プロローグ(視点:松伏麻里亜)
私のいる学校には、いじめや暴行などといったものが存在しない。
元々人数の少ない学校で、そういった事があるとすぐにバレてしまうから。……というのもあるだろうが、噂によるともうひとつ特殊な理由があるらしい。
『坂杜様』と呼ばれている九尾の狐が、この学校を悪い物から守ってくれていると言われているのだ。
そのおかげでこの学校には不良生徒というものが存在せず、いじめも何もない唯々平穏な学校だと。
一時期荒れていた事もあったらしいのだが、そんな事など感じさせないほど、今の『杜坂東中学校』は、平和だ。……その為。
「あー……つまんねー……」
私の隣の席でそうぼやきながら窓の外を眺める生徒がいても、おかしい話じゃない。
私の名前は松伏麻里亜。そして隣の席で窓の外を眺めている男子生徒の名は新見博。私も彼も、この学校の1年生だ。
そしてこの学校の1年生は、私と彼の二人しかいない。
今の3年生が8名、2年生が11名。全校生徒21名という少なさだが、その分先輩達もよく話しかけてくれる為寂しいどころか楽しいくらいだった。
「なー松伏ー。暇ー。何か面白い話ねーの?」
新見からの問いに、私は一つため息をついて言った。
「あるわけないだろう。というか、お前ホントそれしか言わないんだな」
「だってよー、この学校全っ然面白い事ねえんだもん。あるといえば昼休みに先輩達と体動かす事と部活くらいだぜ?」
「それで充分だと思うが。少なくとも私は満足してるぞ」
「お前は、だろ。俺は全然満足してねえんだよー」
そう言いながら、新見は机に突っ伏して暫く唸った。その隣で、私はまた一つため息をついた。すると。
「おーい。そんな溜息ばっかついてっと幸せ逃げんぞー?」
今ではもう聞き慣れた声が聞こえ、私は声のする方を見た。
佐藤光輝先生。私達1年生の担任だ。佐藤先生は元々この学校の生徒だったらしい。
この学校にある『坂杜様』の噂を教えてくれたのも佐藤先生だ。
初めて会った時、何故か初めて会った気がしなかった。その為か、初めて会う人とはあまり話せない私でも、会って数日で色々話せるような仲になったくらいだ。
そういえば新見も、佐藤先生と初めて会った気がしないと言っていたような。
「なあーせんせー。何か面白い事ないー? 暇なんだよー」
佐藤先生の声が聞こえたらしい新見が、顔をあげてそう言った。すると、佐藤先生は暫く考えた後「本当は会わせたくないんだけど」と口を開いた。
「あんな。実は今日部活が終わって生徒が殆ど帰ってしまった放課後に、会いに行くんだ」
「会いに行く? 誰に?」
新見がそう聞くと、佐藤先生は少し間を置いてから、こう言った。
「……『坂杜様』に、だ」
「『坂杜様』に!?」
私と新見が驚いたようにそう聞くと、佐藤先生は「おう」と返事をした。
「なんでも、俺と霊かっ……コホン。校長先生に話があるらしくてな。何の話かはわかんねえんだけど、お前らも一緒に来るか?」
「会えるのか!? 『坂杜様』に!?」
新見がそう聞くと、佐藤先生は「おう」と返事をした。
「あの、佐藤先生。『坂杜様』と話せるんですか?」
「まあな。やー、昔色々あってさ。ひょんな事から『坂杜様』が視えるようになって、話せるようにもなって。お前らが視えるかどうかはわかんねえけど、来るだけ来てみるか?」
佐藤先生の言葉に、新見は「行く行く!!」と、興味津々な顔で返事をした。
「なあなあ! 松伏も行くだろ!?」
新見のその言葉に、私は少し考えた。
正直、この学校が『坂杜様』などという得体のしれない何かに守られているなんて話は、にわかには信じ難い事だ。もしかしたら佐藤先生からの提案は、その得体のしれない何かについて知る良いきっかけなのかもしれない。もしかしたら、姿も見れる。
……それに、新見の性格上、断ったところで意味がないだろう。無理矢理にでも行かされる。
「……私も行く。……新見に何かあっても困るからな」
私がそう答えると、新見は「よっしゃー!」とガッツポーズをした。と。
「それー、私も一緒にー、行ってもよろしいですかー?」
ゆったりとした、聞き覚えのある声が聞こえてきた。声のした方を振り向くと、そこには整った顔立ちの女性が立っていた。
荒牧小梅先輩。この学校の3年生だ。彼女は私が所属している書道部の部長で、秋に行われる文化祭での書道パフォーマンスを最後に部活を引退する。
荒牧先輩の言葉に、新見が「おおおお!」と嬉しそうな声を出した。
「先輩も一緒に行ってくれるんスか!?」
「『坂杜様』の事はー、私も以前から気になっておりましてー。佐藤先生ー? 私も同行してよろしいですかー?」
「ああ、勿論いいぞ! んじゃ、今日の放課後、部活後に3人ともホールまで来てくれ。校長先生も一緒だから」
佐藤先生のその言葉に、私達は返事をした。
――放課後。
私と荒牧先輩が、部活が終わってホールに向かうと、そこには既に新見がいた。新見は私と荒牧先輩の姿を見て、「もー!」と口を開いた。
「二人とも遅いー!」
「仕方がないだろう。部活が長引いたんだから」
新見の言葉に私がそう返す。その後、別の声が聞こえてきた。
「おっ、皆揃ってるな?」
その声に私達が振り向くと、そこには佐藤先生と、この学校の校長先生――霊界堂彩音先生が立っていた。
「あらー、ほんまに来はったんやねえ、3人とも」
「すみません、校長先生。ご迷惑でしたか?」
校長先生の言葉にそう聞くと、校長先生はいつもの穏やかな笑顔で「ええんよー」と答えた。
「こーんな賑やかだと、『坂杜様』もきっと喜ぶやろうからなあー。……さて」
校長先生はそういうと、ホールの真ん中に移動しながら続けた。
「『坂杜様』ー? どこにおるんー? 可愛い可愛い校長先生が来たでー?」
すると。
「なーにが『可愛い可愛い校長先生』だ阿呆」
何処からか声が聞こえてきて、辺りを見渡す。……と。
「!?」
さっきまで何もいなかったはずの図書室の前に、1匹の狐がいた。毛は銀色に輝いており、普通の狐には1本しかないはずの尾は9本あった。
その狐は私達の姿を見つけると、「ほう」と口を開いた。
「貴様等もついてきたのか。好奇心旺盛なのは良いが、その好奇心が後々悲劇を生むこともあるのだぞ? ……まあ、私にはどうでも良いことだがな」
「貴方が、『坂杜様』……?」
荒牧先輩がそう聞くと、狐は「如何にも」と返事をした。
……本当に、出会えたのか。『坂杜様』と。
だが、なんだろうか。そんなに驚きがないというか。まるで、『ずっと前に一度会った事がある』、ような。
そんな事を考えていると、新見が首を傾げた。
「なあ、『坂杜様』? 俺、ずっと前に『坂杜様』と会った気がすんだけど、気の所為?」
どうやら新見も同じ事を考えていたようだ。
新見からの質問に、『坂杜様』は一瞬戸惑ったように間を置いてから答えた。
「……否。貴様とは初めて会ったはずだが? ああ、可能性があるとすれば恐らく何処かですれ違っていたのだろうな」
『坂杜様』の返答に新見が「んー?」と首を傾げていると、話題を変えるかのように佐藤先生が口を開いた。
「で? 話ってなんだよ?」
「ああ、そうであったな。……正直、新見や松伏、荒牧には聞かせたくない話なのだが……、まあ良い」
そう言いながら、『坂杜様』は私達3人の方に近づいてきた。
「貴様等は、『幽霊』や『妖怪』といった類のものを、見たことはあるか?」
「『幽霊』……? 『妖怪』……?」
私がその単語に首を傾げていると、新見が「ああー」と口を開いた。
「俺はある。なんか新見家って昔から……何だっけ、霊能者? って奴の家系なんだって。だからなのか、俺小さい時からよく『幽霊』と遊んでたり、『妖怪』と話してた。今でも話せるしな。……そういえば、荒牧先輩も『幽霊』が視えるとか言ってませんでしたっけ?」
新見からの質問に、荒牧先輩は「はいー」と答えた。
「ですがー、私は視えるだけであってー、博君のようにー、話す事は出来ませんー」
荒牧先輩がそういうと、『坂杜様』は「成程」と返した。
「貴様は視えないのだな、松伏?」
「ええ。私は二人と違って霊感は皆無に等しいですから。……何故今貴方の姿が視えるのかは分かりませんが」
『坂杜様』は「ほう……」と何かを考えながら、私達3人から離れた。
暫くして、『坂杜様』は再び私達の方を向きなおして話し始めた。
「……近頃、再びこの学校に『霊』が集まり始めておる。だが今回はそれだけではない。『妖怪』と言われる類のものまで集まり始めておるのだ」
「あらー? せやけど、こん学校は『坂杜様』の結界で守られてはるんやなかったん?」
校長先生からの問いに、『坂杜様』は「そのはずだったのだが」と返した。
「つい先日、私が張っている結界の一部が破られたのだ」
「破られた!? そんな事出来る奴がいんのか!?」
「そうとしか考えられん。今は私の方で結界を修復しておる所だが、恐らく、結界を破った犯人は、まだこの敷地内におる。……そこで、貴様等を呼んだというわけだ。……だが、そうか。そうであったな。新見家は元々、霊能者の家系であったな」
そこまで話すと、『坂杜様』は新見の顔を見つめながら近づいてきた。
「……なあ新見博よ。……貴様、私に協力してはくれぬか?」
「……協力?」
新見がそう聞き返すと、『坂杜様』は「そうだ」と返事をした。
「それってつまり、俺がその『霊』や『妖怪』を倒していくって事か?」
「無論、無理強いはしない。霊界堂も霊能者の一人だからな」
「せやけど、うち一人では手が回らんかもしれへんなあ」
校長先生が、『坂杜様』の言葉に付け足すようにそう言った。
……確かに、校長先生の言う通り、この学校に多くの『霊』や『妖怪』が集まってきてるとしたら校長先生一人では手が回らないだろう。だが、そういった類のものを倒すという事は、恐らく……否、必ず危険が伴うはずだ。そんな危険な事を、新見が引き受けると思うか?
そんな事を考えていると、新見が暫く「うーん」と考えて言った。
「……分かった。やってみる」
「新見!?」
新見の返答に驚き、思わずそう叫ぶ。
――引き受けた。危険な伴う仕事を。新見が。
新見は私の方を見ながら言った。
「だってさ、何か楽しそうじゃね? つまんない事ばっかりよりマシだって!」
「それは……。お前はそうかもしれないが……!」
「それにさ」
そう言うと、先ほどまで笑顔だった新見の顔が一変、これまで見た事ないような真面目な表情に変わった。
新見は続けてこう言った。
「それに、その『霊』や『妖怪』を放っといたら、いずれこの学校の生徒達や先生達に危害が加わるかもしれないだろ? 例えば、松伏がある日突然『霊』にとりつかれて豹変してしまうかもしれない。例えば、荒牧先輩が『妖怪』に襲われて大怪我をしちゃうかもしれない。佐藤先生や校長先生だって、『霊』や『妖怪』に襲われる可能性があるかもしれない。……最悪の場合、死んでしまうかもしれない。……俺、そういうのすげえ嫌だからさ」
「博君……」
「だから俺、やるわ。難しい事考えんのは苦手だけどさ」
そう言った新見の表情は、何か決意をしたような、そんな顔だった。
その表情を見て、私は大きく溜息を吐いた。
「……分かった。……その代わり、私も協力するからな」
「ああ。……ん? ……ハア!?」
私の返答に、新見が驚いたように私を見た。無理もない。危険が伴うかもしれない事に、私達を守ろうとした新見と共にわざわざ飛び込むのだから。
「なんで!? だって、お前まで巻き込まれる必要は……!」
「無い。だが、放って置けないんだよ。……お前筋金入りの馬鹿だから」
「バッ……! いや、まあそうだけど……!」
「言っておくが何を言われても無駄だぞ。私が案外頑固だという事は、お前が一番良く知っているだろう?」
私が新見にそういうと、新見は大きく溜息を吐いた。
すると、今まで黙ってずっと話を聞いていた荒牧先輩が「ならー」と口を開いた。
「私もお手伝いさせてくださいなー」
「荒牧先輩まで!?」
「二人ともー、だーいじな後輩ですからー。それにー、言うではありませんかー。『赤信号 皆で渡れば 怖くない』ですよー」
荒牧先輩は、いつもの穏やかな笑顔で、ゆったりした口調でそう言った。
『赤信号 皆で渡れば 怖くない』か。確かに、この状況だと、そうかもしれない。
『坂杜様』が「なんだ」と少し驚いたように言った。
「結局、貴様等3人とも協力してくれるのか」
「はいー。『坂杜様』、佐藤先生、校長先生。よろしくお願いしますー」
「おう。……あっ、けどくれぐれも無茶はすんなよ! 特に小梅はもう受験生なんだからな!」
佐藤先生がそう言うと、荒牧先輩は「承知しておりますー」と返答した。
――こうして私達は、『霊』や『妖怪』達に立ち向かう事になった。
だが、この時の私達は知らなかった。それがどれだけ、厳しく辛い事なのかを。
【第1話 前編へ続く】