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Break;on hiatus  作者:
マーティン公爵邸編
16/37

第十五話「ジュノアの記憶」− Heaven City side –



アモル教会。三十年ほど前に現れた新興宗教。

しかしこの短い三十年という期間でのアモル教の発展は、まるで二百年ほど前の科学の急激な発展を思わせるほどにめまぐるしかった。


アモル教会は手始めに、ヘブンシティ全体に預言者アモルによる教えが行き届くよう、本部である第一教会を中心として、八つの地域に区分し、それぞれの教会を建設した。その教会に附属する形で、孤児院や学校が建ったりもした。

アモル協会はその最たるもので、''選ばれし子供たち''は非正規会員である大人たちと連携しながら、街の安全を守っている。''選ばれし子供たち''は皆、一般人に比べればずば抜けて学力、身体能力共に優れていたが、それでも、リーダーというのはどんな組織にも必要で。

八つの教会が各々作った''選ばれし子供たち専用''の孤児院から、代表を一人ずつ選出する制度は、十年近く前からある。代表の仕事は、同じ教会の孤児院にいる兄弟たちをまとめ上げ、他の七つの教会とも協力し、自分の所属する教会地域を徹底的に事故や犯罪から守ることだ。


その決して楽ではない仕事を背負う者たち、ヘブンシティの中で総勢250人ほどいる選ばれた子供たちの中から、更に選ばれた8人。


宝石(ジュエル)の力、神の力を持って生まれたからには、子供たちは皆、代表に憧れる。

それは例に漏れず、第八教会の所属するジュノア・ゼラーニも同じだった。





ーーーーーーー




3月10日。


シモンが教会から出て行った夜、その全てが夢のように思えた朝。


ジュノアは昨日のことを忘れるように努めた。

いつも通り身支度を整え、日課の朝の読書をする。鳥はさえずり、窓から暖かい日が差す、昨日と何も違うところはない。また、普通の一日が始まるだけ。

しかし、朝食を終えた後、客だと自分の部屋に通された人物の顔を見て、突然頭から冷水をかけられたような心地がした。


狭い孤児院の一室で、自分の目の前には、額に炎のような宝石を灯した黒髪の青年。


アカウロ。

アモル協会の会長であり、''選ばれし子供たち''のリーダー。一番最初に選ばれた、宝石(ジュエル)を与えられた人間。

そんな大物が、わざわざ単独で本部の第一教会からはだいぶ離れた所にある第八教会の孤児院にやってくるとは。只事ではない。

道理で扉の向こうから兄弟のはしゃいだ声が聞こえるわけだ。


「……お久しぶりですね」


ジュノアは、孤児院にある中で恐らく最も高級だと思われる茶を出しながら、そう声をかけた。

実際、アカウロとジュノアが面と向かって話すのは一年半ぶりくらいだった。


「……」

自分から訪ねてきておきながら、黙ったままのアカウロに、ジュノアは苦笑いをする。


「アカウロさんが、こんな所までいらっしゃるなんて、一体何の用ですか?もしかして、うちの連中が何かやりましたか?」


無論、心当たりは一つしかないが。

アカウロはゆっくりと口を開けた。


「薄々感づいてはいると思うが」

「……何のことですか」


薄々どころじゃない。

ジュノアはシモンのことを頭に思い浮かべながらも、キョトンとしらばっくれた。アカウロはそんなジュノアの顔を見ながら、無表情で話を続ける。


「シモンのことだ。何か知っているだろう」

「シモン?そういえば今朝は見かけませんでしたね。シモンがどうかしましたか」

「昨夜から連絡がつかない」


アカウロはカップを手に取り、茶を少し飲んだ。

ジュノアは軽く肩をすくめてみせる。


「そんなの日常茶飯事ですよ」

「通信機も繋がらない」

「壊れてるんじゃないですか。あ、もちろん、シモンの通信機の話ですよ」

「街中、どこを探させてもいない」

「へぇ……。そこまでして、何かアイツに用でもあるんですか?」


ジュノアが尋ねると、アカウロは窓の外を眺めながら、怒りも呆れも感じさせない声で答えた。


「三月九日の儀式が終わった後、七人の代表は各自、それぞれの管轄下で何か異常がなかったか俺に連絡するよう義務付けている。そしてシモンだけが、一切連絡をよこしていない」


ジュノアは申し訳なさそうに笑う。

「それは、うちの代表が失礼しました。またどこかブラブラして忘れてるんでしょう」

「アイツが任務を忘れたことなど、今まで一度もなかったが?」

「そんなに心配されなくても、きっと、そのうち戻ってきますよ。うちじゃよくあることなんです」

「いいや、シモンは戻って来ない。たとえ生きていたとしても、当分は戻って来ないな」

「え?」

「何のことを話しているか、分からないか?」


アカウロが真っ直ぐジュノアを見つめる。

その目はまるで底の見えない淵のようで、ジュノアは思わず唾を飲み込んだ。が、ジュノアはあくまでしらを切り通すため、自然に少し考えるフリをしてから、静かに「はい」と答えた。


「……そうか」

呟くようにしてそう言うと、アカウロは微かに笑った。

ジュノアはそれを見て、少々驚いた。普段感情を表に出さないアカウロが、一瞬でも純粋な笑顔を浮かべるなど、初めてのことだったからだ。

しかし次の瞬間には、アカウロはいつもより一層厳しい顔つきに戻っていた。


「なら、伝えておこう。シモンは反逆罪で処刑された。預言者からの確かな伝言だ。事の詳細は協会の機密事項、シモンの死に関して独自で追及、調査することも認められない。万一そのようなことをした場合は、その行為も反逆と見なされる。よくよくここの奴らには言っておけ」


数秒間、ジュノアは茫然としてから、テーブルに手をついた。アカウロの顔をまじまじと見つめる。


「……突然、すごいことを言われましたね。シモンが反逆罪って、どういうことですか」

「そのままの意味だ。ここまで言って本当に何も分からないなら、無知である己を恨め」


有無を言わさぬ圧迫感に、ジュノアはやや気圧されながらも、冷静に言葉を返す。


「ここにはシモンを慕っているヤツがたくさんいます。納得しないでしょう」

「納得出来ないなら、好きにヤツのあとを追うなり何なりすればいい。だがジュノア、お前は自分の兄弟にそんな愚かなことはさせないだろう。自らこの街で、反逆の道に進んでいくなど」

「…………」


ジュノアが難しい顔をして黙り込むと、アカウロは椅子から立ち上がり、ジュノアの目の前まで歩いてきた。その一つ一つの動作が洗練されていて、歩く姿勢すら見る者に威厳を感じさせる。


「ジュノア、お前が次の代表になるべきだ。本部でも、お前の働きは認められていた」


ジュノアは目を見開くと同時に、胸の奥底から熱いものが込み上げてくるのを感じた。

アカウロのその言葉は、ジュノアにとって最大級の賛辞といっても過言ではない。

現在の第八教会において、アカウロはジュノアを一番有力視しており、信頼しているということなのだから。


「……ありがたいお言葉です」


ジュノアはアカウロの前に片膝をついた。

その辺の褒め言葉やお世辞とはわけが違う。これは、会長直々の次代第八教会代表継承の正式な勧めである。近年、司祭の贔屓などで代表が決まらないように、権威ある他教会の代表などが推薦をする動きがあるのは知っていた。


深く頭を垂れたまま、ジュノアは慎重に言葉を続けた。


「でも、無礼と承知しながら、お断りしなければなりません」


明るい部屋の中を、爽やかな静寂が襲う。

木々に囲まれた孤児院の朝はあまりに平和すぎて、重い沈黙もさらりと風のように流れていってしまうようだ。

少し間を置いてから、アカウロが口を開く。


「……何故だ」

「恐れ多くも、あなたからの命を断るなど、死に値する不敬だと分かっています。罰は受ける覚悟です」


頭を下げて声を震わせるジュノアに、アカウロは漆黒の瞳を何度か瞬かせた。


「お前に罰など、まさか。我が神に選ばれたお前を殺せるのは、神ご自身か、神の使いだけだろう」


「では、恐縮ながら申し上げます。我が第八教会には、レハムという信仰深い者がいます。際立った才能を持ちながら、幼くして実力も十分にあり、将来有望だと思われます。次の代表は、彼が適任です」


「ああ、レハム……。なるほど」

アカウロは何かに納得したように頷くと、もう一度ジュノアをじっと見つめた。


「顔を上げろ、ジュノア。答えは変わらないのだな?」

「はい、二言はありません」


ハッキリとそう言うと、アカウロは制服の黒いマントを翻して、入ってきた扉の方へ向かった。


「なら司祭には、お前の口から伝えておけ。そして今日の夜に第二教会で臨時協議会が行われるから、そこにレハムを出席させろ」

「分かりました。ありがとうございます」



扉の閉まる音と共に、無差別に周囲を圧倒するような気配は薄らぐ。

ジュノアはアカウロの出て行った扉を、数分の間じっと見つめてから、深く息を吸って吐いた。どこからか懐かしい香りがする。窓の方を見ると、相変わらず穏やかな日の光が差していた。春の日差しは何よりも暖かく、心が洗われる。


ジュノアは脱力するように窓辺に寄りかかった。

頭の中をよく見た銀髪がよぎる。



ーー弟一人止められなかった俺に、代表なんか出来ない。むしろその“過ち”を手伝ってしまったのだ。どのツラを下げて、アカウロやその他の代表面々と並べばいい?


俺にも、代表になりたいと心底願ってた時期があった。選ばれた子供はみんなそうだ。誰だって、恵まれた才能を持って、自分の教会の代表になりたいと思っている。

宝石(ジュエル)を持たない子供が、“選ばれし子供たち”に憧れるように。いつの時代にも、どこにでも、上には上がいるのだ。それが、時にはすごく残酷に感じられるけれど。


ジュノアは窓から降り注ぐ太陽の光を浴びながら、目を瞑って、随分昔のことのように思える思い出を振り返っていた。



ーー俺はかつてシモンが憎かった。


二年前、三代目の第八教会代表が行方不明になった時、当時十八歳で孤児院内最年長だった俺は、当然自分が次の代表に選ばれるものだと思っていた。

何故なら前の三代は全員、最年長者で代表になっていたからだ。多分周りの兄弟たちも、順当に俺が次の代表になると思っていただろう。


でも実際は違った。司祭サラが代表に選んだのは、二つ年下のいわゆる天才、シモン・パティグス。

他の子供たちと同じように、小さい時から生活や協会の仕事を共にしている。図らずも趣味や思考が似ていたため仲は良かった。

彼の宝石(ジュエル)や銃の扱いには、俺自身一目も二目も置いていたし、司祭サラも心から尊敬していたので、代表の指名には何の反論も出来なかった。

反論出来なかったがゆえに、苦しかった。

中途半端な己の才能を恨み、死のうかとも思った。

それぐらい、その時のシモンに対する妬みは酷かった。二年が経った今でも、シモンに対するコンプレックスは完全には消えていない。


俺は選ばれなかった。俺は必要とされていない。

愛されていない。


そんな思いが溜まり溜まって、一昨年の冬、シモンを殺そうとしたことがあった。


そこまでプライドが高いつもりはないのだが、代表になってもどこかヘラヘラしているシモンの下であることが苦痛で仕方なく、シモンがいなくなるなら何でも良いと、当時は本気で思った。今でこそ不思議だが、あんなに強く誰かを恨んだことは、後にも先にもこれっきりない。それほど、怖いくらい盲目的に、彼の死を望んでいた。


真冬のある日、宝石の力を使う修練の後、疲れ切ってベッドで熟睡するシモンの部屋に、俺は小型の拳銃を持って忍び込んだ。小型だが、一人の人を即死させるぐらいの威力はある。

シモンの宝石に、持ち主の体を強化したりする能力はないし、そもそもアレは特殊で、眼帯を付けている状態、つまり視界が何かに遮られている状態だと、泣いても喚いても発動すらしない。だから、睡眠中のシモンの体は実質普通の人間と何ら変わらない。ということは、銃弾を一発心臓に撃ち込めば、確実に死ぬ。


そこかしこに本や紙が散らばる薄暗い部屋の中。

俺は窓から差し込む淡い月明かりだけを頼りに、眠りこくるシモンの上へゆっくりと跨った。


ヘブンシティ内のアモル教会は、日曜日は信徒たちのために開放されるようになっているが、それ以外の日の警備は極めて厳重で、関係者以外が中に侵入することはほぼ不可能である。

よもや一人一人が強力な能力を持った子供たちの暮らす孤児院内部に、敵(そう呼べる人物や組織がそもそもあまりいなかったが)が入り込んでくるなどあり得ない。

だから、普段はくどいくらいに慎重なシモンが、部屋に鍵もかけず、堂々と深い眠りにつき、ベッドの上に誰かが這い上がってきても気づかないのだ。


深夜、子供たちは皆明日の朝に備えてとっくに就寝している。辺りは恐ろしいほどに寝静まっていた。

俺はおもむろに小型の拳銃をヤツの左胸に押しあてながら、何を思ったのか、「パティ」と、幼少期に勝手につけたまま変えていないニックネームを小声で呼びかけた。

そのまま撃ち殺してしまえばいいのに、何故か、この状況をコイツがどう思うのか、知りたかった。いつも完璧で、余裕綽々で、限りなく先を見据えてるコイツが、絶体絶命の状況を前にどんな反応をするのか。

そして何より、シモンの最後の言葉を、どうしても聞いてみたかった。


もう一度名前を呼ぼうか迷った時、シモンは薄っすらと片目を開いた。ちゃんと真正面からシモンの目を見たのは、その時が初めてだったかもしれない。

こんな状況で、純粋に綺麗だと思ってしまった。

ありふれた表現だが、本当に空のように青い、淀み一つない澄んだ瞳。

夜の暗がりに、ぽっかりと小さな青空がある。

思わず唾を飲んだ。

でもそれくらいのことで、俺は殺意を喪失出来たりはしない。むしろその邪気のない目に、妬みや恨みはさらに深まった。


「……ジュノアか」

少し掠れた声で、シモンは言った。その眠そうな顔から、疲れがまだ抜けきっていないのがよく分かる。


「そうだ。これから俺はお前を殺す」


自分で言って、自分でも何を言ってるんだと思った。

仕事無しの三流役者でも、もう少し気の利いた台詞を言っただろう。

寝ていたらいきなり兄弟に起こされ、銃を突きつけられ、「お前を殺す」などと言われる。何の脈絡もなし。意味が分からない。

おかげで、何故か俺の方が、シモンがどんな反応をするのかドキドキする羽目になった。


だがシモンは、ろくなリアクションもせずに、眠そうな顔をより一層眠そうにさせると、大きな欠伸をして寝返りを打とうとした。もちろん、俺が上に跨って銃を突きつけているため寝返りは打てない。

一瞬ふざけてるのかと思ったが、シモンはこんな時にふざけるような奴でもない。そもそも向こうから見れば、俺こそふざけてるのかと思うだろう。

となると、もしかすると、シモンはこれを夢か何かだと勘違いしてるのかもしれない。


「……夢じゃない、現実だ。俺は今からお前を殺す」


俺はなるべく声を低くして、さっき言ったことをまた繰り返した。すると微妙な空白をあけてから、シモンもようやく口を開く。


「……殺せよ」


「は?」

はっきりと聞こえたその短い言葉に、俺は思わず耳を疑った。


夏の空みたいに真っ青な目が、じっとこちらを凝視して、微かに笑った。いつもの、余裕のある少し淋しそうな笑み。


「それでお前の気が晴れるなら」


今まで聞いたこともない優しい声に、俺は少なからず狼狽えた。銃を持つ手が僅かに震える。

てっきり「何故だ?」とか「仲間を裏切るのか」などと責められるものだと思っていたのに。嫌いなヤツから責められれば、殺してなお清々すると思っていたのに。

何だ、「お前の気が晴れるなら」って。

俺は銃口をシモンの胸元により強く押し付けた。


「お前、何とも思わないのか?自分が何で仲間に殺されるのか、何も知らないまま殺されるんだぞ」

「何も知らないまま?」


シモンは何度か瞬きを繰り返すと、突然くつくつと笑いだした。こちらにまで小刻みな振動が伝わってくるので、腹の底から笑っているのが分かる。


「笑うな、何がおかしい」

「悪い悪い。でも俺は、俺が代表に選ばれた時からずっと、お前が俺のこと恨んでるって、知ってたから」

「え?」


まさか。

俺も本音と建前の区別くらいつける。

シモンに対する憎悪が、顔や態度に出ていた筈はない。


「……ああ、その目か」

いわゆる【黒眼】などと呼ばれるシモンのジュエルの力を使えば、自分への憎しみを確信することぐらい容易いかもしれない。

俺が右目の眼帯に目を移すと、シモンは瞼を閉じて首を振った。


「それもあるけど、たとえこの目が無かったとしても、俺はお前が自分を怨んでることくらいすぐに気づくぜ。だって、兄弟だし」

「……俺は、お前を本気で殺そうと思ってる」

詰め寄るようにして、ジュノアが言う。

「知ってるよ」

「じゃあ何故俺を責めない?」

「責める?」

「個人的な恨みで仲間を殺すなど、''選ばれた身''で許されない行為。第八教会の汚点にもなりかねない」


自分で言っておいて、心にグサリと何かが突き刺さるような気がした。そして、そんな自分を嘲笑するもう一人の自分がいた。いちいち傷つくくらいなら、やらなければいいものを、と。

シモンは怒りも笑いもせずに、口を開いた。


「……俺はお前に代表をやって欲しかった」

「は?」

いきなり何を言い出すのかと、俺は眉をひそめた。

シモンはゆっくりと、何かを辿るように話し出す。


「今までずっと年長者が代表になる習わしだったのに、何故よりによってお前の番になって急に俺に代表が回ってくるのか、俺は納得出来なかった。それじゃあ、最初からそうやって年齢に関係なく選べば良かったのに、今まで三度も最年長を選んでおいて、四度目で最年長なのに選ばれなかったジュノアの立場はどうなる?過去の三代に比べて、お前が劣ってるなんてことは絶対にないのに。俺は、これからどんな顔をしてお前と話せばいい?それに年下が代表だなんて、ジュノア自身が納得いかないだろうと思った。でも、お前はあの時、ただ笑って俺に『おめでとう』って言ったよな。……俺は、そんなお前を責める言葉なんて、何も思いつかないよ」



……全部、全部知っている。

シモンの目は、【黒眼】じゃない、この青い眼は、何もかも知っている目だった。

まさか、シモンがそんな風に思っていたなんて、考えもしなかった。

目の奥がじわりと熱くなってくる。

コイツは、本当に俺の気持ちを全部知っている。

誰も理解してくれる筈がないと思っていた、俺の苦しみを。不安を。憎しみを。

長い間、心の奥底にしまっておいた思いが、やっと解放され、受け入れられたような気がした。

そう、まさに、受け入れられた。

まさか、今から殺そうとする相手に。


動揺して言葉に詰まる。

シモンは窓の夜空の方へ顔を逸らした。その横顔は、泣き出しそうなくらい悲しげで、それでもなぜかこれ以上ないほど幸せそうで、今でも鮮明に思い出せるくらいに忘れられない。


「それにな、ジュノア」

シモンは窓の外を見ながら、静かに言葉を紡ぐ。

冬の夜みたいに、清らかで冷たい。

本当に、死ぬ前の言葉みたいだと思った。


「元々俺は、お前になら殺されたっていいって思ってる。それこそ何故か、お前には分からないだろう」


ジュノアは喉が絞られるような感覚を覚えた。

あの美しい目が、ゆらゆらと光って、光は粒になって夜の闇と混じりながら散っていく。


「俺が、中学は教会の附属じゃない普通の学校に行きたいって言った時、お前がその時の代表に話を通してくれた。おかげで俺は教会の考えに囚われない勉強が出来たし、友だちが出来た。感謝してる」


シモンが中学に入る時ということは、約三年前だが、あまりちゃんと覚えていない。確かに言われてみればそうだった気もするが、今の今まですっかり忘れていた。


「他にも数え切れないくらい……」

「もういい」

ジュノアはもうたくさんだと首を振って、引き金に指をかけた。これ以上何も聞きたくない。ここまで来たからには、もう後には引けないのだ。

殺せ、ともう一人の自分が命令してくる。

どんなにシモンが良いヤツでも、コイツがいる限り、俺は選ばれない。もうすぐでやっと、憎い相手がいなくなる。そうすれば、今度こそ俺が選ばれる。


胸が高鳴った瞬間、突然シモンの手が、銃を掴む俺の右手を強く握った。その手は温かくて、ビクリと肩が震える。

何をする気か警戒したが、強く握りしめるだけで、特に何もしてこない。

手から、生きている体温だけが伝わってくる。


「……ゴメン」


小さく、泣きながらそう呟いた。

俺じゃない、シモンが。


「何で、お前が謝る?」


そう尋ねながらも、手に力が入らず、引き金を引こうにも引けなくて、俺は困惑するばかりだった。それはまるで、何か得体の知れないものに、「やめておけ」と諭されているようにも思えた。

そんなことは露知らず、シモンはいつもとは違う覇気のない声で言葉を紡ぐ。


「俺はお前を責める権利すらないんだよ。お前がずっと苦しかったのを知ってて、俺は何も出来なかったんだから。でも、やっぱりお前は優しいから、俺を殺したって苦しいんだろうな。ゴメン、俺は結局、お前に何もしてやれないよ。お前は色んなものを俺にくれたのに」


頭のてっぺんから、雷に打たれたような衝撃が走った。

視界が薄っすらとぼやけて、よく見えなくなってくる。

悔しい。自分が情けなくて仕方ない。

目の前にいるコイツが、二歳も年下のコイツが、何で俺の上にいるのか、選ばれたのか、今更納得できた気がした。

そして直感的に理解する。

俺に、シモンは殺せない。

拳銃でコイツを何発撃っても、コイツの精神まで殺せる気がしなかった。


恐怖にも似た感覚を覚え、気がつくと、全身に鳥肌が立っていた。




「あなたたち、何をしているの」


突然背後から降ってきた老婆の声に、反射的にジュノアはシモンから飛び退く。

開かれた扉の前に、第八教会の司祭であり、孤児院の院長も兼ねているサラが立っていた。


「ジュノア、それは……」

ジュノアの手に握られている銃を見て、サラは顔を青くさせた。その場の張り詰めた空気で、すぐに察しはついたのだろう。


「今すぐに説明しなさい、ジュノア」

今までにサラの口からは聞いたことがないほど、冷たく厳しい口調だった。

シモンは「任せとけ」とジュノアにしか聞こえない小さな声で囁くと、ベッドから起き上がった。

「サラ、これは」

「シモンを殺そうとしました。言い訳はしません」

「ジュノア!」

濁りなくハッキリと言ったジュノアに、シモンは怒声に近い声を上げる。シモンを無視してサラの前に立つジュノアの額からは、怖れからか冷や汗が伝っていった。


「まさか、ジュノア、あなたが本当に、シモンを?」

きっと、杖がなければ倒れていただろう。

サラは青白い顔のまま、コツコツと杖をついて、ジュノアの方へ近づいていく。


「ええ。俺はこいつのことがずっと嫌いでしたから。でも、あなたの前で罪は犯せません」

自分でも驚くほど、冷たく無機質な声。

ジュノアは持っていた拳銃を床に置き、その場に膝を折った。


「……嫌な予感がして、この時刻に目が覚めたのです。神は常にあなたを見ていらっしゃいます。どんな場であれ、人として、絶対に罪は犯してはなりません」


いつもの説教のような文句。だが、その声音は、いつも聞いているものとは全く違った。

緊張でどんどんと鼓動が激しくなる。


「私はあなたを、心から信頼していました。あなたが裏切ったのはシモンだけじゃない、あなたを信じて慕っていた兄弟たちみんなを裏切ったのよ」


サラの容赦ない鋭い剣幕に、ジュノアは更に身を縮ませた。


「……申し訳が立ちません」

「本当に、なんてことを……。あなたがしたことは、立派な神への反逆ですよ。処分については上層部と検討しなくてはいけませんが、場合によっては、死刑も覚悟しておきなさい」


顔を伏せているので、サラの顔を見ることはできない。ジュノアは死ぬかもしれないという恐怖と、サラから感じ取れる失望に、血が出るほど唇を噛み締めた。

サラは、恐らく色んな感情を堪えて、司祭として、こうも冷淡に言い放ったのだ。

シモンはベッドから滑り降りて懇願した。


「サラ、全て見なかったことにしてくれないか」

「何を言っているのですか、シモン。ジュノアは、許されない罪を犯しました。罰を受ける必要があります」


シモンは頭を下げる。

サラとジュノアはびっくりして目を見張った。


「お願いします。許されない罪など、神の前には無いはずです」

「……神の前には無くとも、我々の前にはあります。分かりなさい、シモン。ジュノアだけを裁かないというわけには、いかないのです」


サラが頑なにそう言うと、シモンは床に置かれた拳銃を素早く手に取り、自身の胸に向けた。


「シモン!」

ジュノアは悲鳴に近い声を上げる。

サラも同様に、信じられないと言う表情で叫んだ。

「シモン、何をしているのですか!」

「サラ様、なぜジュノアにだけ罪を背負わせるのですか。こいつに罰を受けさせるくらいなら、俺は死んだ方がマシです」

「やめろ、もういいから」

ジュノアはシモンの腕を掴むが、呆気なく振り払われる。

「もういい?何がいいんだよ!もし、お前がこんなことで死んだりでもしたら、俺は自分が恥ずかしくて生きていけない!!」


真っ直ぐな目。その青い瞳は真剣そのもので、今にも銃の引き金を引きそうな勢いだった。

ジュノアは何も言えなくなる。


「自殺は他殺に勝る重罪ですよ。自ら命を絶つなど、あなたに命を与えた神に対する冒涜。即刻やめなさい」

サラは静かに、だが力強い声で言った。

深夜の静寂の中、滲むように嗄れた声が響いていく。


「じゃあ、約束してください。このことは、以後ずっと誰にも言わないと」


サラは暫くの間、何も言わずにシモンと見つめ合った。まるでその瞳の中に、答えが書いてあるとでも言うように。

でも、最初から答えは決まっているのを、ジュノアは知っていた。

サラが誰かの自殺を止めないわけがない、そしてサラは一度約束したことは決して破らない。彼女はシモンに従うしかないだろう。それを分かっていて、こんなことをするシモンを卑怯だとも思ったが、それを黙って見ている自分も人のことは言えない。

やがて白い服に身を包んだ老婆は、決意した顔をすると、


「……分かりました、約束しましょう」


落ち着いた声でそう言った。

シモンはまだ銃を手放さず、なおもこう続けた。


「神に誓ってください」


「おいシモン!」

ジュノアは顔を歪めた。

それは司祭と、神への誓いを冒涜する行為にも近い。

やり過ぎだ。

シモンから銃を無理やり取り上げようと、ジュノアが動くよりも先に、サラは堂々と「分かりました」と言ってのけた。

唖然とするジュノアを前に、サラはポケットから十字架を取り出すと、胸元に当ててそっと目を閉じた。


「全知全能の我が主、神に誓って、シモン、あなたとの約束は守ります」


誓いに鼓動するように、僅かに空気が揺れる。

この世に存在する中で、一番絶対的で、確信的な約束だと思わざるを得なかった。

まるで、本当に、神がこの場を見守っているような気さえして、ジュノアは言葉を失った。

不思議なことだが、後から思えば、この時が人生において一番神という存在を身近に感じた瞬間だった。


ふと、窓ガラスの向こうで、白い粒が舞い降りてくるのが見えた。

雪。

ああ。

こんなに醜悪で、汚くて、でも美しい夜が他にあるのだろうか。

俺はきっと、この光景が死ぬまで、いや死んでも目に焼き付いたまま離れないのだと予感する。それは残酷なことのように思えたし、これ以上ない喜びのようにも思えた。


堰を切ったように、目からポロポロと涙が零れる。

サラはジュノアを見て、まったくと言うように微笑んだ。その笑顔は、母親の仁愛に満ちていた。

泣き崩れる俺をそっと抱きしめると、泣き止むまで優しく背中を撫でてくれた。

シモンは無言で、サラの隣に座っていた。



その後、結局俺は罰として四十日間の断食をすることになった。サラ様曰く「誰にも言わないとは言ったが、罰を与えないとは言っていない」らしい。人を殺そうとしたのだから、これくらいの罰は当然だ。


サラ様は現在に至るまでずっとシモンとの約束を守り、変わらず俺に親のように接してくれる。シモンとは時々喧嘩しながらも、なんやかんや昨日までやってきた。

思えば、代表にはなれなかったけど、もっと良いものを俺はシモンやサラ様から貰ったと思う。


あの日雪が見えたこの窓から、今は花の香りを乗せた春風が吹いてくる。それは当然のことだけど、奇跡のように感じた。



こんこんとドアのノックが聞こえる。

我に返って扉の方を見ると、明るい茶髪をツインテールにした少女が、ひょこっと顔を覗かせていた。


「ゼラ兄、ちょっといい?」

「いいよ」


部屋の中に入ってきた少女は、なぜか驚いた顔をしていた。

「わっ、なんで泣いてるの?」

「泣いてる?俺が?」

頰を手で触ってみると、確かに濡れている。

泣いてるのにも気づかないなんて、どれだけ感傷に浸ってたんだと内心苦笑いした。


「大丈夫?」と心配そうに顔を覗き込んでくる少女に、ジュノアは大丈夫大丈夫と笑ってみせる。

「それより、何の用だった?」

「えーと、アカウロさんと、何を話してたのか、気になって……」

少女はそう言って少し顔を赤らめた。

分かりやすいヤツめ。

ジュノアは笑みを浮かべたまま、開け放たれた扉の方に目をやる。何人かの子供たちが、サッと壁の方へ隠れるのが見えた。


「……そうだな。後でお前たちにも大事な話があるから、その時に話すよ。ところでレハムは今どこにいるか知ってる?」

「ハム兄は、ついさっき外に出て行ったよ!どこに行くのかは知らないけど」

「そうか。じゃあ俺もちょっと外に出てくるから、留守番しといてくれ」

「わかった」


ジュノアがベージュの上着を羽織り、足早に部屋から出ると、廊下にいた子供たちが一斉にキャッキャと走って散っていく。


「廊下は走るなよー」

「ねぇ、ハム兄を追いかけるの?」

少女がツインテールの髪を揺らしながら、ジュノアの隣へぴったりとくっついてくる。

ジュノアは肩をすくめた。

「そう。ちょっと、昼飯でも奢ってやろうと思ってさ」

「ふーん。そういえばね、朝、ハム兄おかしなこと言ってたよ」

「おかしなこと?」

ジュノアが怪訝な顔をすると、少女は内緒話をするように、ジュノアの耳元でコショコショと囁いた。


「うん。なんか、昨日の記憶がほとんどないんだって。自分がどこで何やってたのか、よく思い出せないんだって言ってた」


どこか引っかかるのを覚えながら、ジュノアは少女の黒目がちな瞳を見つめる。

まさか、シモンが関係してるのか?

しかし無邪気に笑う少女を見て、考え過ぎかと思い直した。


「へえ……。珍しいことがあるもんだな」

「ね!ゼラ兄も泣いてたしー」

「それは秘密だ!」

「分かってるよー」

それだけ言うと、少女もたったと走って他の子供たちに混ざりにいく。


まあ、とにもかくにも、レハムに代表の件だけは早めに伝えなくてはならない。レハムが断ることはまず無いだろうが、心の準備は必要だろう。


俺がレハムをアカウロに推薦したのは、それがシモンの願いでもあるからだ。

シモンは昨日出ていく前にちゃんと、俺の机に簡潔な手紙を残していた。

内容は、教会と兄弟たちを頼むこと、自分の部屋や荷物は適当に処分するなり片付けるなりしてくれて構わないこと、そして何より、次の代表はレハムにして欲しいこと。

理由は書かれていなかった。

ただ、レハムを次の代表にして欲しいとだけ。

でも、俺自身なんとなく理由は分かるし、レハムには代表の素質も十分あるとも思う。

だからアカウロさんからの指名を断ってまで、レハムを推薦した。あの時は正直かなりヒヤヒヤしたが。

思い出して思わず、重いため息を吐いた。

まったく、最後の最後まで、振り回しやがって。


不意に、ジュノアは、今シモンはどこで何をしているのだろうと思った。

死んでいないことは確信している。だいたい、あいつが反逆罪で処刑なんて、あいつのことを昔から知ってる奴なら誰も信じないだろう。

もし、あのヘブンセントバリアの抜け道が、本当に第一教会にあって、そこから外の世界へ出たのなら。

シモンは一体何を見て、何を聴いて、何を思っているのだろうか。


ジュノアはレハムの姿を探しながら、昨日の百周年の飾りが未だに飾られている、見慣れた街を進んでいく。

シモンがいなくなっても、何も変わらない街を。

きっと自分がいなくなっても、何も変わってくれない、強くも儚いこの街を。



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