強奪勇者の旅の終わり
ギョロリと魔王が持つ三つの目玉が、こちらを睨みつけた。
耐性がなければ、それだけで勝負がついてしまう。
麻痺、石化、即死とそれぞれが最高レベルまで鍛えられた恐るべき魔眼スキルだ。
しかし今の俺にとっては大した事はない。
勇者召喚によって、この世界に無理やり連れて来られてから三年。
手に入れた強奪スキルを駆使して、俺は強くなった。
魔物だろうが人だろうが、俺が強くなる為に片っ端からスキルを奪った。
どんなに屈強な騎士も、手練れの傭兵も、熟練の剣士も、老練な魔法使いも、民を救う大司教でさえも俺に敵対する奴には容赦しなかった。
おかげで才能に恵まれた者が、何十年かけても辿り着けないような最強レベルのスキルをいくつも手に入れる事ができた。
それも全ては目の前の魔王を倒す為。
しかし残念ながら期待外れも良い所だ。
「よわっ……」
思わず零れてしまった言葉に魔王が血管をピクピクさせている。
「良い度胸をしているな。良かろう、俺の本気を見せてやる」
同時に魔王が漆黒の闇を纏い始める。
明らかなパワーアップの兆し。
本当なら待ってやるのが礼儀だろうが、今は命を奪い合う戦いの場だ。そんな時間を与えるようなバカな事はしない。
所持している最高レベルの魔法を魔王に向かってぶっ放す。
「貴様っ!卑怯だぞ!」
魔王が叫んでいるがお構いなしだ。
大量に所持する魔力を半分ほど消費した所で打ち止めてみれば、プスプスと煙を上げている黒焦げた塊があった。
「ぜったいに、ゆるさん……」
瀕死ではあるが、生きていた。魔王の手に力が集まるのが分かった。
俺は、そうはさせないと伝説の剣を握り締めて転移スキルで魔王に近づくと、極限まで鍛え上げた聖剣術スキルで、魔王をバラバラに切り刻んだ。
実に呆気ない幕切れだった。
最後は断末魔すら上げる事無く、魔王はこの世から消失したのだった。
「終わったか」
この世界に来て三年、実に長かった。
これでようやく日本に帰れる。
戦いの余波で半壊した魔王城。そこにいるのは自分一人。
俺はその場に大の字で寝転んで空を見上げた。天井が崩れたせいで、青空をゆっくりと流れていく雲の様子が良く見える。
大きく息を吐き出して、仲間達の安否を確認する為に千里眼スキルと超聴覚を使用する。
何があるか分からなかった為に、魔王城へは俺一人で乗り込んだ。仲間達は魔王城の外で俺の帰りを待っていてくれるはずだ。
覗きとか盗み聞きとか、そんな気はなかった。
ただ純粋に仲間達が心配だっただけだ。
だからこそ知ってしまった真実に、余計にやりきれない気持ちになった。
この三年。
何の関係もないこの世界の為に、全力で戦ってきた。
なのに、こんな仕打ちはあんまりだろう。
仲間達は言っていた。
魔王を倒しても、俺は元の世界に帰る事ができないと。
仲間達はホッとした顔をしていた。
魔王を倒したら、近いうちに勇者召喚で手にしたスキルは消えてなくなると。
仲間達は笑っていた。
これで異世界の蛮族に偉そうな態度を取られなくて済むと。
仲間達は……。
違う。
仲間だと思っていたやつらは、ただ俺を利用しただけだった。
「どうすればいいんだよ……」
俺の問いかけには、当然誰も答えない。
仲間だと思っていた奴らの声が遠ざかっていく。
奴らの姿が霞んで行く。
身体から力が抜けていく。
消えるのは当然強奪スキルだけじゃない。
スキルを使って手に入れた、その他たくさんのスキルも泡のように消えていった。それら全てが元の持ち主の元へと戻っていくのだろう。
そして魔王を倒した俺は、力も仲間も何もかもを失った。
勇者として得られるはずだった富や名誉も、当然のように俺のものにはならなかった。
俺という存在は、魔王との戦いで死んだ事にされてしまった。
ついでに伝説の剣や鎧、エルフの秘薬や特殊な魔道具まで、所持品も全て回収された。
殺されなかった事だけが唯一の救いだ。
スキルを失った俺は取るに足らない存在として、殺す価値もないと判断され、放置されたのだった。
何もかもを失ってしまった俺だけれど、こうして生きている。
生きている以上は腹が減る。
フラフラと歩いて辿り着いたのは、随分と前に立ち寄った村だった。
その村で俺は助けを求めた。
しかし誰もが俺を邪険に扱った。
勇者として訪れた時は、へこへこと頭を下げて歓待してくれたのに、あの時の態度が嘘みたいだった。まるで道端のゴミを見るような目でこちらを見て、まともに話しすら聞いて貰えなかった。
その上、碌でもない連中に目を付けられてボコられた。
魔王を倒したと言っても、全てはスキルの力。身に着けた技術なんて何もない俺は、ただただ暴力が終わるのを待つ事しか出来なった。
弱くて情けない平和ボケした日本人。
それが本来の俺なのだ。
そんな俺がこんな厳しい世界で、何の力もなしに生きていけるはずがなかったのだ。
このまま死んでいくのかと思うと悔しかった。
血と泥にまみれた身体。
あまりにも惨めに思えた。
「ちくしょう……。なんでだよ……」
どうして自分がこんな目に合わなければいけないのか分からなかった。
日本で普通の生活をしていただけなのに、突然呼び出されて魔王を倒せと言われた。
仕方なしにそれに従った。
誰かを傷付ける事はしたくなった。
でもそうしなければ、生きてこれなかった。
魔物だって人だってたくさん殺した。
全てはこの世界の人の為。
自分が日本に帰る為に。
なのに、どうして……。
こんなにも頑張ってきたはずなのに、どうしてこんな目に合わなければいけないのだろうか。
悔しくて、悔しくて堪らなかった。
「ちくしょう……」
言葉と共に涙がこぼれた。
どんなに堪えようとしても、後から後から溢れ出てくる。
無力な自分が情けなかった。
間抜けな自分が嫌いだ。
調子に乗っていた当時の自分を叱りつけてやりたかった。
俺は、俺はなんてバカでマヌケでダメな奴なんだ。
全てが俺を召喚した奴らの掌の上。
なんて惨めなんだ。
どうする事もできなくて、ただただ声を出して泣いた。
どれだけの時間をそうしていたのだろうか。
不意に持ち上げられた頭。
驚いて目を開ければ、霞む視界の先に見覚えのある少女の顔があった。
「お久しぶりです。勇者様」
「きみは……」
出した声は掠れていてまるで自分のモノではないみたいだった。
「覚えていてくれたんですね」
嬉しいと言って少女が笑った。
そして少女は持っていたハンカチで、俺の汚れた顔を優しく拭ってくれた。
気が付けばベッドに寝かされていた。
あの少女が運んでくれたのだろうか。身体を起こすと少女と目が合った。
「気が付きましたか。もうすぐ食事の準備ができますから待っていてくださいね」
そう言って笑いかけてくれる少女は以前見た時とは比べ物にならない程大人びて見えた。
俺がまだ勇者だった頃。
旅の途中で訪れたこの村の近くで餓死寸前だった少女を見つけた。
当時仲間だと思ってた奴らには放置するように言われたが、俺にはできなかった。目の前で倒れている少女が幼馴染と重なったからだ。
外見が似ていた訳じゃない。
ただ守ってあげたくなるというか、自分でもよく分からないけれど、放っておくなんて事は出来なかったのだ。
長い旅の中での俺の初めてのわがままだった。
仲間だった奴らは嫌そうな顔をしていたけれど、俺が絶対に折れないと分かると、しばらく村で休養するという名目で許してくれた。当然彼らの力は借りれなかったけれど、それは大した問題ではなかった。
あの時の俺が彼女にした事と言えば、食べ物を与え、身なりを整え、仕事の口利きをしただけだ。その後、どうやって生きて来たかは分からないけれど、今の彼女を見れば何となく想像できた。
きっと精一杯頑張って来たのだろう。
質素ながらも清潔感のある衣服を身に着け、小さいながらも住む場所がある。そして今目の前に並べられていく料理の数々。
今の生活を得るのにどれだけ苦労した事だろう。
人から奪ったスキルに頼っていた俺とは大違いだ。
そんな俺の心を見透かすように彼女は言った。
「勇者様には感謝してるんです。もしあの時、勇者様が助けてくれなければ、私はきっと死んでいました。今こうして生きていられるのは勇者様のおかげなんです」
「きっかけは、そうだったかもしれないけれど頑張ったのは君だよ。それに……。俺はもう勇者じゃない。なんの力もない。ただの惨めな男だ」
自分で言っていて悲しくなった。
下を向いている俺の元へ彼女がきて、隣へと腰を下ろした。
「違います。あなたは勇者様です」
「いや、だから俺は……」
顔を上げると彼女と目が合った。慈愛に満ちた優しい目をしていた。
「勇者様です。力なんてなくても関係ありません。私にとっては、あの時助けてくれたあなたが勇者様なんです」
「ありがとう。でも……」
俺の言葉を遮るように彼女に手を握られた。
「勇者様は強くて優しいんです。それに私の初恋でもあるんです。そんな人がこのまま終わる訳ないじゃないですか」
「いや、だから……」
「あの時、勇者様は私に言いました。どんなに惨めでも情けなくても諦めるなって。諦めなければ希望はあるって。あの言葉に何度も救われたんです」
あの時の俺は、自分の力に酔っていた。人から奪った力なのに自分のモノだと錯覚してたんだ。人の苦労も分からずに、どこかで聞いたようなセリフを偉そうに彼女に言ったのだ。
それを彼女は本気で受け取って、律儀に守って生きてきたのだ。
「君は強いな」
ポツリと出た言葉に彼女は首を振った。
「勇者様の方がずっとずっと強いと思いますよ」
「そんなことは……」
「ありますよ」
そう言い切ってじっと見つめてくる彼女に俺は負けた。
やれやれと首を振って思わず笑みがこぼれた。
「ありがとう。もう一度頑張ってみるよ」
「はい」
満面の笑みで頷く彼女がとても眩しく思えた。
何もかも失ったと思っていた。
でも、どうやら残っていたモノもあったようだ。
楽しそうに食事の準備を再開した彼女の後姿を見て、俺も頑張ろうと思った。
今度は誰かから奪った力ではなく、自力でそれを手にしてみようと思った。
失ったとは言え、今まで扱ってきた力だ。
努力次第では再び使えるようになるはずだ。
不思議と確信めいた予感があった。
多くのモノを失った今だからこそ、手に出来るモノもあるだろう。
勇者としての旅は終わった。
ここから先は、何の力もない一人の人間として立ち上がらなければならない。
きっとここからが本当の闘いなのだ。
俺は……。
俺は彼女にとっての勇者であり続けようと、心に誓った。
これは強奪の勇者として恐れられた男の最後の話。
そして、のちに救済の勇者と巫女として語れるようになるのだが、それはまた別の話。




