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断崖絶壁、ここで

作者: 南清璽

  この香り。母は蚊帳を吊るしてくれた。そして蚊取線香。だが、こうした感傷に浸ってはいられなかった。

「付き合っている人おらんの?だったら見合いせん。」

「そのつもりはない。第一、高校の非常勤講師じゃまだまだ生活は安定したとはいえない。」

「こっちで生活せん?うちは農家だから食べるものは融通できるし。兄さんだってそのうち変わっていくよ。それにあんた女を見る目ないから。もし、あの(ひと)と結婚していたら次朗さんみたいに包丁で滅多突きにされてたかもしれんし。」

  俺は、その殺された実吉次朗の告別式に参列するため帰郷した。実に久しぶりに。そう、親父の法要以来。それも兄との折り合いが良くないからだ。無理もない。兄は俺より高校での成績はよかったが、農業を継ぐため大学への進学を諦めた。何せ親父が卒中で倒れ半身不随となってしまったからな。それに較べ俺は、その兄のお陰で大学までいかしてもらったというのに、教員採用試験に合格できず、非常勤講師をしているという有様だ。だから、性根が足りないなどと雑言を言われていた。何分、親父が倒れてからというものは一家を支えてくれたのは兄貴だし、敬ってはいるつもりなのだが。一方、明日の告別式で参列する同級生から当時のことに話題が及ぶのだろうと考えると、殺された次朗へのシンパシーが誤解されない向きで伝わるか不安でもあった。


「佐藤と結婚していたらこんなことにはならなかったかもな。」

 この高橋の問いかけには何も答えなかった。彼も彼でそんな俺に対し何ら気に留めることなく運転をつづけた。そうして目的の場所へと着く。

「こっちだ。」

  高橋は、その断崖絶壁へと俺を案内する。

まさか!

  次朗を殺害した妻、雪乃と一緒に来た因縁の場所でもあったからだ。

「こんな高い所から墜ちて、よくあいつ助かったよなあ。体操をやっていたから急所を撃たないように出来たのだろうが。」

  そのとき、実吉は一命を取り留めた。だが、首から下は麻痺し、障碍を負うことになった。

「雪乃のやつ、相当困憊していたのかなあ。あんな風に滅多突きにするなんて。」

  そう、告別式の間、その向きの話で持ちきりだった。困憊の果てのことだとか、憔悴していたとか。

「雪乃も殺害後、ここから飛び降り命を絶ったんだ?」

  しみじみとした物言いで高橋に訊く。

「そうだ。」

  他方、俺は打ち明けずこのまま秘すつもりだった。雪乃にこの場に連れて来られ、伴に死のうともちかけられたことを。そのときは絶壁の高さに怖気づき、腰を抜かし、その場に座り込む次第で実行に移されなかったことも。

「佐藤は、雪乃のことが引きずって、結婚しないのか?」

「まさか!」

  でも、図星だった。かつて実吉と共に雪乃を争った。だが、実吉があの日、障碍を負ってからだ。俺に対してつれなくなったのは。そうして、その実吉を選んだ。俺は、その訳を、つまりは、そうした状況にある実吉を選んだ理由を質そうとした。何分、釈然としないまま終えれないと思ったからだ。


「どうして、またあそこへ行こうって?」

  俺は棺を見送ったとき、あの絶壁への案内を高橋に願った。

「一種の感傷だよ。好きだっただけに。最期を遂げた場所を見ておこうと。」

  高橋は駅まで送ってくれた。帰りの列車の車窓から景色を眺めつつ、雪乃が云ったあのときの言葉の意味を探った。そう「確かに怖くて腰を抜かすわね」と。やはり。想いがよぎる。実吉が崖から墜ちた事故のその場に、雪乃も一緒だったのではと。そして、彼女も俺同様に怖気づき、飛び降りれなかったのだと。そういえば、俺に死のうともちかけたとき、死に対し憧憬をいだいていると述べていた。こんな具合に雪乃には危うさがあった。一方、この危うさに惹かれたのも確かだ。だとすれば実吉のときもそうだったのか。彼女からもちかけた?それとも、実吉の方?詮無いことと知りつつそうした考えに及ぶ。

  思えば、雪乃にはそんな脆さと共に芯の強さも併存していた。でも、そういった面はいつかは破滅に向かうとも思えた。そう耽りながら、郷里の風景を視野に納める。その意識の中にあるのは昔と変わっていないという想いだ。物足りない程に。ふと想う。兄貴との和解を試みてはと。何故か交叉する。

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