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Break;on hiatus  作者:
マーティン公爵邸編
12/37

第十一話「我が家へようこそ(2)」



辺りに轟く爆発音と共に、砂埃の混じった熱い風が背中に押し寄せてくる。

ナツは必死に前へ逃げながら後ろを振り返った。

屋敷の壁に、人一人が通れるくらいの大きな穴が空いている。窓ガラスも一つ残らず粉々になって無残に散らばっていた。

とても穏やかではない。

ナツは自分の後方を走るシモンに向かって叫んだ。


「どうしてこうなったの!?」


シモンは懐から素早く銃を取り出しながら「知るか!!」と叫び返すと、後ろから迫り来る影に向かって慎重に構えた。

しかし相手の動きが俊敏で、なかなか照準が定まらない。

迷いのない、本気の殺意。

ナツの額に、一筋の冷や汗が流れた。






ーー数時間前ーー





何時間寝ていたのだろうか。

すごく昔の夢を見ていた気がする。

でもよく思い出せないまま、起きろという聞き慣れた声で、ナツは目が覚めた。


目覚めの良い朝とは言えないが、まだ疲労感の残る体を無理やり起こして、頭の中で状況を整理する。

ここは膜の外、ウォルカの屋敷、二階の端の部屋だ。そういえば昨日、確かソファで眠りについたはずだが、いつの間にか僕はふかふかのベッドの中にいた。

時計を見ると、二つの針は八時半を指している。九時まであと三十分か。

シモンを見ると、優雅にソファに座って本を読んでいる。


「おはよう」と声をかけると、「ああ」という短い返事だけが返ってきた。


「君がベッドに寝かしてくれたの?」

「ああ」

「君って結構そういう所があるよね」

「ああ……何が?」

ナツはふふっと笑う。

「意外と面倒見がいい」

「まあ、年下の世話には多少慣れている」

「一歳しか変わらないけど」


シモンは手に持っていた分厚い本をパタンと閉じた。


「それより、お前昨日そのまま寝ちゃったんだから、今のうちにシャワー浴びて服着替えろ」

「はいはい。でも着替えは持ってないんだ」

「服なら、そこのタンスに山ほど入ってる。まだマシなのを選んで脱衣所に置いておいた」

「マシなのって……借りても良いの?」

「貸すために置いてあるんだろ」

「なるほどね」

都合のいい解釈に呆れながら、ナツはベッドから降りて風呂場へ向かう。床の古い絨毯は、裸足には少しばかりくすぐったい。


ナツはいつものように脱衣所で服を脱ぎ、風呂に入ってシャワーを浴びた。昨日風呂に入っていないだけなのに、何だか水を浴びるということがとても久しぶりに感じた。

次に備え付けのシャンプーや石鹸で髪と体を洗う。何の香りかは分からないが、爽やかな良い香りが風呂場の中に充満した。

それぞれがやはり人間が使うものとまったく同じ仕様だったので、15分程でスムーズに入浴は済んだ。

さっさと風呂場から出て、真っ白なバスタオルで体を拭く。柔らかくて使い心地がいい。

見ると、脱衣所の棚に用意されていたのは、シモンが着ているのと同じ綿でできた旧式の衣服だった。腕を通してみると、サイズは少し大きいが問題はないだろう。


「うーん、肌触りに少し違和感があるけど、着てればすぐ慣れるか」

そう呟きながら、ナツは無意識に髪を乾かすドライヤーを探すが、見当たらない。よく見ると洗濯機などもなかった。

ここではどうやって髪を乾かしたり服を洗ったりしているのだろうか。もしくは、そもそもそういう習慣自体が無いのか。

ナツはそんなことを考えながら、新しいタオルを首に巻いて脱衣所を後にする。


「シモン、ここってドライヤーや洗濯機は無いんだね」

「ドライヤーと洗濯機?」

「そう。洗濯機に関していえば、最新式のウォッシングクローゼットがあればもっと便利なんだけどさ」

「ウォッシングクローゼット様は知らないが、ドライヤーなら、昨日風呂に入った時面白い物を見つけた」


シモンは立ち上がって、さっき出てきた脱衣所に向かう。

ナツも後ろをついていく。

「面白い物?」

「これだ」

シモンは、鏡のそばに置かれた銀色の輪っかを手に取った。

「何これ?」

「頭の上に置いてみろ」

「え、うん」

よく分からないけど、言われた通りまだ水に濡れている頭に輪っかを乗せた。

「どうなるの?」

「まあ見ておけ」

すると、間もなく頭上から適度な熱風が吹いてきた。

鏡を見ると、銀の輪っかが頭の上で浮いてクルクルと回っている。どうやら輪の中から風が出てきているようだ。

5分ほどで水気は飛ばされて、髪はあっという間に乾いていく。

「すごい、どうなってるんだろう」

「さあ。恐らく魔法道具か何かの一種だろう。人間の模倣ばかりじゃないってことさ」

「なるほど……」


魔法道具か。小説などで魔法使いの使う道具として聞いたことはあるけど、どうやって現実に作り出しているのか、とても興味はある。

髪が乾き終わると、輪っかは回るのをやめて静かに頭の上に落ちてきた。

ナツはそれを手に取ってまじまじと見つめる。

どこからどう見てもただの輪っかで、中から風が出るような仕組みや装置は見当たらない。頭の上で一定の間隔を保ちながら、自力で浮遊するのも謎だ。


一人で考え込むナツに、シモンは呆れた顔で肩をすくめる。

「もう九時だ。一階に下りるぞ」

「あ、うん」

僕は急いで風の輪っかを元の場所に置き、脱衣所から出た。


シモンは部屋の扉に手をかけて、ナツの方を振り向く。


「この世界は、理屈で説明出来ないことばかりだ。その事実自体を、お前は受け入れる必要がある」


そしてナツの返事を待たずに、「鍵閉めとけよ」と言って、一人で部屋を出て行ってしまった。


後に残されたナツは、既に綺麗に荷物の整理された部屋をぐるりと見回した。起きた時は気がつかなかったが、昨日のうちにだいぶシモンが片付けてくれたらしい。

ナツはテーブルの上の鍵を取って、部屋の外に出る。廊下の窓の外は、朝の九時とは思えないほど暗く、空は所々黄色や茶色の混じった黒だった。昨夜見たオーロラのようなものは消え、代わりに今は廊下のランプに明かりが付いている。

ナツは扉の鍵を閉めて、少し肌寒い廊下を歩いて行く。

昨夜の記憶を頼りに赤い絨毯の敷かれた階段を下り、広間に出るとシモンがいた。


「置いていかないでよ」

「お前が遅いからだろ」

シモンは黒い腕時計を指差す。

09:03。

ナツは、シモンが生粋のパンクチュアルだということをすっかり忘れていた。

シモンは腕時計を眺めながら、ぼそりと呟く。


「ここでも時間の読み方は同じようだが、膜の外と内で、約十二時間の時差がある」

「そういえば、膜の中とここの時間の流れは違うみたいだね。僕らは真夜中から何時間もかけてここに辿り着いたのに、ここはまだ夜だったし」

「十二時間の差だと、今、向こうでは夜だということだ」

「そう考えると、何か不思議だね。でもここの空はいつも夜だから、朝でも夜でも多分そう変わらないんじゃないかな」

「膜の内側からは、百年前に失ったはずの太陽も月も見えた。つまり、それもヘブンセントバリアによる幻というわけか」

「……」

ナツは、昨日まで見ていたヘブンシティの綺麗な空を思い出し、黙り込んだ。


高い天井からシャンデリアの吊るされた煌びやかな背景が、深いブルーの瞳を持つ白人系のシモンにはよく似合っている。

二人が突っ立ってお互いの顔を見合わせていると、玄関の扉からウォルカがやって来た。いかにも上質そうな黒い貴族風の服を着ていて、その黒さから白い肌がさらに際立って見える。


「起きたか。付いて来い」

二人を視界に捉えるや否やそう声をかけると、早足で広間を突っ切っていく。

ナツは急いで隣に並んだ。

「どこに行っていたんですか?」


「第二支部、昨日会ったレイフィアの所だ。三時間前にいきなり呼び出されてな。あいつは急用で出かけるから、当分お前らに会えないらしい。つまりお前らの世話を完全に俺に丸投げというわけだ。実に不愉快極まりねえ」

ウォルカは一階の短い廊下を歩きながら、心底不機嫌そうにまくしたてる。


「何かあったのか?」

シモンは後ろからウォルカを見上げた。


「何かあった。でも予想してたのより少し早かっただけで、それ自体は俺たちの想定の範囲内のことだ」

「何があったんですか?」

ナツが不安げに尋ねると、ウォルカは軽く笑ってみせた。


「そのうち分かる、大したことはない。それより、腹が減ってるだろう?」

「昨日から何も食べてないんだ。そりゃもうペコペコだね」

シモンがお腹をさする。

「なら、難しい話は朝食をとってからだな」


三人が廊下の突き当たりの角を曲がると、そこには一際大きな扉があり、隙間から漏れ出す良い匂いが二人の鼻をくすぐった。

ウォルカが両手で扉を開くと、中は豪華絢爛な広い食堂になっていた。宝石のようなシャンデリアと蝋燭に照らされて、食堂の中は眩しいほどに明るい。

そして所狭しと並べられた美味しそうな食事に、二人は思わず目が奪われる。


「入れ」


ウォルカの後に続いて、部屋に一歩足を踏み入れた、その時、奥から驚いた声がした。


「に、人間!?」


見ると、数多くある席の一つに群青色の着物のようなミニドレスを着た少女が座っている。サラサラとした黒髪に、その見開かれた目は炎のように真っ赤だった。


「シモンとナツだ」

ウォルカが二人を顎でしゃくる。

十二歳くらいの少女は、顔を強張らせたまま、勢いよく席を立った。


「どういうこと?」

「上からのお達しだ。この二人は暫くここで暮らすぞ」


ウォルカのあっさりとした口調に、少女は少しの間呆気にとられていたが、みるみるうちに可愛らしい顔が怒りで引きつっていく。


「……信じられない。私に、人間と同じ場所で生活しろっていうの?」

「何度も言わせるな。上からの命令だ」

「そっちの組織のことなんか知らない。私はそんなの、絶対に認めない!」

「ここは俺の家だ。お前が認める必要はない」


冷たくそう言い放つウォルカに、少女はワナワナと肩を震わせる。


「やろうと思えば、今すぐにでも殺せるのよ」

「駄々をこねるのはやめろ、目障りだ」

「何ですって!?」

「聞こえなかったか?目障りだと言ってる」

少女は顔を真っ赤にさせて、鬱陶しそうに手を振るウォルカを鋭く睨みつけた。

「見てなさい!こんなこと、絶対に許されないんだから!」


少女はそう吐き捨てると、二人を一瞥してつかつかと部屋から出て行く。

そこに、料理をお盆に乗せた一人の少年が鉢合わせてぶつかりそうになった。


「つ、ツクヨミ様?」

少年はびっくりした表情で少女を見つめる。

「ジール、料理は部屋に持って来なさい!」

「ええ?」

それだけ言い残すと、少女は大股で廊下に出て行ってしまった。


ジールと呼ばれた少年は、シモンとナツに目を止めると瞬きを繰り返す。

ウォルカが気だるそうにため息を吐いた。


「シモンとナツだ。さっきツクヨミにも言ったが、これからはこいつらもここで暮らす」

「そう、なんですか……」

少年はおどおどと二人を見上げる。


ナツは少女の出て行った扉に目をやった。

「何だか、あの子には悪いことをしてしまったな。後で謝っといた方が……」

「放っておけ。元々面倒な奴なんだ、いちいち気にしてると体がもたねえよ」

ウォルカは何食わぬ顔で一番奥の席に座る。


「お前はここの召使いなのか?」


もう既に食卓について食事を始めているシモンは、新たな料理を並べる少年にそう話しかけた。確かによく見ると、少年は執事のような格好をしている。


「は、はい。ウォルカ様に雇ってもらって、使用人をしています。ジール・マルキスという者です。よろしくお願いします」


黒髪で瞳はコバルトブルー、褐色の肌をした少年は、礼儀正しく二人にお辞儀をする。その頭からは子犬のような可愛らしい耳がちょこんと出ていた。

髪に紛れてよく見えないが、恐らく作り物ではない。


「この家の家事の一切はコイツが一人でやっている」とウォルカ。

「へえ。僕らと同い年くらいなのに、すごいなぁ」

ナツが感心してそう言うと、ジールは困ったように顔を背けた。

「そ、そんなことないです。僕なんて失敗ばっかりで、まだまだです……」

「それに、ジールはお前らの二倍ぐらい年上だぞ」

「えっ!?」

ウォルカの言葉に驚いて、ジールを振り返ると、ジールは恥ずかしそうに顔を赤らめた。

でも、容姿からしてどこからどう見ても同い年か年下である。


「''獣族''の寿命が短いとはいえ、人間よりは長いからな。お前たちはここで出会う生物の殆どを年上だと思っといた方がいい」

「じゃあ、さっきの女の子も?」

ウォルカはワインを一口飲んだ。

「ツクヨミ・ベリーバラ。口の減らないガキだが、あれでも正真正銘の吸血鬼だ。正確な歳は知らんが、五十は超えてるだろうな」

「ええ……」

ナツは衝撃で言葉を失う。

それに五十歳をガキ扱いするウォルカの年齢もしれない。

シモンはナプキンで口元を拭きながら、ツクヨミという少女が座っていた席をチラリと見た。


「髪色が薄くなかったが?」

「髪色?」

「吸血鬼の髪の色は、メラニン色素の量が少ないから大体は薄いはずだ。でも、さっきのヤツの髪は真っ黒だった」


シモンのこういう知識が、協会によるものなのか何によるものなのかナツには分からないが、数多くある外の世界についての伝説や記述を記憶し分析している所は、流石と言わざるを得ない。


ウォルカは右の頬をぽりぽりと掻く。

「あー、あれは王家の血筋だからだ。吸血鬼の王族はみんな黒髪なんだよ」

「じゃあ、あの子は……」

「一応王女だ。何番目かは忘れたけどな」


一瞬、室内に沈黙が流れた。


「……吸血鬼は君主制か」と思案するシモン。

ナツは慌ててウォルカに問いかける。

「どうして、王女様がこんなところに?」

「まあ、アイツの話はまた今度で良いだろう。今するべきなのはもっと重要な話だ」


何か話をはぐらかされたような気がしたが、余計な追及はしない方が良いだろう。

お前も食え、と勧められて、ナツは手元にあった夕焼け色のスープに銀のスプーンをつける。

初めはコーンスープの味かと思ったが、後味はフルーティーで微かに蜂蜜のような味もする。

長テーブルの上には、見るからに美味しそうな料理がズラリと並んでいるが、どれも見たことないものばかりである。


「さて、お前らには話さなくちゃならないことが山ほどある。食べながらで良いから、耳かっぽじってよく聞け」

「ウォルカさんは食べなくていいんですか?」

ナツが尋ねると、ウォルカはふんと鼻を鳴らした。

「吸血鬼は人間ほどの食事を必要としない。エルフもそうだ。よく覚えとけ」

「正確には?」とシモン。

「三日に一食ぐらい摂取するのが平均的だな。でも一ヶ月何も食わなくたって、別に死にはしない。吸血鬼にとって何より大事なのは……」

「大事なのは?」

ウォルカはシモンを見てニヤリと笑った。

「血だ。特に人間の血なんて、もうここらじゃ、そうそう吸えるものじゃないよなあ」

ナツは思わずビクッとするが、何故か同時に、テーブルの脇に立っているジールもビクついていた。


「血は一日にどれくらい吸わないと死ぬ?」

シモンが真面目な顔のまま尋ねると、ウォルカも顔から笑みを消して真顔に戻った。


「血も嗜好品だ。無くても死ぬものじゃない。この世界で、俺たちにとって生きるのに''絶対''必要なものは殆ど無い。お前ら人間とは違って、な」


生きるのに''絶対''必要なものは殆ど無い。

その言葉は、ナツにはとても印象深く聞こえた。


「では血を吸うのに何の意味がある?」

「意味など知らんが、とにかく血は美味い。特に人間の血は美味い。これは冗談じゃないぞ?現に百年前、お前らを守った膜の外では、まさに弱肉強食、我々は人間を食い物のように扱っていたからな」

「ふーん……」

自分から尋ねたくせに、シモンは興味なさそうに返事をした。


それにしても、美味しいから食べる、なんてまるで、人間が動物を食す時のような言い方だ。


「でも今は違うんですよね?」

ナツがそう聞くと、ウォルカは窓の外に目を向けて、どこか遠くを見つめた。


「そうだな。そもそも人異和解派という組織が、当時は無かったから。だが、無論今でも''人間は食い物''だと考えてる奴の方が多いぞ?勘違いしてはいけないのは、人異和解派は極めて少数派だということだ。ジャパムスが出来たのもつい最近の出来事で、ここの人間がとっくに全滅して、魔王が膜の内側への侵攻に失敗して失脚してからだ。会えもしない膜の内側の人間と友好関係を結ぼうなんていう、人異和解派が流行り出したのは」


シモンは椅子にもたれかかり、首を傾ける。

「魔王が膜の内側に侵攻?」

「十何年か前にそういうことがあったんだよ。''向こう側''の人間は知る由もないだろうがな。当時この世界で圧倒的戦力を誇っていた魔王とその軍団が、目に見えない透明の膜の内側に人間が残っていることに気づいて、それらを殲滅しようと計画していた。しかしその計画は失敗に終わり、膜の内側の平穏は保たれ、無敵の魔王の名は地に落ちた。魔王の配下たちは軍を解散させ、今に至る」

「じゃあ、その魔王と魔王の配下たちは、今どうしているんですか?」

「魔王は自分の城に閉じこもり、配下の多くは行方不明、行方が分かっているうちの何人かは、自分の種族を束ねる王となった。そして俺が今説明したかったのは、この世界にある様々な国のことなんだがな」


話し疲れたように肩をあげるウォルカのグラスに、ジールが新たなワインを丁寧に注ぎ入れた。


「すみません、話を遮ってしまって」

ナツが謝ると、ウォルカは「まあいい」と笑った。

そしてハッキリとした口調で、話を始める。


「五つの国だ。大きく分けて、この世界には主に五つの領域がある。一つが、昨日行った中央都市国があるエルフ圏。エルフの王が治めているだけに、国民はエルフの割合が高いが、どの種族でも自由に立ち入り、住まうことが出来る」

「人間でも?」

シモンが鋭く指摘すると、ウォルカはグラスの中の深い紫をくるくると回した。

「王はジャパムスの思想を支持している。恐らく、次期王も。だから人間だって、入るのも住むのも法律上は可能だろう。が、あそこは何せ自由過ぎる。あんなサラダボウルみたいな所へ行ったら、安心して眠ることすら出来ねえだろうよ」

「なるほど……」

シモンは頷く。


「二つ目が、吸血鬼の地下帝国だ。現在最強の勢力と言われている。国民は吸血鬼が百パーセント、エルフや獣族、その他の種族は皆奴隷だ」

ナツが目をパチクリさせる。

「奴隷?」

「吸血鬼は比較的好戦的で古典的な種族でな、いわゆる吸血鬼至上主義なんだ。この世界に点々とある小国の多くを未だに植民地支配している。我がジャパムスも、元は自由と平等を求める奴隷解放軍だった」

「……まるで人間みたいだな」

シモンの呟きに、ウォルカは口角を上げた。


「レイフィアがしょっちゅう蘊蓄垂れている人類史が本当なら、正に異世界人は人類と同じような道を辿っていると言えるな」

「レイフィアさんは、人類史にお詳しいんですか?」

「詳しいどころじゃない。アイツは人間ヲタクだからな。……さて、三つ目だ。ここから西へ少し離れた所に、獣族の王国がある。獣族の奴隷解放運動が盛んに行われた結果、主人の元を離れ、行き場の無くなった元奴隷たちの難民化が進んだ。それを防ぐために、割と最近出来た発展途上の国だ」

ウォルカは二杯目のワインを飲みながら続ける。

「四つ目は、精霊の住まう精霊の森。五つ目は、魔王の城がある魔王の領地。そしてお前たちの住んでいた人間の国を合わせれば、この世界の主な領域は合計で六つになるな」


ナツは料理を飲み込みながら、首をかしげた。

「精霊って、妖精みたいなものですか」

「いいや、全然違うぞ。妖精は羽根の生えた小人で、大なり小なり必ず集団になって行動する。時たま観賞用に捕らえられたりするから、今や絶滅危惧種となりつつあるな。対して精霊は、言わば死んだ人間の霊が昇華して出来た種族だ。膨大な魔力を持っていることが特徴で、基本的にこちらから向こうへは見ることも触れることも難しいが、高位の精霊は、肉体を持ち、この世にまた具現化することも出来るらしい。精霊の殆どは単独行動を取っているが、高位の精霊やこの世界に長く留まっている精霊だけが、忠誠を誓いに精霊王がいる森に集まってくる」

「精霊王とは何だ?」

シモンの問いに、ウォルカは肩をすくめる。

「詳しいことは俺も知らない。精霊のことについては、謎な部分がまだ多いからな。ただ間違いないのは、精霊を統べる王が、つい十数年前の魔王の侵攻の際に殺されたということだ」

「殺されたんですか?」


驚くナツに、ウォルカは神妙な顔つきで頷く。


「かつて世界最強と謳われていた精霊王は、魔王に対抗できる唯一の存在だった。何でも噂によると、魔王は人間のいる膜内へ侵攻する前に、精霊王に配下に加わるように命じたが、精霊王は中立を保つ為に断ったらしい。結果、魔王は精霊王を殺し、精霊の森を焼き払い、現在まであそこは死の森と化している」

「精霊王は結局魔王に負けたということか?」

「まあ、かなりの歳だったし、そうなるな」


ジールが空になった皿を重ねて回収する。


「えっと、さっき言われてたことから考えると、精霊王以外の三つの国の王は、魔王の配下だったということで良いんですか?」

「一応な。その三人に関しては配下というより対等の関係に近かっただろうが。まあ、魔王の話は真偽入り混じった噂ばかりだ。俺にもよく分からん」

「ウォルカさんは、魔王に会ったことは?」

「無い。辛うじて、エルフの王と吸血鬼の王とは面識があるくらいだ」


その時、パリン、と何かが割れる音がした。

見ると、床に白い破片が散らばっている。

ジールが落ちた皿を前にあたふたしていた。


「も、申し訳ありません!すぐに片付けますので!」


掃除道具か何かを取りに食堂から出て行こうとするジールに、ウォルカが「慌てるなよ、またすっ転んで血だらけになってもらっては困るからなー」と声をかけた。

ジールは「はい!」と返事をするも、既に食堂の扉に頭をぶつけている。

ウォルカはやれやれとため息を吐いた。


「僕、手伝いますよ」

見ていられなくなったナツも、一緒に食堂から出て行く。

シモンと二人きりになって、ウォルカは胸ポケットから煙草を出した。


「アイツはお人好しだな」

「まあ、ナツは昔からそうだから」

「ほぅ、お前らは旧知の仲なのか?」

シモンは逡巡してから、答える。

「会って五年くらいにはなる」

「五年か。一瞬だな」

「吸血鬼にとっては、尚更そうだろうね」


ウォルカはくつくつと笑いながら、煙草をふかす。

漂う煙を見て、シモンは顔をしかめた。


「お前ら、これからどうするつもりだ?」とウォルカ。

「どうする?」

キョトンとシモンは聞き返した。

「いや、この世界で何かやりたいこととか、あるんじゃねえのか?だから人間の国を出てきたんだろう」

「あそこは、国と呼ぶには窮屈過ぎる。せいぜい街がいいところだ。……俺たちは、真実を知るために外へ出たんだ。やりたいことはそれぐらいだ。抽象的かもしれないけど」

「真実?」

ウォルカは目を丸くすると、突然、腹を抱えて笑い出した。

いきなり爆笑する吸血鬼に、シモンは驚きながらも怪訝そうな顔をする。

「何がおかしい」

「アハハハハ、''真実''、これがおかしくないわけがねえ。傑作だな。この世界に真実があるなんて、お前、本気で思ってんのか?」

「思ってる。少なくとも、膜の謎を解く鍵は、この世界にあるはずだ。神の存在の有無も、この世界で」

「バカか、お前」

笑うのをやめて、ウォルカは低い声でそう言った。

温度を感じない、突き刺すような視線が、シモンに浴びせられる。


「膜の謎を解く鍵?神の存在の有無?そんな犬も食わん代物、この世界には無い。膜の謎は全て膜の内側に隠されているだろうし、神の存在の有無も、それはお前の心の中の問題だろう。ここには、ただ混沌が広がっているだけ。ロクなものなんか、何もありゃしない」


「俺はそうは思わない。膜の中は十分探し回った。自分の心も、嫌になるほど神を探し求めた。でも答えは一向に現れない。この世界には俺の知らないことがたくさんある。ただ俺はそれを全部知った上で、また改めて色んなことを考えたいんだ」


ウォルカはじっとシモンを見据える。


「それがたとえ、無駄な足掻きだったとしても?」


「無駄なことなど、この世には無い」


「ああ、お前、そういうタイプか」


ウォルカは合点がいったようにそう呟くと、また煙を天井に向かって吐き出した。煙草特有の嫌な臭いはしない。

少しすると、ナツとジールが何か喋りながら戻って来た。二人は箒と塵取りで、割れた皿をせっせと片付け始める。

ナツの手際の良さに、ジールは感嘆した。


「ナツ様はお掃除が得意なんですね」

「得意というか、まあ、皿が割れることはよくあったから……」

「そうなのですか。それにしても羨ましいです。僕は何をしても不器用で……」


しゅんとするジールに、ナツは明るく微笑みかけた。


「良ければ、これからは僕もお手伝いするので、なんでも言って下さい」

「で、でも、お客様にそんなこと、頼めませんよ」

「大丈夫ですよ。僕、料理とか好きですから。お役に立てるかは分からないけど」

ジールは嬉しそうに耳をぴこぴことさせる。

「そんな、嬉しいです!お心遣いありがとうございます」


平穏な会話を交わす二人を、シモンとウォルカはどこか複雑そうな表情で眺めていた。

ウォルカの煙草の灰が、ぼとりと皿に落ちる。




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