第十三話「裏側」
「それで、この三日間どこで何をしてたんだ?俺はなるべく屋敷にいるように言っといたはずなんだが」
ウォルカはドサッと肘掛け椅子に座ると、足を組んで前にいる仮面の男を偉そうに見上げた。
「……」
仮面の男は立ったまま、ウォルカに沈黙を返す。
ウォルカは一人で矢継ぎ早に続けた。
「まあ大体は分かっている。父親のところへ行っていたんだろう?父親には何と言われた?当然、あの頑固親父は予言が実現して更に何とまさかこの俺が人間を匿うことになったのも知っているんだろう?いや、もしかしたらお前の口から伝えたのかもしれんな。まあとにかく、俺に文句があるなら聞くだけ聞いてやる。ここには今他に誰もいない。部屋の外にも結界を張った。声を出しても何の問題もない」
そう言い終わると、ウォルカは机の上に置いておいた赤ワインをグラスに注ぎ、ゆらゆらと揺らしてから少し口をつけた。
先ほどまでの騒ぎは嘘のように、二人のいる書斎は静まり返っている。
マテオは逡巡するように辺りの本棚を眺め、やがてそろりとローブの中から白い手を出した。そしてその手で仮面を少し持ち上げ、形の良い唇を覗かせる。
「まず、」
質の良い楽器のような、透き通った声が仮面の下から零れる。ウォルカはグラスを置いて、珍しく静かに次の言葉を待った。
「いくら公爵と言えど、父のことを頑固親父などと言うのはやめていただきたい」
「……は?」
マテオの口から出てきた予想外の台詞に、ウォルカは一瞬目を丸くする。
しかし本人は大真面目な顔で続けた。
「父は確かに厳粛ですが、同様に柔軟な思考も持ち合わせています。それこそ、あなた方ジャパムスを唯一受け入れているのが何よりの証拠ではないですか。貴殿には過去に幾つか恩があるが、今回の発言ばかりは撤回していただきたい」
強い口調でそう言い迫られたウォルカは、驚いた表情から一転して盛大に笑い声をあげた。
「アッハッハッハ!!なるほど如何にも、その通りだな!さっきの軽はずみな発言は撤回する。いや、それにしても、ハッハッハッハッハ」
慎むこともせず、心底可笑しそうに笑うウォルカを、マテオは苛立ちの混じった声で咎める。
「何を笑っておられるのですか。私は、真剣に話をしているのですが」
「いや何、お前と話したのは久しぶりだが、そのクソが付くほどの真面目さは変わらねえなと思って」
そう言うと、ウォルカは尚もくつくつと笑っている。
そこで初めて、仮面の下の口も穏やかな微笑を湛えた。
「卿こそ、少しも変わっていません。せめてもう少し言葉遣いを直されたら良いものを」
「言葉遣いを直したりでもしたら、もはやそれは俺じゃねえだろ。……で、話を元に戻すが、父親に会って来たんだろ?」
「はい、久しぶりに拝謁して参りました。三日前、レイフィア殿から、人間と接触する可能性があるので一応断りを入れてきた方が良いと言われまして」
「ほー、ならレイフィアは最低でも三日前から俺にガキどもを任せる算段をつけてたんだな?俺には連れてくるまでが仕事だと言っておいて?やっぱりアイツは一発殴っとかなきゃならねえな」
ウォルカはそう呟きながら、拳を握り締める。
「やるなら北の荒野でやって下さいね。しかし卿は、何やら父が不服なのではないかと危惧されていたようですが、その心配はありません」
マテオの言葉に、ウォルカは目を瞬かせた。
「ほぅ。さすが、柔軟な思考の持ち主だ」
「父は、私が人間と共に暮らすことに異存はないと仰っていました。それもまた運命であり、成るように成れと」
「じゃあお前はどうなんだ?マタイシュ」
マテオはキョトンとした後、「……私ですか?」と聞き返した。
「そう、お前は人間と暮らすことについて、不満は無いのか?」
「無論、父が無いのならありません。それに元より、どんな種族に対しても平等に接するべきだと教えられています」
「人間に対しても?つまり、''使命''に反しても?」
「……世間に認知されている''使命''の不確定さは、既にあなた方ジャパムスが明らかにしている。そしてあなた方は''使命''を新たに再定義し、父もそれに賛同した。私が人間と友好的な関係を結ぶのに十分な理由です」
「ふむ……」
どこか煮え切らない様子で、ウォルカはワインを呷る。
「私の意見を聞いて卿がどうされたいのかは分からないが、少なくとも父は私がこの屋敷にいることに反対されなかったので、私はこれからもここでお世話になります」
「チッ、一人減るかと期待していたんだがな。まあお前はあと二年だから良い。問題は残りの奴らだ。これからいつまでここに居座りやがるのか……」
先が思いやられると、ウォルカは背もたれに寄りかかる。
マテオはふと仮面ごと顔を上げた。
「そういえば、吸血鬼の方は、随分お怒りなようですよ。もしかしたら、ご希望の通り一人減るのでは?」
ウォルカは少し黙った後、ニヤッと口だけで笑った。
「……ああ、まあ、そりゃそうだろうな。可愛い娘を捕らえた挙句、厄介な場所に置いて、黙って見てりゃあオマケに人間も付けるときた。もう向こうも黙ってないだろう」
「といっても、本当に怒ってるのは''クラブ''の下っ端ぐらいなんですがね。特に彼女の元配下はすぐにでも飛んでくる勢いなんだとか」
「それでレイフィアの奴も手一杯というわけか」
「そういうことです」
「とはいえ、いくら第二支部とてずっと抑え続けられるものでもあるまい。奴らが足止めしてる間に、俺もどうするか考えとかねえといけねえな」
腕組みをするウォルカに、マテオは首をかしげてみせる。
「どうでしょうか。この先のこともレイフィア殿なら想定済みだと思われるので、卿がわざわざ無い知恵を絞らなくても大丈夫では?」
マテオの堂々と嫌味を含ませた言い方に、ウォルカは笑みを浮かべながら眼光を光らせた。
「お、目の前でこの俺を馬鹿にするとは、度胸だけは成長したな。俺相手じゃ父上の加護も受けられないんだぜ?」
「あなた以外を相手にしたとしても、この仮面を付けている限り私はただの一介のエルフ。父の加護など受けません」
「本当に、最近は口だけ達者なガキばかりだ。リクエストにお答えしてお前を一回しめてやりたい所だがな、生憎レイフィアの野郎はお前が思ってる以上にテキトウな女だ。いつここに敵が来るか分からねえ状況でお前と一戦交えるわけにはいかねえんだよ」
「はい、そう思っての冗談です。卿の頭が悪いなど、決して心にも思っていません」
そう言いながらも口が笑っているマテオに、一発だけでも蹴りを入れようか迷った時、部屋を包み込む結界に近づく気配を感じた。
「……ジールが来るな。お前はそろそろ口を閉じた方がいいだろう。自分の身のためにも、な?」
ウォルカが右手で硬い拳を作ってみせると、マテオはスッと仮面を下ろして口元を隠し、手もローブの中にしまった。
「ウォルカ様、ちょっと良いですか?」
扉の向こうからくぐもったジールの声が聞こえる。
ウォルカは結界を解き、マテオを一瞥してから「いいぞ、入れ」と答えた。
ジールはそっと扉を開いて顔を出し、そこにいるマテオとウォルカをしげしげと見比べた。
「もしかして、お邪魔でしたか?」
「いいや、グッドタイミングだった。なァ、マテオ?」
マテオは何も返さないが、ウォルカは相変わらず一人でニマニマと笑っている。
「ところでゾイクはどうした?死んだか?」
「いえ、それが、怪我の手当ては一通りしたのですが……」
ジールがそう言いかけたところで、その後ろからドタドタと乱暴な足音が近づいてきた。
「クッソ!!ウォルガ!!」
大声で悪態を吐くその声に、ウォルカはげんなりとする。
「……次から次へと騒々しいな」
「すみません、まだ目を覚ましたばかりなんですけど、説明する暇もなくて」
ジールはそれだけ言うと、何者かに急かされてしぶしぶ扉の前からよける。
バタンと荒々しく開かれた扉には、お腹が包帯でぐるぐる巻きになった褐色の肌の少年がいた。耳を逆立てて、相当お怒りの様子である。
「テメェ!寝てる間に蹴り入れるたぁ卑怯じゃねェのか!?ああ!?やるなら俺が起きてる時に正面から来いよ!!俺を相手にするのが怖いのは分かるけどなァ!!」
ウォルカの目の前まで行って喚き散らす青年に、ウォルカも青年の頭をガシッと掴んで叫び返す。
「ルッセェ!!ゾイク、お前どうせ何も覚えてねえんだろ!人間見てお前が暴走して屋敷をめちゃくちゃに壊すから、俺がやむなく蹴り入れてやったんだ!感謝されても恨まれる筋合いはねェぞ!!」
「あ''!?人間を見て俺が暴走!?するか!んなもん!!」
びっくりしながらも反論するゾイクに、ウォルカはやれやれとため息をついた。
「ほら見ろ、忘れてんじゃねえか。だからって、全部無かったことにできると思ったら大間違いだからな?」
ウォルカが頭から手を離すと同時に、目に見えない力によってゾイクは扉の向こうまで吹き飛ばされる。
頑丈な廊下の壁が鈍い音を立てて凹んだ。
「いでぇ……」
ゾイクは頭をさすりながら呻き声を上げる。
ジールがすぐさまゾイクの元へ駆け寄った。そして主人であるウォルカに非難の目を向ける。
「ウォルカ様、兄さんは怪我人ですよ!あまり手荒なことはしないで下さい!」
しかしウォルカは、ゾイクをぶっ飛ばしたことで多少スッキリしたのか、涼しい顔でワインの香りを楽しんでいる。
「反省が足りてねえんだよ。俺の蹴り食らってもこんなに元気だとは、体ばっかりタフになりやがって。屋敷の修理復元は、全部お前にやってもらうからな」
「ああ!?」
「ジールの手を借りるのもナシだ」
「んなもん、お前の魔術で何とかしろよ!!」
バッと顔を上げて不満を全面に出すゾイクに、ウォルカは分かりやすく額に青筋を立てた。
「ハァ??何でお前が壊したもんを、いちいち俺が直さないといけねェんだ!?テメェのケツぐらいテメェで拭け!」
正論といえば正論であるウォルカの言い分に、ゾイクは少し押し黙った後、ヤケクソに「ケチ!!」と怒鳴り返した。あまりの苛立ちに、ウォルカの肩は微かに震えている。
「んな幼稚な文句しか言えねェのか!?それとも、もう一発殴られてェのか!?」
「やめてください二人とも!!」
ここで戦闘でも始まったら大変である。
ジールが割って入って、何とか二人は接触せずに終わった。これ以上の長居は無用と、ジールは兄をご飯に誘い、書斎から無理矢理食堂へ連れ出す。
最後の最後まで、これでもかとばかりに暴言を吐きちらすゾイクの声も、どんどん遠ざかっていく。
それが完全に聞こえなくなるのを待ってから、ウォルカは不機嫌そうにグラスに残ったワインを飲みこんだ。最初の一杯と同じ酒か疑うくらいに不味い。
「少し、ゾイクに厳しいのでは?」
そう書かれた紙切れが、ウォルカの前に投げられる。
見ると、少し離れた位置からお馴染みの仮面がじっとこちらを見つめていた。
「……余計な世話だ」
ボソリと呟いた後、ウォルカは机に肘をついて目を逸らした。
「アイツはちょっと昔の俺に似てる。そう簡単に死にゃあしねえだろうが、甘ったれてるとすぐに色んなものを失う。だからこれくらい毒を飲ませるのがちょうどいいんだ」
マテオは仮面越しにふっと笑うと、一礼をして書斎から出て行く。
13時までにはまだ時間がある。
ウォルカは少し眠ろうと、灰色の瞼を閉じ、広い革の背もたれに体を預けた。