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Break;on hiatus  作者:
マーティン公爵邸編
10/37

第九話「人異和解派ジャパムス」



ハッと二人が後ろを振り返ると、そこには長身の男が一人立っていた。

薄い灰色の髪、青白い肌。足元まである長いローブに身を包んでいるが、フードは被っていないので顔は確認できる。その容姿から察するに、年齢は三十代前後といったところか。とはいえ、声をかけられるまで全く気配に気がつかなかった。

ナツは無意識に身構える。

僕はまだしも、あのシモンでさえ、気がつかないとは。

シモンの方をちらりと見ると、苦い顔をしてライフルの銃口を男に向けている。

男は不機嫌そうな顔をして言った。


「やめとけやめとけ。確かにアイツらを寄越したのは俺だが、今は、別にお前らを殺しに来たわけじゃない。迎えに来たんだ」


「迎え?」とナツは首を傾げる。

シモンはなおも銃を持ったまま動かない。

「あんた誰だ。人間じゃないよな」

「当然だろう。下賤な人間などと、どこをどうやったら見間違えるんだ」

「……」

思わず言葉を失った二人をよそに、男は倒れたまま動かない狼たちのもとに足を運んだ。


「あーあ、これはまた手酷くやられてるな」


男は、狼の頭に手をかざすと、何やら聞いたこともない言語をブツブツと呟いた。

すると、銃弾によって貫かれた穴が、みるみるうちに塞がっていく。

あり得ない光景に、ナツは愕然とした。

やがて完全に傷が無くなると、三匹の狼は、おもむろに目を開き、よろよろと立ち上がる。

そして男の足に擦り寄るようにして集まった。


「……死んだ筈だが」

シモンが言うと、男は軽く笑った。

「死んではない。こいつらは生命力だけが取り柄なんだ。脳をぶち抜いても、すぐには死なない」

「やっぱり、狼じゃないんだ」

ナツがそう言うと、男は首を横に振った。

「いや、こいつらはお前ら人間の言うところの狼だよ。進化を繰り返して、多少強くなったわけだがな」

「進化……」

ナツは腕組みをする。

百年前の世界の急激な変化に適応するように、動物たちも進化したということか。


男は二人に近づき、シモンの足を一瞥した。

「とりあえずそいつの足を止血したら、お前らは俺について来てもらう」

「どこに連れていく?」

「少なくとも、ここよりは随分マシな所だ」

「もっと具体的に説明しろ」

男は気だるそうに両肩をあげる。

「面倒だな。行きゃ分かるさ」

「……どこだかも分からない場所に、ほいほいついていくほど俺たちが間抜けだと思うか?」

シモンは苛立ちの混じった声音で言った。

「お前らが間抜けでも阿呆でも、俺について来てもらう。拒否権は無い」

「ふざけるな」


そんな会話を耳にしながら、とりあえずナツはシモンの背負ったリュックサックから救急箱を取り出した。

そして銃を手離さないシモンの足に、適切に処置を施し、包帯を巻いていく。

シモンは銃を突きつけながら男をじっと睨んでいるが、男はまったく痛くも痒くもないといった顔をしている。


「クソ。ナツ、お前も何とか言え」

シモンにそう言われ、ナツは消毒液を片付けながら、男を見上げた。


「じゃあ、あの……」

「何だ?」

「さっき、犬には何もないと言われていましたが、空気には何か有害な菌とか無いんですか?」

「空気?」


隣からシモンのため息が聞こえる。


「はい。もしかしたら、傷口から入って病気になるかもしれないので」

「空気なあ。俺が最後に人間を見たのは八十年以上前だ。人間に害があるものが何かなんて分からねえよ」

「そうですか」

「まあ、今吸ってて平気なんだから、多分大丈夫だろ。しかし、空気で病気になるとは、つくづく人間は軟弱な生き物だな」

ナツの頭の中に、ふと疑問が湧く。

「そういえば、あなたは人間じゃないなら一体何なんですか?」

「さて、何だろうな」と男は微笑みながらはぐらかす。


「大方、吸血鬼(バンパイア)だろ」とシモン。

「吸血鬼?」

ナツは耳を疑った。

吸血鬼とは、人間が作り出した架空の生物のはずだ。

シモンは男を見ながら淡々と続ける。


「瞳が赤くて肌が白い。典型的な吸血鬼の容姿だ」

「人間にしては詳しいじゃねえか」

そう言いながら、男は不意に頭上を見上げた。

その紅い双眸に、混沌とした空が映る。


「止血は終わったな。詳しいことは後で説明してやるから、場所を変えるぞ。ここには長くいられない」

ナツはシモンに耳打ちする。

「どうする?シモン」

「……この世界で初っ端から波風立てるのは賢明じゃない。不本意だが、一旦、ついていってみるしかないだろ」

「そうだね」とナツは頷いた。

二人は手早く荷物をまとめて、渋々男の前に立つ。

見ると、男は今度は少し満足げな顔をしていた。割と表情がコロコロ変わるのが、ナツには何だかおかしかった。


「話が早くて助かる」

「今はひとまず、ということだ。お前に従っているわけじゃない」

シモンは反抗的な態度を崩さないが、男は大して取り合わない。

「分かった分かった。じゃあ、行くぞ」


キョトンとする二人を前にして、男は目を閉じる。

そしてブツブツとまたよく分からない言葉を呟くと、地面の土に銀色の所謂魔法陣のようなものが浮かび上がった。

「ん……?」

いきなり視界がぐにゃりと歪んで、ぐるぐると目眩がする。このままでは吐き気すら催しそうだ。とても目を開けていられず、ナツは思わず目を瞑った。


すると一瞬で空気が変わり、何故か周りから微かに人の声が聞こえた。肌に居心地の良い暖かさを感じる。


「転移は初めてか。そういえば、人間は魔術を使えないんだったな」


魔術?

男の声に、目を開けると、そこは中世のヨーロッパにありそうなお屋敷の広間になっていた。


赤い絨毯をひいた緩やかな階段の上で、ガラスのシャンデリアがキラキラと輝いている。先ほどまでの荒野は見る影もなく、いつの間にか、三匹の狼もいなくなっていた。これが本当に転移、瞬間移動のような類なら、物理法則を完全に無視している。

シモンとナツが呆然としていると、近くにいたメイドが何人かやって来て、男に礼をする。


「マーティン卿、お待ちしておりました」

「ああ、例の人間を連れて来た」

「レイフィア様は書斎におられます」

「分かった」


短い会話を終わらせると、メイドたちはまたペコリと男にお辞儀をして、自分たちの仕事に戻っていった。

男は二人に「ついて来い」と言うと、大股で広い屋敷の中を歩いて行く。

仕方なく、二人は早歩きで男の後を追った。

廊下を掃除している数人の使用人らしき人たち(といっても人間ではないのだろう)は、シモンとナツを見るとあからさまにギョッとして手を止める。とても歓迎されているようには見えない。

男はそれすら気にも留めず、二人をエレベーターの前まで連れてきて、上へのボタンを押す。

それを眺めながら、ナツは不思議そうに呟いた。


「エレベーターとかは、一緒なんだ」

「ああ、これは人間の文明を参考に作られているからな」

「下賤な人間の文明を、参考にね」

シモンが嫌味っぽくそう言うと、男は不愉快そうに顔をしかめた。

「人間を下賤で軟弱だとは言ったが、低脳だとはいっていない。人間の高度な技術は、俺だって認めている」

「なるほど」

シモンは薄く笑いながら頷いた。

男は小さく舌打ちをする。


人間の高度な技術。

ナツの脳裏に一瞬、白衣を着た父の姿がよぎった。

男が認めていると言った科学技術の研究は、今や膜内では糾弾の対象となっている。神を冒涜する行為だとして。

同じ人間に受け入れられなかったものが、ここでは人外に受け入れられている。何とも妙な感覚だった。


三人はエレベーターに乗り込み、最上階の二百十階を目指す。どれくらいのスピードで上昇しているのか、あっという間に100の数字が点滅する。


「これからお前らをレイフィアっていうヤツの所へ連れていく。そこまでが、俺の仕事だからな」

「レイフィア?」

「そうだ。詳しい話はそいつから聞け」


リン、とベルの音が鳴り、エレベーターが開くと、そこは広間と同じように中世のヨーロッパを想起させる広々とした洋風の一室だった。豪華な調度品が並べられ、四方の壁は一つの大きな窓を除いて本棚で埋め尽くされている。

全体的に薄暗くてよく見えないが、本棚はどれも綺麗に整理されており、そこにあるだいたいの本が日本語のものだった。

部屋の奥では、夜空を映した窓を背に、軍服を着た長髪の女性が三人をじっと見つめている。その射止めるような鋭い視線に、ナツの体は自然と緊張で硬直する。


「やぁ、マーティン卿」

女性は凛とした声でにこやかに挨拶した。

軍服のボタンに一瞬光が反射して、キラリと光る。


「例の人間二人を連れて来た」

男は仏頂面のまま、二人を前に押し出す。

「ご苦労様」

「仕事は終わった。俺は今すぐにでも帰りたいんだが?」

「まあ、そう言わずに、お茶でも一杯飲んでいきたまえ。上等なものが手に入ったんだ」

「チッ」

隠すことなく盛大に舌打ちをして、男はそばにあるワイン色のソファにどかっと座った。ナツは、舌打ちの多い人だなと思いながらそれを見ていた。


「君たちも自由に座ってくれ。疲れただろう?」

薄緑色の豊かな髪を持ったその女性は、二人にそう言うと、座っていた椅子から離れて部屋の隅にあるテーブルに足を運んだ。

そしてテーブルの上に用意されていた花柄のポットから、真っ白なティーカップに紅茶(のようなもの)を注ぎ入れた。


二人は言われた通り、男の向かいにあるソファに座る。すると必然的に、ローブ姿の男がナツの視界に入ってきた。


周囲から“マーティン卿”と呼ばれていたこの男は、本当に吸血鬼なのだろうか。

染めているようには見えない灰色の髪に、燃えるような真っ赤な瞳。肌も白く透明感がある。ナツは、人間でいうアルビノという病の症状によく似ていると思った。


チラチラと観察していると、「何だよ」とイライラした声が飛んできたので、ナツは急いで目を逸らす。

そこへ長髪の女性がお盆に三人分のカップを乗せてやってきた。


「粗茶だけどね、どうぞ」

「ありがとうございます」とナツ。

「どうも」とシモン。


差し出された紅茶を受け取り、鼻を近づける。ハーブのような良い香りがした。

隣を見ると、シモンが既に口をつけていたので、習って一口飲んでみる。ほんのりと甘く、後味はすっきりしていてとても美味しい。


「上等なのか粗末なのか、どっちかにしろ」

吸血鬼の男は、気に食わないと言わんばかりに文句を言う。それを見て、女性は得意げに笑った。

「知らないのかい?かつてこの地に住んでいた人間は、上等なものでも粗末だと言って謙遜する風習があったんだ」

「知らないし、知りたくもないし、知る必要もない」

「だけど、知ってても悪くない。はい、君の分だ」

男は無言でレイフィアからカップを受け取ると、一気に中身を飲み干す。

相変わらず、機嫌が悪そうだ。


「さて、君たち」

淡い緑を揺らしながら、女性は二人に微笑みかける。キッチリと着こなされた軍服が、その柔らかな雰囲気と交わって異様な空気を醸し出していた。


「私の名前は、エメルダ・レイフィア。エメルダでもレイフィアでも、好きに呼んでくれ。そして、もう聞いたかもしれないが、こちらの男はウォルカ・マーティン。私の部下だ」

「お前の部下になったつもりは、さらさらないな」

「つれないねえ」

レイフィアはくすりと笑うと、ナツとシモンを交互に見た。


「君たちの名前は?」

「……シモン・パティグスだ」

「カシマ ナツです」

「ふむ、シモンとナツだね。よろしく」

レイフィアは笑顔でそう言うと、窓際にポツンと一つある椅子に、また腰を落ち着かせる。


「君たちには、私たちが何者で、何のために君たちをここに連れて来させたか、分かるかい?」


ナツは首を横に振った。

シモンは少しの間考えて込んでから、口を開く。


「……容姿から判断するに、その男は吸血鬼でお前はエルフだ。俺たちを殺すためか、あるいは利用するために連れて来させた。今の段階では、これくらいの予想しかたてられないな」


「ふむ、前半は当たり。シモンは物知りだね。それに、そのカッコいい眼帯は君によく似合っている」

「は?」

いきなり褒められ、シモンは思わずポカンとする。

「けど、後半は大はずれ」

レイフィアは茶目っ気たっぷりにウインクした。


「レイフィアさんは、エルフなんですか?」

ナツは目をパチクリさせて、レイフィアを見る。真っ白な肌に薄緑色の豊かな髪、揃えたような翡翠の瞳。よく見ると、映画などで見るエルフのように、耳が僅かにとんがっていた。


「そうだよ、ナツ。私はエルフで、このウォルカは吸血鬼、そして君たち二人は人間だ。間違いない」

レイフィアは素直に認める。

「じゃあ、目的は何だ。俺たちを一体どうするつもりだ?」

シモンが厳しい口調で尋ねると、新緑色のエルフはすっと目を細めた。


「そうだね、どうしようか。人間は我々にとって謎の多い生き物だから、どこかに閉じ込めて研究するのも楽しそうだし、何なら解剖してみたり」

「おい、冗談はいいからさっさと説明しろ」とウォルカが話を遮る。

「やれやれ、そんなに急かさなくてもいいじゃないか。物事には順序というものがあるんだ」


レイフィアがパチンと指を鳴らすと、二枚の紙が二人の頭上から落ちてきた。

そこには兎と十字架を組み合わせたようなマークが大きく描かれていて、その下にJapamsと英語で書かれている。


「まず、ここは、人異和解派の組織、ジャパムスの第二支部だ。そしてこの私、エメルダ・レイフィアはジャパムス幹部兼第二支部長というわけだね」


ナツは紙を見つめたまま、首を傾ける。

「人異和解派、ジャパムス?」

「端的に言えば、人間と仲良くしようっていう派の組織ってことだよ。君たちをここまで連れてきたこの男も、ジャパムスの一員だ」

「それで?」とシモン。

「それで、数日前、人間の子供が二人、この世界に現れるという予言があったんだ。そしてその予言を受けて、我々ジャパムスは君たち二人を保護することに決めたのさ」

「保護?」

シモンは眉をひそめる。


「そう。君たちがどうやってあの“結界”を突破出来たのかは知らないし、話す必要もない。でも、この世界じゃ君たちはあまりに非力だ。良くて三日も持たない」

「それはどうかな。俺たちは人間でも、“ただの人間”じゃない」

「うん。君たちが、ただの人間じゃないことは分かっている。普通の人間なら、“結界”の外に出て三日どころか数分と持たないはずだからね」

「どういう意味だ」

シモンは訝しげな顔をする。


レイフィアは窓の外を見やった。

「ここには酸素がない」

「酸素がない?」

ナツは思わず聞き返した。

酸素がないはずがない。現に今、自分たちは確かに呼吸をしている。


「本当だよ。かつて地球にあったオゾン層、大気が無くなったんだ。今は窒素や二酸化炭素の薄い大気があるだけ。因みに、それと同時期に太陽や月も消滅している」

「じゃあ何で、僕たちは息が出来てるんだろう?人間の呼吸に酸素は必要不可欠なはずだ」

「さあ。君たちには何か心当たりがあると思うけど?」


ナツは左手をギュッと握りしめた。

考えにくいが、心当たりがあるとしたら、これしかない。服に隠れて今は外から見えないが、この宝石は、呼吸に酸素を必要とさせない効果があるのだろうか。


レイフィアは続ける。

「百年前の話をしようか。我々“異界の者”が、地球にやって来た時のことだ」

「“二度目の終末”か」とシモン。

「人間たちはそう呼んでいるのかな。シモン、君はその二度目の終末について、どのように認識しているんだい?」


シモンは、一つ一つ言葉を慎重に選び取りながら、ヘブンシティで語られ続けた伝説について、話し始めた。


「百年前、突如として現れた化け物たちが、地球上から人間を抹殺しようと虐殺を繰り返した。神は人間を守るために、巨大な膜、俺たちはヘブンセントバリアと呼んでいる膜を作った。人間は神の加護である膜から出るのを互いに禁じ、膜の中で平穏に暮らし続け、今に至る。俺たちは幼い頃からそう教えられてきた」


レイフィアは、ふむと頷く。

「そして君たちは、その膜を破って、もしくは避けてこちら側へ来た、と」

「そうです」

ナツが肯定する。

レイフィアは足を組み直して、二人に言った。


「まず、君たちが呼ぶ化け物というのは、異世界から来た人外のことだ。君たちの街では普通でも、この世界では化け物なんていう呼び方は礼儀に反するだろうから、やめておいた方がいいだろうね」

「異世界から来たって、どういうことですか」

「そのままの意味だよ、ナツ。百年前、人間を襲った人外たちは、何もその時そこで誕生したわけじゃない。ここに来る前から、彼らは彼らなりの人生と世界を持っていたんだ」

「つまり、この世界の他にも、いくつもの世界がどこかに存在するということですか?」

「そういうことになるね」


異世界とは、パラレルワールドのことなのか、それとももっと別次元のものなのか。

異世界の存在自体がうまく呑み込めないナツは、自分の頭を回転させるために黙り込んでしまう。

レイフィアはふわりと笑った。


「異世界の民が何故この世界に、地球に来たか、分かるかい?」


シモンは逡巡してから、でもハッキリと答えて言った。


「魔王が召喚した、という言い伝えだ」

「魔王」とレイフィアが繰り返す。

その瞳はどこか愁いを帯びていた。


「地球を支配しようと目論む魔界の魔王が、人外を召喚して人間を襲わせたという伝説だ。本気で信じてる人間もいれば、信じていない人間もいる。実際後者が大半だ」

シモンはそう説明した。


百年前、世界にたくさんの人外が出現した要因に関しては、様々な説があり今でも解明されていないものの、アモル教が採用したことから表向きにはこの魔王説が主流となった。

もっとも、ナツはそんなファンタジーじみた伝説を信じたことはなかったが。


「またもや半分正解、といったところか」

マーティン卿の意味ありげな言葉に、シモンは怪訝な顔をする。

「どういう意味だ?」


「まあ、これは君たちにとっては少々衝撃的な話になるかもしれない。何にせよ、一つ覚えていて欲しいのは、私は君たちに私の知りうる限りの真実を伝えようと思っているということだ。それで、信じるか信じないかは、後で君たちそれぞれで判断してくれ」


吸血鬼とエルフが存在する、それだけでもナツにとってはかなりの衝撃だが、これ以上にどんな衝撃的な話があるのだろう。ナツは少し緊張しながら、静かに唾を飲み込む。

一呼吸置いてから、レイフィアは二人にこう言った。


「まず、魔王は存在する」


「会ったことはあるのか?」

シモンが疑い深く追及すると、レイフィアはコクリと頷いた。

「ある。でもきっと、君たちが想像しているようなものじゃないよ。何せ彼は、君たちと同じ人間だ」

「人間!?」

「そう。唯一の、この世界での人間の生き残りだ」


伝説上の魔王が実在して、更に人間の生き残りだというのは、確かに衝撃的な話だ。

半信半疑なのか、シモンは険しい表情をして黙り込む。


「魔王、又の名を破壊王と呼ばれる彼は、確かに色々問題のある存在だけど、少なくとも今は城に閉じこもっていて無害だよ。百年以上前、つまり君たちの言う“膜”が出現する前から地球に滞在していた魔王が、膜の出現に何らかの形で関与していたのは確かだろうけど、それとこれは話が別。異世界の民は、何も彼に呼び出されたわけじゃないし、彼にそこまでの力はないはずだ」

「じゃあ、誰に?」


「神だよ」


レイフィアのさっぱりとした答えに、ナツは一瞬訳が分からなかったが、その後頭を鈍器で殴られたような感覚を覚えた。シモンの顔もこわばっている。


「君たちは、人間を守る為にあの無敵の膜を作ったのは、神だと言った。私もそう思う。どんな最高魔術を駆使しても、最高戦力を持ってしても突破できない、あんなものは神にしか作れない。でも、人間をこの世から殲滅する為に、地球に我々異世界人を召命したのも、紛れもなく“神”なんだよ」


ーー矛盾している。

もし神が本当にその通りに存在するなら、一体何をしたいのだか分からない。

そもそも神の存在を信じきれていないナツにとっては、レイフィアの語ることが何もかも理解しがたい話で、話についていくだけで精一杯だった。


「何故そんなことが分かる?人外をここへ呼び出したのが神だという根拠は何だ」

シモンがそう問いただすと、レイフィアは何度か瞬きをしてから、控えめに笑った。

「根拠?君が求めている根拠がどんなものかは分からないけれど、ここにいる人外たちは皆、自分たちが神より生まれ、神によって使命を持ってこの地球へ再度誕生させられたと知っているよ。本能的にね。君たちを侮辱するつもりはないけれど、それを知らないのは、恐らく人間だけだ」

「なぜ人間だけ知らない?」

「その答えは、人間自身で見つけるべきだ」

シモンは首を横に振った。

「仮にお前らをこの世界へ呼んだのが神だとしても、意味が分からないな。確かに魔王説に関しては俺も疑問に思う点が幾つかあるが、人を救う神が、人を滅ぼす人外を呼び寄せたなど、支離滅裂だ」

「ああ。だから私は、神は“二人”存在すると思っている」

「は?」

突拍子も無いレイフィアの発言に、シモンは目を丸くする。


「つまり、こうだ。例の百年前、突如“神”によって召喚された異界の者たちは、地球を侵略していき、太陽や月、酸素までもを失った人類はなす術なく、やがてほぼ全滅する。しかし、一部の人間は“新たな神”が作った膜の中で生き残った」


「新たな神?」

ナツは首を傾げる。

「私が、二人目の神をそう呼んでいるだけさ。君たちが、私たちの到来を、二度目の終末と呼ぶようにね」

「辻褄は合う……が、強引だ」とシモンは呟いた。

「強引じゃない、これは必然だよ」


レイフィアは二人の瞳をまっすぐ見つめる。

一人蚊帳の外である男が、二人の目の前で大きな欠伸をする。いつの間にか、長い時間が過ぎていた。

不意に、シモンがソファから立ち上がった。


「あんた、さっき俺たちを保護すると言ったな」

「言ったよ」

「その話、そう簡単には信じられない。人外は膜の外の人間を虐殺して全滅に追い込んだ。それは、お前たちも認めているんだろう?」

「うん、その認識は間違ってない。でも、それは過去の話だ。今は違う。我々人異和解派ジャパムスは、“新たな神”の意向を尊重して、“膜”の中にいる人間との和解を目指している」

「お前らに殺されていった人間は、過去の話だと割り切れるか?大量虐殺しておいて和解だとか、そんな虫のいい話、通用すると思うのか?」


シモンの目を見つめ返すと、レイフィアは顔から笑みを消した。その瞳は緑にどこまでも澄んでいた。


「罪の自覚くらいはある。謝罪で済む話でもないということもわかる。でも私たちは、このまま人間を滅ぼすことが、我々の使命ではないと気づいた。たとえ不可能だとしても、私たちは人間と和解する努力をしたい。……出来ることなら、この腕でも足でも切って君たちに誠意を見せたいと思うけど、今ここで深手を負えば君たちを保護出来なくなるから、それも出来ない」


シモンは真偽をはかるようにレイフィアを見据えてから、ボソリと呟いた。

「まったくもって胡散臭い話だな」

「そう思うなら、自分の目で見て確かめることだ。君は良い目を持っているからね。その上で、もし我々を信用出来ないのなら、勝手に出て行くなり逃げるなりすればいい。君たちにも、それくらいの力はあるんだろう?」

鋭い洞察力と正論に、シモンはムッと口をつぐんだ。

レイフィアは椅子に肘をついて、端整な微笑を浮かべる。


「さっきの狼どもは、俺たちの力を測るためのものだな」

シモンはなおも食いつく。

「悪く思わないでくれよ。あの子たちは、この世界最弱とも呼ばれる種族なんだ。あの子たちに負けるようじゃ、私たちが保護したところで長くはもたない」


力を使っていなかったとはいえ、シモンに怪我を負わせたあの狼たちが、世界最弱?

あれが最弱の種族なら、恐らく僕が新たなこの世界最弱の生き物になるだろうと冷静に推測しながら、ナツはレイフィアに問いかける。


「種族って、この世界にはどれくらいいるんですか?」

「いっぱいいるよ。それこそ、本当に天文学的な数字だ。たとえ人間の技術を駆使したとしても、数え切れないだろうね」

「そんなにいるんですか」

「まあ、主な種族は、吸血鬼、エルフ、精霊、植物族、獣族ぐらいかな。ドワーフや妖精なんかも時々は見かけるけどね。あとの大半は殆ど名もない種族さ」


化け物と呼ばれるくらいだから、膜の外の生物はもっと恐ろしいものかと思っていた。

膜内にいた頃、自分が勝手に想像していたものとはだいぶ様子が違って、ナツは若干拍子抜けする。


「何だか、ファンタジーですね」

「ファンタジーじゃないさ。少なくとも、今はね」

レイフィアはそう言うと、椅子から立ち上がった。そして吸血鬼の男の方を向く。


「ウォルカ。二人を連れて来る際、何も問題は起こしてないだろうね」

「心配いらない。指示通り、手早く終わらせたさ」

「さすが、マーティン卿。最高に頼りになる男だ」

ウォルカは、嫌な予感に肩をすくめる。

「おいおい、今度は何をさせるつもりだよ」

「君には、引き続きこの二人の面倒を頼むことにするよ」

「は?ちょっと待てよ。誰がそんな面倒なこと」


レイフィアはくるりとシモンとナツの方を向くと軽くウインクしてみせた。


「君たちには、暫くマーティン卿の屋敷にいてもらうよ。大丈夫、彼は案外情に厚い男だ。この私が保証する」

その後ろで、ウォルカは勘弁してくれと眉間を指で抑えている。

「おいレイフィア、さすがにいくら俺でも、人間なんか引き取らねえぞ」

「いいかい、マーティン卿。これは優秀な貴殿にしか頼めない重要な役目なんだ。第二支部に属する公爵として、拒否することは許されない」


ウォルカは今日で何度目かの舌打ちをする。

レイフィアは困った顔で笑った。


「それに、シモンやナツも、他に子供たちがいた方が、馴染みやすくていいだろう?きっともう二人増えたところで、そう変わらないさ」

「変わらない?一度代わってやろうか?」

遠慮するよ、とレイフィアは断る。


「ウォルカさんには、子供がいるんですね」

ナツがウォルカを見て、意外そうな顔をする。

「いるかよ。どれもなすりつけられた他所のガキだ。まったく、俺の家は保育所じゃねえんだぞ」

「いいじゃないか。賑やかで」

ウォルカはレイフィアをキッと睨みつける。


「レイフィア、忘れるなよ。これは貸しだからな」

「ハイハイ、分かったよ。さあ、私は少し疲れてしまった。君たちも疲れているだろう。今日のところはひとまず休んで、今後のことについては、また今度話し合おうか」


レイフィアの言う通り、シモンもナツも、体はとうに限界を超えて疲弊しきっていた。今ベッドに入れば、瞬時に眠ってしまうだろう。

ウォルカは文句を言いながらも、二人を連れてまたエレベーターの方に戻る。


「ああ、待って。どうせなら僕が送ろう」


途中で思い出したかのようにレイフィアが引き止める。


「急に何だよ。お前に送られなくても家にくらい帰れる」

「君、転移の魔術はあまり得意じゃないだろう。体が丈夫な君はいいけどさ、シモンとナツが着いた先で吐いたりでもしたら可哀想だよ」


転移の魔術。

さっき荒野からこの建物の中にいきなりワープしたのも、その転移の魔術を使ってやったってことか。

この世界にはエルフや吸血鬼がいるくらいだから、魔法があったって全然おかしくないとナツは一人で納得する。


レイフィアは二人の前に立って優しく微笑んでみせた。

「シモン、ナツ、また会おう。君たちとは喋りたいことがたくさんある」

「はい、レイフィアさん」

ナツがそう返すと、レイフィアは嬉しそうに手を合わせた。

「君たちが良い夢を見られますように」


その声と共に、視界は眩い光に包まれて真っ白になる。

先ほどのような目眩や吐き気はなく、ほんの一瞬で辺りの景色はレイフィアの書斎から、前にいた所とはまた別の荒野の風景へと変わっていた。


気温は少し肌寒い。

夢から覚めたような何とも言えない感覚だ。

キョロキョロと辺りを見回すと、空は相変わらず不気味な色をしていて、遥か遠くに、高く連なる高層ビルが見えた。


「さっきまでいたジャパムス第二支部は、あの中央都市国内にある」

後ろから、ウォルカがそう説明する。

ナツはその美しくも鮮烈な輝きに、ヘブンシティを思い出した。

「中央都市国?」とシモンが聞き返す。

「この辺では一番栄えている、エルフの王が統治する多民族国家だ。俺はあそこがそんなに好きじゃないから、こんな町外れで暮らしてるが」


都市の方から目を離して、後ろを向くと、そこには思わず目を見張るほどの立派な豪邸が佇んでいた。


「へえ」とシモンは感嘆の声をあげる。




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