「君にしては、現実的な考えじゃないと思う。それは、もしかしたら君の願望に過ぎないのかも」

「現実的じゃない?」


シモンは真面目な顔で、ナツの左腕を強く握った。


「ここで、俺たちは、生きてる。正真正銘、現実だ。世界は俺たちが思ってる以上に広いし、人間はしぶといぜ、ナツ。人間が生き残ってるという仮定は、至極現実的だと思うが?」

「でも、僕らは宝石(ジュエル)を持ってるから、生きれてるだけだろ?普通の人間が酸素のない環境で生き残るのは、現実的に不可能だ」

「そうだね」

シモンは手を離し、歩きながら高い天井を見上げた。白い壁が細やかに、うねるように交わっている。


「でも、例えば、ヘブンシティのような街が、実はもう一つあったとしたら?」

「え?」


ぞわりと鳥肌がたった。

もう一つの、ヘブンシティ?

まさか、あり得ない。

でも、想像すると、それが紛うことなき現実のようにも思えてくる。

だんだんとナツの表情がこわばっていくのを見て、シモンは軽く笑った。


「冗談だよ、本気にするな。俺はさ、別に人間の生き残りとかを期待してるわけじゃないんだ。ただ、''可能性''の話をしているだけで」

ナツは暫く考えて、ゆっくりと頷いた。

「……たしかに、可能性はゼロじゃない」

「現実的に、な」

シモンは子供みたいにカラコロと笑いながら、長い階段を降りていく。ナツは何とも言えない顔で後ろをついていく。

もう一つ、ヘブンシティがあるかもしれないなんて、そんな可能性までシモンは考えているのか?それとも、本当にただのジョークなのだろうか。

どれだけ考えてみても、やはり眼帯の青年が何を考えているのか、ナツにはよく分からなかった。




ゆったりとした足取りで一階に降り、玄関の広間が視界に入った途端、二人は思わず口をポカンと開いた。


「……何だこれ」

シモンは半ば絶句して、そう呟く。


そこは、かつての美しい西洋風のロビーの面影が残らないほど、容赦なく破壊の限りを尽くされていた。

床は抜けて土や岩がむき出しになっており、滑らかな石造りの壁には穴やヒビが至る所にできている。下に落ちたシャンデリアは、見るも無残に割れており、蝋燭の細々とした火だけが、広間の唯一の光源になっていた。

立ち尽くす二人は、お互いに顔を見合わせる。


「……あの、ジールさんのお兄さんが、また暴れたとか?」

「まあ、そうとしか考えられないよな。怪我しないように気をつけろよ」

「うん」


ナツは足元の瓦礫を踏み越えながら、慎重に食堂への廊下を目指す。どこの床も不安定になっていて、今のところ辛うじて形を成している土台のバランスもいつ崩れるかしれない。


「これは、直すのが大変そうだ」

崩れた天井を見上げて、ナツは他人事のようにそう呟いた。

「そうだな。なかなか住み心地は悪くないと思ったのに。あんな犬を飼ってるなんて、とんだ誤算だ」

ガラス片を避けながら、シモンは文句を垂れる。

「犬?」

「あの血の気の多い獣族のことだよ」

「ああ」

ナツは頷いた後、でも犬という呼び方は流石に良くないと言いかけて、口を(つぐ)んだ。

犬、なんて本人たちの前で言ったら、彼らは当然怒るのだろうか。それとも、案外受け入れるのだろうか。

彼らが人間より獣に近い存在なら、獣と呼ばれることに抵抗はないのかもしれない。むしろ人間を蹂躙してきたこの世界の住民にとっては犬より人間と呼ばれる方が、屈辱的なのではないか?


そんなことを冷静に考えながら、何とかナツは、もはや戦場の跡地のような広間を抜け、食堂の前まで辿り着いた。

すでに一足先に来ていたシモンが、扉の横の傷ひとつない壁にもたれている。

辺りに破壊の形跡はなく、相変わらず美味しそうな匂いが辺りに漂っていた。どうやら食堂は無事なようだ。


「お邪魔します……」

ナツが両手で重い扉を開けると、そこには褐色の肌をもつ二人の少年がいた。

高価そうな燕尾服に身を包んだジールが立っているそばの椅子に、簡素なシャツと半ズボンの少年が座っていて、どちらもびっくりした顔で入ってきたナツとシモンを見つめている。


シモンは咄嗟に身構えた。ナツもつられて一歩後ずさる。

耳を残して人間の姿に戻っているが、席に座っているのは紛れもなく巨大な獣の姿で二人を攻撃してきたゾイクだ。


ーーまさか、こんなに早く再会するとは。

今回は金縛りのように体が硬直する様子はないが、先ほど見た相手の戦闘力からして油断はできない。シモンはそっとポケットに手を伸ばした。

一方双子は、しばらく並んでお揃いの深い青の瞳を丸くさせていたが、先にゾイクの方が口を動かした。


「おい、ジール」

「……なに?兄さん」

ゾイクは食堂の入り口で立ち止まった二人を、フォークで指した。

「あいつら誰だ?」

「え、覚えてないの?」

ジールはさらに驚いた顔をする。

「うーん、どこかで会ったっけ?」


キョトンとした顔のゾイクに、ナツは呆気にとられた。どうやら、ゾイクは自分たちのことを何も覚えていないらしい。シモンも信じられない顔をしている。


「こっちは殺されかけたのに、忘れられてるんじゃ話にならないな」

シモンが嫌味っぽくそう言うが、ゾイクはピンとこない顔をしている。

「殺されかけた?……そういえば、クソ公爵が人間を見て、俺が暴走したとか言ってたな……」

ボソボソと一人で呟きはじめるゾイク。

「となると、こいつらはつまり……」

ゾイクはもう一度ナツとシモンを見た。

必然的に、その邪気のない青い瞳とバッチリ目が合う。そして二人の足のつま先から頭のてっぺんまでをじっくりと観察し、妙な沈黙を置いてから、ゾイクは大きく口を開いた。


「ジーーーール!!!!」

いきなり叫んだゾイクに、ジールは持っていたお盆を落としそうになる。

「どうしたの、兄さん」

「もしかして、ニンゲンなのか!?これが!?」

「そうだよ、さっき説明したでしょ」

「でもまさか!こんな俺たちに似てるとは思わねえよ!!」

興奮するゾイクに、ジールは首を傾げた。

「ええ?似てるかな。耳もしっぽもないんだよ?」

「うーん。俺はもっと、こう、グチャッとしてるかと思ったからなぁ」

ゾイクの言い分に、シモンは怪訝な顔をする。

「グチャ……?どんな想像をしてたんだ、アイツは」


「おい!こっち来て座れよ!ニンゲン!!」

ゾイクは興味津々な様子で、突っ立ったままの二人に大声で声をかけた。人懐こい笑みすら浮かべている。さっきまでこっちを殺す勢いだった獣とは思えないほどにフレンドリーだ。


ジールがそんなゾイクを「ちょっと」と横からたしなめる。

「兄さん、人間じゃなくて、ナツ様とシモン様だよ」

「ナツサマとシモンサマ?変な名前だな」

「正確には、ナツとシモンだけどね」

シモンは呆れ顔で、ゾイクの向かいの席に座る。ナツも続いてその隣に腰を落ち着けた。

食事中だったのか、ゾイクの前には大量の汚れた皿が積まれている。


「ああ、そういうことか。ジール、お前ニンゲンにまでサマ付けしてんのか?」

「う、うん。一応お客様だから」

「そんな必要ねえって。あのクソ吸血鬼から命令されたワケでもねえんだろ?」

「まあ、命令はされてないけど……」


口ごもるジールに、ナツは苦笑いして言った。


「そうですよ、様付けはやめて下さい。ジールさんの方が歳上なんですし、僕らはお客様っていう身分でもないんですから」

シモンはテーブルに片手で頬杖をつく。

「そう?俺は様付けでも全然いいけど」

「シモン!」

ナツが咎めると、シモンは「冗談だよ」と肩をすくめた。

「あはは。じゃあ……、これからはナツさんとシモンさんとお呼びしてもよろしいですか?」

「はい!ぜひ」


にっこりと笑いあうジールとナツを横目に、ゾイクは大きなため息を吐く。


「獣族の風上にも置けねえ弟だぜ、まったく。こうなったのも全てウォルカの野郎がコイツを使用人なんかにしたせいだ。アイツ、今年中には絶対土に埋めてやる」


包帯を巻かれた腕でお腹をさすりながら、物騒なことを言うゾイク。よく見ると、ゾイクの腕や足には古傷が多い。シモンは面白そうなものを見つけたような顔をした。


「へぇ、さっきは一撃でやられてたみたいだけど。勝ち目あるの?」

「さっき?」

また首をかしげるゾイクに、ジールは「兄さんが暴走してた時だよ」と教えた。

「おい、ナツ、だっけ?」

「俺はシモンだ」

「シモン。暴走した時のことを、オレは何も覚えちゃいねえが、もしあいつの一撃を受けてこんなにピンピンしてるってんなら、それはオレにも十分勝ち目があるってことだ」

シモンの眉がピクリと動く。

「ほう」

「自慢じゃないけどな、昔はヤツの一撃で数ヶ月は動けなかった。それが今じゃこれだからな、オレがアイツを倒す日も近い」


やけに自信満々で豪語するゾイクに、シモンは可笑しそうに笑った。


「そりゃ期待できそうだ。あの吸血鬼が負かされる瞬間には、俺もぜひ居合わせたいからな」

「へー、お前、ニンゲンだけど話が分かるな!まあ見とけ、あのクソ野郎はオレが確実に殺してやる」

「ちょっと兄さん!ダメだよ、そんなこと!」とジールが慌てて話を遮るが、ゾイクはそっぽを向いて聞く耳を持たない。

「いくらお前の頼みでも、それだけは聞けねえな。何遍も言ってんだろ?ジールはあのクソ吸血鬼に騙されてんだ」


「騙されてる?」とナツが首を傾ける。


「えーっと、話せば長くなるんですけど……」

言いにくそうな顔をするジールを見て、ゾイクは不機嫌そうにふんと鼻を鳴らした。

「要は、''獣狩り''の時にオレと離れ離れになったジールは、あのクズに騙されて使用人なんかにされたってわけ。ジールを解放するには、あの野郎を殺すしかない」


ナツはますます首をかしげた。

ジールが、ウォルカに騙されて使用人にされた?

二人を見ている限り、あまりそういう風には見えないが。


「獣狩りって?」とシモン。

「ああ、ニンゲンが知る由もねえことか。お前らニンゲンをぶっ殺す''ヒト狩り''が終了した後、吸血鬼たちの間で流行ってた遊びのことだ。具体的には、貧しい街とかにいる獣族を狩って、奴隷にしたり殺したりすること」

平然と説明するゾイクに、ナツは何だか薄気味悪さを感じた。


「誤解なんだよ、兄さん。ウォルカ様は僕を助けてくれたんだ」

「それで、何十年もずっとこき使われてるってのか?そういうのを、利用されてるって言うんだよ」

「で、でも……」

「ジール、吸血鬼は例外なく総じてクズだ。弱者に対する情けってもんが一欠片も無い。お前らニンゲンも、よく覚えておくことだな」

「有益な助言をどうも」

シモンはニヤリと笑った。


「ゾイクさんは、吸血鬼と過去に何かあったんですか」

ナツが尋ねると、ゾイクは顔をしかめて、苛だたしそうにナイフで皿の上の肉を真っ二つに切った。

「ああ。あったにはあったけど、ニンゲンには関係ねえ話だ。お前らは、オレがウォルカをぶちのめすってことだけ頭に入れてりゃいい」


ふざけた口調でそう言うゾイクの目は異様に冷たく、計り知れない憎悪と殺意が息を潜めているように感じられた。


「でも……」

「単純明快でけっこうだな。こっちとしてもややこしいのはウンザリだ」

シモンはそう遮るように言い捨てた後、ナツに「余計な詮索はしなくていい」と耳打ちする。

面倒なことには首を突っ込まないのが、シモンのスタンスだった。

どこか納得いかないまま、ナツはチラリとジールの方を見る。ジールは少し悲しそうな表情で兄をみつめていた。それは、何かに怯えているようにも見えた。


「あー。暴れ疲れて、今日はもうねみぃな」

大きな欠伸をするゾイクに、ジールは急いで口を挟む。

「寝るなら、自分の部屋で寝てね」

「わかってるっつの」

眠そうな目で、ゾイクは椅子から腰をあげる。

ナツはふとゾイクを見上げた。

「そういえば、広間が随分荒らされてたみたいですけど、あれも君が?」

「おー。憂さ晴らしにな」

ゾイクは罪悪感のかけらもない顔で、あっさりと肯定する。

「よく崩れないな、この屋敷」

シモンは呆れを通り越して、半ば感心している。


ゾイクは扉の手前でくるりとナツとシモンを振り返った。深い青がじっとこちらを見つめる。


「じゃあな、ニンゲン。お前らとは割とウマが合いそうだ。お前らが何のためにこの屋敷にいるのかはよく知らねえけど、お前らがオレの邪魔をしない限り、オレもお前らの邪魔はしねえ」

「殺そうとしておいて、よく言うよ」

シモンは未だにゾイクの暴走を根に持っているようだ。

「それもそーだな」

ゾイクはケラケラと笑いとばすと、また大きな欠伸をしながら食堂を出て行った。

パタンと大きな扉は閉まり、騒がしかったその場は一転して、平穏な静寂に包まれる。





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